Ⅳ 魂を奪う笛(1)

「………………………」


 最初の内は警戒心を持って耳を傾けていたものの、彼の奏でる淋しげな竪琴リュラー調しらべとその美声、そして、なんとも奇妙でなんとも壮絶なそのうたの内容を前にして、ハーソン達三人は他の客達同様、いつしかすべてを忘れて聞き入っていた。


 演奏が終わると、しばしの静寂が流れた後、店内は割れんばかりの拍手と歓声に溢れ返る。


 「なるほど。魂を奪う・・・・吟遊詩人バルドーとは、そういう意味だったのか……」


 ハーソン達も手を叩いて彼に称賛を送りながら、やはりこのオルペという若者が例の吟遊詩人バルドー

であることを確信し、だが、その〝魂を奪う〟の意味を大きく取り違えていたことに気づいた。


 即ち、〝魂を奪う・・・・吟遊詩人バルドー〟とは、それを聞いた者が魂を奪われる・・・・・ほど、素晴らしい演奏をする》吟遊詩人バルドーということだったのだ。


 おそらくは、噂が人づてに伝わる間に尾ひれ背びれが付いてゆき、もとの噂とは大きく異なる意味合いのものに変容してしまったのであろう。〝流言〟というものにはままあることである。


しかも、そんな根も葉もないようなバカげた内容の噂を預言皇庁や異端審判士は鵜呑みにしてしまったのだ。


 なんて言うハーソン達も同じ勘違いをしたままだったし、挙句、無関係なこの店の主までグルだのなんだのとあらぬ疑いの目を向けてしまっていたのだから他人ひとのこと批判はできないのであるが……。


 ま、素晴らしいものを聴けたから結果的に良かったのではあるが、いわゆる一つの「骨折り損のくたびれもうけ」というやつである。


「いやあ、素晴らしい演奏だった。確かに魂を奪われた・・・・・・よ、ブラボー!」


 つば広帽をひっくり返してお椀代わりにし、客の間を廻っておひねりをもらっていたオルペがやって来ると、上への皮肉を込めた台詞を口にしながらアウグストも銀貨を帽子の中へ投げ入れる。


「まさに魂を奪う・・・・吟遊詩人バルドーだな……これほどの曲を聴かせる者は宮廷詩人トルヴェールにもまずいないだろう」


「感動いたしました。今までに聴いた吟遊詩人バルドーの中でも一番です」


 続いてハーソンとメデイアも同じくコインを投げ入れて賛美を送るが、しかし二人は彼の弾き語ったうたに対し、ただの称賛とはまた違った感想を抱いてもいた。


「ありがとうございます……」


「しかし、ただの創作や伝説をもとにしたものにしては妙に生々しく現実味がある……ひょっとして、その男・・・というのは君自身のことではないのか?」


 これほどまでに褒め称えられながも笑顔一つ見せることなく、相変わらず暗い表情でぼそぼそと礼を言うオルペに対し、ハーソンンはそのことをストレートに尋ねてみた。


「さあ、どうなのでしょう……そこはお客様のご想像にお任せいたします……」


 だが、芸人らしい上手い返しながらもやはり暗く沈んだ声で、彼は伏目がちにはぐらかそうとするだけである。


 と、そんな時。


「おお、いたいた。いやあ、騎士の旦那さん方!」


 不意にまた店のドアが開き、野太い陽気な声とともに図体のデカイ男がドカドカと入って来た。


 演奏の余韻を打ち消すかのようなそのやかましい音に振り返ると、それはこの店のことを教えてくれた、あの大工のディルクである。その赤ら顔の千鳥足からして、今も充分に酔っぱらっているようだ。


「あ、そなたは昼間の酒飲み! いや、そなたの話通りここにいたぞ」


「改めて礼を言おう。おかげでお目当ての吟遊詩人バルドーを見つけることができた」


 ずいぶんと血行の良い彼の顔を認めると、アウグストとハーソンはそう言ってオルペの方を視線で指し示す。


「ああ、この兄ちゃんがそうだったかい。いやあ、当たりだったんならそいつはよかった。いや、それがあの後、飲み仲間から似たような別のやつの話を聞いたもんでよう、もしかして、違うやつを教えちまったんじゃないかと気になって来てみたんでさあ。ま、ついでにここの旨い酒も久々に飲んでこうっていう話なんですがね」


 しかし、大工のディルクは安心した様子で胸を撫で下しながらも、なんだか妙なことを口にし始めた。


「似たような別のやつ? ……どういうことだ?」


 アウグストは立派な黒い眉を「ハ」の字にして、訝しげな顔でディルクに聞き返す。


「いえね、その兄ちゃんの他にももう一人、聴く者の魂を奪う・・・・と噂になってるやつがいるみたいなんでさあ。ま、そいつの場合はちょっと風変わりな吟遊詩人バルドーでして、リュートとかの弾き語りじゃなく、どうやら笛を吹くみたいなんですがね。しかも、飲み屋や街頭では演奏せずに、町外れの森なんかに人を集めては演奏会を開いてるんだとか。それでも、その笛を聴いた若い娘達はみんなその虜になってるらしいですぜ? それほどのイケメン野郎なんですかねえ?」


「ほおう。さすがは〝笛吹き男〟の町、どうやら優秀な音楽家を引き寄せるらしい。そいつはぜひ、そちらも一度聴いてみたいところだな……」


 オルペの演奏を聴いた後でもあり、興味深いディレクの話にそんな感想を漏らすハーソンだったが、ちらと横目にオルペの方を見ると、不意にその表情を険しくする。


 それまでも暗くうち沈んだ死人の如き顔色をしてはいたのだが、今の彼はまさに顔面蒼白、その色白の肌からは完全に血の気が失せ、死んだ魚のようだった目を大きく見開くと、何か恐ろしいものでも見たかのように眼球を小刻みに震わせている。


「笛を吹く吟遊詩人バルドー……そういえば、ディオニュソス神の象徴は角笛……その角笛を吹き鳴らし、狂乱する狂信女マイナスを引き連れて歩く姿は、なんとなくその吟遊詩人バルドーと重なって見えるような……まさか! その人物があなたを追っている教団の司祭!?」


 同じく彼の異変に気づき、その原因を今のディルクの話と合わせて考えてみたメデイアは、魔女・・としての知識からその事実に思い至る。


「なにっ!? それはまことの話か!? それじゃ、やはり今の物語はおぬし自身がモデルの……いや、ちょっと待てよ。とすれば、この町にその司祭もいるというのは、なかなかにマズイ状況ではないか!?」


 それを聞いてアウグストも凡その事情を理解すると、彼が固まるのもわかるその状況に思わず大きな声をあげる。


「オルペと言ったな。我々は護教のために組織された帝国配下の白金の羊角騎士団だ。邪教の討伐もいわば我々の任務。悪いようにはしない。詳しく話してみてはくれないか?」


 二人に続きハーソンもオルペの震える瞳を覗き込むと、自分達の身分を明かして彼にそう尋ねた。


「……あいつが……バコスがすぐ近くにいる……もうダメだ。あいつの連れてる狂信女マイナスの手で、僕は八つ裂きにされて殺されるんだ……だけど、僕が恐れているのは八つ裂きにされることじゃない……本当に怖いのは、再びエヴリーデと顔を合わせることだ……僕に見捨てられたことを恨んで、彼女も一緒に僕を追いかけてきているんですよ……」


 尋ねられたオルペはハーソンに答えるというよりも、なんだか自分に言い聞かせようとしているかの如く、まるで独り言を呟くようにして震える声でぼそぼそと語り始める。


「……僕は、あんなにも愛しいと思っていた彼女を最後の最後で突き放した……ただ、容姿が変わっていただけだというのに……僕の彼女に対する愛はそんなものだったのか? ……でも、変わり果てた彼女の姿を見るのはやっぱり恐いんだ……あんなにも美しかったエヴリーデの、目を背けたくなるようなあの姿を目にしたら……今度も僕は同じ過ちを犯し、また彼女を突き放して逃げだしてしまうかもしれない……」


 先程のうたの続きを唄うかの如く、堰を切ったようにしてその隠された心情をオルペは吐露し始める。


「そうか。それがどこまでも君を追いかけ、ずっと縛りつけている亡霊・・の正体なのだな……」


 図らずも彼が唄うこととなった〝冥府下りのうた〟第二小節に、ハーソンはすべてを理解してそう呟いた。


 彼がこのように暗くうち沈んだ表情をしていたのは、ディオニュソス教団の司祭と狂信女マイナスに追われているからではない。


 それは、亡くした恋人のことを愛おしく思いつつも、その死体となった姿を恐ろしく感じてしまう二律背反する感情の間で責め苛まれる〝愛〟の葛藤……そして、この世の理を犯してまで蘇らせようとしたにも関わらず、醜い彼女の姿を目にすると突き放して冥界へ追いやってしまったことに対する強い罪悪感が、ずっと彼の背後に取り憑いて離れないのであろう。


「………………」


 一方、メデイアは、こんな状況であるというのにまったく別のことを考えていた。


 愛する相手の変わり果てた姿……もしも、ハーソンが死体となり、朽ち果てた姿で蘇ってきたら、自分もやはり、彼を捨ててその場を逃げ出すのだろうか?


 ……わからない。それは、実際にそうなってみないと想像することすらできない。


 彼に惹かれているのはその端麗な容姿のため? それとも、自分を救ってくれた恩人だから? あるいは、帝国最強の騎士・聖騎士パラディンであり、尊敬できる上司だからなのか……。


 わからない……オルペと自分を重ね合わせて考えてみたメデイアだったが、余計にハーソンに対する自分の感情がどういうものなのかわからなくなってしまった。


「だいたいの事情はわかった。ともかくも、おぬしは早くここを離れた方がいい。我らとて見つけられたほどだ。噂がその司祭とやらの耳に入れば、ここを嗅ぎつけてすぐにやってくるだろう」


 そんな恋に悩むメデイアを他所よそに、アウグストは現実的な問題を見据えてそんな忠告をオルペに与える。


「そうだな。ぐずぐずしていると取り返しのつかないことにもなりかねん。もし君が望むのならば、我ら羊角騎士団のもとでしばらく匿ってやってもいい。エルドラニアの王都マジョリアーナにある騎士団の本部ならば、そやつらも手出しはできないだろう。期を見て〝新天地〟へ渡るという手もある」


 その言にはハーソンも賛同し、助力まで申し出て彼を促す。


「……はい……僕にはもう、逃げることしかできません……そうしていただけるというのなら、ご厄介にならせていただきます……」


 ハーソン達の差し伸べた手に、オルペは焦点の合わぬ目を床の上に落としたまま、力ない声でぼそぼそとそう答えた。


「承知した……店主、世話になった。少々込み入った事情があるんで、これにて失礼する。それで、一つ頼みがあるんだが、誰かにこのオルペのことを訊かれたら、まだこの町に逗留しているはずだと教えてもらえるか? ああ、そちらの大工のオヤジさんや他のみんなもだ。頼み賃にこの金で一杯飲んでくれ」


 枯れ木のように立ち尽くすオルペにハーソンは頷くと、今度は店主とディルク、さらには他の客達の方も見回しながら、そんな情報操作のための頼みごとをする。もちろんその際、自分達の飲み食い分よりもかなり多めの銀貨を革袋ごとカウンターへ置くことも忘れない。


「かしこまりました。お客様の秘密を守ることは客商売の鉄則でございますから」


「え? なんかマズイことでもあるんですかい? まあ、俺ぁ飲めればそれでいいけど……」


 ハーソンの依頼に、ダンディな店主はすべて承知の上というようにウィンクをして返し、一方のディルクは事情をよく飲み込めていない様子で、それでもとりあえずはうんうんと頷いてみせる。


「やったー! タダ酒だあ!」


「タダ酒が飲めるぞー!」


他の客達もまた、ハーソン達の話すら聞いていないのに無邪気に喜んではしゃいでいる。


「よし。では、急ぐぞ。念には念を入れて、今夜中にこの町を出てしまった方がいいだろう」


「ですな。馬を使えば、朝までにかなり距離が稼げるかと」


「魔術的な対策をとれないかも考えてみます。オルペさん、さあ、参りましょう」


 後の始末がつくと三人は忙しなく席を立ち、ふらふらと廃人のようにして歩くオルペを抱きかかえるようにして店の入口へと向かう。


 こうして、司祭と狂信女マイナス達に追われるオルペを安全な場所まで逃すべく、ハーソン達は足早に〝ホラ吹き男亭〟を後にした――。

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