Ⅳ 魂を奪う笛(1)
「………………………」
最初の内は警戒心を持って耳を傾けていたものの、彼の奏でる淋しげな
演奏が終わると、しばしの静寂が流れた後、店内は割れんばかりの拍手と歓声に溢れ返る。
「なるほど。
ハーソン達も手を叩いて彼に称賛を送りながら、やはりこのオルペという若者が例の
であることを確信し、だが、その〝魂を奪う〟の意味を大きく取り違えていたことに気づいた。
即ち、〝
おそらくは、噂が人づてに伝わる間に尾ひれ背びれが付いてゆき、もとの噂とは大きく異なる意味合いのものに変容してしまったのであろう。〝流言〟というものにはままあることである。
しかも、そんな根も葉もないようなバカげた内容の噂を預言皇庁や異端審判士は鵜呑みにしてしまったのだ。
なんて言うハーソン達も同じ勘違いをしたままだったし、挙句、無関係なこの店の主までグルだのなんだのとあらぬ疑いの目を向けてしまっていたのだから
ま、素晴らしいものを聴けたから結果的に良かったのではあるが、いわゆる一つの「骨折り損のくたびれもうけ」というやつである。
「いやあ、素晴らしい演奏だった。確かに
つば広帽をひっくり返してお椀代わりにし、客の間を廻っておひねりをもらっていたオルペがやって来ると、上への皮肉を込めた台詞を口にしながらアウグストも銀貨を帽子の中へ投げ入れる。
「まさに
「感動いたしました。今までに聴いた
続いてハーソンとメデイアも同じくコインを投げ入れて賛美を送るが、しかし二人は彼の弾き語った
「ありがとうございます……」
「しかし、ただの創作や伝説をもとにしたものにしては妙に生々しく現実味がある……ひょっとして、
これほどまでに褒め称えられながも笑顔一つ見せることなく、相変わらず暗い表情でぼそぼそと礼を言うオルペに対し、ハーソンンはそのことをストレートに尋ねてみた。
「さあ、どうなのでしょう……そこはお客様のご想像にお任せいたします……」
だが、芸人らしい上手い返しながらもやはり暗く沈んだ声で、彼は伏目がちにはぐらかそうとするだけである。
と、そんな時。
「おお、いたいた。いやあ、騎士の旦那さん方!」
不意にまた店のドアが開き、野太い陽気な声とともに図体のデカイ男がドカドカと入って来た。
演奏の余韻を打ち消すかのようなそのやかましい音に振り返ると、それはこの店のことを教えてくれた、あの大工のディルクである。その赤ら顔の千鳥足からして、今も充分に酔っぱらっているようだ。
「あ、そなたは昼間の酒飲み! いや、そなたの話通りここにいたぞ」
「改めて礼を言おう。おかげでお目当ての
ずいぶんと血行の良い彼の顔を認めると、アウグストとハーソンはそう言ってオルペの方を視線で指し示す。
「ああ、この兄ちゃんがそうだったかい。いやあ、当たりだったんならそいつはよかった。いや、それがあの後、飲み仲間から似たような別のやつの話を聞いたもんでよう、もしかして、違うやつを教えちまったんじゃないかと気になって来てみたんでさあ。ま、ついでにここの旨い酒も久々に飲んでこうっていう話なんですがね」
しかし、大工のディルクは安心した様子で胸を撫で下しながらも、なんだか妙なことを口にし始めた。
「似たような別のやつ? ……どういうことだ?」
アウグストは立派な黒い眉を「ハ」の字にして、訝しげな顔でディルクに聞き返す。
「いえね、その兄ちゃんの他にももう一人、聴く者の
「ほおう。さすがは〝笛吹き男〟の町、どうやら優秀な音楽家を引き寄せるらしい。そいつはぜひ、そちらも一度聴いてみたいところだな……」
オルペの演奏を聴いた後でもあり、興味深いディレクの話にそんな感想を漏らすハーソンだったが、ちらと横目にオルペの方を見ると、不意にその表情を険しくする。
それまでも暗くうち沈んだ死人の如き顔色をしてはいたのだが、今の彼はまさに顔面蒼白、その色白の肌からは完全に血の気が失せ、死んだ魚のようだった目を大きく見開くと、何か恐ろしいものでも見たかのように眼球を小刻みに震わせている。
「笛を吹く
同じく彼の異変に気づき、その原因を今のディルクの話と合わせて考えてみたメデイアは、
「なにっ!? それは
それを聞いてアウグストも凡その事情を理解すると、彼が固まるのもわかるその状況に思わず大きな声をあげる。
「オルペと言ったな。我々は護教のために組織された帝国配下の白金の羊角騎士団だ。邪教の討伐もいわば我々の任務。悪いようにはしない。詳しく話してみてはくれないか?」
二人に続きハーソンもオルペの震える瞳を覗き込むと、自分達の身分を明かして彼にそう尋ねた。
「……あいつが……バコスがすぐ近くにいる……もうダメだ。あいつの連れてる
尋ねられたオルペはハーソンに答えるというよりも、なんだか自分に言い聞かせようとしているかの如く、まるで独り言を呟くようにして震える声でぼそぼそと語り始める。
「……僕は、あんなにも愛しいと思っていた彼女を最後の最後で突き放した……ただ、容姿が変わっていただけだというのに……僕の彼女に対する愛はそんなものだったのか? ……でも、変わり果てた彼女の姿を見るのはやっぱり恐いんだ……あんなにも美しかったエヴリーデの、目を背けたくなるようなあの姿を目にしたら……今度も僕は同じ過ちを犯し、また彼女を突き放して逃げだしてしまうかもしれない……」
先程の
「そうか。それがどこまでも君を追いかけ、ずっと縛りつけている
図らずも彼が唄うこととなった〝冥府下りの
彼がこのように暗くうち沈んだ表情をしていたのは、ディオニュソス教団の司祭と
それは、亡くした恋人のことを愛おしく思いつつも、その死体となった姿を恐ろしく感じてしまう二律背反する感情の間で責め苛まれる〝愛〟の葛藤……そして、この世の理を犯してまで蘇らせようとしたにも関わらず、醜い彼女の姿を目にすると突き放して冥界へ追いやってしまったことに対する強い罪悪感が、ずっと彼の背後に取り憑いて離れないのであろう。
「………………」
一方、メデイアは、こんな状況であるというのにまったく別のことを考えていた。
愛する相手の変わり果てた姿……もしも、ハーソンが死体となり、朽ち果てた姿で蘇ってきたら、自分もやはり、彼を捨ててその場を逃げ出すのだろうか?
……わからない。それは、実際にそうなってみないと想像することすらできない。
彼に惹かれているのはその端麗な容姿のため? それとも、自分を救ってくれた恩人だから? あるいは、帝国最強の騎士・
わからない……オルペと自分を重ね合わせて考えてみたメデイアだったが、余計にハーソンに対する自分の感情がどういうものなのかわからなくなってしまった。
「だいたいの事情はわかった。ともかくも、おぬしは早くここを離れた方がいい。我らとて見つけられたほどだ。噂がその司祭とやらの耳に入れば、ここを嗅ぎつけてすぐにやってくるだろう」
そんな恋に悩むメデイアを
「そうだな。ぐずぐずしていると取り返しのつかないことにもなりかねん。もし君が望むのならば、我ら羊角騎士団のもとでしばらく匿ってやってもいい。エルドラニアの王都マジョリアーナにある騎士団の本部ならば、そやつらも手出しはできないだろう。期を見て〝新天地〟へ渡るという手もある」
その言にはハーソンも賛同し、助力まで申し出て彼を促す。
「……はい……僕にはもう、逃げることしかできません……そうしていただけるというのなら、ご厄介にならせていただきます……」
ハーソン達の差し伸べた手に、オルペは焦点の合わぬ目を床の上に落としたまま、力ない声でぼそぼそとそう答えた。
「承知した……店主、世話になった。少々込み入った事情があるんで、これにて失礼する。それで、一つ頼みがあるんだが、誰かにこのオルペのことを訊かれたら、まだこの町に逗留しているはずだと教えてもらえるか? ああ、そちらの大工のオヤジさんや他のみんなもだ。頼み賃にこの金で一杯飲んでくれ」
枯れ木のように立ち尽くすオルペにハーソンは頷くと、今度は店主とディルク、さらには他の客達の方も見回しながら、そんな情報操作のための頼みごとをする。もちろんその際、自分達の飲み食い分よりもかなり多めの銀貨を革袋ごとカウンターへ置くことも忘れない。
「かしこまりました。お客様の秘密を守ることは客商売の鉄則でございますから」
「え? なんかマズイことでもあるんですかい? まあ、俺ぁ飲めればそれでいいけど……」
ハーソンの依頼に、ダンディな店主はすべて承知の上というようにウィンクをして返し、一方のディルクは事情をよく飲み込めていない様子で、それでもとりあえずはうんうんと頷いてみせる。
「やったー! タダ酒だあ!」
「タダ酒が飲めるぞー!」
他の客達もまた、ハーソン達の話すら聞いていないのに無邪気に喜んではしゃいでいる。
「よし。では、急ぐぞ。念には念を入れて、今夜中にこの町を出てしまった方がいいだろう」
「ですな。馬を使えば、朝までにかなり距離が稼げるかと」
「魔術的な対策をとれないかも考えてみます。オルペさん、さあ、参りましょう」
後の始末がつくと三人は忙しなく席を立ち、ふらふらと廃人のようにして歩くオルペを抱きかかえるようにして店の入口へと向かう。
こうして、司祭と
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます