Ⅴ ディオニュソスの夜祭(1)
プオォォォォォォォ~…!
夜の闇に鳴り響く、心と体の芯にあるものを震るい立たせるような低く不気味な笛の音……すると、それを合図とするかのように、
「アハハハハハ! 八つ裂き! 八つ裂き~!」
「キャハハハハ! 山羊の八つ裂き、楽~のしい~ぃ!」
どうやら彼女達の目にハーソン達は山羊に見えているらしいが、皆、この場には不相応な満面の笑みをその顔に浮かべ、ころころと鈴の鳴るような声で狂ったように笑っている……。
最早、狂気としか形容し難い、この状況と彼女達とのちぐはぐな不釣り合いさがまた、どんな悪鬼羅刹よりもむしろ恐ろしく感じさせる。
「チッ……彼女達は操られてるだけだ! 斬るなよ!」
咄嗟に腰の愛剣を引き抜こうとしたハーソンだったが、瞬間、思い直して鞘ごと腰のベルトから抜いて身構える。
その剣は、かつて古代異教の遺跡でハーソンが発見した、自ら鞘走って敵を斬る〝フラガラッハ〟という魔法剣なのだが、罪なき町娘相手ではそれを使うわけにもいかない。下手に抜こうものなら彼の意に反して勝手に飛び回り、彼女達を全員斬り刻んで殺してしまいかねないのだ。
「ええい! なんと厄介な!」
普通のブロードソード(※当時主流の細身の剣よりもやや幅広な戦用の剣)であるアウグストもまた、娘達を傷つけないよう鞘のままその剣を両手に構える。
「山羊肉のお料理~アハハハハ…!」
「ウフフフフフ…! まずはお肉を切り刻まなきゃ~」
だが、そんな騎士道精神に則った彼らにも
しかも、振り下ろされたテュルソスを鞘で受け止めたハーソンは、ガチン! と響く金属音とともに火花が散るのを見て、それがただの木の杖でないことにも気づく。
「気をつけろ! 飾りの中に刃が隠されているぞ!」
そう……その柄の頭部に巻き付けられたブドウの蔓の葉の中に、鉄でできた鋭利な突起が混ぜられているのだ。
「き、気をつけろと言われても! こちらからは反撃できぬし……痛たたたたた……は、放せ……」
アウグストも鞘でその攻撃を受け止めて応戦するが、さらに彼女達は素手で彼らに掴みかかり、若い娘とは思えない力で本当にその四肢を八つ裂きにしようとする。
「キャハハハ…八つ裂き! 八つ裂きぃ~!」
「アハハハハ…ねえ、どうやったらこの脚もげるのお~?」
苦痛に顔を歪めるアウグストに対し、恐ろしい力で手足を引っ張る娘達は恍惚の表情を浮かべている……狂人を取り押さえるのに苦労するのと同様、幻覚作用のある煙によって狂気に支配され、理性を失っている彼女達は普段の何倍もの力を発揮できるのである。
「くっ…このままではこちらの身が持たんか……やむをえん! 殴って気絶させよう! ただし、なるべく怪我はさせるなよ!」
ハーソンも全身に纏わりつく
「フフフ…そうやって
一方、そうして二人が娘達の相手に手いっぱいの中、今度は角笛ではなく長い横笛のようなもの司祭は懐から取り出す……だが、それを吹き鳴らすのかと思いきや、その片方の端を縦に咥え、水平に掲げてもう一方の先端をオルペの方に向けたのである。
「危ない!」
「うわっ…!」
その瞬間、それがなんであるのかをメデイアは悟り、傍らに立っているオルペを咄嗟に弾き飛ばす。
と、その刹那の後、それまでオルペがいた所の背後にあった木の扉には、大きく長い一本の針が深々と突き刺さっていた。
「やはり、横笛に見せかけた吹き矢……」
その針を見据えがらメデイアが呟いたように、それは横笛を転用した暗器的な吹き矢だった。それも、おそらくは何がしかの猛毒が針には塗られているのであろう。
「お店に入れるわけにもいかないし……オルペさん、わたしの後に隠れていてください!」
入口のドアを開けて中へ彼を逃がそうとも考えたが、そうすれば店主や客達も巻き込んでしまう……やむなく自分が盾となるように再びオルペの前へ出ると、手にした弓形の
「オルペよ、おとなしく観念してこちらへ来い。恋人も冥府でおまえのことを待っているぞ?」
「う、うわあぁぁぁぁ~っ!」
だが、司祭の口にしたその言葉に強く反応し、不意にオルペは雄叫びのように悲鳴をあげながらメデイアの背後を飛び出した。
それは、単に司祭と
「オルペさん! ダメです! 戻ってください!」
恐怖に駆り立てられ、店の裏に広がる森の中へ逃げ込もうとするオルペの後を、メデイアも呼び止めながら慌てて追いかける。
「フン……どこまでも愚かな男よ……フッ!」
だが、その隙を司祭は見逃さない。背を向けて走る無防備なオルペに、横笛を再び咥えると素早く装填した吹き矢の第二射を放つ。
「くっ……」
しかし、それに気づいたメデイアも咄嗟に足を止め、弓形の
「……っ! クソ! 邪魔な女狐め……」
その矢は的を外したが、司祭も怯んだおかげに毒針もオルペではなく地面へと虚しく突き刺さる。
その間に発狂して何も見えていないオルペは、そんな攻防も知らないまま夜の森の中へと逃げ込んでいた。
「相手が飛び道具なら、確かに遮蔽物のある森の方が有利かも……」
それを見て、そう考え直したメデイアも再びその後を追って走り出す。
「メデイア! 彼のことを頼む!」
そんな彼女の背中に、なおも
「は、はい!」
彼が…愛しいあの人が自分を頼ってくれている……何よりもうれしいその言葉に、まるで魔法の呪文の如く全身に活力の漲るのを感じながら、メデイアは大きく返事をすると、暗い森の中へと勢いよく飛び込んだ。
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