Orpheus der Barde ~冥奏のオルフェウス~

平中なごん

Ⅰ 笛吹き男の町

聖暦1580年代末秋、西のフランクル王国に隣接する、神聖イスカンドリア帝国領内ガルマーナ地方南部の街道……。


「――なぜだ!? なぜ我々がかような仕事までせねばならぬのだ!?」


 帝国きっての伝統を誇る〝白金の羊角騎士団〟の副団長アウグスト・デ・イオルコは、今日もラテン系のダンディな顔を真っ赤にして、馬上で憤りの声をあげていた。


「どうやら前回の一件・・・・・で預言皇庁は味をしめたらしい……手柄を立てるのも考えものだな」


 そのとなりを同じく馬でゆっくりと進む、羊角騎士団の団長であり、魔法剣〝フラガラッハ〟を持って帝国最強の騎士を意味する名誉称号〝聖騎士パラディン〟にも叙せられているドン・ハーソン・デ・テッサリオは、どこか他人事のような口振りで憤慨するアウグストにそう答えた。


 どちらも騎士団の紋章である〝神の眼差しを左右から挟む羊の巻き角〟が描かれた純白の陣羽織サーコートとマントをキュイラッサー・アーマー(※胴・上腕・太腿のみを覆う対銃弾用の近世的な分厚い鎧)の上から羽織り、ハーソンは白馬、アウグストは栗毛の馬に跨っている。


「すみません。わたし達のためにこのようなご迷惑をおかけしてしまって……」


 また、ハーソンの後で馬の背を椅子のようにして腰掛ける、美しい褐色の肌をした顔を薄布のベールで覆い、黒い修道女服の上にハーフアーマー(※胴だけの鎧)とやはり騎士団の紋章入り白マントを着けた若い女性が、たいへん申し訳なさそうに細い眉をひそめて二人の会話へ割って入る。


 現在は羊角騎士団の魔術担当団員となっているこのメデイアこそ、ハーソンが今言った前回の一件・・・・・に関わる中心人物の一人であり、とある女子修道院で起きた悪魔憑き事件において、危うく火炙りにされるところをハーソン達に救われた魔女・・なのだ。


「いや、別にそなたを責めているわけではない。文句があるのは預言皇庁と異端審判士に対してだ。年齢も人相も知れず、どこにいるともわからぬ吟遊詩人バルドーをどうやって捕らえよというのだ!? いや、そもそも〝歌を聞かせて魂を奪う吟遊詩人バルドー〟など本当に存在するのか!?」


 ひどく責任を感じている様子のメデイアに、一瞬、バツの悪そうな顔をしてフォローするアウグストであったが、やはり怒り収まらぬ様子で再び声を荒げた。


 彼が怒っているのは前回の女子修道院の事件に引き続き、またしてもそんな厄介仕事を上から押しつけられたためである。


 吟遊詩人バルドーとは、騎士道物語や叙事詩などを弾き語りして回る、一種の大道芸人のような者達である。


 の話ではその吟遊詩人バルドーを装い、歌を弾き語っては聞いた人間の魂を奪う悪魔崇拝者とも、あるいは悪魔そのものともいわれる輩が帝国領内の方々に出没しているというのだ。


「その神出鬼没ぶりゆえに、異端審判士は捜すのを面倒くさがったのだろうな……ま、これも護教・・のためと言われれば、確かに我ら羊角騎士団の任務の範疇だ。ついでに騎士団の人材探しもできることだし、ここは〝新天地〟へ行くまでの辛抱と思って仕事に励もう」


 まるで苦虫を噛み潰したようにダンディな顔を歪め、今にも発狂しそうな様子の相棒アウグストを、非対称的に落ち着いた様子のハーソンは、どこか世の中を諦観しているような声の調子でそう宥めた。


 ハーソン達〝白金の羊角騎士団〟の団員は、少々複雑な組織体系の中にある……。


 二人は世界最大の版図を誇るエルドラニア王国の騎士であるが、現エルドラニア国王カルロマグノ一世は、いにしえの大帝国〝古代イスカンドリア〟の後継を自負する領邦国家(※公国などの小国)や自治都市の集合体〝神聖イスカンドリア帝国〟の皇帝カロルスマグヌス五世としても即位しているため、彼らは神聖イスカンドリア皇帝の臣下ということにもなる。


 また、イスカンドリア皇帝はプロフェシア教会の最高位、「神の言葉を唯一預かれる」とされる預言皇により任命されるため、必然、エルドラニア王国は預言皇庁の干渉を受けることになり、加えて羊角騎士団がそもそも異教や異端の脅威から教会を守るために設立されたものであることから、帝国ばかりか預言皇庁からも仕事を仰せつかったりするのである。


 伝統的に名家の出身者だけが代々就任していたところ、武勲だけでのし上がっきた小領主階級のハーソンを聖騎士パラディンに叙し、羊角騎士団の団長に大抜擢した皇帝や預言皇の狙いもそこにある……。


実力もない貴族のお坊ちゃま達が箔を付けるためだけの名誉団体と化していた羊角騎士団を彼の手で立て直し、いろいろこき使おうという腹積もりなのだ。


 昨今は預言皇を頂点とするレジティマム(正統派)に対し、開祖・はじまりの預言者イェホシア・ガリールの教えに立ち返ろうというビーブリスト(聖典派)が各地で反旗を翻しているため、現預言皇レオポルドゥス10世はその鎮圧に一役買わせようと考えているらしい……。


 他方、皇帝と帝国側はより俗物的に、新たに植民地とした遥か海の彼方にある〝新天地(※新大陸)〟において、海洋交易路を脅かす海賊討伐に彼らを使おうと計画している……。


 まあ、そんなお上の思惑に対し、その有名無実化した騎士団の改革には実力主義を重んじるハーソンもやぶさかではなく、こうして旅をしながらメデイアのような新団員をスカウトして回ったりもしているのであるが……。


 ともかくも、そんな人材集めの旅をしていたハーソン達に新たに下された、今回の〝魂を奪う吟遊詩人バルドー〟退治の任務である。


「さあ、着いたぞ。チャーメルンの町だ。道中聞いた噂だと、最近はこの町にその吟遊詩人バルドーが出没するらしいが……」


 そう告げながら、ハーソンが碧の瞳を向けて示すその先には、壁のようにそびえ立つ山脈を背景に、雄大なベーダー川の河岸に沿って幾つもの水車とそれを動力に粉を挽く小屋が点々と建ち並び、その緩やかな河の流れにかかる巨大な石橋の向こうには、中世そのままといった風情の白壁の街が広がっている。


長い歴史の中、いろいろと紆余曲折はあったものの、現在は神聖イスカンドリア帝国を構成する領邦国家の一つ、ブラウントラウット公国の領有するところとなっている大都市チャーメルンだ。


 また、街の中央にはここからでも見えるほど大きく立派な聖ボタニカテウス律院という古い石造りの修道院の尖塔がそびえ立ち、かつてはミンデイイ司教が影響力を振るうレジティマム教会中心の町でもあったが、今は預言皇を批判するビーブリストが市民の主流を占めているため、その影はなりをひそめている。


「昨晩の宿で買ったガイドブックによりますと、製粉業が盛んなチャーメルンでは、辰国より伝わったとされる〝ラ・メーン〟なるスープパスタが名物のようです。あと、例の〝笛吹き男〟の伝説で有名な街ですな」


 石橋にさしかかっても馬の歩を止めることなく、懐から取り出した小冊子を眺めながらアウグストはそう解説する。


さっきまであれだけ文句を口にしていたものの、そのわりにはそこはかとなく観光気分を醸し出している。


「笛吹き男? あの、町のこども達を残らずどこかへ連れ去ってしまったとかいう……」


 同じく石畳に硬い蹄の音を甲高く響かせ、馬で石橋を渡り始めるハーソンの背後で、メデイアが少々興味を掻き立てられた様子で聞き返した。


「ああ。その昔、大量発生したネズミの害に困った町の者達は、報酬を払う約束をして一人の旅の男にネズミの駆除を頼んだ。その依頼に色とりどりの服を着た旅の男は、笛を吹いて町中のネズミを集め、その群れを自らベーダー川へ飛び込ませて見事すべてを溺死させたそうな。ところが、この労に対して町の者達は男に報酬を払わなかった。すると男はまた笛を吹きながら町を歩き廻り、今度は町中のこども達を一人残らず引き連れて、どこへともなく消え去ってしまったという……誰もが小さい頃に聞いたことのある有名なおとぎ話だな」


 その問いには、彼女の眼前に広がる白いマントで覆われた大きな背中――ハーソンが、アウグストに代わって相変わらずの淡々とした口調で長々とそう答えた。


「…っ! っとと……」


 だが、突然、耳元近くでしたその男らしい声に、メデイアは異常なまでの驚きを見せると、薄布のベールの下の顔をほんのりと赤らめ、危うく馬からずり落ちそうになってしまう。


 メデイア自身にもこの感情が如何なるものなのかまだよく理解できていなかったが、邪な欲望と歪んだ大衆心理によって火炙り寸前にされていたところを救い出してくれた上に、〝魔女〟として世間から迫害される身であった自分に居場所と進む道を与えてくれたこのハーソンという男を妙に意識するようになっていた。


 しかも、その感情は日が経つにつれて徐々に強くなっていっているような気がする……。


「ま、悪魔や人買い・・・の話同様、そう言ってこどもを怖がらせ、悪いことしないように戒めるお説教や教訓話の類なのでしょうな」


 彼とくっつかないよう馬の背の上で体を強張らせ、気持ちが違うところへ行ってしまっているメデイアを他所よそに、ハーソンの話を受けてアウグストがそんな合いの手を入れる。


「まあ、そんなところか。しかし、それにしては少々変な所もある。話の中でこどもは何も悪いことをしていないし、その後、どうなったのかも語られていない……一説に、多くの若者が遠くの土地へ入植した歴史的記憶がもとになったとも云われているが……笛を吹いてこどもを連れ去る笛吹き男と、歌を聞かせて魂を奪う吟遊詩人バルドーか……なにやら、因縁めいたものを感じなくもないな……」


 どこか不思議なそのおとぎ話と、自分達が追う不可解な噂の人物……そのなんだか似た所のある奇妙な符合に、ハーソンはある種、胸騒ぎのような、言いようのない興奮を密かに覚えていた。


 ちなみにハーソン、家を継ぐ前は古代異教の遺跡を旅をして巡っていたほどで、こうした伝説やら口頭伝承の類は大好物だったりする。


「ほお……さすがは製粉業で名高き大都市、かなり景気がいいようですな」


 石橋を渡り切り、やはり石造りの城門を潜り抜けると、眼前に現れた賑わう街の様子を見渡し、感心したようにアウグストが呟いた。


 街の中央に構える聖ボタニカテウス律院は堅牢な石造りであるが、それ以外は白壁に梁や柱の木材が露出したこの地方特有の建築物がどこまでも建ち並び、まさに中世さながらの景色がそこには広がっている。


 大海洋国家として外界に開けた、ハーソンやアウグストの故郷であるエルドラニア王国とはまた違って、やはりずいぶんと古臭い印象を受けるその街の雰囲気ではあるが、それでも住民達は活気に満ち溢れ、大いに繁栄していることは言うまでもなく明らかだ。


 しかし、木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中……それだけ大勢の人間で賑わっている街において、人探しをするのは困難が予想される。


この様子だと酒場も当然方々にあるだろうし、景気のよい街ならば、そのおこぼれを求めて集まる吟遊詩人バルドーも一人や二人ではないであろう。


「さて、この中からどう探したものか……とりあえず、名物のラ・メーンとやらを食べがてら、盛り場を廻って聞き込みでもしてみるか」


 大通りを往来するたくさんの人々の波に、ハーソンは他の二人とともに馬を下りると、そう言って近くの店の軒先に掲げられた、〝スープ・パスタ〟らしきものを模った看板を見つめた。


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