Ⅵ 死者たちの輪舞 (2)
「……コホ、コホ……いつの間にこんなに濃く……」
オルペを残し、むこうも自分達を捜しているであろう司祭を求めて暗い夜の森を行くメデイアであったが、気づけば周囲の闇に混じる甘ったるい臭いの濃度がやけに増している……てっきり夜霧だと思っていたが、どうやらあの煙で霞んでいるようだ。
もしかしたら、森の中でも新たに幻覚作用のある薬草の粉を燃やしているのかもしれない……こちらの思考を鈍らせる作戦か、なんだか頭がくらくらしてくるし、視界が霞んでいるのだって実際に煙のせいなのか、それとも意識が混濁し始めているせいなのかも判然としない……。
「……メデイア……エルマーナ・メデイア……」
と、その時、どこか聞き覚えのある、うら淋しい女性の声が不意にメデイアの耳に聞こえた。
エルマーナ……その、修道女に付ける敬称で自分の名を呼ぶ人間は、すぐに知れる限られた者しかいない……。
「この声は……グランシア院長!?」
咄嗟に辺りを見回した彼女の目に、森の闇と月明かりの中にぼんやりと浮かび上がる、黒い修道女服を着た美しい女性の姿が映る……それは、かつてメデイアを火炙りにしようとし、挙句、悪魔に魂を奪われた女子修道院の院長である。
「……エルマーナ・メデイア……魔女を火炙りにできず、口惜しや……」
その生きているはずのない院長は手に死神のような大鎌を持ち、まるで血の気のない、いかにも恨めしそうな顔をしてメデイアを見つめている……。
「そうよ、メデイア。魔女は火炙りになるべきだわ……」
「メデイア、わたし達は死んだというのに、なぜ魔女のあなたが生きているの……」
さらに別の声も彼女の鼓膜を震わせ、再び周囲を見渡せば、その一件で無残な死を遂げた仲間の修道女達までが濃密な夜の木陰のあちらこちらに鎌を持って佇んでいる。
「メデイア、あなたも死になさいよ……」
「そうよ。あたし達と同じように死んで……」
いつの間にやら円を描くようにして周りを取り囲んでいる彼女達の亡霊は、それぞれ恨み節を口に鎌を振り上げ、じりじりと輪を縮めるようににじり寄って来ている。
しかも、彼女達の顔は次第に崩れ出し、冷たい墓の土の下で腐り果てた、白い骨も剥き出しの恐ろしい容貌へと変わってゆく……。
「汚らわしき魔女め……火炙りの代わりにここで死にさらばえええっ!」
「くっ……」
その輪の中から大鎌を振りかぶって襲いかかる院長に、メデイアは素早くハシバミの矢を弓形
「口惜しや、エルマーナ・メデイア……」
「な……!?」
だが、矢は確実に院長の胸を貫いたはずなのに、彼女は苦しむどころかなんの反応も示すことなく、まるでその体を矢がすり抜けて行ってしまったようだ。
「メデイア、あなたも死になさいよ……」
「そうよ、あなただけ生きてるなんてズルくなくて……」
「来ないで!」
同じく鎌を手に彼女を取り殺そうと近づいてくる他の修道女達にも矢継ぎ早に弓を引くが、こちらも院長同様、確かに当たっているはずの矢はすべてその体をすり抜け、まったく効いているような素振りを見せることはない。
ハシバミの枝で矢柄を作り聖別した浄化の力のある矢だ。相手が幽霊だろうと悪魔だろうと、霊的なものにも効果はあるはずなのだが……。
「しまった! もうこれで最後……」
そうして無駄に矢を放つうちに、矢筒に手を伸ばしてみれば、もう残っている矢は一本しかない……。
「エルマーナ・メデイア……汚らわしい魔女は火炙りだぁ……」
「どうして……どうして効かないの……?」
なおも悪辣な言葉を浴びせながら、朽ちた体で近づいて来る院長と修道女達に、メデイアは額に汗を滲ませながら弓を構えてじりじりと後退る。
「…………いや……何かがおかしい……」
しかし、そこで彼女は強い違和感を覚えた。
徐々に近づいて来るように感じながらも、院長達はいまだ自分との距離をほとんど変えていないのだ。
それにグランシア院長はともかくとしても犠牲となった仲間の修道女達は、自分を取り殺そうとするような、そんな心根の醜い人間ではなかった……。
その上、聖なる矢がまるで効かず、体をすり抜けるように見えたことを考え合わせると……。
「……うっ!」
何を思ったか、メデイアは番えていた最後の一本の矢を弓から外し、それを逆手に握ると自分の太腿へ向けて勢いよく振り下ろす。
瞬間、焼けた鉄を当てたような熱さと痛みが
「…………!」
すると、自分を取り囲んでいた院長と修道女達の亡霊も姿をかき消し、見れば、彼女の放った矢はすべて周囲に生えた木の幹に突き刺さっている。
「やっぱり……さっきの亡霊はこの煙のせいで見せられていた幻……それなら、ハシバミの矢が効かなかったのも、邪悪な霊から守る〝月の第四のペンタクル〟が用をなさなかったのも頷ける……」
その状況を目にし、メデイアは驚くのではなく、むしろいたく納得したというような顔をして頷く。
「わたしは勘違いをしていたのかもしれない……この煙は
さすがは本物の
だが、暗い森の中でのことでもあるし、夜霧ほども濃くなっている煙と、今見せられた幻覚のせいで彼のいる位置がよくわからなくなってしまっている。
その上、幻覚を解くためだったとはいえ、矢を突き立てた太腿の傷がジンジンと痛み、歩くのにも少なからず支障をきたしている。
「オルペさん! 気をつけてください! 何が見えてもそれはすべて幻です!」
最早、司祭に見つかることを気にしている場合ではない。メデイアはありったけの声を張り上げると、付近にいるはずのオルペに向かってそう呼びかけた――。
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