第12話 ヘレスとアルナと町の人
王都から追放され、三ヶ月が過ぎた。
生活は平和そのもの。
平和だけど、兄さんの活躍は目覚ましい。
次々に町の人たちと協力して新商品を開発していく。
町全体が明るくなったようだ。
それに、アルナたちの生活も一変した。
子ども食堂の子どもたちが空き時間にりんご園へ手伝いに行くようになり、収穫量が増えた事で利用幅が増大したのだ。
兄さんが提案していたものの半分近くに届く種類の商品に利用されるようになり、兄さんと父さんが隣町以外にも足を伸ばして営業販売した結果、評判になり今度は王都から行商人が買いに来る事になった。
これが上手くいけば、王都から注文が届くようになる。
とても素敵な事だ。
「……ふう」
でも、心配事も当然ある。
魔王が復活する、という噂が聞こえ始めたのだ。
ただその噂の出所が謎。
兄さんの話だと、王都から流れてきた噂なのだという。
『魔族国』の魔王が復活するはずなのに、なぜその噂が王都からくるの?
意味が分からないと一蹴する事も出来るけど、わたしや兄さんには一人、そういう怪しくて根拠の微妙な噂を流しそうな人を知っている。
イリーナだ。
彼女の語る『シナリオ』が関わっているのかは分からないけど、倒した魔王が復活するのなら『魔族国』の魔物や魔族が大人しいままだったのはいずれ魔王が復活すると知っていたから?
ヘレスならなにか知っているかしら?
「ねえ、ヘレス」
「はい、なんですかユニーカさん」
明日一日分のパン生地をこねながら、穏やかな笑顔を向けるヘレスに聞くのを少しためらった。
けれど……。
「魔王が復活するという噂があるらしいの。ヘレスは、なにか心当たりある?」
「え? 魔王様が? そんなはず……」
「やっぱり分からない、わよね」
「は、はい……」
それはそうだろう。
ヘレスはずっとうちで生活してきたのだもの。
いくら魔族で、ここが『魔族国』と隣接しているからと言っても王都から流れてきた噂の真偽なんて分かるはずもないわよね。
「……でも……」
「?」
「魔王は世襲制が主だと聞いた事があります……。この国の王子と聖女に倒された魔王様には、ご子息がお一人おられたはずなので……もしかしたらそのご子息に『引き継ぎ』が終わったのかもしれません」
「……? ひ、引き継ぎ?」
なんだろう、それは。
首を傾げたわたしに、ヘレスは少し悲しげな表情をする。
あれ、聞かない方が良かったのかしら?
「とても、とても強い魔族……『魔王』は、倒された時にあらゆる力を自分の子どもに伝える魔法を使えるんだそうです……。それは、かつて受肉した精霊──魔神が、人と精霊の手によって五つに力と体を分けられた時の名残だとか……」
「……っ!」
「あまりにも膨大なその力は、世襲が進むごとに毎度倍近くに増え、肥えていき……条件が揃った時に五人の魔王様たちが力を合わせれば『魔神』が復活する。……魔族にはそういう言い伝えがあります」
「ま、魔神が!?」
『マジで!?』
シャールも知らなかったの!?
顔を覗かせたシャールは目をこれでもかと見開いている。
「でも、魔王様たちは自分が一番強くて偉いと思っているので協力するなんてあり得ません」
「…………」
キッパリ言い切られてしまったわ。
そしてとても説得力がある〜……。
「そして、魔王復活の噂は多分……その『引き継ぎ』が完了した、という事だと思います。……もしかして、この国の王子と聖女は……新しい魔王様の事も、倒そうと……?」
「え? さ、さあ? それはどうなのかしら? ……そんなに簡単に戦えるものだとは思わないけれど……」
イリーナがいくら四属性精霊に愛されていると言っても、魔王とまた戦うなんてするのだろうか?
そもそも、魔王の一角に挑むのもどうかと言われているのに。
イリーナがシーナ殿下と結婚するために魔王を倒した、とするならばその目的は達成されている。
自国の独立を目論む国王陛下が再びシーナ殿下とイリーナに魔王討伐を命じる可能性は高いけれど……ヘレスの話を聞く限り、魔王は子どもがいれば力をそのまま引き継がせる事が出来るのよね……?
だとしたら、前よりももっと強い魔王になって復活してくるという事。
それを何度繰り返すつもり?
イリーナがいるからなんとかなっているのだとしても、強力になり続ける魔王と人間がそう何度も戦い続けられるはずがない。
今回は無事で帰ってこれたかもしれないけど、次はそう上手くいく?
前回の魔王戦も、騙し討ちのような戦略だったと聞いたような……?
「あ、ごめんなさい。ユニーカさんも、分かりませんよね」
「え、ええ。ごめんなさいね。……それに、平民のわたしが気を揉んでも仕方ないのよね……」
「ユニーカさん……」
「戦争になる、なんて噂も、結局大した動きもないし……噂は噂よ」
隣町との境に城を作っている、という話は今だに聞く。この食堂に食べにくる子どもの親は、そこに働かされているのがほとんど。
本格的な戦争をするのなら、この町の守りを固める必要があるはずだし……うーん、本当に陛下がなにを考えているのか分からない……。
こんな事ならもっと軍事の事を勉強しておけば良かったわ。
「…………」
「ヘレス……? ごめんなさい、変な話をして。気にしなくていいのよ?」
「……い、いえ……あの……」
「?」
「実は、もう一つ心当たりというか……、……伝えたい事が……あって……」
「……ヘレス……?」
どうしたのだろう。ヘレスの様子が、どこかおかしい。
泣きそうで、つらそうで……そしてとても悲しそう。
「僕……」
ヘレスが口を開いた時、玄関のドアがノックされる。
そしてすぐに「ユニーカさん、手伝いに来たよー」「きたよー」とアルナとイルナの声がした。
ハッとしたヘレスは首をブンブン横に振り「出迎えてきます」と笑顔になって玄関へ向かう。
ヘレス……大丈夫なの? 気になる……。
「ヘレス? お前どこか痛いのか?」
「え」
玄関を覗くと入ってきてすぐにアルナがヘレスの様子に気がついた。
驚いた、アルナ……ヘレスの事をよく見ているのね。
頰に触れて、心配そう。
「……ううん……なんてもないよ」
「本当か? 食堂にきてる奴らに見つかったとか、一緒に食堂の方で飯が食いたくなったとか、そういんじゃないのか?」
「……それは、ないけど……どうして僕がしょくどで一緒に食べたいなんて……?」
「だって飯ってみんなで食った方が美味いじゃん。おれ、ユニーカさんの食堂で町の、他の子どもと飯が食えるようになって、毎日すごく楽しいんだ! あそこにヘレスもいたらもっと楽しいのにって思ってる」
「……!」
アルナ、そんな風に思ってくれていたの?
……そうね、ヘレスは魔族。
見た目からして、それはすぐに分かる。
アルナは、出会った時色々頭がパンパンだった。
だからヘレスが魔族でもさして気にならなかったのかもしれない。
思えば出会った時からアルナがヘレスを魔族だから、と怯えたりしたところを見た事がなかった。
きっととても自然に『ヘレス』を受け入れたのだ。
アルナは、とても優しい子なのね。イルナも。
「お前優しくていいやつだからさ、きっと他の奴らも受け入れてくれると思うんだ。シュナイドさんもそう言ってただろ?」
「……う、うん……でも……」
「うん、タイミング難しいよな。早く一緒に食堂で一緒に飯が食えるようになるといい。おれ、お前の事、食堂でみんなに話したりしてるんだけどさ……まだ誰も会わせろって言ってくれないんだよ」
「! アルナ、そんな事して……?」
「うん、だっておれにとってお前は命の恩人の一人で、友達だからな」
「…………っ」
こっそりと、壁に背中を預ける。
これ以上の覗き見はなんとなく……。
『ヘレスはいいお友達を持ったね』
「わたしもそう思います」
さて、アルナたちもお手伝いしてくれる事になり、パン作りを再開よ!
りんごも酵母を作る時に使える事が分かったので、最近はりんごでパン酵母の蓄えを作っている。
ローズさんのおかげで小麦粉にも困らないし、もりもり作るわよ!
「そうだ、兄さんがパンを三つ編みにしてみたらどうかって言ってたの」
「「パンを三つ編み?」」
「こうよ」
と、細長く伸ばしたパン生地で三つ編みを作って端をまとめる。
これを焼くとかわいい三つ編み型のパンになるんですって。
そして、これにお砂糖を振りかけるらしい。
本当は油で揚げると『揚げパン』なるものになり、その上にお砂糖をまぶすと砂糖と油の甘さ、そして焼いた時とは違うサクッとした食感、さらに噛んだ瞬間に滲む油がとても美味しいとか……!
食べてみたいけれど、油であげられるほど自由に使える油はないのよね。
オリーブオイルは揚げ物には向かないって兄さんに言われてしまったし。
「へー、形を変えただけで印象が変わるなー」
「食感も変わると思うわ。それに、なんだか気分も変わるわよね!」
「面白そうですね」
「それから兄さんがね、下に大きめのクッキーを敷いて焼いてみたらどうかって言ってたの。失敗するかもしれないけど、試してもいいかしら?」
「パンの下にクッキー?」
「そう、面白そうよね」
兄さんの発想力は本当にすごいわ〜。
たとえば他にもパイ型にクッキー生地を敷き詰めて、その上にクリームチーズと卵、バター、砂糖とレモン汁を混ぜたものを入れて焼けばなんと「チーズケーキ」になると教えてくれた。
わたしでもケーキが焼ける。
とても嬉しかったわ〜。
その他にも、卵、酢と油を適量混ぜ合わせると「マヨネーズ」になり、茹でた玉子とそのマヨネーズをぐちゃぐちゃに混ぜて切ったパンにのせる……それだけでとんでもなく美味しくなるというのも兄さんが教えてくれた。
そして今日はそのマヨネーズと茹で玉子をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたものを、切ったパンにマスタードを塗り、レタスと挟んで食べる食べ方……サンドイッチを作っている。
サンドイッチはジャムを挟んだりバターを挟んだり、挟むものによっては様々な味が楽しめていい。
同時進行でジャムを煮たりもして、忙しいなぁ、うふふ!
『ん?』
「どうかしたんですか? シャール」
『人が来るのだ』
「え?」
シャールがふわー、とキッチンから玄関の方へと飛んでいく。
どういう事だろう、と手を拭いて覗き込むと、その瞬間玄関が勢いよく何度も叩かれた。
いえ、もう殴ってる?
「大変だ! 誰かいるか!? 森に魔物が出た!」
「!」
『えっ』
アルナたちへキッチンにいるように指示をして、シャールと玄関へ向かう。
扉を開くと家畜屋のおじさん。
とてもひどい顔色で、必死の形相だ。
「あ、あの、魔物って……」
「ああ! 木こりのゴルンが魔物を見たんだ! 腕が何本もある、真っ黒な化け物だそうだ。魔物に間違いない!」
「っ……」
魔物……そんな、どうしよう。
まだ兄さんも父さんも母さんも帰ってきていない。
食堂には今夜も子どもたちが食べに来るはず。
「ここは森に近い! 扉に鍵をかけて、絶対に家から出るなよ! 町の子どもらには、魔物がいなくなるまでこっちにはこないよう伝えてあるから!」
「は、はい、分かりました」
「……隣町の騎士団に連絡はしてある。城造りで数はいるはずだから、きっと明日には来てくれるはずだ。それまで耐えるんだぞ……! 君の親父さんたちにも報せが行ってるはずだから」
「ありがとうございます。分かりました」
玄関が閉まる。
魔物相手に無駄だとは思うけど、鍵もかけた。
「あっ、畑にはローズさんが!」
『大丈夫なのだ、魔物にもわがはいたち精霊は見えないから』
「あ……そ、そうでしたね……」
それなら畑にいるローズさんは平気かな?
でも、どうしよう。
騎士団が来るまで……いえ、魔物が倒されるまで動けない。
鍵をかけてしまったけれど、父さんたちもすぐに帰ってくるはずだし、帰ってきて扉がすぐに開かなかったら不安になるかも……。
『開けておくのだ?』
「父さんたちがすぐに入ってこれるようにしておきたいんです。でも、他の場所の戸締りはしておきましょう。ヘレス、アルナ、イルナ、森に魔物が出たそうなの。家の戸締りを手伝ってくれない?」
「!」
「魔物が!? ……うん、じゃあおれ、二階の窓の鍵を閉めてるよ」
「ありがとう、よろしくね。わたしたちは一階を閉めましょう」
「はい」
パン屋の女将さんは、魔物は時折現れると言っていた。
一年に一度、二年に一度……それほどに頻繁ではない。
でも、最後に現れてから一年経つから「そろそろ出そうだけど、魔王が倒されて結構経つのに出ないしねぇ」とぼやいていた。
でも、出たのね。
もし、もしも魔物が襲ってきたら……ま、魔法の使えるわたしが……この子たちを守らなければ……。
「ユニーカさん? 大丈夫ですか?」
「はっ! ……あ、え、ええ……大丈夫よ。ちょっと驚いて……緊張しているの。魔物が近くにいるのは……初めてだから……」
「…………」
「ヘレスは『魔族国』から来たから、魔物は見た事ある?」
ああ、不安な顔をさせてしまった。
最年長のわたしがこんな事では、子どものヘレスやアルナたちが不安になってしまう。
しっかりしなくちゃ! 兄さんに頼ってもらえる大人になるって決めたでしょう!
しっかりするのよ、ユニーカ!
「魔物は……『魔族国』では食糧なんです」
「へ?」
「この国の人も鳥や牛を捌いて食べますよね? 『魔族国』にとってその食肉用の生き物が魔物なんです。……見た目はとてもひどいですが、味はまろやかというか……意外と美味しいんですよ」
「な……!」
『なんとっ!』
魔族は騎士が何人もで取り囲み、魔法で倒す魔物を食肉にしてしまうの……!?
しかも美味しい!? なんて事……!
魔物が美味しいなんて! 食べるなんて!
で、でも他にお肉がないのなら魔物を食べるしかないという『魔族国』特有の事情でその結論に至ったのだとしたら……確かにそれしかないのかもしれない?
しかしどんなに美味しいと言われても魔物を食べる勇気は、わたしにはない、かも……。
「……? ……今の声は!?」
『! 悲鳴が聞こえたのだ!』
「え!? わ、わたしにはなにも聞こえませんでしたよ!?」
「僕は魔族なので耳がいいんです」
『わがはいは精霊だから、屋敷周辺の気配で……って、この声と気配はさっきのおじさんと魔物なのだ! 魔物が森から出てきたのだ!』
「なっ!」
「っ!」
おじさんが襲われているという事!?
わたしが走り出すよりも早く、ヘレスが玄関から飛び出していった。
「えええええっ!」
ヘレスは、魔族だ。
家族以外ではアルナとイルナしかヘレスの事を知らない。
まして家畜屋のおじさんは町の大人の人……魔族への悪印象しか持っていないのでは……。
「シャール、アルナたちをお願いします!」
『え!? ま、待ってユニーカ! あの子たちわがはいの事見えな──……』
シャールの言葉を最後まで聞く事なく、わたしも屋敷を飛び出した。
ヘレス、どういうつもりなの?
まさか……そんなに魔物を食べたいの!?
いえ、まさか……さすがにそんな事は……。
「!」
外は雨が降り始めていた。
そんな中、聞いた事もないような雄叫びが雨音に混じる。
これはさすがにわたしにも聞こえた。
その声の方へと駆ける。
「ひいいいぃっ!」
「おじさん!」
地面に腰を抜かしたおじさんの前に黒い化け物がいた。
ヘレスがその魔物に手刀のようなものを喰らわせる。
魔物が斜めによろけたところで、足かけでさらにバランスを崩す。
その時垣間見たヘレスの表情は……。
「…………」
子ども──?
とても鋭い眼差しで魔物と対峙し、黒いナスに手がいくつも生えたような魔物を地面に蹴り飛ばして転がす。
そして、腕に漆黒の魔力を纏うとそれを魔物の首と思われる部分へ突き刺した。
『ギョオオオオォァァァァ……!』
断末魔が響く。
黒い血が雨と一緒に地面に流れていった。
殺したのだ。ヘレスが、魔物を。
胸がゾワゾワと言い知れぬ感覚を覚える。
怖い?
いえ……いいえ! それは違う!
「ヘレス、怪我はない!?」
「! ……は、はい! おじさんとユニーカさんは……」
「わたしも大丈夫よ。おじさんは?」
「え? あ、あ、ああ……腰が抜けただけだ……が……」
「良かった。ありがとうヘレス、おじさんを助けてくれて。弱いなんて言ってたけどとても強いじゃない!」
「……!」
魔物の側から動かないヘレスへ手を伸ばす。
わたしはおじさんの背を支えたまま、こっちへ、と意味を込めて。
「…………っ……僕……強いでしょうか? ……ユニーカさんの事を、守れるくらい……?」
「まあ、守ってくれるの? 嬉しい!」
「……、……うん、守る……!」
一歩、一歩、ヘレスがわたしたちの方へと近づいてくる。
おじさんは少し怯えていたけど、泣く子どもの姿に長く息を吐いたあと姿勢を正して笑顔を浮かべた。
「ヘレス、くん? 危ないところを助けてくれて本当にありがとう。君は命の恩人だ」
「ヘレス、おじさんをお家へ連れて行くのを手伝ってくれないかしら?」
「はい!」
……大丈夫、きっと変わる。
兄さんの言う通り、この町の人たちは──ヘレスの事を、受け入れてくれた。
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