第19話 魔王と王太子と
「…………」
「? 魔王?」
反応がない。
シーナ殿下が改めて声をかけると、ようやく視線をこちらに向けた。
数回の瞬きのあと、ゆっくりと立ち上がる。
……昨日会った時より、少しだけ様子が違う、ような?
「ああ、すまないな……まだ完全に『引き継ぎ』が終わってはいないのだ」
「!」
「だが足りなかったものはすべて揃った。力も記憶も、父の意思も……」
足りなかったもの?
……『引き継ぎ』……。
「ヘレス……ヘレスは……」
魔族だから、あんな事に?
でも、昨日兄さんを攻撃してきた。
ヘレスはそれを庇ったわ。
一体目の前にいるこの魔族は、何者なの?
ヘレスは、どうなったの?
もう会えないの?
どうすればいいか、分からない!
このやり場のない想いは……一体どうしたら?
「そ、そうよ。昨日のあなたは……いえ、今のあなたもだけど……ルクスは、私の知っているあなたとは違っている。あなたは一体……何者なの?」
困惑気味の表情でイリーナが一歩玉座の彼へと近づく。
多分、『おとめげーむ』の話。
『シナリオ』というこの世界の起こりうる事を知るイリーナでも、分からないのね。
「さあ? 何者だろう? 弟を“取り戻す”まで、僕は心を失ったままの人形だった。近づくものをすべて敵として排除する兵器。魔族らしい、戦闘のためだけに生きている存在。父の意思の入れ物。……だが昨日、僕は弟を……心を取り戻した。まだすべて馴染んだわけではないが、ようやく一つに戻れたのだ」
「……ま、まさか……あの弟くんが生きて悪役令嬢に保護されたから、シナリオが変わった……?」
……イリーナ……またわけの分からない事をぶつくさ呟いて……。
悪役令嬢って、わたしの事、よね?
弟くんって、ヘレスの事よね?
なによ、それ、その言い方!
まるでわたしがヘレスを助けてはダメだったみたいに聞こえるわよ……! むう!
「……!」
目の前に、突然『新たな魔王』が佇んでいた。
見えなかった。分かるなかった。
いつの間にか目の前にいたのだ。
とても背が高く、穏やかな表情になっている。
昨日とは別人……いえ、わたしはこの優しい眼差しを知っている。
「昨日は誤って攻撃してしまって申し訳なかった。足りないものを取り戻そうとした、防衛本能のようなものなんだ。許して欲しい……」
「……あ、ああ……」
兄さんに、昨日の事をちゃんと謝った。
そして、改めてわたしを見下ろす。
なぜだろうか、とても泣きたくなった。
「ヘレス……」
「………………、……あなたがそう呼ぶのなら、僕はこれまで通り、『ヘレス』で構わない」
「……、……では、ヘレスと呼ぶわ。良かった……またあなたに会えて……。迎えにきたのよ、一緒に帰りましょう」
両手を伸ばして頰に触れる。
とても大きくなってしまったわ。
兄さんよりも背が高い。
優しく微笑んでいたけれど、わたしが「帰ろう」と言うと眉が下がる。困ったように……。
「……でも、あなたは……ユニーカさんは……ルゼイントの、王妃になるんでしょう?」
「え?」
「あの屋敷から、いなくなるんでしょう? あなたたちは……。ごめんなさい、僕はユニーカさんとシュナイドさんの話を聞いてしまったんです。あの屋敷から、いなくなるって……」
「!」
──あ、あの時の……。
兄さんにアルナから告白された事を相談した時の、アレ、よんね?
あ……確かに聞きようによっては、そう聞こえた、かも?
驚いた。
それを聞いて、わたしが……わたしたち家族が屋敷からいなくなると思って、それで出て行ったの?
「それは違うわ。わたしたちはシャールのいるお屋敷から出入ったりしないわよ」
「え? でも……」
「聞いてヘレス。わたしたち家族は、確かにあのままではないわ。兄さんとの話をどこからどこまで聞いていたのかは分からないけれど……わたしたちは多分、貴族に戻る」
「えっ」
素っ頓狂な声をあげたのはイリーナだ。
なんで、と言わんばかりの顔。
まあ、イリーナの事は放っておいていいとして。
「兄さん、話してもいいかしら?」
「……」
わたしが振り返ると、兄さんは一度シーナ殿下の方を見る。
シーナ殿下が頷く。
では、と改めてヘレスへと向き直った。
「あのね、ヘレス……わたしたち家族が王都から廃爵され、追放されたのはわたしの知らない事情があった。すべてはあなたのお父様の提案から始まった事なのだけれど、あなたはお父様の記憶について『引き継ぎ』が終わっていない?」
「……はい、そうですね……まだうっすらと……」
「そう……では説明した方が早いわね。実は、シーナ殿下はあなたのお父様……前魔王ヘルクレス様と密約を交わしておられたそうなの。すべてはこの国と、わたしたちの国……ルゼイント王国との関係を変えるため──」
「!」
そこからは兄に聞いた話。
魔王ヘルクレスと密約を交わしたシーナ殿下は、国王陛下の『魔族国』嫌いを利用して退位を迫る計画を重ねて立て、その際に起こるであろう不安要素……を取り除く策に出た。
一見、わたしはシーナ殿下へ毒を盛った罪で、家は廃爵、一家全員王都追放……とされたかのように見えたけれど、実際は『亜人国』との外交担当だった父を『魔族国』との外交、貿易拠点となるあの町の担当領主にすげ替えるための処置。
あの町のある領主は防衛費を着服しており、それに関連している貴族もまとめて断罪するべく兄さんは商人として動いていた。
そして、王妃教育を受けてきたわたしは平民の生活がどんなものかを学び、これから王となるシーナ様を支える存在となる。
大義名分のない戦いを命じた現国王陛下は、大変申し訳ないけれど退位して頂く。
シーナ殿下が国王となった暁には『魔族国』で倒された魔王ヘルクレスの領地とは和解し、わたしたちが住む町は交易拠点として開かれるのだ。
そして、その『魔族国』で我が国と和解して交易の相手となるのが……。
「…………記憶を引き継いだ僕、というわけですか」
「そのつもりで……その交渉のために、俺が出向いたのだ。意思の確認。そして、新たな魔王との和解を俺が行ったとすれば、ルゼイントに戻ったあと父に報告して退位してもらう。その手筈はすでに住んでいる。あとはタイミングだ」
さ、さすがシーナ殿下……。
「……え、あ、あの、ま、待ってください! シーナ様! ユニーカさんを王都に戻すんですか!?」
割って入ってきたのはイリーナ。
おかしいわ、わたし、王都に戻るとは一言も言っていないんだけど……。
ヘレスといい、どうしてそういう話に受け取られてしまうのかしら?
「…………」
「……っ」
シーナ殿下が、わたしを見る。
真っ直ぐに見つめられて、どうしていいのか分からず……逸らしてしまった。
「ユニーカにその気があるなら、俺の側室か、弟の正妃として迎え入れる事はやぶさかではない」
「っ」
「その下準備もしてある。ユニーカ、お前が望むのなら、俺の『寵妃』の座はお前のものだ」
「…………」
真っ直ぐに手を伸ばされる。
シーナ殿下と、また……その手を、取れる? 隣に立てる……?
でも、言葉を噛み砕くと……わたしはよくて『側室』。
無理もない、殿下はすでにイリーナと婚約している。
その婚約はイリーナの存在をこの国に繋ぎ止める
イリーナ本人は、多分気づいていない。
殿下は……わたしを『寵妃』にすると言った。
『側室』であっても、もっとも『愛する人』にする、と。
「殿下……」
わたしにとってシーナ殿下は初恋の人。
その言葉が、今まで分からなかったあなたの心を物語ってくれた。
でも、わたしのこの想いは……女としての喜びではない。
だから首を横に振る。
嬉しい。嬉しいんです。
でも、違うんです。
「わたしはあの町に……あの屋敷にこれからも住みます。あの町で、子どもたちに毎日お腹いっぱいご飯を食べさせるんです! ……それが必要なくなる日まで」
「……子ども食堂、だったか」
「はい! 忙しい親が食事を準備出来ない子どもたちにご飯を食べさせるんです。……父があの町を含む、あの領地の領主となればすぐに必要なくなるでしょう。けれど、それまでは……」
「不要になったあとはどうするんだ?」
「その時は町の人たちが家族みんなが食べに来られる食堂にします!」
だからわたしは、王都には帰らない。
あの町で、あの町の人間として……これからも生きる。
「殿下には『平民の暮らし』がどんなものなのか、たくさんお手紙を書きますね」
「…………」
差し出されていた手が、下された。
でも、シーナ殿下もまた、柔らかく微笑んでいる。
長くこの方と一緒にいたけれど、この方のこんな笑顔を見るのは初めてだ。
「そうか。では今からメニュー表にしっかり価格を書き込んでおくんだな」
「はい、そうですわね」
……でも、まずはメニュー表を作るところからです……。
まだ、ないので……。
「…………、……シ、シーナ様……寵妃って……わ、私が王妃になるんですよね……?」
「そうだ。お前が王妃だ。だがユニーカが戻らないのであれば俺の寵妃の座は永遠に空席となる」
「シーナ様は私を愛しているんじゃないんですか!?」
「いつ俺がお前を愛していると言った? 王の妻になる以上、『情』は与えよう。だが俺にそれ以上の『情』を望むのなら、王妃としての役割を果たせ。子を生む以外でも働け。それはお前の努力次第だ、イリーナ・ルシーア」
「……!!」
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