第8話 初仕事
「…………」
ヘレスに頭を撫でられる。
イリーナの言っていた『シナリオ』は、兄さんも認めるほどに“その通りになる”らしい。
だとしたら、兄さんはこのままだと魔族に殺されてしまう?
そんなのは嫌! なんとかしなきゃ!
……でも、どうやって?
「ユニーカさん……」
「! ……。……そうだ、ぼんやりしていられないんだわ。果実を採りにきたのよね……」
「はい。でも、あの、大丈夫ですか?」
「……え、ええ……少し混乱してしまっただけ。大丈夫よ」
ヘレスが先に立ち上がり、わたしの手を引っ張ってくれる。
小さいながらも力強い。
やっぱり魔族だからかしら?
……魔族……。
「ヘレス、魔族は弱い相手、人間とは……戦わないのよね? 人間を殺したり、しない、のよね?」
「はい」
「……そうよね」
なら、やっぱり兄さんは大丈夫!
気になる事はあるけれど、盗み聞きはやはり後ろめたい。
それになによりシーナ殿下と兄さんがわたしのために今の生活を選んだのなら、わたしはそれをよしとしなくてはいけないと思う。
守ろうとしてくれたのよ……余計な真似をして台無しにしたら、二人の気持ちも台無しにしてしまうような気がする。
そんなのは、嫌。
「大丈夫よ、果実を採って帰りましょう」
「分かりました。……えっと、こっちですね」
ヘレスに改めて案内してもらい、町から外れた場所に辿り着く。
そこには見た事もない果実が実っていた。
これは…………なに?
「ヘレス、これ、なにか分かる?」
「えっと……さ、さあ? 人間の国独特のものだと……」
「そう……。なんなのかしら、この赤くて丸い果実は……ベリーでは、なさそうなのよね……」
「りんごだよ」
「「りんご」」
へー、りんごというのね。
ヘレスと言われた名前を繰り返す。
……ん? わたしもヘレスも名前を知らなかったのに、一体誰がこの果実の名前をわたしたちに教えてくれたのかしら?
「っ! え、あ、あなたは!?」
「おれはアルナ。この果樹畑を……管理してる……」
「……どうしたの? その格好は」
驚いて振り返ると、そこには髪の伸びた汚れた子どもが二人。
兄弟らしく、一人はまだ赤ん坊。
お兄ちゃんらしいアルナという子が、布で巻いて背負っている。
「……どうって……親が帰ってこなくなったから、どうしょもない……」
「帰ってこない?」
「うん……人に会うのも久しぶり……。りんごを買いに来た、って感じじゃ、ないね? お姉さん、この町に引っ越してきたばかりの人?」
「え、ええ……」
引っ越してきて二ヶ月だとまだ「引っ越してきたばかりの人」だと思うわ。
なので素直に頷くと、目を細められる。
薄い茶色の瞳は、薄汚れた灰色の髪にほとんど隠れていた。
彼の話を聞くと、彼らの両親は半年以上前から帰ってこないのだそうだ。
ここの土地はこの「りんご」が一年中実っており、彼らはそれを売って生計を立てていた。
けれどここの領主がこの果樹畑を潰して、馬の鍛錬場を作ると言い出したそうだ。
彼らの両親は領主に嘆願しに出かけて……帰ってこない。
……つまりそういう事、なのだろう。
けれど、それならそれでこの土地が半年放置されていたのは?
多分、こちらも……あまり、いい状況ではなさそう。
そして弟さんはリンゴの絞り汁ばかり飲んでいるせいで日に日に弱っている。
町に出て家畜屋へ行けば、おじさんが牛のミルクを二日分恵んでくれるそうだが、それだけでは腹の足しにもならない。
とはいえ、町の状況も悪くなっている。
増税で皆、自分たちの日々の生活で手一杯。
アルナはそれを察して、弟のミルク以外の用事で町には行かなくなった。
時々町長が様子を見にきたが、親が帰らない事を話すと首を横に振られ、数日分のパンを置いて行かれたという。
弟の面倒ばかりで体もろくに拭く事は出来ず、気づけば髪は伸び放題、体は汚れ放題。
顔色も悪く、頬や体も痩せこけていた。
「…………そう」
その瞳に光はない。
まるで諦めているようだ。
歳を聞けば、まだ十歳。
赤ん坊だと思っていたら弟は五歳。
あまりにも体が小さい。
眠っているというより気絶しているように見える。
そんな弟を抱えて一人で生活するなんて過酷すぎる……。
「……ねえ、この果実を譲ってくれないかしら? 代わりにわたしの始めた食堂で、ご飯を食べて」
「え?」
「困った時はお互い様と教わったの。それに、この果実を使ってお料理を作ってみたいわ。りんごについて、どんな食べ方があるのかを教えてくれると助かるのだけれど。そうね、お風呂と交換でどうかしら? わたしの育った場所は情報にも対価を支払うの」
「…………」
「うちに来て。温かいものを食べて、体を綺麗にして、ゆっくり寝た方がいいわ。弟くんはわたしが見ているから心配しないで」
義兄さんの真似をして、しゃがんで目線を合わせる。
安心して欲しい。
どうか伝わって。
「あなたがこの果樹畑を守りたい気持ちも分かるわ。でもこのままじゃ、畑も弟くんも、そしてなによりあなた自身も守れない。守るためには元気にならなくちゃ。そうでしょう?」
「っ……!」
「行きましょう。わたしも一緒に考えるから、まずは元気になりましょう? ね」
「……うっ、うん……」
ヘレスがアルナの頭を撫でる。
アルナは、多分ヘレスが魔族だと気づいてない。
その余裕がないのだろう。
少しフラフラする彼の体を支えながら、りんごを三つ頂いて帰路に着く。
帰ったら真っ先にヘレスに頼んで二人をお風呂に入れてもらう。
お水を汲んできて湯船に溜め、シャールにお願いすれば屋敷の加護でお湯はすぐに沸く。
わたしはその間にパンを焼いたりスープを作る。
そろそろ夕方……りんごの食べ方は明日にして、とにかく今日来る子どもたちとアルナたちへ食べさせられるように、たくさんたくさん作るわよー!
「わあ、お店の石窯は大きいわ……」
『任せて! ユニーカの一家の土地に認定されたから、この建物もわがはいの力が通用するのだ。石窯をあっためるのだー!』
「シャール! ありがとうございます!」
さすが守護精霊様ね!
食堂の石窯も一気にパンを焼ける温度まで上がった。
この方法だと薪を使わなくて済むし、灰も出ないので本当に助かるわ。
さすが守護精霊様! さすが守護精霊!! す! て! き!!
「そういえば、シャールは初めて会った時お色が真っ黒だったのに……今は薄い茶色ですね? どんどん色が薄くなっています」
『お屋敷がそれだけ綺麗になったってことなのだよ。わがはいの体の色は、屋敷の汚れと同じ!』
「……でもまだ茶色が残っているという事は、完全に綺麗ではないんですね……? ヘレスがここ一ヶ月、毎日わたしたちの手の届かないところも掃除してくれていたのに……」
『うーん、この汚れは多分……地下室』
「地下室!? あのお屋敷には地下室もありますの!?」
地下室……!
それは秘密がたくさん詰まっていると言われる伝説の存在!
実はわたしの前住んでいたお屋敷にも地下室があったらしい。
兄さんがわたしをいろんな場所に連れて行ってくれるようになってから、その兄に禁止された唯一の場所……それが地下室!!
い、行きたい。
入ってみたい……とても!
「シャ、シャール、わたしにあとで入り口をこっそり教えてください……! 父さんや兄さんに話したら、地下室入室禁止令が出されてしまうかもしれません……!」
『地下室入室禁止令……? う、うん、別に構わないけど……ワインセラーや倉庫として使われてたのだよ? 変なものなんかなんにもないのだよ?』
「だとしてもですっ! 『女の子は地下など行くものではない』と、前住んでいた屋敷では入り口も教えてくれなかったんです! わたし、地下室という存在にとても憧れています!」
『ふ、ふーん?』
スープの火加減を見ながらも、木のスプーンを片手に地下室への想いを馳せる。
地下室……絶対絶対、わたしがお掃除するわ……!
「「「こんばんはー!」」」
「はーい、いらっしゃ~い」
スープが出来上がった頃、町の子どもが三人、食堂を訪れた。
皆十歳くらい。
三人とも親が木工職人で、隣町との境にある森を切り拓く仕事をしているそうだ。
曰く、領主はその森を切り拓いて街道を作り、さらにその森の中にある湖の側に城を建てるつもりなんだとか。
城、という事は……一応城塞を作る話はあったという事なのかしら?
でも隣町との境の森に?
地図を思い浮かべるけれど、あそこに城塞を作る意味がよく分からない。
軍事知識などかじった程度のわたしには分からない理由が、もしかしたらあるのかもしれないわね、うん。
……そうかなぁ?
「あの、本当にパンを食べさせてもらえるの?」
「ええ、このお屋敷には精霊のご加護があるの。精霊がこの町の人たちに力を貸してくださるそうよ。あなたたちのように、親がいなくてご飯が食べられない子どもたちへパンとスープを与えろと思し召しなの」
「精霊……」
「本当にいるの……?」
「もちろん。今もわたしの肩に乗ってあなたたちを見ているわよ」
「ええ!?」
ずいぶん驚いた様子だけど、その瞳はキラキラ輝いている。
シャールに指を伸ばすと小さな舌がペロンと指先を舐めていく。
あー、かわいー!
「さあ、スープを分けましょうね。席に座って」
「はーい!」
「……ねえねえ、他の子もさ、明日とか、来てもいいの?」
「もちろんよ。朝と夜は開けているからいつでも来ていいのよ。とはいえ、あまり作れるメニューがないから、そこだけは期待しないで欲しいな」
「ううん! 食べられるだけで嬉しい!」
ああ! みんなかわいい……!
「……はい、焼きたてのパンと、野菜スープ。パンはおかわり自由よ」
「本当!?」
「ええ。でもお持ち帰りはなし! パン屋の女将さんが売れ残ればこれまで通りみんなにくれるそうだから、あまりお腹いっぱいにしすぎなくても大丈夫よ」
「え、じゃあ……」
「三食食べられる日が増えるって事じゃね?」
「マジか!」
バスケットに入れた焼きたてのパンを並べる。
木のスープ皿とスプーンを横に置いてあげて、わたしは屋敷で待つヘレス、アルナとその弟の食事を準備した。
スープはまだ残っているけど、このあとに子どもが増えるかもしれないから取っておくとして……。
ん? え? バスケットの中のパンが、もう、空!?
「「「おかわりください!」」」
「は、はい」
す、すごい食欲!
さすが育ち盛りの男の子三人は違うわね!
空になったバスケットに、焼いておいたパンを並べる。
……気持ち、多めに。
うーん、五人前のつもりで焼いていたけど、もしかして食べ盛りの男の子三人で食べ尽くされてしまうのでは……?
た、食べ盛り、侮っていた。
「パンはたくさん食べていいからね。新しいパン生地を持ってくるから、少し離れるわ。すぐ戻ってくるので、喉に詰まらせないようにゆっくり食べなさい」
「「「はーい!」」」
トレイにスープ。それに布をかぶせた。
腕にかけたバスケットに、パンを詰められるだけ詰めて、自宅に戻る。
ドアを開けるとヘレスがテーブルをフキンで拭いているところだった。
「あ! ユニーカさん、お帰りなさい!」
うちにもかわいいかわいいヘレスがいるのよね。
満面の笑顔でお出迎えだなんて……なんて、なんてかわいいのかしら……!
両手を合わせて幸せを精霊に感謝したくなるけど、トレイを持っているので出来ない。
心の中で留めておく。
ああ、うちのヘレス本当にかわいい。
肩に乗っているシャールもかわいい。
ええ、今日の我が家かわいいが多すぎなのでは?
「ただいま。けど、すぐにまた戻らなきゃ。みんないっぱい食べるのよね」
「ああ、分かります。ユニーカさんのパン、すごく美味しいから!」
かわいくて抱き締めたい。
でもまだ手にトレイが……!
「これ、スープとパンを持ってきたの。パンはまた焼いてくるわ。ヘレス、アルナと弟くんと食べて。……弟くんは体調大丈夫そう?」
「お風呂に入れた時は起きてました。二人とも今着替えてて……でもすぐに来ると思います。弟くんにはスープでパンを柔らかくして食べさせた方がいいでしょうね……あまり噛む力もなさそうでしたから……」
「そうなのね……」
「二人は僕が面倒を見るので! ユニーカさんは食堂に戻ってください。大丈夫です!」
やだ、かわいいだけじゃなくて頼もしい……!
テーブルにトレイを置いて、それじゃあ任せてしまおうかしら?
「これ、あなたたちの分ね。足りなければまた焼くから」
「ありがとうございます」
「アルナたちを頼むわね?」
「はい!」
かっ……!!
「かわいい!」
「うわぁ!」
あ、だめ。むり、耐えられない。
かわいすぎる、うちのヘレス。
抱き締めて頭を撫で回す。
角が肩に当たってちょっと痛い。
「わ、わーっ、ユニーカさんっ」
「ふふふ、ごめんね。また行ってきます」
「も、もおおぉ!」
なんだかぷんぷんと怒られてしまったわ。
お屋敷を出て呟くと、肩のシャールがニヤニヤしながら『お年頃だからなのだ』と言う。
お年頃って? どういう意味?
『異性を意識し始める時期のことなのだよ。健全な成長の証なのだ……』
「まあ……ヘレスは健やかに成長しているという事ですわね? 素敵!」
『いやー、うんうん本当それなのだなー! わがはいも本当素敵なことだと思うのだー!』
ちなみに、食堂に戻ると三人はパンを食べ尽くしていた。
おそるべし、食べ盛り。
おかわりを五回して、結局予備のパン生地まですべて使い尽くす結果となった。
明日の朝の事を考えると、つまり……我が家の五人分の食事量の準備では……足りない?
そんな事を考えていると、満足した子たちが「ごちそうさまでした!」と叫ぶ。
「こんなにお腹いっぱい食べたの久しぶり!」
「父ちゃんたちも腹いっぱい食べてるといいな」
「明日も来ていいの!?」
「ええ、いいわよ。明日もたくさんパンを焼いておくわね」
「!」
わあ、と嬉しそうな笑顔。
そして彼らは「明日は他の子も誘ってもいい?」と少し遠慮がちに聞いてきた。
「もちろん!」
そのために始めたんだもの。
……まあ、ちょっと想像以上に食べていたけど。
子どもってこんなにたくさん食べるのね……びっくりだわ。
「ありがとうお姉さん!」
「ありがとう!」
「ごちそうさまでした!」
手を振って食堂から出ていく子たちに手を振り返す。
喜んでもらえて良かった。
でも、明日から忙しくなりそう……!
うちに帰ったら早速明日の準備をしないとね。
「ただいま!」
「おかえり、ユニーカ」
「お帰りなさいユニー」
「おかえりユニー。初仕事はどうだった?」
「はい! とても楽しかったです!」
玄関の扉を開けると、家族が出迎えてくれた。
三人ともテーブルにわたしが用意しておいた食事を並べている最中。
と、そこへアルナたちを伴ってヘレスがやってきた。
「あ……あの、その子たちは……」
「ヘレスから聞いているよ。大変だったみたいだな」
「いえ。でも、二人とも起きて大丈夫なの? お腹いっぱいになったなら眠っていてもいいのよ?」
父さんが頷くところを見ると、この兄弟の事を連れてきたのは怒っていないみたい。
荷物を自分の椅子に置いて、アルナに近づく。
しゃがんで頰に触れるとほんのりと温かい。
果樹畑で触れた時より、血行もよくなってるようだ。
ほんの少し頰が赤くなり、もじもじと俯く。
「お、美味しかった……」
「え?」
「パン、スープ……どっちも……ありがとう」
「──……。また明日も作るわね」
その瞬間の喜びを、どんな言葉で例えたらいいのだろう?
明日も頑張ろう。
ううん、明日はもっと頑張ろう!
そう思える。そんな活力を与えてくれる。
『ありがとう』──そう言われるだけでこんなに胸が弾むなんて……。
ああ、そうか……これが『自分で働く』という事なのね。
とても素敵……!
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