第5話 魔族の子、ヘレス【前編】


『まあ、人間の事情はよく分からないけれど……わがはいはユニーカの味方なのだ!』

「ありがとうございます、シャール」

『だから──』

「シャール?」


 ふわん、とわたしの肩から浮かび上がったシャール。

 その体が光る。

 次の瞬間、シャールの体が茶色に変わった。


「!」

『えーい!』


 石窯がぼふん、と音を立てる。

 近づくと熱を感じた。

 これは……!


『温めたのだ。早く焼いて、あの魔族を元気にしてあげるといいのだ』

「シャール! ありがとう! あなたこんな事も出来たんですね!」

『ふふん、なにしろわがはい、この屋敷の守護精霊なのだからね! ユニーカたちが引っ越してきてくれたおかげで力もそれなりに戻ってるし、こんな魔法おちゃのこさいさいなのだ!』

「おちゃのこさいさい……?」


 意味はよく分からないけれど、シャールすごい!

 これなら小さい形すれば五分くらいで焼けてしまうわ!


「早速生地を形にしないと!」


 いけない、時間がもったいない!

 早くヘレスにパンを焼いてあげないと。

 寝かせておいたパンのタネをこねこね。

 ほっぺくらいの大きさにちぎって、油を塗った石皿に置いていく。

 とんとん、と形を整え熱した石窯の中へピザピールで押し込む。


「あっつ……」

『火傷に気をつけて!』

「はい、ありがとうございます。大丈夫です。……よし!」


 ついでに夕飯分も作ってしまおう。

 こねて、丸めて引き伸ばす。

 細長くしたら油を塗った石皿に並べて、準備オーケーっと。

 そうだ、昨日の残りのスープも温めよう。

 野菜しか入っていないけど、子どもなんだからたくさん食べるべきよね。


「……ところで、魔族って人間の食べ物を食べられるのかしら?」

『食べると思うのだ。魔族は半分人間だからね』

「なるほど……」


 あの子も角があって肌の色や髪や目の色が違うだけで、見た目はわたしと同じ……同じ赤い血が流れていた。

 魔物はいささか別物だと聞いた事があるけれど、魔族は半分人間。

 なら、食べ物も同じで大丈夫かな?


「そろそろ焼けたかしら?」


 石窯の蓋を開ける。

 うん、大丈夫そう。

 夕飯用のパンは大きめなので、焼き上がりに二十分くらいはかかるはず。

 その間にあの子にパンを届けよう。


「その前に味見、と……うん、完璧!」


 外はカリッと、中はモチっと!

 全部で十個の小さな一口サイズのパンを小さなバスケットに入れ、ヘレスの部屋にと持っていく。


「ヘレス、パン焼けたわよ」

「え? も、もう?」

「精霊が力を貸してくれたの。きっとヘレスがいい子だからよ」

「……!」

「口に合えばいいんだけど……はい」


 ただの小麦のパンだけど、焼き立てだから美味しいと思うのよね。

 小さなバスケットを受け取ったヘレスは、わたしから見ても分かるくらいに瞳を輝かせた。

 ごくん、と喉を鳴らす。


「……本当に食べていいんですか?」

「そのために焼いたのよ。遠慮しなくていいわ」

「あ、ありがとうございます。精霊の恵みに感謝します」

「!」

『!』


 これにはわたしの後ろに隠れていたシャールも驚いていた。

 魔族は精霊に嫌われている。

 けれど、魔族は精霊を嫌ってなんでいなかった。

 嫌っていたら、きっとこんな事は言わないと思う。

 手を組んで、目を閉じて精霊に感謝の祈りを捧げる姿。

 それを見て本当に、わたしたち人間は彼らの事をなにも知らなかったのだと思い知る。


「…………!」


 パンを一つ手に取り、口に入れたヘレス。

 キラキラと目を見開き、頬を染める。


「サクサクしてる……なのに、中はふわふわ……美味しいです!」

「そう? 良かった。そろそろスープも温まる頃だと思うから、今持ってくるわね。待ってて」

「え、スープ……!? そんな、いけません。助けて頂いたのに、そこまで……」

「いいのよ、昨日の残り物だもの」


 え? すごくいい子。

 むしろ、いい子すぎるくらいないい子では?

 一度キッチンに戻り、スープ用の木皿に温めたスープをよそって戻る。

 スプーンと一緒に手渡すとまた瞳が輝いた。

 かわいい。


「わたし、夕飯用のパンを焼いているから食べ終わったらここに置いておいて。……その、傷の手当ては本当にしなくていいの?」

「はい。僕たち魔族は基本的に食事……正確には食材となる動植物から魔力を取り込むんです。魔力を取り込めば怪我はすぐに治ります。怪我は体の魔力を外に放出してしまうので、それで弱るんです」

「まあ、そうなのね」


 初めて知った。

 やはり魔族について全然知らない。

 幼い頃から、「魔族は恐ろしいもの」としか教わらないからだ。

 彼らがどんな生態で、どんな生活をしているのか……わたしたちはなにも教わらないし、調べもしない。

「恐ろしい」と言いつつ、興味がないのだろう。

 でも彼らは、ヘレスは……自分……いえ、魔族の弱点とも言うべき事をこんなにあっさりと教えてくれた。

 この子が特殊なのか、魔族はみんなこうなのか、それは分からないけれど……少なくともヘレスはいい子だわ。


「でも、血は出ていたわよ?」

「ああ、はい、まあ……血は体の中に魔力を巡回させるものなので、怪我をすれば、流れ出てしまいます、ね」

「……とても痛そうだったわ。やっぱりゆっくり休みなさい。……これからの事は、ゆっくり休んで、元気になったら考えればいいわ。わたしはキッチンにいるから、用があったら呼んでね」

「……は、い……あの、なにからなにまで、ありがとうございます」


 ほら、こうしてちゃんとお礼が言える。

 とてもいい子だ。

 頭を撫でてから部屋を出る。

 シャールが背中からニュッと顔を出した。


『……わがはいの考えていた魔族とちがう……』

「シャールもそう思ったんですね。わたしもです。……わたしたちは魔族に対して、偏見を持っていたのかも……」

『ま、まだ分からないのだ。いい子のフリをしているだけかもしれないのだ! 油断したところをガブッとされるかも!』

「ふふふ、そうならないように気をつけましょう」


 それから、わたしが夕飯用と明日の朝用のパンを準備している間も特に変わりはなく、気がつけば家族が帰ってくる時間になっていた。

 食卓でヘレスの事を相談すると、父も母もそれはもう怯えた顔をする。

 無理もない、わたしたちは魔族を「恐ろしいもの」と教育されるのだから。

 けれど、昼間のヘレスの様子を話すと父と母は顔を見合わせる。

 兄さんは……?

 チラリと見上げると、パンを食いちぎっているところ。

 目が合うと微笑まれる。


「好きにするといい。俺も……正直魔族へはこれまでの認識を改めるべきだと思ってたから」

「え?」

「シュナイド? なぜそんな事を……?」

「うーん、一言でまとめるのは難しいな。……ただ、まあ、うんそうだな。強いて言えば敵の敵は味方って感じか? ……俺は『勝利の聖女』様を人間族の味方だとは思ってないからな」

「む……」


 彼女の話が出た途端、父も母も顔色を変えた。

 険しい表情になり、睨みつけるようにスープを覗き込む。

 悔しそうに。

 ……わたしも、その言葉で眉を寄せたと思う。


「兄さん、彼女が人間族の味方じゃないって、どういう意味?」

「あの女は自分の味方なんだよ。俺は殿下たちと連んでたから、自然に話す機会も多かったけど……まあ、なんて言うか、話にならねーんだよなぁ」

「話にならない?」

「頭がお花畑で関わり合いになりたくない、って事だ。シーナはアホじゃないから、あんな女に騙されるとは思わないが……ハルンドがなぁ」

「…………」


 もぐもぐ、パンを放り込みながら、兄さんは宙を睨む。

 シーナ殿下は、でも……わたしが毒を盛ったと、信じたからあの時あの場でわたしを切り捨てたのでは……?

 いえ、もう彼らの事はいい。

 彼らのせいでこの土地は危険にさらされている。

 そう考えれば、確かに兄さんの言う事も分かるけれど。


「あの、兄さん……実は今日、パン屋の女将さんにこの町の話を聞いたの。もうすぐ戦争になるから増税して、みんな生活が苦しいって。そして、そのせいで親たちが出稼ぎに忙しくて町の子どもたちがご飯を食べられていないんですって。わたしになにか出来る事はないかしら?」

「…………」


 もぐもぐ、ごくん。

 兄さんが咀嚼して飲み込むのを待つ。

 少し考えてから、兄さんは人差し指を天井へ向けた。


「子ども食堂とかどうだ?」

「子ども食堂?」

「幸いうちにはローズさんという無限小麦生産場がいる。パンだけなら、割といくらでも焼けるだろう? ……保育園……いや、児童施設みたいに子どもを一日中預かるのは、ちょっとキツイだろうけど、子どもらも一応各々仕事してるし」

「はい……」

「だからご飯だけ食べられる場所を作ればいいんじゃないか? ……あ、ほら、隣の土地空いてるしさ。俺の石鹸販売所として小さい建物でも建てようと思ったけど……食堂と併設すれば、親も子どもを迎えに来るついでに石鹸を買って帰れる。他にもこれから色々商品開発していこうと思うから、俺の販売店舗とお前の食堂どっちもやれば……」

「!」


 なにそれ、素敵!

 思わず手を叩いてしまう。


「もう少しで貴族に売った石鹸の代金が入るから、それが入ったら町の大工に頼もう。それじゃダメか?」

「いいえ! 素敵な事だと思うわ!」

「うん、俺たちも町の人になにか返したいもんな。出来る事をやろう」

「はい!」

「ず、ずるいわ! 母さんもなにかやりたい!」

「父さんもなにかやるぞ!」

「はは、それじゃあ引き続き土地の整備と畑の拡張、あとは石鹸作りを手伝ってくれよ。ユニはそのヘレスって子を面倒見てやれ。お前が拾ってきたんだから、責任持ってな」

「はい!」


 兄さんはやっぱりとても頼りになる。

 ヘレスの事も家族から了承を得られ、翌日も焼きたてのパンと昨夜の残りのスープを持って行って食べさせた。

 怪我は手当ても必要とせず、治りかかっている。

 シャールは相変わらずわたしの背中に隠れ、ヘレスを伺っていた。


「……美味しいです」

「良かった。……それにしても、本当にすぐ治ってしまうのね。もしかして、もっとたくさん食べたら完治してしまうの?」

「……。…………」


 あ、という表情のあと、顔を背けられた。

 ど、どうやら本当にたくさん食べたら瞬く間に完治するものらしい。

 けど、きっとわたしが持ってくる食事の量や着ているもので、うちにその余裕がないと思われているんだわ。

 気を遣って言い出さなかったのね?


「……それならそうと言ってくれて良かったのよ? わたしがあまり持ってこなかったのは、魔族がパンを好むかどうか、食べられるのかどうかよく分からなかったからなんだから」

「! ……そ、そうだったんですね、すみません」

「ううん。それなら精霊様から小麦粉を分けてもらって、たくさんパンを焼いてくるわね。オニオンスープでよければ、スープもたくさん作るから」

「……、……あの、て、手伝います!」

「え?」


 い、今なんと?


「僕も、手伝います。あの、自分が食べるものなら、尚更。助けてもらったお礼も、まだですし」

「そんな、まだ完治してないんだから動いちゃダメよ!」

「人間族より頑丈なので平気です! 怪我も塞がってますし」

「……で、でも……」

「…………。……僕、行くところ、ありません……」

「!」


 ぽつり、と呟かれた。

 そういえば怪我が治ったらどうするか、ゆっくり休んで元気になったら考えなさいとは言ったけど……。

 帰る場所が、ない?


「それは……この国の王子と聖女が、魔王を倒して、あなたの居場所を、奪ったから?」

「!」


 顔を上げたヘレスの表情は驚いていた。

 平民がなぜその事を知っているのか、とかかしら?


「…………。少し違います。でも、魔王が倒されたのが原因なのは…………」


 それが原因なのね?

 やっぱり、この国の王子と聖女が魔王を倒したせい。

 目を閉じた。

 そんな事、当たり前なのよね。

 国の王が倒されれば、たとえ他にも魔王がいたとしても、混乱は免れない。

 こんな小さな子どもがその影響を受けるなんて……。


「わたしはこの国の人間だから、あなたの国の王様を倒した事を謝罪出来ない。それは国への裏切りになってしまう」

「いいんです。魔族は、強さが基準になります。正々堂々と戦って負けたのであれば、魔王様は本望でしょう。……ただ、人間族の兵士は魔族と見ればすぐに襲いかかってくるので……それは驚きました」

「…………」


 こんな子どもに……?

 それは……ショック……。


「あ、でも怪我をしたのは僕が弱かったからなので……」

「違うわ」

「…………」


 ベッドの縁へ座り直す。

 黒い髪を撫でて、ヘレスの瞳を覗き込む。

 確かに人間族とは違う肌の色と髪の色、目の色。

 けれど同じように赤い血が通っている。


「あなたのような子どもに剣を振り下ろした者がいたという事が、とても、残念だし、悔しいし、腹立たしいのよ」

「……ユニーカさん……」

「だからそれだけは……ごめんなさい」

「……!」


 もう、ヘレスへの恐怖心はかけらもなくなっていた。

 角はあるけど小さな体。

 それを抱き締めて、胸が苦しくなる。

 こんなに小さな子どもに剣を向ける。振り下ろす。

 そんな野蛮な生き物が、わたしと同じ人間であった事がたまらなく悲しい。

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