舞台として一番面白い時代と場所

 満州帝国は日本、中華民国、ソ連、モンゴルと国境を接しており、各国の対立やソ連に反旗を翻す白系ロシア、コサックなどの政治・民族的な要因などが加わり、その歴史を複雑に彩っている。各国の諜報機関が活躍することでは租界時代の魔都上海と劣らない。ハルビンの特務機関、白系露人事務局、ハイラルなどのロシア人部隊の編成などを考えると、特務や諜報の規模は上海よりもはるかに大きい。
 にもかかわらず、極東やシベリア、満州を舞台とする小説は少ない。満州というより大陸浪人であるが、『夕日と拳銃』の主人公のモデルである伊達順之介などモンゴル、満州から中国東北部にかけて夢を描いた人々の情熱、そして時代の変化共に挫折していく結末など、魅力的なエピソードが多いにも関わらず。個人的にはこの時代と場所は最高の舞台であると思っている。
 残念に思っていた時に本作の『颶風の愚者、螺鈿の裸者』を読むことができた。これからの展開が楽しみであるが、まずは第二章「コサックの血脈」の魅力を語りたいと思う。
満州崩壊後のその混乱期に、ゾーニャとヴィカが共産党八路軍と邂逅し、戦闘へとなだれ込んでいく。敵味方が使用する武器の特徴を、実戦の緊張感の前でうまく本作は説明している。照準を合わせ、只引き金を引くだけでなく、女性の骨盤の大きさゆえの射撃時の優位性を説いたり、昔の相棒を思い出したり、姉の教えを思い出したりする。そして引き金を引いた後のスピーディな展開など読者を飽きさせない。コンビを組むヴィカも銃撃と近接における抜刀を緊張感と躍動感を持って描かれている。そして冷静なゾーニャと、相手の感情に合わせてしまうヴィカのやり取りでもって戦闘は終了する。こういった戦闘描写の巧みさを是非読んで味わってほしい。

 ゾーニャとヴィカの二人の出会いは、ゾーニャが所属のソビエト赤軍と共に、白系ロシアへの襲撃を行い、ヴィカの祖父が戦死したことがきっかけであった。陸軍中野学校、現れなかった関東軍、誇り高きコサックの死、興味深い単語の羅列は、それらを経て何故二人か共に旅をしているのかと、色々な予想をしてしまう。白樺の大樹の前での約束、真紅の血を流すゾーニャの前で、という語句だけでも想像が掻き立てられるのだ。

 無限に弾丸を飛ばすことができれば面白いと独白し、温度と湿度の上昇を感じた後に、今日は狙撃をするには良い日に思えた、と独白するゾーニャが一番印象深く残っている。歴史の徒花である旧満州や極東で、美しい世界描写と峻烈な戦闘描写を主人公たちが織りなしながら紡いでいく物語を是非味わってほしい。

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