この作品の極限下での人間性を読み解く上で、是非、読者には時代背景をぜひ知って欲しい。
背景にある第二次世界大戦において、独ソ戦(ソ連側にとっては大祖国戦争)の被害者数が一番多く、両国の戦場となった国も入れると数千万人の死者が出ている。ドイツにとって、国土が広く、道や空港、鉄道の整備も少ないこの地域では電撃戦もその効果を示さず、戦線の意地どころか補給に苦しむ状態が続く。
このような中、ドイツはアインザッツグルッペンによるソ連側の民間人への虐殺や、本格的な実行はできなかった者の、ドイツ人の植民のためスラブ民族の飢餓を誘発する東部総合計画などは戦時の人間性の欠如を示すものだろう。対するソ連側も、伝統的な焦土戦術、敵国・自国問わず捕虜となった兵の処刑、ドイツから解放した東欧諸国への市民への略奪、暴行なども同様である。
このような悲惨な状況で、ソ連側の市民がドイツの敗残兵が列を為して歩いていく‥‥‥。恨みを抱き報復をするのが人間であり、勝者の権利のはずだが、本作は、そこで一条の光を登場人物たちにあてている。勝者とは何か、敗者とは何か、何を失ったのか、最後にかれらが共有したものは何か。その光は救いではないかもしれないが、人間性という感情と尊厳の揺れ幅の両端を垣間見えることができると思うのだ。それは最後に発せられる何気ない挨拶の言葉も同様で、日常でも、この悲惨な灰色の空の下でも、同質なものなのか、それともその言葉が持つ揺れ幅があるのかと考えてしまう。
是非、ご一読いただき、戦争と人間性について考える機会として欲しい。