第8話

 目の前には豆腐。醤油を付けて一口頬張る。確かに、売り文句の通りに濃厚な味がした。

 今日は、竹籠商店街杯。インターネット道場で若手女性棋士がトーナメントで戦う棋戦である。ただ、それだけではない。スポンサーとなっている商店街の各お店で解説会が行われるのだ。お客さんは様々な解説会を比べて見られると同時に、お店の商品についての説明を聞いたりもできる。俺が担当することになった豆腐店では、最近売り出した「やっとこさ豆腐」を試食することができる。電気店では大型モニターで対局画面を見られるし、八百屋では「野菜将棋」なるものが準備されていて、大盤の上に野菜が置かれている。例えば歩は玉ねぎ、金はキャベツといった具合で、一回動くごとに5円ずつ安くなり、対局終了と同時に売り出すそうだ。

 今年は二回目で、昨年はいろいろな不安を抱えながらの開催だったが大盛況だったらしい。将棋に興味のない人も足を止めてくれるし、何より一つの対局に複数の解説者が付く、というのが好評だったようだ。

 用意されたパソコンに、四つの盤面が映し出されている。出場者は八人。皆川さんなどの女流棋士のほかに、奨励会員のつっこちゃんやアマチュアも参加している。若手女性ナンバー1決定戦なのである。

 一回戦、皆川さんの相手は桑木研修会員。13歳と今回最年少で、女流育成会には所属したことがない。聞くところによると奨励会からプロ棋士になるのを目指しているらしい。

 各出場者にはモニターカメラも設置が義務付けられているので、現在の様子を見ることができる。今日の皆川さんは髪の色も落ち着いていて、ちょっと茶色がかっている程度だった。紺色のブラウスにネックレスをしている。眉毛は描き過ぎな感じがするけれど、全体的には良い感じである。

 相手の桑木さんは美少年かと見まごうほどきりりとした顔つきで、髪も短くちょっとぼさぼさだった。服は制服だろう、ブレザーっぽい。年齢や境遇などは別にしても、対極的な二人だ。

 ちなみにつっこちゃんは今日もとてもかわいかった。ツインテールから伸びる髪は、タイムラグのある荒い映像でも輝いて見えた。真っ白なカッターシャツも、よく似合っている。あの後ろに三東さんがいるのかと思うと悔しい。

 僕のブースはそこそこの人気で、十数人の観衆がいた。おそらく豆腐が試食できるからだ。そういえば今日は「制服で」というリクエストがあったのだが、普段着ていないので余所行きみたいな感じがする。何でも高校生が制服を着ると人気が二割増しになるらしいが、意味が分からない。

 対局が始まると、あっという間に局面が動いていく。早指しの上に四戦やっているので、全てを把握するのは無理だ。とりあえず一つに的を絞って解説することにする。

 まずは金本-小柴戦。アマ最強の小柴さんは、プロに何度も勝っている実力者だ。中飛車からの軽いさばきを得意とする、いかにもいまどきの若い子、といった感じの指し方を得意とする。局面はやはりゴキゲン中飛車、それに対し月子さんは右銀をするすると上がっていく指し方だ。最近奨励会で流行っているらしいのだが、つっこちゃんが指すとレトロな急戦に見えるから不思議である。この指し方は相手の手を限定する一方で、こちらの方針も立てにくい。一気に攻めれないと見るや持久戦になったり、いきなり大駒が総交換になったりと景色の変わり方が激しいのだ。

「これはですね、気合に見えてかなり研究の進んでいる手順です。後手は金銀が前に繰り出せない代わりに飛車と角の働きがいいんですね。先手は抑え込みに行くんですが、角がなかなか働かない。角をおとりに飛車を成り込んで桂香で攻めるような感じがいいんですね」

 中盤になり、さすがに手が止まる。他の三局にも目を移す。相居飛車は一局もなく、振り飛車人気がうかがえる。皆川さんは三間飛車相手に穴熊。先日の研究会でも出てきた形だ。どうしても穴熊は組むことが目的になってしまうが、三間飛車相手だと特に、序盤が重要になる。右銀を使えること、相手の飛車に活躍させないこと、端攻めを「無理攻め」にさせることがポイントだと教えた。

 これまでの皆川さんは、どこかふわふわしたところがあった。勝ち負けにこだわらないというか、何かを賭けているという感じがしなかった。それがここ数日、何かが変わった。すぐに結果に出るかはわからない。ただ、指し手に意志を感じられるようになった。

 観戦者は少しずつ入れ替わる。僕の解説に一切耳を傾けない、豆腐を食べに来るだけの人もいる。そういえば隣はブティックで、女流が入れ替わりで店の服を着て解説、ということで一番人気のようだった。

 ぴろっ、と電子音が響いた。投了の音だ。大学女流ナンバー1の吉野さんが早々と勝負を決めていた。四間飛車相手に見事な急戦だった。

「筋がいいですね。最後も飛車を取らず、金の方を取って決めました。そっぽの大駒はおとりなんですよ。取った飛車を打っても底歩で受かる。金を取った場合、馬も攻めに利いて、歩では受からない。金も攻めに使えます。参考になる感覚ですね」

 負けたのはプロ。とはいえ最近は誰も驚かない。強い女性が増えたのだ。

 続いて次々と対局が終わっていく。皆川さん、そしてつっこちゃんも勝った。

 午後、皆川-金本戦が実現する。

 若手女流棋士と奨励会員。今までにはあまり見られなかった組み合わせだ。そもそもつっこちゃんが公式戦を指すの自体、今回が初めてなのだ。

 昼食は、当然豆腐料理。豆腐ステーキに豆腐のスープ、冷奴。いい加減豆腐に飽きてきそうなものだが、ありがたくいただいた。普段誰かに作ってもらうことがないので、差し出されるだけでうれしいのだ。

 観戦者たちにも割安価格で豆腐料理が提供されている。その中に、見知った顔がいた。黒いジャケットにやわらかい襟のクリーム色のシャツ、首元には小さな銀色のペンダント。口紅やアイシャドーも施されている。いつもと違って女の子っぽい格好なので気が付くのが遅れた。

「木田さん」

「……お疲れ様です」

 木田女流2級。この格好は、隣のブティックで出演したままのものだろう。元々顔立ちが整っているので、おしゃれが似合う。

「出番は終わり?」

「まだありそうです。先輩たち、着替えはじめるとなかなか戻ってこないんですよ」

「なるほど」

「最後のほうしか見れなかったんですけど、辻村さん、解説上手いですね」

「いやいや、早口で聞き取れないって言われるよ」

「大丈夫でしたよ。ぼ……私まだこういうのに慣れなくて」

 どことなく、木田さんには影がある。年齢に見合わずというか、若くしてプロになった人間らしくないというか。そういえば年齢は俺の方が下なのだが、こちらが敬語を使われる関係が定着してしまった。奨励会に落ちたことなどが、彼女の心にしこりを残しているのかもしれない。

「来年は出場の方で頑張ってね」

「そう……ですね」

 何となく浮かない顔だった。ひょっとしたら、出場資格を失うぐらいに活躍するつもりかもしれない。自分が木田さんの立場だったら、そう考えるかもしれない。

 昼食時間が終わる。「失礼します」と言って、木田さんは席を立った。

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