第11話
初めて、会館で研究会をすることになった。しかも自分以外の三人は奨励会員である。
話の発端は数か月前にさかのぼる。順位戦開幕局で関西を訪れたとき、三東先生と昼食を食べる機会があった。その時につっこちゃんと仲良くしてくれ、と言われたのだ。師匠にそう言われるのはお墨付きを貰えたようで嬉しいが、監視されているような気もしないでもない。しばらく具体的には何もできずにいた。
それで先日会館で偶然つっこちゃんに会った時に話をしたら、その場にいた他の奨励会と共に「研究会をお願いします」と言われた。積極的だったのは主につっこちゃん以外の二人だけど、彼女自身奨励会でBをとったりして悩んでいるようだった。
現れたつっこちゃんは今まで通りかわいかったが、少し服が窮屈そうに見えた。たぶん本人が成長したのだろう。三東先生は鈍感そうだから、つっこちゃんのために新しい服を買っといてあげるなどはしないんじゃないだろうか。
他の二人はよく知らない。記録などで顔は見ている気もするけど、奨励会の時期が重なっていない子はわからないのだ。ただ、目が輝いていて、なんだか眩しい。たぶん自分にはそういう時期がなかった。
「辻村先生に教わってみたかったんです!」
そう言ってきたのは魚田6級。うおたくん、と言ったら「さかなだです!」と元気に訂正された。ファミリアというあだ名らしい。
「声おっきいんだよ」
もう一人は関川4級。体格ががっしりとしていて、声も野太い。こちらのあだ名はせっきー。普通だ。
つっこちゃんはほとんど黙ったまま、ちょこんと座っている。人と話すきっかけのつかみ方を知らない、という感じだ。
「始めようか」
とりあえずは実戦から。俺対ファミリア、せっきー対つっこちゃんで対局を始める。持ち時間なしの20秒。これは俺が初めて習った先生が好んでいた時間であり、また実戦にない設定でどこまで指せるのかを見たい、という意図もあった。
ファミリアは中飛車党のようで、力強い手つきでがんがん指し進めてきた。一手3秒ぐらいで指してくる。こちらもそこそこ早く指すのだが、手が交差してぶつかりそうになることもある。天性の早見えのかもしれないが、いずれ大きな壁にぶつかってしまうタイプだ。
中盤ですでにほころびが生じているが、本人は気付いていない。級位者同士なら苦にならない差なのかもしれない。けれどもプロを目指すのならば、決定的な差だった。そして現状終盤力もこちらの方が強いのだから、まったく話にならなかった。完封だ。
「もう少し作りを考えないとね。終盤力は、いつか武器じゃなくて防具になるんだよ」
「防具?」
「今はまくって勝てるけど、いずれはそれが無いとどうしようもない状況になる。逆に言えば終盤の勉強に割く時間を節約できるんだから、序盤をみっちりやれるよね」
「なるほど……」
もう一つの対局はまだ続いていた。相変わらずつっこちゃんはクラシカルな駒組みで、こちらは序盤の研究以前の話だ。ただ、悪くなっているわけではない。知識はないが、序盤力はあるのだ。仲間からはぐれて飛んでいた渡り鳥が、結局同じ日数で目的地に着くような感じだろうか。中盤も互角で、センスの光る手を放って優位になった。そして終盤は、相手の手を殺すことに専念していた。最善とは言えないが、実戦的な指し回しである。
そのままつっこちゃんが勝って、感想戦が始まった。研究会の肝はここである。対局は、自分の弱点を明確にし、そこを克服していくための材料に過ぎない。そしてできれば、三人にも俺の弱点を見つけ出すほどの頑張りを期待したい。
次は俺とせっきー、つっこちゃんとファミリアで対戦。せっきーは居飛車党で、横歩取りの激しい将棋になった。落ち着いて指しているが、体格のわりに迫力が感じられない、とも言える。せっかくなので温めていた新手を指してみた。とたんにせっきーの動きがせわしなくなる。慌てていることが手に取るように分かった。山場もなく押し切った。これでは新手が有効だったのかどうかはよくわからない。
つっこちゃんは苦戦していた。ゴキゲン中飛車に対するこれといった対策がないのかもしれない。それほど謎の駒組みだった。ただ終盤、銀を見捨てて端攻めに打って出たのは鋭かった。結果にはつながらなかったが、可能性は感じられた。
最後は俺とつっこちゃん、ファミリアとせっきー。こちらの対局は角換わり。つっこちゃんは5筋の歩を突いて、銀を出てきた。昭和の指し方である。なんというか、基本的につっこちゃんの将棋はは古き良き時代を感じさせる。
正直なところ、自分でも形勢判断がしにくい局面が続いた。つっこちゃんは時折小さな息を吐いて、盤面をぐるりと見渡した。この子はひょっとして、将棋のルールだけを頼りに指しているのではないか、そういう思いすら抱いてしまう。たった20秒で、全てのことを読み取ろうとするかのように盤面を深く見ている。俺は、その姿を目に焼き付けたかった。
だが、つっこちゃんの弱点ははっきりしている。終盤も、知識が重要なのだ。たくさん指して、並べて、見ているうちにある程度の筋は覚えてしまう。つっこちゃんにはその点が圧倒的に足りない。
寄せ始めると、あっという間に寄ってしまった。 隣の対局はすでに終わっていたようで、二人で中盤の検討をしていた。
「最後、ちょっとよれちゃったね」
「……そう……ですね」
対局が終わると、つっこちゃんの表情は暗くなった。まるで、共通の言語をなくしてしまったかのように、俺の言葉に小さな声で同意するばかりだった。
「でも、これからどんどん強くなるよ」
「……頑張ります……」
彼女は、この世界に突然飛び込んできた。俺らが子供の頃から培ってきた対話方法を、ほとんど知らないようだった。将棋は、将棋以外の世界を引き寄せてくれる。こんな俺でも、何となく礼儀作法が身についている、と思う。それはプロの世界だからとかではなくて、将棋をする中でいろいろと学べてきたことだ。
「何か……こう、思うところがあったら言った方がいいよ」
「え……その……」
「ん?」
「時間って……どう使えば相手が慌ててくれるんでしょうか?」
意外過ぎる質問に、ファミリアやせっきーまで目を丸くしていた、まあただ、こういうところがかわいいじゃない、って俺は思うのである。
研究会が終わると、三人の後輩たちが頭を下げて、「またお願いします」と言った。悪い気は全くしない。
「よし、わかった」
もちろん、つっこちゃんがいるならやる気も倍増だ。ただ、自分のためを思えばこれはベストじゃない。次こそ……次こそ川崎さんに勝つためには、もっと厳しいことをしなければだめなのだ。
とりあえず会館に残り、将棋の勉強を続けることにした。
最近、家に本当にいろいろとものが増えた。洋服が増えたらそれに合う小物が欲しくなるし、小物が増えたらインテリアにも凝りたくなる。音楽もいいスピーカーで聴きたくなり、買うCDも増えた。このままいくと赤字になってしまうのではないかと思うほどだ。
将棋だけの人生は、長くは続かないと思う。将棋のためにも、家ではいろんなことをしていいのかな、と思うようになった。恋をして結婚して、家庭を持つこともあるかもしれない。ちょっと人とは違うルートだけど、棋士だって普通のことをたくさんしていいはずだ。
ただ、普通の棋士にはなりたくない。それを許容してしまったとたんに、俺はだめな棋士になっていくだろう。一番を目指すことで、なんとか十番になれる、そういう人間だってことは自覚してる。
ブラームスの流れる部屋で、アイロンをかける。新しくした夏用のカーテンが、太陽光を何割か部屋の中に透過させる。そんな日常の先に、大事な勝負はいくつか迫っている。
そう、日曜日のテレビに、初めて出るのだ。びしっとした格好で決めなければならない。
ネクタイを並べてみる。どれがいいだろうか。選ぶのに、一晩じっくりかけてもいいぐらいだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます