第6話 キス顔

 飲み会からの帰り。

 今はちょうど乗換のための駅に到着したところ。乗換駅ということもあり、降車する乗客は多い。扉が開くと乗客が慌ただしく、次々と降りていく。倫也と恵ははぐれないように手を繋ぐ。そう簡単にはぐれないようと、指同士が絡んだ恋人つなぎで。

 あとは電鉄に乗り換えて、各々の最寄り駅まで帰るだけ。そして、改札が見えるところまで来たとき、不意に恵と繋いでいた倫也の手が引っ張られる。

 倫也が不思議に思って後ろを振り返ると、恵が足を止め、ちょっと緊張した面持ちで倫也を見ていた。


「恵?」


 倫也はどうしたのかと不思議そうに恵に声をかける。


「ねえ、倫也くん。ちょっと時間くれないかな?」


 * * * * * * * * * * *


 改札付近から移動して、今はホームの壁際に二人はいる。乗換駅であり、なおかつ駅の規模も大きいため、人の行き交いもかなり多い。だから、二人を気にする人など誰もいなかった。


 明日のデートはお互いきちんと納得した上でのキャンセルで、日曜日に埋め合わせをしてもらうということで了承した。

 それでも、恵としてはやっぱりこのまま何もなく倫也とバイバイして帰るのはちょっとだけ淋しく、物足りなかった。飲み会での倫也からの言葉にどんどんと溢れ出てきてしまう感情を落ち着かせないと、整理しないといけない。

 だから、恵は少しだけ倫也にねだった。


「わたし、まだ今日のキスのお返ししてもらってないんだけど?」

「……は?」

「わたし、飲み会のときに倫也くんにキスしたよね?」

「……したな」


 恵に無理やり唇を奪われたという方が表現上は正しいが、倫也はとりあえずキスだったということにしておく。


「だから、そのお返しが欲しいんだよ?」


 ぶっちゃけて言ってしまえば、倫也と一緒にいられる時間ができれば、別に理由なんて何でもよかった。ただ、先程のサークル副代表として倫也にアイデアをまとめるのを優先してと言った手前、色ボケた理由は厳禁のはずなのだが、結局うまい言い訳が見つからずストレートに色ボケた理由になってしまった。


「ここでキスするの?」


 きょろきょろと倫也はあたりを見回す。人通りが多く、多くの人に見られる可能性がある。ただ、木を隠すには森という言葉もあり、逆に多くの人がいるからこそ目立たないとも言える。いずれにしても、人通りの多い状況でキスをすることに倫也はいつも以上に緊張していた。


「……嫌なの?」

「いや、そうじゃなくて、……ちょっと恥ずかしいというか」

「倫也くんは新幹線のホームでしたんだから、恥ずかしくないんじゃない?」

「……そのネタいつになったら許されるの?」

「初めてのキスって一生に一回だからね~、一生弄られるんじゃないかな~」

「……一生?」

「……………………ぁ」

「それって、俺が大学生になって社会人になって旦那さんになってお父さんになっておじいさんになってもネタにされるの?」

「……そこには突っ込まなくていいから」


 恵の『一生』という失言に対して倫也はニヤニヤしながら突っ込む。一生弄るということは一生そばにいてくれるということ。しかも、恵もそれに対して恥ずかしいからやめてと言っているだけで、言葉自体の否定はしなかった。言い間違いではないこと、そこに想い違いがないことがわかる。

 付き合ってまだ半年くらいしか経っていないし、かたや大学生とかたや浪人生で結婚なんてまだまだ先の話。それでも、恵が少しでもそういう風に思ってくれていたことが素直に嬉しかった。倫也にとって、今日は本当に嬉しいことが多すぎな日だった。

 だが、そんな嬉しい気持ちがあるにしても、この状況でキスをするのはやはり恥ずかしさから抵抗がある。そんな、緊張しながらキスをためらうその倫也の顔が恵の目に留まる。


「……ねぇ、倫也くん?」

「ん?」

「わたしってキスするときってどんな顔してるの?」

「……お前いきなり何言ってんの?」

「倫也くんの顔を見てたら、つい、ね?」

「つい、って…」


 恵からの唐突な質問だった。恵としては話を逸らそうとして出てきた言葉だった。恵としては飲み会の時の倫也の言葉に『キスしたあとの顔がかわいい』とか、『キスをねだる顔が好きだ』と言われたから、それが気になっていた。今の倫也のこの人が多い状況でキスをするということに緊張した顔を見てふと思い出した。

 倫也も倫也で、そんな変な質問に対しても真面目に答えようと、これまでにしたキスを思い返してみる。

 初めてのキスや、体を重ねた時のキス。いろいろなシチュエーションがあったが、それぞれを総合して答えをまとめた。

 それで出てきた答えがちょっと言いにくい答えだったから、ちょっとぼかして答える。


「遠回しに言うと……」

「遠回しに言うと?」

「……幸せそうな顔してる……かな?」

「……よくわからないんだけど?」


 恵はかわいいとかそんな言葉が返ってくると思っていたから、倫也からのちょっとずれた答えに『何それ?』って怪訝な顔をする。どこをどう考えたら、遠回しでの表現が幸せそうなのか恵には全然理解できなかった。だから恵はさらに突っ込んで聞いてみる。


「……逆に遠回しじゃない方も気になっちゃうんだけど?」

「う~ん、ストレートに言うと……」

「……言うと?」

「……えっちな顔してる」


 もうちょっとマシな言い方をすれば、『色っぽい』が適切なのかもしれないが、端的に、適当に、倫也の思ったままを伝えると、そういう表現になってしまった。


「……それはないんじゃないかなぁ?て言うか、もうちょっとオブラートに包んだ言い方ないのかなぁ?」

「だから、さっきオブラートに包んで遠回しに言ったじゃん!?」


 倫也の回答に恵は少し顔を赤くする。『えっちな顔』をしていると言われて、しかも恵はそれをストレートに受け止めてしまったから。恵は余計に動揺してしまい、ツッコミにもキレがなくなっていく。


「それは、アレだよ?えっちって言う方がえっちなんだよ?」

「……それ電車の中で何度も言ってたあなたが言いますか?恵さん?」


 恵は『わたしそんなにえっちじゃないんだけど?』って不満な顔するけど、もうすでに、ちょっと朱に染まった顔が、恥ずかしがってるその顔がちょっと色っぽい。


「……逆に俺はどんな顔してるんだよ?」

「う~ん……」


 恵が少しだけ頭を悩ませる。


「キモい顔?」

「……さすがに酷くない?」


 恵の質問に対してお返しと言わんばかりに同様の質問を恵に投げかけると、相変わらず茶化してグサグサ刺してくる。でも、今の倫也はそういう答えが返っててくることを予想していた。だから倫也は恵のその回答に突っ込んでいく。


「じゃあ、どんな風にキモいんだよ?」

「えぇ……?」


 恵は先ほどからの倫也の言葉に動揺していて、いつもよりちょっとだけ頭が回らなかった。だから突っ込んで来た倫也の質問に対して、回答もしどろもどろになる。


「えぇっと、その、かなり必死で……恥ずかしそうで……一回キスしたら、またしたがってる感じで、キモい……かなぁ?」


 恵がキモい顔と結構酷い表現する割には、その理由はあんまりキモい理由にはなっていなかった。

 それどころか、


「……それって、恵もキスするとき、たまにそんな顔してるぞ」

「わたしそんな顔してないけど?」


 恵は『失礼な』と倫也の言葉を即座に否定する。でも、自分のキスするときの顔なんて、自分で見られるわけなんてないから、その否定も正しいとは言えないわけで。

 だから、倫也は提案する。


「……じゃあ、キスして、確かめてみようぜ」

「うわぁ……」


 キスするときの顔がキモいかどうか確かめようと言う提案に、恵は苦虫を噛みつぶしたように凄く嫌そうな顔をするが、今の倫也は引かない。恵に対して優位に立っている今の状況を逃さない。

 倫也は恵の両肩を抱き、ゆっくりと顔を近づける。唐突にやってきたキスシーンに、恵は慌てふためき、顔はさらに真っ赤に染まる。

 そして、鼻先がくっつくくらいまで二人の顔が近づいたときに、恵は慌てて顔を逸らす。先にキスをねだったはずの恵が、倫也のキスから逃げだした。


「……こっち向いてよ」

「……だって」

「キス、できないじゃん?」

「……嫌」

「キスして欲しいって言ったの恵じゃん?」

「……それでも嫌」

「何でよ?」

「…………だって、倫也くんに、そんな顔見られたくないんだけど」

「……大丈夫だって、俺の恵はキモい顔してないから」

「……本当?」

「本当」

「……本当に?」

「…………たぶん」

「ちょっとぉ……」

「だから、確かめようって言ってんじゃん?恵のキスするときの顔はキモくないって」

「…………倫也くん、絶対わたしで遊んでるでしょ?」

「……何のことかなぁ?」

「絶対遊んでるよね?」

「じゃあ、キスしないんだな?」

「…………うぅ」


 恥ずかしさを堪えるように、恵はちらちらと目線だけを動かして倫也の顔を窺う。キスはしたい、でもキモい顔は見られたくない。そんな葛藤を何回かそれを繰り返した後、恵は意を決したように倫也に顔を向ける。

 目を瞑ってキスをする覚悟を決めたその顔は、

 恵が言う倫也のキモい顔みたいで、

 かなり必死で、

 恥ずかしそうだった。


 そして、倫也もその恵の覚悟を受け入れるように顔を近づけ、二人は唇を重ね合わせる。

 純粋に唇を重ね合わせるだけのシンプルなキス。

 飲み会の時のお返しの時のキスだったはずなのに、そんなお返しを楽しむようなキスでは全然なかった。

 でもそれは、すごくドキドキするキスだった。もう何回も、何十回も繰り返したキスのはずなのに、『キスってこんなにもドキドキするんだ』っていうことを教えてくれたキスだった。

 そして、数秒後重ね合わせた唇を離す。

 ドキドキした心をちょっとだけ落ち着かせるように、一息ついてから恵が口を開く。


「わたし……どんな顔してた?」


 キスを終えて、倫也と目が合わないように、恥ずかしそうに聞いてくる恵の顔は、

 頬が赤く染まっていて

 幸せそうで、

 かわいくて、

 全然キモくなんてなかった。


 だから、倫也はその恵の表情にそそられた。

 キュンキュンした。

 萌死にそうになった。

 だから、それをそのまま伝えた。


「えっちな顔してる」

「もぉ……」


 倫也のキス顔の方はもしかしたら、本当にキモかったかもしれないけど、恵は目をつぶっていたから、もうその答えはわからない。でも今、そんな答え合わせをする必要なんてなくて、そんなことはどうでもいいと、倫也は恵にまたキスをした。


 もう1回や2回ではない。

 たくさん、たくさん、キスをした。

 人通りが多くて、たくさんの人に見られたとは思う。

 最初は恥ずかしいと言っていた倫也も『まぁいいか』って思ってしまった。


 だって、

 キスをねだる恵の顔がえっちでかわいくて、

 キスをした後の幸せそうな顔がえっちでかわいくて、

 そのえっちなかわいい顔を何回も見たくて、

 ついキスが止まらなかったから。

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