第10話 煽動
「……………………無理だな」
今は水曜日の深夜。
倫也は自分の机の前で、恵に指摘されたプロットについてどう修正するかをずっと考えていた。
その結論が先ほどの言葉だ。
恵に指摘されたキスシーンとえっちなシーンを削減するプロットを一度は練り直し、そのプロットで恵ともやり取りをしたが、案の定『そういうシーンは全削除』と言われて撃沈した。
それでも恵にメインヒロインをやってもらうために、さらにプロットを練り直した。
だが、出来上がったプロットははっきり言ってつまらなかった。
最初に恵に見てもらったプロットが一番イチャイチャできていたし、一番キュンキュンできる内容になっていた。
じゃあ、恵にメインヒロインをやってもらうのを優先するのか、イチャイチャキュンキュンできるプロットを優先するのか。
そんなの答えは一つしかない。
どちらも取るに決まっている。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
木曜日の定例ミーティングの集合予定時間の二時間前。
倫也と恵は少し早目に集合して、最後の抵抗と言わんばかりにメインヒロインをやってもらうための交渉を行うことにしていた。
ゴールデンウィークの時期となると、気温もどんどんと上がって来ており、ちょっと暑い日には真夏日になるくらいである。注文する飲み物も少し前まではホットコーヒーだったが、今日もそれくらい暑い日だったため、さすがにアイスコーヒーを注文した。
そんな暑い日の恵の服装はと言えば、ボトムは灰色のひざ丈くらいのスカートで、トップスは白の半袖のタートルネックで首元までしっかり覆われている。
……調子に乗ってつけてしまったキスマークはそう簡単に消えないらしい。今日はそのことについては触れないようにと誓いつつ、恵との交渉を始める。
「恵、この前は悪かった」
「えっと……?」
最初に倫也は恵への謝罪から入る。
倫也からのいきなりの謝罪に何のことかよくわからず恵は目を白黒させた。
「メインヒロインをやってくれって言った時の説明の順番が悪かった。ちゃんとプロットも含めて説明してから恵にお願いするべきだったって」
「あ~、そのことね~」
謝罪の内容を聞いて恵は呆れたように溜息をつきながらも、きちんと謝ってくれたことに微笑んだ。
「うん、それはもう気にしてないから大丈夫だよ、倫也くん」
「ありがとうございます、恵様!」
あの時は勢いで帰ってしまうくらいに怒っていたのだが、やはりあの時は頭に血が上っていたようで、今日になってみると特に怒っている様子もない。
そして、倫也は謝罪を受け入れてもらったことに対してテーブルに両手をつき、頭をこすりつけて感謝しつつ、プロットの内容の交渉に入る。
「というわけで、プロットもそのときの説明の内容で行くからよろしくな」
「………………は?」
プロットの見直しをある程度進めていたはずが、いつの間にか元に戻ってしまったことに、恵は素っ頓狂な声を上げる。
……やはり、あのプロットはそう簡単に了承してもらえないようだ。
* * * * * * * * * * * * * * * *
「だから、このプロットは譲れないんだって!」
「それだったら、わたしメインヒロインやらないって言ってるよね?」
「それでもだ!このプロットで恵がメインヒロインをやらないとダメなんだって!俺たちの最強のギャルゲーは完成しないんだって!!」
「それでも、嫌なものは嫌」
倫也は最高のシナリオで恵がメインヒロインをやることで最高のギャルゲーができると信じている。前作だってそうやって作ってきた。
だから、今回もそうすることでまた最強のギャルゲーを作ることができると考えている。
ただ、今回は予めそういう風に作ると決めているからこそ、余計に恵の了承が得られない。
前回は手繋ぎシーンからキスシーンまでほぼ実体験に基づいてシナリオを作られていて、羞恥にまみれながらも最終的には了承してもらえたが、今回ばかりはえっちなシーン(ギリギリ全年齢)まで追加されている。
倫也が何度お願いしたところでそういう理由から恵が折れることはなく、二人の議論はいつまでも平行線だった。二時間も前に来たのにもかかわらず、二人のやりとりは何の進展もなく、結局、ミーティングの時間を迎えてしまった。
* * * * * * * * * * * * * * * *
「こんにちは~」
「ち~っす」
倫也と恵が平行線の議論をしている最中に、出海と美智留が到着した。
ちょっとばかりギスギスした倫也と恵とは対照的に楽しそうな笑顔を浮かべてやってくる。そして、出海は恵の隣に座り、美智留は倫也の隣に座った。
倫也はこの平行線の議論を打開するには二人を味方につけるしかないと、注文を終えた二人に企画書に対する意見を求める。
「早速だけど、出海ちゃんはこの企画どう思った?」
「う~ん、わたしはいいと思いますよ」
「あたしもいいと思うけどね~」
「……美智留はもうちょっと企画書を読んでから感想を言ってくれ」
出海ちゃんは共有ストレージに上げられた企画書をあらかじめ読んでくれていたようで、この企画で問題ないという意見をくれる。
一方で、美智留は悪い意味で予想通りなのだが、企画書を全く読んでこなかったようで、テーブルの上にある印刷した企画書をぺらぺらとめくっただけだった。
数十ページもある企画書の二、三ページしか読んでないのに、そんな感想を言われてもはあてにはならない。美智留の場合はそのシナリオに合わせて曲作るから、あんまり企画は気にならないのかもしれないけど。
それでも、肯定的な意見としては貴重な人員なのでとりあえず数には入れておくことにする。
「前作でも主人公と巡離が十分にイチャイチャしてましたけど、今回もプロットの時点でめちゃくちゃイチャイチャしてるじゃないですか!もう、キュンキュンしすぎて転げ回っちゃいましたよ!!」
「そうだろ!?出海ちゃんもそう思うだろ!?ほら、恵、出海ちゃんもそう言ってるじゃん?」
「思わずヒロインの絵を何枚も書いちゃいましたよ!ラフスケッチですけど、こんな感じです!!」
出海ちゃんはそう言って、スケッチブックを取り出してページをぱらぱらと捲り、特定のページを見つけてテーブルの上で開く。
「どれどれ……?」
その絵は巡離の裸だった。
いや、乳首とか大事なところは手とか布団とかで一応は隠されているけど。表情も色っぽくて、嬉しそうで、その瞬間を待ちわびているかのようで。
あの入学式の前日の出来事(第0話)を思い出させてくる絵だった。当然、出海ちゃんはそんなことがあったなんて知っているわけがないはずなのに、その時の様子が詳細に脳裏に浮かんでくる。
……つまり、その絵はいわゆるえっちなシーンの導入部の絵で、一番恵が気にしているシーンだった。
「うわあああぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~!!!」
倫也は慌ててそのスケッチブックをひったくって、きちんと表紙に戻してから出海に押し付けるように返却する。
「出海ちゃんダメだ!これはダメだ!!今はダメだああああぁぁぁぁ!!!」
「えええええぇぇぇぇぇ!?なんでダメなんですかぁ!?」
「こ、ここ、ここ喫茶店だから!!そんな絵をここで見せちゃダメだからあぁぁぁ!」
当然嘘である。
この場に恵がいなかったら、もっと他のラフスケッチとかもあるかとかいろいろ聞いていただろう。もちろんエロい意味ではなく、どういうシーンでどういった絵にするかなど、ギャルゲーの方向性的な意味である。
ただ、今は恵がいるからこそ、そういう理由でもめているからこそ、そのシーンの絵が出てきたのは最悪だった。せめてもっと健全な絵を選んで見せて欲しかった……。
倫也はおそるおそる恵の様子を窺うと、恵はとてつもなくブラックなオーラをまき散らしながら、……ついでに顔を赤くしながら、ゴミを見るような目で倫也を見ていた。
「は、はは……」
そんな突き刺すような恵の目線に倫也は背筋が凍りつつ、思わず乾いた笑いが出た。
「え~っと、倫也先輩?何かあったんですか?」
「プロットが通らないんだよぅ……」
倫也と恵の様子がおかしいことに気がついた出海が不思議そうに聞いてくる。
倫也は恵からプロットの許可が下りなくてメインヒロインをやってもらえない現状を説明した。
「あ~、確かにこの二人のシナリオってイチャイチャに特化してますもんね?まさにリアルでも倫也先輩が恵先輩とイチャつきたいって妄想を詰め込んだ感ありますし」
「ふうぅぅぅぅ~ん?」
「やめて!それ以上恵を煽らないで!」
出海の遠慮のない感想が、倫也を見る恵の目線をさらに鋭くさせる。
出海は自分の発言が恵の怒りを増幅させていることなど気にもせず、紙の企画書のプロットのページを開いて改めて目を通していた。
「でも、倫也先輩の言う通り、ある程度はそういうシーンは必要だと思いますよ?」
「……出海ちゃん?」
出海から次に出てきた言葉は倫也への助け舟だった。恵もその言葉に反応して出海の方に目を向ける。
「企画にある通り、関係が変わっていくってのがポイントなら、ようやくこういう関係になったんだっていうシーンも必要だと思いますし」
「……それがえっちなシーンである必要はなくない?」
「重要です!!」
出海が恵の言葉に激しく反論するように机を強く叩いて立ち上がる。
いきなりの出海の豹変ぶりに恵もちょっと驚いていた。
「かわいいヒロインがようやく次のステップに進んで、そういう関係になるんですよ!?そういう時に出てくる嬉しそうな表情とか!普通では見せない色っぽい表情とか!汗ばんだ肌とか!いい匂いとか!そういうシーンを絵で表現することで感動を呼ぶんですよ!?ヒロインのかわいさを、愛おしさを表現するにはこういうえっちなシーンが絶対必要なんです!!」
出海はわざわざスケッチブックの先ほどのページを開いて、絵をバシバシ叩きながら恵にえっちなシーンの重要性を力説する。
そんな出海のテンションの上がりっぷりに恵はかなり引いていた。
「いや、匂いは絵で表現できないと思うんだけど……?」
「できます!わたしならできます!!」
出海ちゃんのテンションは上がりすぎじゃないかとは思うが、現状のプロットの良さを存分に語ってくれているので、余計な口出しはしないようにしておく。
「……そもそもえっちなシーンを未成年の出海ちゃんが書くのはまずいんじゃ?」
「柏木エリ先生も未成年で十八禁同人誌を書いてたので大丈夫です!!それに乳首とか大事なところは布団とか服とか白い光で隠しますので年齢制限に引っかかりません!!!」
その白い光とかの表現方法についてはいろいろ議論の余地があるとして。
出海ちゃんはもうこのプロットで絵を描く気になっているみたいだ。
「さぁ、恵先輩!?初体験はもう済ませたんですか!?済ませたんなら合宿しましょう!!その時の感想を!!その時の表情をスケッチしなきゃいけないんです!!!」
「そうだそうだ聞かせろ~!生々しい二人の初体験の感想を聞かせろ~!」
「……そうやって根掘り葉掘り聞かれるのが嫌っていうのも、メインヒロインやりたくない理由の一つだからね?あと、それ(初体験)に関してはノーコメントで」
さっきまで、ほとんど喋らなかった美智留まで乗っかってくる。
……やっぱりそういうトークは女子にとっては気になるんだろうか?いや、男子としても気になるところではあるのだけど。
「じゃあ、倫也先輩に聞きましょう!!どうなんですか!?」
「……『それに関して何か喋ったら殺すぞ?』みたいな目で見てる人が正面にいるから俺も黙ってるね?」
「え~」
「え~」
この状況では本当に喋ってはいけないとさすがに理解しているので、ここはノーコメントを貫く。出海ちゃんと美智留から不満げな声が聞こえてくるが、当然無視だ。
ちょっと話がずれたので、再び恵がメインヒロインをやるやらないの議論に話を戻す。
「でも、わたしも恵さんがメインヒロインをやった方がイチャイチャシーンは捗ると思いますよ?前作でもそうでしたけど、何ていうかメインヒロインらしさっていうか倫也先輩の妄想では出てこない女の子らしさがありますし」
「あたしもそう思うよ、加藤ちゃん。トモだけだとドン引きしそうな気持ち悪い妄想全開のシナリオしか出てこなさそうだし」
「さりげなく二人とも俺のことディスってない!?」
そんな無自覚に倫也をディスる発言に胸を痛めつつも、完全にこちらのペースに持ってくることができている状況に倫也も乗っかっていく。
「ほらほらほら、二人ともこう言ってるんだし」
「嫌なものは嫌」
そんな三対一の不利な状況でも恵は全く怯む様子もなく頑なに拒み続ける。
結局、現状プロット派の人数が増えたところで、やっぱり議論は平行線だった。
* * * * * * * * * * * * * * * *
「やぁ、みんな、お待たせ」
「おっせぇぞ……」
そんな議論が平行線で進んでいない中、遅れてサークルのプロデューサーである伊織が現れた。
集合時刻よりも三十分ほど遅れてきたくせに悪びれる様子もなく、出海の隣の席に着き、さくっとアイスコーヒーを注文する。
「で、加藤さんはメインヒロインをやる気になったのかい?」
「いや、ダメだ。説得できてない」
注文が終わるなり、伊織は恵がメインヒロインをやるかどうかについて聞いてくる。
倫也はメインヒロインは攻略難易度高めだと言わんばかりに、ここまでのやり取りを説明した。
伊織は『ふ~ん』と腕を組みながらちょっと考える様子を見せた後、口を開く。
「まず企画書を読ませてもらった感想だけど、とりあえずは問題なさそうだ。また、シナリオ作成を進めていけばいろいろ口出しするかもしれないけどね」
この伊織の反応を見ると、伊織の中ではこの現状のプロットで行くことは間違いなさそうだ。ダメならダメだとストレートに言ってくる。
ただ、問題はそこではない。
「……そのシナリオの前のプロットが問題でメインヒロインをやってもらえないんだけど?」
「ああ、そうだね。だとすれば方向性は決めておこう。
加藤さんがメインヒロインをやるかどうかを、
今、ここで」
その伊織の発言で場の空気が一瞬で張り詰めた空気に変わる。
倫也もその雰囲気に飲まれて、ごくりと喉を鳴らす。
「そういう決断は早いほうがいい。ペンディングにしておいても何もいいことはない。はっきりと覚悟を決めて進めた方が作品にブレがなくなる」
恵がメインヒロインをやってもらうかどうかの判断をこの場で下す。
伊織の目には迷いなどなく、すべて決まっているような自信たっぷりの目をしていた。
「じゃあ……、伊織はどう思う?」
「僕としては……」
伊織のもったいぶるような様子に、どのような答えが返ってくるかが気になって、ここにいる全員が息をのむ。
「メインヒロインを加藤さんがやる必要はないと思う」
「ええっ!?」
「え~っ!?」
「え~?」
「……ふぅ」
伊織の答えに対する反応は四者四様だった。
倫也は恵がメインヒロインでないなんて信じられないという表情を、
出海は巡離が書けなくなるのが残念そうな表情を、
美智留はメインヒロインが恵でないことがつまらなさそうな表情を
恵はこのプロットでメインヒロインをやらなくて済んだことに胸をなでおろしてほっとした表情をそれぞれ浮かべていた。
「……なんで伊織はそう思うんだよ?」
その答えに納得がいかなくて伊織にその理由を尋ねた。
その問いに対して伊織は鼻で笑い、『わかってないなぁ』みたいなイラっとさせる表情で、伊織はその理由を答える。
「わざわざ、嫌がっている人がメインヒロインをやっても面白いゲームができると思わない。それだったら妄想でもいいからメインヒロインを別に立てて、倫也君の痛い妄想全開のプロットにした方が上手くいく」
「……お前もさらっと俺のことディスってるよな?」
「僕はクリエイターをやる気にさせるプロデューサーではないって言ってるだろ?」
伊織までも自分の考えるプロットが痛い妄想と評することに『お前もか』と倫也は辟易する。
そんな倫也を気にすることなく、伊織はさらに理由を続けて話す。
「そしてもう一つ。
我々は高みを目指さなければいけない。
だからこそやる気のないメンバーには降りてもらった方がいい」
「……っ」
その伊織の発言に恵は苛立った目で伊織を見る。『やる気がないわけではない』と非難の目を向ける。
伊織はそんな恵の目も全く気にすることなくさらに言葉を続けていく。
「倫也君だってそうだろう?」
「……俺?」
「君は一月前に『真のblessing softwareを取り戻す』と言った。だからこそ、こんなところで立ち止まるわけには行かない。一度でも駄作を作ってみろ?それだけでサークルの評判はガタ落ちだ。復活するにしてもまた時間がかかる。だから、中途半端なゲームを作っている暇なんてない。そのために今、最高のゲームを作るためにどうすべきかを考えなければいけないんだよ」
その言葉は倫也に向けられた言葉であったが、恵にも突き刺さっていた。
先ほどまで苛立った表情を浮かべていたはずの恵が、その伊織の言葉を聞いているうちに悔しそうに、唇を噛んでいた。
「加藤さんはサークル副代表という重要な役回りがある。メインヒロインでなくてもそちらで頑張ってもらえばいい」
伊織の言っていることは正しい。それはわかってる。
それでも、blessing softwareは恵がメインヒロインをやってこそのサークルだ。恵がメインヒロインをやらないなんてあり得ない。
そして、それ以上に恵が要らないメンバーであるような言い方が、倫也を余計に苛立たせる。
このサークルを一番大切にしているのは倫也ではなくて、恵だから。
この二年間で恵はサークルのために頑張って、
サークルのために怒って、
サークルのために親友と喧嘩別れして、
サークルのために泣いて、
サークルとともに過ごしてきた。
確かにメインヒロインをやらないと言い出したのは恵だけど、それを簡単に切って捨てるのは納得がいかない。
せめて、説得するのが筋じゃないのかよ?
「おい、伊……」
「いや~、でも加藤さんは重い人かと思ってたけど、そうでもないようで良かったよ」
「え……?」
「え……?」
倫也の言葉を遮るように、さっきまでの重苦しい口調から打って変わって、高めのテンションでさっきまでとは全然関係のないことを言い始める。
そんな一転した伊織の様子に倫也だけでなく、恵までが呆けたような声を上げる。
「だって加藤さんがメインヒロインをやらないってことは、倫也くんは痛い妄想でメインヒロインを立ててシナリオを作るわけだ。その場合、その妄想のメインヒロインのシナリオを書いて、それをサブディレクターである加藤さんがチェックする。つまり、倫也くんとメインヒロインがいちゃいちゃする様を否が応でも見せつけられるわけだ」
「は……?」
「は……?」
伊織の言っていることが全然理解できなくて、また倫也と恵が呆けたような声を上げる。
そもそも、メインヒロインは恵としか考えていなかったため、そんな流れになるとも全く思ってもないし、どうするかなんてまったく考えていない。
「加えて、今回は『結婚エンド』だ。妄想のメインヒロインに対してどうプロポーズしたら喜ぶとか、どういう風にしたら幸せそうか彼氏である倫也君から延々と聞かされるわけだ」
「は……?」
「は……?」
「そして、倫也君の事だ。そのうち倫也君は妄想のメインヒロインに傾倒し続けて、恐らく加藤さんへの扱いも変わってくるだろう。いわゆる若妻……、おっと間違えた。彼女というポジションも妄想のメインヒロインに取られてしまって、セカンド彼女という関係に、そして、メインヒロインからサブヒロイン、いや、サブヒロインもすでにいるからただのモブキャラという関係になっていくだろう」
「……………………」
「……………………」
伊織の言っていることがやっぱり全然理解できなくて、口を半開きにして絶句する。
そんなことあるわけないじゃん。
たとえ、恵がメインヒロインでないゲームを作ることになったとしても、恵は俺の大切な彼女であってそれは絶対に変わらない。恵以外のヒロインに傾倒するわけなんてない。
当然、恵も同じように思っているはずと、恵を見ると、
……真顔で死んだ魚の目をして俺を見ていた。しかも、さっきよりもさらに強烈なブラックオーラをまき散らしながら。
『わたしがメインヒロインやらないと、そうなっちゃうんだ?ふうぅぅぅぅぅ~ん?』と何も言わなくてもそんな感じがひしひしと伝わってくる。
そんなに俺のこと、信用できませんかね……?
「いやぁ~、加藤さんが思ったより心の広い人で本当に良かったよ。とりあえず、加藤さんはメインヒロインをやらないという方向で……」
「……やる」
その死んだ魚の目をしたままの恵の口から、ドスのきいた低い声が聞こえる。顔は全然怒ってないのに、握りしめた手が震えていてそれが余計に怖い。
そんな恵を意に介さず、伊織は飄々とした態度のままだった。
「ん?加藤さん何か言ったかい?」
「メインヒロインはわたしがやる。やるに決まってるでしょわたし以外に誰がやるの?」
「め、恵?」
「何?」
「いや、だって、さっきまでメインヒロインやらないって言ってたじゃん?」
「それは、さっきまでだから。メインヒロインはわたしがやるの!」
「えぇ……」
これまでの伊織が言うメインヒロインをやらない場合のくだりについては、倫也にとって到底理解できるものではなかったが、恵の心を動かすには十分だったらしい。
その掌を返すようなメインヒロイン宣言も倫也にとっては『そんなことでメインヒロインやるって言っちゃうの!?』と思わず口から出そうになるくらいに、理解できるようなものではなかったが、恵がメインヒロインをやるということなのでそれ以上の突っ込みは無粋ということで、黙っておくことにした。
「いやー、さすが加藤さん。倫也くんのために一肌脱ぐなんて、やっぱり倫也くんの彼女。そして将来は正妻、……いや、いい奥さんいなるんだろうねぇ」
「…………………………」
そんな倫也の心中を知ってか知らずか、伊織は黙っててくれないようで、ダメ押しと言わんばかりにさらに恵を煽る。
そんなどこからどう聞いてもどうでもよくて、聞き流してしまえばいいような煽りに対しても、今の恵には刺さるようでさらに黒いオーラを増幅させていた。
「もうそれ以上、恵を煽るのはやめろおおぉぉぉぉ!」
倫也はもう勘弁してくれと絶叫した。
* * * * * * * * * * * * * * * *
「ねぇ、ちょ~っと聞き捨てならんことが聞こえんだけど?」
ようやく恵がメインヒロインをやってくれることになり、議論もひと段落というところで、ここまでほとんど議論に入ってこなかった美智留が声を上げる。
「結婚エンドってどういうこと!?」
「いや、企画書に書いてあったじゃん?」
「あたし読んでないもん!」
「ちゃんと企画書を読めえぇ!!」
最初にあった通り、美智留は今日この場で初めて企画書を見た。しかも、最初の数ページだけ。だから、企画の内容についてもプロットについても全然知らないわけで。
当然、このメインヒロインのラストが結婚エンドであることも伊織の言葉を聞くまで知らなかった。
「そんなことより、結婚エンドってことってどういうこと!?」
「いや、主人公と巡離が最終的に結婚して終わりってことだけど……」
「それって、トモと加藤ちゃんが結婚するってこと!?」
「なんでそうなるううぅぅぅ!?」
さすがにその理論は飛躍しすぎだ。
あくまで、メインヒロインのモデルを恵がやるだけであって、実際に結婚するとは別の話だ。ギャルゲーの結婚エンドなんて別によくあることだし。
……まぁ、先週、(第1話)恵に指摘されるまでは、結婚エンドで恵との結婚をイメージされるなんて全く思ってもみなかったのも事実だけど。
「あくまでゲームの中だから!バーチャルとリアルを混同しちゃダメだから!!」
「そんなこと言って、去年はトモと加藤ちゃん実際に付き合い始めてんじゃん!?」
「それはたまたまだから!!前作はメインヒロインってだけだったから!!」
「むうううぅぅぅぅ~~~~!」
倫也が説明しても、美智留は納得しないようで頬を膨らませてぶーぶー言っている。
確かに前作で恵がメインヒロインがやった上で恵と付き合い始めたのは事実だが、それはたまたまであって、狙ったわけでもない。
今回の結婚だって全然狙ってはいない。だって、今浪人生だし。恵だって大学一年生だし。
……かと言って意識してないわけでもないんだけど。
「じゃあ、恵先輩に聞きましょう!」
「……え?」
出海の発言によって話の矛先が倫也から恵に向けられる。
「恵さんは結婚エンドはどう思ってるんですか!?」
「え、ええ~?」
「いや、だってそうでしょう!?彼氏とゲーム作って、メインヒロインやって、そのエンドが結婚エンドですよ!?意識しないわけがないですよね!?」
「え、え~と……」
先週の恵の様子を考えると、まったく意識してないわけではなさそうだったけど、実際にどう思っていたかは、その時はテンパってしまってそれ以上聞けなかった。まぁ聞く勇気もなかったけど。
だから、敢えて出海ちゃんを止めることなく、恵の反応を窺うことにする。
「倫也先輩と結婚したらどんな結婚式を挙げるのかとか、子供が何人欲しいとか考えないわけないですよね!?」
「……っ」
恵のコメントにそれほど期待しているわけではなかった。みんながいる場面だし、さらっと『ノーコメント』とか、『何とも思ってないから』とかそんな回答が来るんだろうなとは思っていた。
……でも、恵は全く予想外の反応をした。
「……ノ、ノーコメント」
言葉では確かに予想通りの『ノーコメント』だった。
自分は何も語らないと言わんとしてつもりのようだったが、
その表情が、その仕草が全てを物語っていた。
顔は真っ赤に染まっていて、
首筋のキスマークがあると思われる部分に服の上から手を当てていて。
前作の巡離のどの絵にも現れてこなかった濃い”色情”が含まれた、先ほどのラフスケッチよりも色っぽい表情を浮かべていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
そして、そのあからさまに何かがあったと言わんばかりのメインヒロインの反応に対して、そのテーブルにいる恵以外の全員が絶句する。
……たぶん、出海ちゃんの発言のどこかの言葉に反応して、先日の睦事のことを思い出して無意識に首筋に手を当ててしまったんだと思う。
全員が絶句してから数秒後、最初にその沈黙を打ち破ったのは出海ちゃんだった。
「あああああああっ!顔が真っ赤ですよ!!これはギルティですよ!!有罪確定ですよ!!!」
出海はいつの間にかスケッチブックを再び開いていて、もう既に恵の表情のスケッチを始めていた。
「もう初体験云々関係ないです!ていうかこの仕草と表情は絶対ヤッてますよ!今日は合宿決定です!!恵さんから根掘り葉掘り聞いちゃいますからね!!定例ミーティングなんて、さっさと終わらせましょう!いやっ、もうミーティングなんてどうでもいいです!今から家に帰って合宿です!!」
めちゃくちゃテンションが上がりまくっている出海。
そんな長文の発言があってもスケッチする速度は落ちることなく、凄まじい勢いでスケッチが出来上がっていく。
恵のこんな色っぽい表情なんて、お願いしても出てくるわけもなく、そう簡単に引き出せるわけでもないので、スケッチに没頭するのも頷ける。
「ちょ、ちょっと出海ちゃん?わたしその合宿は参加しないからね?」
はっと我に返った恵は、顔を赤くしたまま、ヤッたヤッてないの否定をすることなく、合宿の参加拒否の意思だけを伝える。
出海は相変わらずスケッチを続けたまま、そんな恵の言葉も聞き流して、今度は伊織にも指示を出す。
「あ、お兄ちゃん!?今すぐビジネスホテル予約しといて!!今日は帰ってこないでね!!!」
「そ~そ~、男子禁制だからね!」
「……だから、わたし参加しないんだけど?」
だが、伊織は残念そうに肩を竦めて首を左右に振る。
「残念ながら、今はゴールデンウィーク中だからビジネスホテルはどこも空いてないだろうね」
「ええ~」
「ええ~」
「……そこの二人は何でそんなに残念そうなのかなぁ?」
残念そうにする出海と美智留。それを半目で見る恵。
確かにゴールデンウィーク中のビジネスホテルなんて観光客の予約でいっぱいなのは容易に想像できる。
「お兄ちゃんの裏のルートで何とかならないの!?」
「いや、それはさすがに僕でも無理だよ」
伊織はさすがにそれは無理と再び肩をすくめて首を振った。
……というか伊織は裏ルートなんて持ってんのかよ。
「だから、倫也君の家に泊めてもらうことにするよ」
「は……?」
「は……?」
「いいかい?メインヒロインの表情のスケッチは忘れないようにしておくんだ。こっち(倫也君)は僕の方で何があったかを聞いておくから」
「さすがお兄ちゃん!了解だよ!」
「さすが波島兄ちゃん!抜け目ないね~!」
もう完全に倫也と恵が置いてきぼりにされたまま、合宿を行う方向でどんどんと事が進んでいく。
「あ、美智留先輩、霞ヶ丘先輩に連絡してもらっていいですか!?あの人がいた方が根掘り葉掘り聞くのに都合がいいです!!」
「おっけ~!!今すぐ予定聞いてみるよ~!」
「……わたし、絶っっっっっ対、メインヒロインやらない」
「お前らやめろおおおおおぉぉぉぉ!!!」
再びの恵のメインヒロイン降板宣言が出たところで、さすがにこれ以上恵を弄るのはマズイとの判断を下す。
倫也と恵以外の三人からはいろいろ文句が出たが、恵がメインヒロインをやることを何より優先しなければいけないので、合宿はまた今度ということで話は落ち着かせた。
……合宿はまた今度という倫也の発言に、恵が死ぬほど嫌そうな顔をしていたのは見なかったことにする。
その後の定例ミーティングについてはつつがなく終わった。倫也の企画書をもとに内容を精査し、今後のスケジュールの確認まで完了した。
……毎日が休みの人がいるから今回はスケジュールに余裕がありそうだねと何人かに嫌味を言われたがそこは軽く聞き流す。俺だって好きで浪人生になったわけじゃないんだからね!?
これで俺たちの最強のギャルゲーの、坂道三部作の最終三作目の制作がようやく始まる。
* * * * * * * * * * * * * * * *
ミーティングが終わって喫茶店から出るときに伊織から声をかけられる。
「倫也くん、メインヒロインは今回も加藤さんになったからよろしく頼むよ」
ニコニコとひと仕事終わったみたいな感じで声をかけられて何となくイラっとする。
「……お前、人をやる気にさせるプロデューサーではないんじゃなかったのかよ?」
「僕は思ったことを口に出しただけだ。何もしていないよ」
「あんなに煽っておいて、よく言うわ~」
伊織はそう言うけど、あの発言は完全に恵を狙って煽っていて、その結果、恵の口からやると言わせたのだから、人をやる気にさせたのは間違っていないと思う。
そのやる気がポジティブな方向でないのはちょっと置いておくけど。
「ちゃんと、加藤さんの事フォローしておいてくれよ?自分の口からやると言ったとはいえ、無理やり言わせた感は拭えない」
「……わかってるよ」
確かに恵の口からやると言わせたのはそのように誘導させたからであって、まだ嫌々やっている感はあると思う。
……何だか、こういう気遣いもできるやつだと思ってなくて、無性に腹が立つ。イケメンでリア充で敏腕プロデューサーで気遣いもできるなんて最強じゃん?
「そして、今回も最高のシナリオを作れよ。
あれだけ嫌がっていた加藤さんがメインヒロインをやったことを後悔しないくらいの最高のシナリオを。
そして、最強のギャルゲーを、ね」
「……ああ、わかってる」
「頼むよ、主人公君」
伊織はそう言って、ポンと俺の肩を叩いて去っていく。
結局、伊織に煽られたのは恵だけじゃなかった。
完全に俺も伊織の言葉に煽られて、やる気にさせられた一人だった。
「あと、倫也君」
「何だよ?」
伊織がちょっとだけ足を停めて、もう一度声をかけてくる。
「結婚式の招待状は早めに送ってくれよ。こっちにも予定があるからね」
「誰が送るかああぁぁぁぁ!!ていうか誰の結婚式だああぁぁぁ!!」
(次回に続く)
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