第4話 熱い言葉

「お酒って美味しいんですか?」


 目の前に並んだ空になったビールジョッキや酒のグラスを見て恵は町田に聞いてみる。ジュースなどのソフトドリンクでもそんなに飲めないのに、アルコールだとこんなに飲めてしまうほど美味しいのかと気になっていた。


「飲んでみる?」


 アルコールに興味を持った恵に対し、町田は『美味しいわよ?』と持っていたビールジョッキを恵に差し出す。恵はそのビールジョッキを両手で受け取り、じっくりとその中身を見つめた。


 * * * * *


 飲み会が始まって、もう一時間半が過ぎたころ。

 状況は相変わらずで、酔った詩羽が倫也にちょっかいをかけて、倫也はそのちょっかいに対してひたすら抵抗し、恵はそのやり取りを冷たい目で見つつ、町田が三人のやり取りを肴に酒を飲むといった様子だった。


 恵は目の前で倫也と詩羽が、自分の彼氏が敵とイチャついているのを見せつけられて、自身のブラックオーラがにじみ出るほどイライラしていた。倫也に言わせれば、イチャついているつもりはないとのことだが、恵にはそう見えてしまうのだから仕方がない。ましてや、その敵はそれなりに本気で自分の彼氏を奪い取ろうとしているわけだったから。

 しかし、詩羽からはそれ以上の攻撃はなかったため、注視しつつもとりあえず放っておくことにしていた。おそらく、もう少し時間が経てば飲み会から解放される。早く帰って倫也と明日のデートの予定を決めようと考えていた。


 恵がそんなイライラを押し留めるように耐えている中、詩羽が恵に向かってとんでもない爆弾を投げつける。


「加藤さんって、あんまり倫理君の事好きじゃないのかしら?」

「…………はぁ?」


 いきなり敵からそんなことを言われて、恵は今日のこれまでで一番苛立った口調で反応する。先ほど町田から『あなたもTAKI君のためにも頑張ってあげて』と言われたことに対してモヤモヤしているところなのに。倫也が成長して手が届かないところまで上り詰めて、自分から離れてしまうことを恐れていることを感じたばかりなのに。それくらい倫也のことが好きであることを感じているのに。


「……何を言ってるんですか?」

「だってそうでしょう?私がこんなに倫理君に迫ってても、あなた止めたりも何もしないし」

「……別に、わたしは倫也くんを信頼してますから」


 詩羽の言葉に対して、恵は特に何とも思っていない風を装い、フラットな対応を続けようとする。信頼しているのは嘘ではない。ただ、本当に心の奥底から信頼しているかというと嘘になる。いつかは離れてしまうのではないかという疑念があるから。

 そんな恵の心情を悟ったかのように詩羽は言葉を続ける。


「でも、倫理くんはそんなに嫌がってないみたいだし」

「ちょっとぉぉ!?俺、嫌がってますけど!?」


 倫也に対してべたべたとスキンシップを仕掛ける詩羽に対して、確かに倫也は一応距離を離そうと抵抗はしている。


「だって、本気で嫌なら、力づくで引き離せばいいじゃない?」


 詩羽の言う通り、二人の間にはつかず離れずの距離がずっと保たれている。

 それは倫也が詩羽にべたべたされるのが『嫌じゃない』からという状況証拠を恵に突きつけるには十分だった。


「つまり、そういうことよね?」


 詩羽先輩の口元がいやらしくニヤリと緩む。

 私にも十分にチャンスがあると。


「いつまでも正妻ポジションだと思って余裕を見せていたら、寝首をかかれるわよ?」


 そんな詩羽の挑発を恵はひたすら聞き流すことに徹する。


 この人の言うことを聞いてはいけない。

 わたしは倫也くんのことが好きで、倫也くんもわたしのことが好きで。

 その関係はこの人の挑発に崩れるはずがない。


 恵はそう自分に言い聞かせる。


 そんな詩羽はさらに挑発を続ける。


「……私は加藤さんよりもずっと倫理君を愛することができるわよ?心も、身体もね?それに私はあなたと違って、倫理君にふさわしい作家になるもの。そして、私は倫理君を成長させてみせるわ。

 そして、倫理君は私に追いついて、私を追い越して、


 私にふさわしい男になってくれると思うわ」


「っ……」


 最後の詩羽の言葉が強く突き刺さり、恵の胸がきゅっと締め付けられる。

 フラットに保ち続けた恵の顔がほんの少しだけ恐怖にゆがむ。


 あのときの、倫也の告白のときの言葉が思い出される。


『詩羽先輩は憧れで、

 手の届かない

 女の子』


 詩羽はあの告白の時の倫也の言葉を知っているはずがない。

 でも、狙ったようにその言葉を放つ詩羽に恵は恐怖を覚える。


 でも、倫也が成長しなければ、仲間と一緒にゲームを作ることができなくて、倫也の夢が叶わない。でも、倫也が成長すれば自分から離れていってしまう可能性がある。

 その、堂々巡りに頭が混乱する。


「ちょ、ちょっと詩羽先輩!?」

「いいじゃない、初めてのキスは私なんだし。1回も2回も変わらないでしょ?」

「いやいや、変わりますから!?ていうか、ちょっとやめてえぇ!」


 そんな混乱で頭の回らなくなった恵を尻目に、詩羽と倫也の二人の顔が近づいていく。


『だって、本気で嫌なら、力づくで引き離せばいいじゃない?』


 今さっきの詩羽の言葉が恵の頭に蘇る。

 目の前にいる倫也は、恵の目からは本気で抵抗しているようには見えなかった。

 だから、そのままキスをしてしまうと思った。

 だから、それを何が何でも止めないといけないと思った。


 恵は倫也の両肩を後ろから掴み、力を込めて一気に引っ張り倒す。


「うおっ!」

「きゃあっ!」


 それによって倫也と詩羽のバランスが崩れた。

 倫也は背中から恵に寄りかかるような体勢になり、詩羽は倫也の胸に覆いかぶさるような体勢になる。

 そして、恵は倫也の顔を両手で抑えて、

 間髪を容れずに倫也と唇を重ねた。


 イチャイチャも何もない、咄嗟のキス。

 倫也を奪われたくないという一心のキス。


 倫也は驚きの表情を浮かべたまま、恵のされるがままにその状況を受け入れる。


 そして、唇を重ねてから5秒ほどして、恵はゆっくりと唇を離した。


 そして、倫也の顔から両手をも離し、倫也を解放する。

 倫也は解放されると慌ててバランスを崩した体を起こして恵に向き直る。

 詩羽も同様にして体勢を立て直して恵の方に顔を向ける。


「め、恵……?」

「か、加藤さん?」


 倫也と詩羽は恵の予想外の行動に呆然とするしかなかった。


 恵の今の倫也へのキスはただの勢いだった。好きだからとかそんな好意的な感情はではなく、倫也を奪われたくないという嫉妬心だった。そんな行動をした恵には恥ずかしさも後悔もまったくなかった。

 そして、恵は目の前にいる敵に向けて、真剣な眼差しで真っ向から勝負を挑む。


「霞ヶ丘先輩、さっき私に言いましたよね?

 倫也くんのことあんまり好きじゃないんじゃないかって。


 そんなことあるわけないじゃないですか。

 わたしは倫也くんが好きです。

 大好きです。


 空気を全然読めてない時があって、

 それに無理矢理振り回されることもあって、

 この人めんどくさいなって思ったりすることもあります。

 サークルのことほったらかして英梨々や霞ヶ丘先輩を助けに行っちゃったりとか、

 ほんとにダメな人だなって思ったりすることもあります。

 挙げ句の果てにはサークルのことばっかりで、

 受験勉強もしてなくって大学にも全部落ちちゃって、

 この人何やってるんだろうって思ったこともあります。

 今日だって、わたしとの約束を後回しにされて、

 今だって、霞ヶ丘先輩にデレデレしてるのはすっごくムカついてます。


 でも、そんなのどうだっていいんです。

 面倒でもいい、ムカついてもいい、

 それでもいいからわたしは大好きな倫也くんと一緒にいたいんです!

 だって、いつもはウザくて、面倒くさいのに、

 ときどき、かわいいって言ってくれるところとか、

 そんな些細なことだけどそういうとこなんだよ。

 そういうとこが好きなんだよ。嬉しいんだよ!

 手を繋いで欲しいときに手を繋いでくれるのが嬉しくて、

 デートで手を繋いだ時にぎゅっと握ると、ぎゅっと握り返してくれて、

 ぎゅっと抱きしめるとぎゅっと抱きしめ返してくれて、

 こっちからキスするとお返しにキスしてくれて、

 そんな単純なことかもしれないけど、

 そうやって反応してくれるのが嬉しくて!幸せで!

 本当に我慢できないくらい好きなんだよ!

 いろいろ怒れてきちゃうことだってあるよ!?

 倫也くんはそういう人だけど、そんなのどうでもよくなるもん、

 まあいっかって思うくらいに許せちゃうんだよ!?

 だってそれだけ好きだなんだもん。

 そうやって過ごしてるのが幸せだと思っちゃったんだもん。

 それが、思った以上に幸せだったんだよ。

 幸せなんて小さくてもいいと思ったのに、

 もっと、もっと幸せになりたいと思ったんだよ!

 どうしたら倫也くんが喜んでくれるかなぁって、

 どうしたらもっと好きになってくれるかなぁって、

 どうしたら一緒に幸せな気分になれるかなぁって、

 いつも、いつも考えてて、いつも倫也くんのことを考えてるんだよ!

 それくらい倫也くんのことが好きなんだよ!

 大好きなんだよ!!」


 最初は詩羽への問いかけに対する答えだったはずが、その言葉は途中から倫也へと向けられていた。そして、その恵のひたすらに熱い言葉は、真っ直ぐな倫也への気持ちであり、倫也の心に本当に突き刺さる言葉だった。

 そして、思った以上に自分を好きでいてくれたことが倫也は本当に嬉しかった。


 ただ、倫也の心に刺さると同時に、なぜ恵がこんなにも感情的に語ったのかという疑問が浮かんでしまった。

 だって、倫也は知らないから。恵が不安に思っていることを、倫也が目の前の敵に奪われてしまう思っていて恵が苦しんでいることを。


 ふと、恵の席のテーブル上にあるものが倫也の目に入る。

 空になったビールジョッキや、明らかにソフトドリンクとは違うグラス。

 そして、恵のほんのり赤く染まった頬、そして、乱れた呼吸。

 倫也はその感情的になった原因を理解した。


「め、恵!?ちょ、ちょっと水でも飲んで落ち着いて!お前絶対お酒入ってるだろ!?」

「なっ……!?」


 倫也の口から出たのは恵を心配しての言葉だった。


「わたし酔ってないから!」


 倫也の恵を心配する発言に対して、必死の形相で恵は反発する。自分のさっきの言葉が理解されていないと思ったから、まともに取り合ってもらえていないと思ったから。

 しかし、倫也は恵のその酔っていないという発言もまともに取り合おうとしなかった。いや、取り合う余裕がなかった。恵が未成年なのに酒を飲んでしまった、自分が詩羽とやり取りしている間にそんな状況になってしまった、という申し訳なさがあったから。

 そんな気が回らない状況で倫也の口から出たのは、一番最悪な言葉だった。


「酔っぱらうとみんなそういうこと言うからね!?一回落ち着くために水飲もう、ね?」


「っぅ……!」


 恵は唇を噛みしめ、本当に悔しそうな顔を倫也に向ける。

 次の瞬間、乾いた音がそのテーブル席全体に響き、倫也の視界から恵の姿が消える。

 恵が倫也の頬に平手打ちを食らわせたからだ。


(え……?)


 倫也は突然やって来た頬の熱い痛みに呆然とする。

 そして一瞬置いてから、殴られた頬を押さえながら恵に向き直る。

 恵のその表情は本当に、本当に怒りに満ちていた。

 恵は倫也をひっぱたいた腕を下ろし、怒りの表情を悲しみの表情に変えながら、ゆっくりと俯いていく。


「倫也くんはさぁ、

 わたしの言うことを酔っぱらいの戯言みたいに聞いてるけどさぁ、

 ……わたしは、本気で言ってるよ?」


 恵の体が、声が震えていた。

 本気の、心の底からの自分の言葉が倫也にきちんと伝わっていない悔しさと悲しさに。


「倫也くんのことが


 好きって


 大好きだって

 

 なのに


 ……何で


 …………何で


 ………………倫也くんは応えてくれないのかなぁ…?」


 倫也はさっきの恵の言葉を受け止めていたつもりだった。

 ただ、恵が酒を飲んでしまったということに混乱してしまっただけだった。

 だから、恵に対する言葉は、想いはちゃんとある。


「あの、それは一旦落ち着いてからね?家に帰ってからで…」


 でも、倫也は恵が酔っ払っているという認識を拭いきれていなかった。だから、恵が酔を冷ましてもらって自分の想いをちゃんと聞いてもらいたいという気持ちがあった。さらには、すぐ後ろには詩羽がいて、テーブルの反対側には町田もいるという恥ずかしさもあったから。


 しかし、恵にはそんな倫也がただ単に自分から逃げているようにしか見えなかった。それは、詩羽に対する配慮なのではないかと勘違いしてしまうくらいに。

 恵は目にいっぱいに涙を溜めた顔を上げ、倫也の胸ぐらを掴む。


「だめ!


 今ここで言わないとだめ!


 そうやって隙を見せるからつけ込まれるんだよ!?


 いつでも奪い取れるって思われちゃうんだよ!


 今ここで!


 あの人詩羽の前で!


 わたしと倫也くんの間にそんな隙なんて、


 1ミリたりともないこと証明してよ!!」



 最後の言葉を放った瞬間、ついに恵の目から一筋の涙が流れた。

 恵はこれまでの倫也の言葉に絶望しかけていた。心が折れかけていた。

 それでも、恵は倫也に切望する。

 自身に対する言葉を、自分のことが好きであるという言葉を。


 倫也は恵のその涙を見た。

 その瞬間、胸が刺されたように痛み、鼓動が激しくなる。

 なぜ、目の前にいる自分の大切な彼女を泣かせているのか、悲しませているのかと。

 恵が酔っているかどうかなど気にするべきじゃなかったと。


 倫也の襟元を掴んでいた恵の手を取る。

 その手はいとも簡単に外すことができ、倫也は自身の手で恵の手を包み込む。

 そして、ゆっくりと下を向きながら額をその手に当てて、恵の顔が見えないようにした。

 悲しくて泣いている恵の顔を見るのが辛くて、苦しいから。


「……恵、その、ごめん。」

「……何を、謝ってるのかなぁ?」

「いろいろヘタレなところ見せたり、……その、恵を怒らせたり、悲しませちゃって、ごめん」

「倫也くんのヘタレなところはさぁ、もう、諦めてるから。

 それを含めてわたしの好きな倫也くんだと思ってるから。」

「……っ」


 その言葉に倫也の身体が一瞬震える。嬉しくて痛い言葉だった。

 ヘタレなところも好きだと言ってくれる言葉が嬉しくて、ヘタレなところを諦めてるという言葉が痛かった。


「……でも、今、わたしが聞きたいのはそいうことじゃないんだよ…?」


 恵は倫也の言葉をもう一度ねだった。

 それに対して、倫也は恵が今、どんな言葉を望んでいるかを理解していた。

 だから今、謝ると同時に少しだけ時間を稼いだ。

 ちょっとだけ自分の頭を整理した。

 緊張をほぐすために大きくひと呼吸を置く。

 隣に詩羽がいて、反対側には町田もいるけど、もう、そんなことは気にしない。

 気にしてはいけない。全部さらけ出す。

 倫也は真剣な表情で顔を上げて、覚悟を決めて語り始める。


「……そんなの、決まってんじゃん。

 俺だって恵のことが好きに決まってんじゃん!

 俺だって恵のことが大好きに決まってんじゃん!!!

 だって、俺のメインヒロインだよ!?

 俺の彼女だよ!?

 そんなの好きに決まってんじゃん!


 いっつもグサグサ突き刺すこと言ってくるし、

 なかなか許してくれなかったり、

 いいところで茶化してきたりしたり、

 めんどくさいところがあったり、

 そういう嫌なところあると思ってる。

 でも好きなんだよ!

 笑った顔とか、怒ったの顔とか、

 昔みたいにフラットじゃなくて、豊かになった表情が好きなんだよ!

 見てるだけでかわいいんだよ!

 手を繋いだときとか、キスをした後とか!

 あの嬉しそうな顔、めちゃくちゃかわいいんだぞ!

 めちゃくちゃキュンキュンするんだぞ!

 もっとさぁ、もっとなんだよ!笑顔が見たいんだよ!

 かわいい俺の恵の笑った顔が見たいんだよ!ずっと見ていたいんだよ!

 笑顔だけじゃない、キスをねだる顔もちょっとむくれた顔も全部、全部好きなんだよ!

 さらさらの髪の毛とか、柔らかい身体とか、抱きしめた時のいい匂いとか、

 全部、全部!好きなんだよ!

 俺だって恵と一緒で幸せなんだよ!

 恵と手がつなげて、

 恵とキスができて、

 恵を抱きしめることができて!

 さっきの恵の言葉、恵が幸せって言ってくれて嬉しい!

 俺が恵を幸せにさせられて嬉しい!

 めちゃくちゃ嬉しい!!

 それでいて、一緒にいると安心するんだよ!

 それが幸せなんだよ!

 一緒にゲームして、アニメを見て、ご飯食べて、勉強して、何でもいい。

 ただ単に意味のない話を適当にしてるだけでも、

 黙ってお互いに顔を見ているだけでも、

 そばにいる理由なんて何でもいい!

 何にもなくてもいい!

 俺は恵にそばにいて欲しい!

 詩羽先輩よりも、俺は誰よりも恵にそばにいて欲しい!

 俺は、恵のことが好きだ!大好きだ!!」



 倫也は伝え切った。恵に対する好きだという思いを。恵が切望した言葉を。熱く語り過ぎて息が切れるほどに。

 恵はいつの間にか倫也の手から逃げ出していて、手で口元を覆って嗚咽を必死に我慢していた。

 いつもなら、そんな言葉を倫也から言われても、照れ隠しで『うわ~暑苦しいね~』で切り抜けた場面。

 でも、不安で埋め尽くされた恵の心に、倫也の言葉は、恵が切望した以上に熱い言葉は、恵の心に深く、深く、深く、突き刺さる。

 恵は目に溜まった涙がもうそれ以上零れ落ちないように、慌てて立ち上がり


『あ…、あの、すいません…ちょっとお手洗いに……』


 そして、最後まで言い終わる前に、逃げるようにして倫也たちのテーブル席から離れ、そのまま見えなくなってしまった。


 倫也は恵がいなくなった途端に、緊張の糸が切れたように脱力して、テーブルに突っ伏した。

 詩羽は二人のやり取りを見て、頭を押さえて、悔しそうに唇を噛んで、『何……あれ……』とぼそりとつぶやくしかなかった。

 町田はと言えば、先ほどまでの熱い展開に、ついビールを飲むのも忘れて見入っていた。そしてその熱い展開の結末を見て、熱くなった体を冷やすように一気にビールを流し込んだ。


「いや~、TAKI君熱いね。」

「ははは……ありがとうございます……」

 さらりとビールジョッキを渡してくる町田に倫也はそのジョッキを突っ伏したまま、未成年ですからと突き返す。

「これはイマカノの圧勝かしら?ほら詩ちゃん、ぼーっとしてないで、こっち戻ってきなさい。」

 町田は倫也の後ろにいた詩羽をそれ以上そこにいても意味がないと、自分の席に戻るよう声をかけた。しかし、あの二人の圧倒的な熱いやり取りに衝撃を受けた詩羽は、口もきけず、立ち上がることもできなかった。


 * * * * *


「いや、めっちゃ恥ずかしいんだけど!?」


 倫也は先ほどの恵とのやり取りを思い出し、思わず感想を漏らす。

 恵は酔っぱらっていたからともかく、自分はすぐそばに詩羽も町田もいる状況であんな恥ずかしいことを素面で言ってしまったと、恥ずかしさで顔が真っ赤になっていた。


「いいじゃない、若い二人の熱い感じなんてあんなものよ?」


 町田はさっきまでの二人のやり取りを十分に堪能したようで、いい肴になったと片手で持ったビールジョッキを一気に呷る。


「そんなものですか?俺、恵が初めての彼女なのでよくわからないんですけど?」

「普通は二人っきりのときにだって思っててもあんなことは言わないし、ましてや人前で言うのはどうかと思うわ」

「やっぱり普通じゃないんだろ!?直前のフォローみたいな言葉は何だったの!?」


 さらに羞恥心を煽られた倫也は火照った顔面を冷やすようにおしぼりで覆う。


「で、TAKI君は恵ちゃんからの言葉はどうだったの?」


 町田がニヤニヤとした顔で尋ねてくる。これはアレだ。ラブラブなカップルを弄って楽しみたいと思ってる顔だ。


「めちゃくちゃ嬉しいに決まってるじゃないですか!」


 恵が酔っていても、あの言葉は本当に倫也の心に刺さった。だからこそ、心の底から恵が好きだという気持ちが言葉となって出てきた。

 ……だからこそ、不甲斐なさも同時に感じていた。


「そうよね。あの言葉が嬉しくないって言ったら倫理君のことぶっ〇してやるわ」

「ちょっと!?その不穏すぎる言葉やめてよ!?ていうかもうお酒飲むのやめてよ!!」


 先ほどのやり取りが非常に気に入らない詩羽は、町田と同様にビールジョッキを片手に持って、忌々しいと言わんばかりに倫也に向かって非常に物騒な言葉をぶつけてくる。その顔にはいら立ちの表情に加えて、わずかに羨望の表情が混じっていた。


「でもさ、倫也くん、だったらその後の言葉はないんじゃないかな?」

「うおぉっ!?」


 突然、横から聞こえてきた恵の声に、倫也は驚いて思わず変な声が出てしまう。恵はお手洗いに行ってから、ずっと戻ってきていないと思っていたからだ。

 恵特有のステルス性能でいつの間にか戻ってきていたようで、すでに落ち着いてウーロン茶を飲んでいた。


「い、いつの間に戻ってきてたの?」

「ついさっき。『いや、めっちゃ恥ずかしいんだけど』ってあたりから」

「最初からいたんじゃん……」


 実はずっと前からいたことを恵に伝えられる。全部聞いてたら、恥ずかしがっててもよさそうなのに、恵はそんな様子も見せずにフラットなままだった。


「で、その後の言葉って?」

「『酔っぱらいはみんなそういうこと言うからねぇ!?』って」


 恵はジト目で倫也を見ながら、その言葉を伝える。

 倫也はその言葉で先ほどの状況を再度思い出し、ちょっとだけ頬の痛みがぶり返す。


「い、いや、あの言葉は……そ、そんなことより!恵大丈夫?未成年なんだからお酒飲んじゃだめだろ!?」

「ふぅぅぅぅ~ん?」


 倫也の言葉に対して、恵はイラッとした反応を見せる。先ほどよりも明らかに眉間にしわが寄っていた。そして、視線を正面に戻して、またウーロン茶を流し込み、倫也の方を見ることなく言葉を続ける。


「倫也くんも思いっきり恥ずかしいセリフ言ってたよね。水でも飲んで酔いでも冷ましたら?」

「んなっ!?俺が酒なんて飲むわけないじゃん!?未成年だぞ!?っていうか、酔った勢いであれを言ったと思ってんの!?」


 恵の言葉に倫也は思わず立腹する。特に、あの言葉を酔った勢いで言ったことだと思われたことを。


「……そういうことだよ?倫也くん?」


 恵は倫也のその反応に対して、呆れた顔で頬杖をつき、どこか遠くを見ていた。


「そういうことだよって……ん?」


 恵の言った言葉を反芻する。


「え?」


 つまり、恵も同じ状況だったと。

 倫也の背筋がちょっと寒くなる。


「ええ?」


 同じ状況で同じ言葉を言われたと。

 倫也の背筋がもっと寒くなる。


「で、でも、恵の席のところにビールジョッキとか、お酒のグラスとかたくさんあったよね!?」


 あの時、恵の席のテーブルの上には空になったビールジョッキやその他の酒が入っていたグラスが置いてあったのを、倫也は確かに見た。

 ……でも、恵がそれを飲んでいる姿を見たわけではない。


「あれは町田さんが飲んだやつだね」

「あ~ごめんね~。飲んだグラス置くところなかったから、ついそっちにどんどん置いちゃったわ」

「えええええええっ?」


 つまり、空になったビールジョッキや酒が入っていたグラスは、恵が飲んだものではなく、町田が飲んだもの。

 さらに倫也の背筋が凍りそうになる。


「それに、わたし未成年だからお酒なんて飲まないからね」

「ええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 恵はアルコールなんて一滴も飲んでない。赤く染まった頬も、乱れた呼吸も熱く語った結果である。つまり、あの言葉は全部素面で出てきた言葉。

 そして、その言葉に対して倫也は恵が酔っ払って勢いで言ったことだと思ってしまったということ、そして、酔っ払いの態度として扱ったこと。

 倫也の背筋が完全に凍り付く。


「さっきも恵ちゃんにお酒勧めてみたんだけど、『倫也くんがうるさいから飲みません』って断ったのよ~。ていうかTAKI君、恵ちゃんにあんなこと言ってたけど、私だったら、平手打ち一発じゃ絶対済まさないからね?」

「誠に申し訳ございませんでしたああああぁぁぁぁっ!!!」

「あ~うるさいよ、倫也くん」


 本日何度目かの倫也の土下座が恵に向って行われた。

 それは今日一番深い土下座だった。

 恵はそれに対して怒るでもなく、淡々と流していた。さすがにあの発言はいただけないと思ったけど、それ以上の言葉をもらったから。だから、恵は全部許すことに決めた。


「で、逆に恵ちゃんは倫也くんの言葉はどうだったの?」


 先ほどと同じように町田がニヤニヤとした顔で恵に尋ねる。

 恵は特に恥ずかしがる様子もなく、ちょっとだけ考えてから口を開く。


「それは霞ヶ丘先輩に聞いてみたらどうですか?」

「はぁ……!?」


 詩羽のめちゃくちゃ不機嫌でドスの利いた声が席に響く。

 表情も倫也も今すぐに逃げ出したいと思うほどに、怒り狂いそうな顔をしていた。


「……傷口に塩を塗りこんでくるあたり、さすがはブラック恵と言ったところね。」


 詩羽は悔しさを悟られないよう、できるだけ平静を保とうと恵に悪態をつきながら、答えを曖昧にする。しかし、恵はそんな詩羽を逃がさない。恵のちょっと口元が緩んだだけの笑顔の裏には、すさまじいブラックオーラが漂っていた。


「それだけですか?わたしは倫也くんに”わたしと倫也くんの間に隙が無いことを証明して”ってお願いしたんですけど、その証明に対して霞ヶ丘先輩がどう思ったかが聞きたいんですけど?」

「…………っ!!」


 恵は詩羽が逃げられないように、間違った解釈をさせないように、ゆっくりとした口調で一語一語丁寧に伝える。恵が席に戻って来てからの詩羽の反応を見ていれば、あのやり取りを、あの証明を詩羽がどう思ったかなんて、ここにいる誰が見てもわかる。

 だから恵は敢えて煽る。全力で煽る。今日のこれまでのお返しと言わんばかりに。

 そのキレッキレの煽り具合に対して、町田もちょっと、いや、かなり引いていた。


「それ以上はもうやめたげてよぉ!!!!」


 そんな空気に耐えられなくなった倫也が叫ぶ。

 この飲み会での恵と詩羽の戦いは、恵のテクニカルKO勝ちで決着した。


 結局、恵の心配事である『倫也が成長することに対する不安』については解消されたわけではない。それでも、倫也からあれだけの言葉を引き出せたから、敵に大ダメージを与えることができたから、恵はそれで大いに満足だった。


 そのあとの残り少ない時間での飲み会は先ほどまでと変わらず賑やかだった。違うことと言えば、詩羽が恵のことを全くイジらなくなったことと、恵と倫也の二人の座っている距離がちょっとだけ、近くなったことだけ。

 ……まぁ正面に座る二人からすると目に見えて近くなっていたわけだったが。





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