第5話 明日の予定

 詩羽と恵の倫也争奪戦は恵のTKO勝ちで決着が着いた。というか、誰が見ても恵の圧勝の一言だった。恵の倫也への熱い気持ちだけでなく、それに対して倫也も熱い気持ちで応えるという完全無欠のやり取りに詩羽に勝ち目なんて全く無かった。

 そして、その後の飲み会は本当に何の波乱もなく賑やかに終わった。

 ……まぁ、詩羽がヤケ酒でべろんべろんに酔っぱらってしまったというオマケつきではあるが。


「ねぇ、恵ちゃん?」

「はい?」


 町田は帰り仕度をしている恵に声をかける。

 恵はその町田の声に『なんだろう?』と反応して振り返った。


「今日は来てくれてありがとうね。本当に楽しかったわ」


 本来は倫也と詩羽と町田の三人で飲むはずだったのが、詩羽の強制呼び出しによって恵、が参加することになったことから、町田にはちょっと罪悪感があった。

 ……まぁ、飲み会の最中はそんなことをしっかり忘れていて、三人のやり取りをがっつり楽しんでいたわけだが。


「……えっと、その、いろいろとお見苦しいところをお見せしました」

「いやいや、すごく面白い体験だったわ。あんな熱いやり取りをこの目で見られたからね」


 倫也がいる前ではフラットさを保つことができていた恵だった。しかし、改めて町田からあのやり取りに関して言及されると、やはり恥ずかしさを隠し切れずに顔が赤くなってしまう。


「恵ちゃん、うちでバイトしてみる気はない?」

「え?」


 町田から出てきたのは、恵が全く予想していなかった言葉だった。


「今後もTAKI君とサークル続けるんでしょ?」

「はい」

「校正とかイベントのお手伝いとか、きっと今後の役に立つと思うから。TAKI君の手助けになると思うから。もし良かったら私に連絡ちょうだいね」

「……わかりました。考えてみます」


 アルバイトも兼ねつつ、サークルのための役立つ技術も身に着くという、そんな都合のいい話が自分に転がってくるなんて、恵は思いもしなかった。

 それでも、その話を素直に喜んで受け入れることはできなかった。

 あのことがまだ解決していないから。


「特にねぇ、霞詩子って作家さんから原稿を受け取って来てくれると凄くありがたいんだけど」

「それは断固お断りします」


 あまり聞きたくない作家の名前に恵は即答した。町田の目の前であんなバトルを見せたのに、そんな相手からわざわざ原稿を取ってくるなどありえないと。


「あら、それは残念ね?ようやく詩ちゃんに対抗できる人が見つかったと思ったんだけど」


 恵としてはあのやり取りを見てどう考えたら自分が適任と思うのか理解ができなかった。だが、人の評価なんて人それぞれで、客観的に見たら相性抜群みたいなこともある。実際、町田から見れば相性のいい恋敵(ライバル)に見えていた。


「あと、次回作。期待してるから」

「……もうあんな恥ずかしいのはちょっと遠慮したいですけど」


 恵は町田が期待していることがいわゆる実体験を基にしたことだと思った。また新しいエピソードを期待しているのかと思った。しかし、町田が期待していたのは別のことだった。


「私はTAKI君と恵ちゃんが作る次回作に期待しているわよ」

「え……?」

「あなたたちを見てると、また面白いゲームを作ってくれそうな気がするのよ」


 予想外に自分達が作るギャルゲーが期待されていたことに、恵は驚いた。


「あなた達二人だけで作るわけではなくて、他にも色んな人が関わっているとは思うけどね。あなた達がサークルの代表と副代表であるblessing softwareの、次回作を期待してるからね」


 面と向かってそんな期待されていることを言われて、恥ずかしいやら、むず痒いやら。そして、期待されるのはすごく嬉しかった。


 * * * * * * * * * *


 結局、先の飲み会で帰ったのは倫也と恵だけだった。

 町田はさっきの飲み会が終わった後に『詩ちゃんを慰めてくるから』といって、酔っぱらってフラフラの詩羽を連れて夜の街へと消えていった。

 残された倫也と恵には残る理由など何もない。だから、さっさと家路につくことにして、駅へと向かった。


「町田さん、また霞ヶ丘先輩に飲ませないかな?町田さん、お酒大好きみたいだし?」

「さすがに詩羽先輩もあれだけ酔っぱらってたし、さすがにもう飲ませないんじゃない?」

「どうかな~?さっき町田さんと連絡先交換したから、あとで霞ヶ丘先輩がどんな醜態を晒したのか聞いてみるね~」

「お前、本当に鬼だな!?」


 * * * * * * * * * *


 ゴールデンウイーク直前の金曜日のため、帰りの電車の中は、倫也と恵と同様に飲み会帰りの人が多く、かなり混み合っていた。当然座る席など空いているはずもなく、二人は吊革に掴まりながら立っている。そして、これも当然なのだが、吊り革を掴んでいないお互いの手は恋人つなぎで繋がっていた。


「……なんか機嫌いいな、恵」

「え~、そんなことないよ~♪」

「……絶対機嫌いいよな、その感じ」


 倫也は恵の機嫌の良さを確信していた。

 恵は倫也の手を離したくないと言わんばかりにぎゅっと握っていて、しかも、指が一本一本がいつも以上に強く絡み合っていた。加えて、恵の顔がいつも以上に綻んでいて、口調だって違ってて、語尾に音符がつくくらいに上機嫌だった。普段ではありえないくらいにご機嫌だった。


「そんなに詩羽先輩をボコボコにしたのが楽しかったのか?」

「……その私が怖い人みたいな言い方はないんじゃない?」


『心外だ』とジト目で倫也を見るが、詩羽に対してやったことはだいたい合っている。


「でも、ちょっとくらい痛い目にあった方がいいよ。人の彼氏に堂々と手を出してくるくらいだし」

「……あれでちょっとくらいなら、本気だったらどんな目に合うんですか、恵さん?」


 あれだけ容赦なく詩羽を叩きのめしたのに、あれをちょっとと言い張るあたり、恵を怒らせるとヤバいと倫也は再認識する。


 恵が上機嫌なのも当然だった。倫也に手を出してくる敵に大ダメージを与えられたのもひとつの理由だったが、それ以上に倫也の言葉が、ちゃんと自分のことを好きでいてくれたことが嬉しかったからというのが一番の理由だった。普段からも彼氏と彼女の関係として過ごしていたから、好きでいることは何となくわかっていたが、改めて、しかもあれほどまで熱い言葉で語られれば、喜ばない方がおかしい。


 それは倫也も同じだった。言動には特に現れてはいないが、同じように恵からの熱い言葉をもらったから、嬉しかった。恵にまたキュンキュンさせられた。

 ……そして、熱い言葉だからこそ思うことがあった。


 だから、こんな上機嫌で楽しそうな恵に伝えなければいけないことがある。

 それを考えると心が痛い。

 それでも、言わなければいけない。

 ちょっと緊張した面持ちで倫也は恵に声をかける。


「なぁ、恵」

「ん~?」

「悪いけど、明日のデート、キャンセルしてくれないかな?」

「ええっ!?」

「ああぁっ!ごめんなさい!!ごめんなさい!!埋め合わせは日曜日にするから!許してください恵様!」

「……ここ最近わたしが怖い人扱いされてて、嫌なんだけどなぁ?」


『だったら、そんな怖い顔で睨むのやめてよ!?』と喉元まで出てきた言葉を飲み込む。さすがに口が裂けても、それは口に出してはいけない。


「……で、何があったのかな?」


 恵はぁと落胆のため息をつきながら、その理由を倫也に確認する。

 倫也はちょっとだけ俯いて、言いにくそうにしながらも、その理由を恵に伝える。


「次回作のアイデアが浮かんだんだよ。だから、それをまとめたい。今、アイデアが浮かんでるうちに、忘れないうちにまとめておきたいんだよ」

「ひと月前(入学式前日)もそうやってアイデアが浮かんだって言ってたのに、わたしとえっちなことしててまとめられなかったもんね~?」

「それ言わないでよ!?ていうか、自分でそういうこと言うのは恥ずかしくないの!?」


 補足しておくと、恵の入学式前日にアイデアが浮かんだから徹夜で仕上げるぞ!寝かせないぞ!と豪語した倫也だったが、結局そのときは恵とえっちなことをすることに流されてしまい、アイデアなんて全然まとめられなかったという苦い過去がある。

 だからというわけではないが、時期的にもそろそろ自分で設定した期限も近く、アイデアが溢れてきている今、一気にまとめたいという気持ちが強くあった。


「とにかく、俺はアイデアをまとめたい。だから、ごめん。明日のデートはキャンセルしてくれ」


『お願いします!』と頭を下げながら、つないでいた手を離し、頭の上で両手を合わせる。

 それは何かを決意した倫也の顔だった。

 そして、それを見た恵は察する。たぶん本当に面白い、やりたいアイデアが出たんだろうと。自分との約束をキャンセルしてまでもやりたいことアイデアなんだと。

 せっかくの嬉しい気分がちょっとだけ吹き飛んでしまうけど。

 倫也のその決意した顔を見てしまったから、恵はもうダメとは言えなかった。


「あぁ~もぉ~、しょうがないなぁ~」


 はあぁぁとひと際大きなため息をつきながらも、恵はその倫也の提案を受け入れるしかなかった。でも、それは恵にとっても悪いことではなくって、新しいアイデアが出たことに、恵の表情も少し和らいでいた。


「……そんなにいいアイデア出たんだ?」

「そうなんだよ、恵!今日の恵を見て思いついたんだよ!今回もまたメインヒロインにキュンキュンできそうなアイデアが!!」


 よくぞ聞いてくれましたという感じで、いきなり倫也のテンションが上がる。混雑した電車の中でガッツポーズをするくらいに。


「うわぁ、いきなりキモいよ倫也くん」


 まためんどくさい倫也が現れたことに、恵は引き気味の表情を浮かべる。


「……またわたしを恥ずかしがらせる気満々だよね?」

「ああ、そうだぞ恵!覚悟しとけよ!?今回もお前を最高のメインヒロインにしてやるからな!絶対キュンキュンできるイチャイチャシナリオを書くからな!!」

「はいはい、うるさいから静かにしてね倫也くん。ここ電車の中だから」

「今日、明日で徹夜で一気にまとめるからな!?日曜日は楽しみにしとけよ!?」

「……デートは楽しみにしておくけど、そっちの方は楽しみにしないからね?」


 やれやれと呆れたように恵はため息をつく。

 時期的にもそろそろ企画をまとめないといけないので、むしろそちらの方を優先すべきなのは確かだった。

 それでも、明日の倫也とのデートがなくなってしまって、恵はちょっと落ち込んでいた。さっきまでの上機嫌な表情もどこかへ消えてしまっていた。別に埋め合わせはしてくれるのだから、そこまで落ち込む必要はない。しかし、目の前にあった好きな人とのデートがなくなってしまったということに、どうしてもすぐに心の整理はできなかった。

 倫也はそんな落胆した恵の姿が目に入り、申し訳なさを感じて、フォローを入れようとする。


「だ、だったらさ、せめて、土曜日は一緒に家にいるとかどうだ?」

「……………………」


 倫也からの提案に恵は特に反応せず黙ったままだった。


「一緒にご飯食べるだけとかしかできないけど?その、ほら、俺も恵がそばにいるだけで、嬉しいからさ。そ、それにさ、実は泊まる準備してるんだろ?だったら今日からでも……」

「それはダメだよ、倫也くん」


 倫也の言葉を遮って、恵はその提案を真っ向から拒否した。


「それはダメ。だって倫也くん、次回作のアイデアまとめるんでしょ?」

「そ、そうだけど」

「わたしがいたら、えっちなことするよね?」

「しないからね!?」

「本当に?」

「ほ、本当にしないぞ!」

「……絶対?」

「…………たぶん」

「……ふぅぅぅぅ~ん?」


 何度も恵から確認されるうちにどんどん倫也の否定の勢いが弱くなっていく。本当にそんなつもりはないはずなのに、そうやって問い詰められていくと、何だかやってしまいそうな気になってしまう。そんな倫也に対して恵は『だから倫也くんはダメだよね~』と批難の目を向ける。


「ま、冗談はさておき」

「……それ本当に冗談なんですか?恵さん?」

「それは、倫也くんらしくないなって」

「……らしくない?」

「わたしのことを気にしてて、ギャルゲーを作るのが疎かになってるんじゃないかな?」

「そんなこと……」


 倫也は『あるわけないだろ』と続けようとしたが、その言葉は出てこなかった。

 確かに本気でアイデアをまとめるのに、わざわざ恵をそばにおいておく必要なんてないし、気を削いでしまう要因を増やす必要もない。そんなことを考えている時点で『疎か』と言われても仕方がないと思ってしまったから。


「さっきみたいなウザいテンションがいつもの倫也くんだよ?あのテンションでギャルゲーを作るのに本気を出すのが倫也くんだよ?わたしなんかを気にしてるなんて、絶対倫也くんらしくないよ」


 これまでもギャルゲーを作ることに熱くなって恵をぞんざいに扱うことはよくあることではあった。だが、今となっては彼女という立場になったからこそ、倫也はフォローが必要だというつもりではあったが、それが恵にはギャルゲー作りを疎かにしていると感じさせていた。


「ま〜、えっちなところは倫也くんらしいかもしれないけどさ?」

「それ今さっき冗談って言ったよな!?」

「わたしに無理にキスしてくるくらいえっちだと思うんだけど、違うのかな?」

「………………いや、……違わないけど」

「うん、知ってる」

「お前遊んでるだろ絶対遊んでるだろ!?」

「それはさておき」

「本当に置いといてくれよ……」


 ずれた話を戻しつつ、恵はさらに続ける。


「わたしはサークルの副代表で、代表の暴走を止めなきゃいけないんだよ?色ボケてる代表をギャルゲー作りに本気にさせないといけないんだよ?」

「……色ボケてるって言い方はどうかと思うけど、……まぁ、そうだよな」


 言葉のチョイスにちょっと悪意が感じられたが、恵の真意は伝わった。今は恵のことは置いといてギャルゲーに注力すべきだと。


「ま〜、でも半分はわたしの責任もあるよね?」

「……何で恵が?」

「だって、さっきの提案はわたしが落ち込んでるのを見たからでしょ?」

「まぁ、そりゃ、かなりテンション下がってたし……」


 最初の上機嫌な雰囲気が比較対象になってしまったため余計にそのテンションの下がり具合が明確だった。さらに言えば、いつものフラットな恵だったとしても気がついていただろう。それくらいに恵のテンションは下がっていた。


「だからそれが良くなかったかなって」

「良くなかったって?」

「今の状況を考えたら、デートなんかよりサークルの方を優先すべきだよね?……でも、わたしはそうじゃなかった」


 ゴールデンウィークが終わるまでには企画をまとめてプロデューサ伊織に了承を得るところまで行く予定であって、そのため今アイデアが出てくることはむしろ喜ぶべきである。特に副代表としての立場ならなおさらだ。それなのに、それ以上にデートがなくなったことを恵は残念がってしまっていたから。


「だから、実はわたしのほうが色ボケてるのかなぁって」


 自分がサークル副代表という立場も忘れて、自分の欲に溺れていたことを恵は改めて自覚する。そんな自分にちょっと嫌気が差して、ふぅとため息が漏れる。


「恵……」


 倫也は恵の自身を否定する言葉を否定しなかった。恵が紡いだ言葉は全部その通りで、そしてそう語る恵自身も落ち込んでいるわけでもなかったから。

 恵もそういう意識があったことを自覚することができたから、そして自覚できたからきちんと頭の中の整理ができる。


「倫也くん、わたしちょっと彼女に偏りすぎてたかもしれないね」


 倫也の彼女として、サークルの副代表として2つの立場を両立する必要があって、どちらも疎かにしてはいけない。


「でもね、倫也くんが好きだって気持ちは抑えたくない。だからといってサークル副代表としての立場も疎かにするわけにもいかない」


 倫也の彼女として、サークルの副代表として、どちらも大事にしなければいけない。


「だから、副代表として改めて言うよ。わたしのことは置いといて、アイデアをまとめる方を優先して」


 今はデートよりも企画を優先すべきであると。時期も状況もその方が正しいと判断する。

 それに、町田も期待してくれていたから。倫也と恵が作るギャルゲーを。そう言ってくれる生の言葉を聞いてしまったから。


「そして、倫也くんの彼女として言うね。ちゃんとアイデアがまとまってから、ちゃんと終わらせてからデートしよう?終わるまで、わたしは待つよ。ちゃんと終わらせて、思いっきりデートを楽しもうよ」


 副代表としての思いと、倫也の彼女としての思いをきちんと整理した上での恵の提案。恵自身が納得して出した答えだからこそ、笑顔で明日のデートをキャンセルできる。

 そして、その納得した上でのすっきりとした恵の笑顔はやっぱりメインヒロインとしてのそれだった。倫也は恵のその笑顔に心を奪われつつ、その言葉に応える。


「わかった。今日はこのまま一人で帰って、今日明日で、アイデアをまとめる。それでいいかな?」

「うん、それでいいよ。それでこそ倫也くんだよ」


 お互いきちんと納得した上での明日のデートのキャンセル。

 だからこそ、次のデートが楽しみになる。

 だからこそ、最高のギャルゲーが作れる。


「恵、ありがとな」

「はいはい、そう思うならちゃんとアイデアまとめてきてね」

「…………相変わらず手厳しいよな、お前」

「わたしは副代表だからね~ちゃんとサークルのことも考えないとね~」

「さっきまで、俺とのデートのことばっかり考えてたのに?」

「……何か言ったかな?倫也くん?」

「何にも言ってないです。恵さん」

「じゃ~そういうことで」

「……でもな、恵」

「ん~?」

「俺はやるぞ!今日明日でちゃんとアイデアをまとめて、日曜日は絶対デートだからな!」

「あ~はいはい。熱い宣言ありがとう。頑張ってね~」

「……そういうフラットな反応が恵らしいよな」

「そういう熱くて面倒くさい感じが倫也くんらしいよね」

「……それ俺のことディスってるだけだよね?」

「そんなことないよ~倫也くんのこと応援してるよ~」

「……恵がフラットになると、本気なのか適当なのか全然わかんないんだけどそれ?」

「それは修業が足りないんじゃないかな~?」

「えぇい、恵が応援してなくても俺は頑張るからな!俺はやるからな!」

「……でもさぁ、倫也くんはわかってるよね?」

「…………何のことかな?」

「……結構前『恵、ありがとな』からまた手を繋いでてさぁ」

「……いいところで恵の手に力入ってにぎにぎしてくるよな?」

「はいわかってるね、じゃ~頑張ってね~」

「切り替え速くない!?ていうか手離す必要なくない!?」

「え~わかってるなら、もういいかな~って」

「あ、修業が足りないからもうちょっと繋がせてください。恵様」

「……絶対修業足りてるよね?……ま、しょうがないね~。家に着くまでだからね?」

「……今日は一人で帰るって言ったばっかりなんですけど?」


 * * * * * * * * * *


 もうすぐ、乗換駅に到着する。

 ここで乗り換えてあとは電鉄に乗り換えてお互いの家の方向に帰るだけ。


『土曜日は一緒に家にいるとかどうだ?』

『だったら今日からでも……』


 あの時の倫也からの甘い提案。

 恵だって本当は一緒にいたかった。

 着替えなどを持ってきているのも事実で、そのまま一緒に倫也の家に帰って泊まることもできた。

 ……でも、それはできなかった。


 恵だって、倫也のそばにいるだけでもいいとは思ってる。

 イチャつく必要なんてないと思ってる。

 倫也が徹夜で企画を、アイデアをまとめている間、自分は倫也と同じ部屋で寝て、同じ部屋で過ごすだけで、何の問題もないはずだった。


 でも、今日は特にダメだった。

 あの時、倫也がえっちだのなんだのと理由をつけて断って、何とかお互い納得して、その提案はなかったことになったから良かった。

 だって今日は一緒にいてしまうと、絶対に倫也を邪魔してしまうから。

 仮に倫也が手を出してこなかったとして、というか多分手は出してこなかっただろうとは思うけれども、自分から手を出してしまうと思ったから。

 自分から倫也にあんなことを言ったのに、自分だって絶対に倫也を求めてしまうから。

 飲み会であんなに嬉しいことを言われて、何もせず我慢できる自信がなかったから。

 アイデアをまとめることに真剣になっている倫也を邪魔しちゃダメだと思ったから。


 だから、今日は帰ることになって本当に良かった。


 * * * * * * * * * *


 倫也は家に帰るなり、颯爽とPCの電源を入れた。

 溢れるアイデアを忘れないうちに、全部書き出すために。


 アイデアが浮かんだ。

 思いが芽生えた。


 今日の飲み会のことを思い返す。

 アイデアのきっかけはあの恵の涙。

 倫也が引き起こした涙。


 恵の言葉を思い出す。

 倫也の事がいかに好きであるかを伝えてくれた。

 でもその中で色々と痛いところも突かれた。

『倫也くんのヘタレなところは諦めてる』

 この言葉が一番痛い。

 それも含めて好きとは言ってくれたけど、そう思っていることは事実。


 そして、恵とのこれまでのことも思い出す。

 2年前にあの坂で出逢って、

 ギャルゲーを作り始めて、

 初めての冬コミが終わって、

 恵を怒らせてしまっていて、

 結局何とか仲直りした。

 そのときに、一回泣くのを堪えていた恵を見た。

 次の作品をまた一緒に作ることになって、

 それで、倫也がサークルを放ったらかしにして、

 そのときにまた恵を怒らせて、泣かせてしまった。

 そのあとまた仲直りして、

 付き合うようになって、

 今に至る。


 こうやって思い出すと、これまでに何回か恵を泣かせている。

 そして、その中で一度だけ悲しさで恵を泣かせてしまった。

 あのときは電話で泣いてたからその表情はわからなかったけど、

 声だけでも心には刺さるものはあった。

 そして、付き合うようになってからは、悲しませて泣かせるようなことはなかった。


 でも、今日、泣かせてしまった。

 倫也の不用意な言葉による悲しさで。

 初めて自分の目の前で、悲しくて泣いている恵の姿は、見ているのが苦しくて、辛かった。


 だから、もう泣かせたくない。

 もう、そんな恵の姿を見たくない。

 そう思った。


 じゃあどうするのかと考えた。

 結局は自分の不甲斐なさが、自分のダメなところが、また恵を泣かせてしまうと思った。

 ダメなところも含めて好きだとは言われたからといって、

 それに胡座をかいて座っているわけにはいかない。


 恵が好きだから、

 恵を大切にしたいから、

 もう二度と泣かせないために

 自分が成長することに決めた。


 そして、メインヒロインのために、

 恵のために、

 倫也は成長して、

 最高のメインヒロインに見合った、

 最高の主人公になる。


 そのために倫也は最高の、最強のギャルゲーをまた作る。


 タイトルは『冴えない主人公の育てかた(仮)』

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