第1話 理屈と感情の葛藤
ゴールデンウィーク間近の土曜日、いつものログハウスの喫茶店で倫也と恵は待ち合わせをしていた。
待ち合わせの予定は午前10時。倫也が喫茶店の入口に到着して時計を確認すると、今の時刻は9時58分。
(約束の時間には間に合ったな)
倫也は喫茶店の扉を開き、店内へと入る。恵が先に来ているか店内を確認すると、店の中央付近の二人用の席にすでに座っていてスマホを触っていた。
(まぁ、この時間なら先に来てるよな…………)
恵が先に来ていることに少しため息をつきながら、その席へと歩いていった。
「恵、おはよ」
倫也は恵に挨拶をしつつ、持っていた鞄を荷物置きかごの中に入れて、恵の対面の席に座る。
「あ、倫也くん、おはよう」
対面の席に座る倫也に気づいた恵はスマホを触るのをやめて、いつも通りにフラットに挨拶を返してくる。倫也が席に着いたところで、すぐに店員が注文を取りにきたので、倫也と恵はいつも通りにコーヒーを注文した。店員が注文を確認して店の奥へと消えていくと、
「ねえ、倫也くん?」
「な、何……?」
フラットだった恵の顔がにっこりした笑顔に変わる。
その笑顔に倫也はドキリと心拍数が上がる。
「今週の勉強の進捗を教えてもらっていいかなぁ?」
……まあ、ドキリとしたのは恵の笑顔に対してではなく、これから非常に都合の悪いことを問い詰められるからなんだけど。
「…………………………」
「倫也くん、どうしたの?黙って目をそらしてちゃって?」
「……うん、ちゃんとやってるから気にしなくても大丈夫だから」
「……ちゃんとやってるならやってるところ見せてくれないかな?」
「いやいや、大丈夫だから」
「いいから、絶対怒らないから教えて」
「出たよその言い方!それ怒るやつじゃん!絶対怒るやつじゃん!」
「……怒らないから教えてくれないかなぁ?」
「……はい。進んだのはここからここまでです。」
恵の顔が笑顔から一瞬にして真顔に変化する。この時点で倫也に対抗する手立てはなく、はあぁと重いため息をつきながら、しぶしぶ持ってきていた問題集を鞄から出して恵に渡す。恵は問題集を受け取ると中を開き、どこまで解いたのかをひとつひとつ確認し始めた。
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4月になってそれぞれ新しい生活がスタートした。倫也は浪人生、恵は大学生としてそれぞれの道を歩んでいる。
お互いの立場は変わっても、サークル活動はそのまま続けることになっていて、倫也は浪人生でありつつも今年もゲームを作りながら、不死川大学を受験することを決意していた。
そして、4月に入ってから3週間が経過したころ、もうすぐゴールデンウィークだ、長期連休だと世間が騒ぐ中、倫也と恵はいつものログハウスの喫茶店で待ち合わせをしていた。
それは今朝の恵からのいきなりの連絡だった。
『今日の午前10時にいつもの喫茶店に今週解いた分の問題集を持って集合』
当日の朝に連絡をしたのは恵の策略だった。ちゃんと今週1週間での勉強の成果を測るためである。前日の夜に連絡しておくと、徹夜してごまかすことができてしまうため、そんな時間を用意させないための直前の連絡だった。
……待ち合わせを断られるという可能性があったことは完全に頭から抜けていたわけだが。
その策略は見事にはまった。倫也がこのメールを確認したのはちょうど目が覚めた朝の9時。その状況から待ち合わせの時間に間に合わせようとすると、身支度をしてからそのまま出発するくらいでないと間に合わない。倫也は仕方なく、最低限の身支度と全く手つかずの問題集を持ってさっさと家を出るしかなかった。
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問題集をペラペラとめくりながら進捗を確認する恵の目が、どんどん死んだ魚のような目になっていく。
そして、しばらくして問題集を一通り確認し終わると、恵は問題集をテーブルに置き、難しい表情をしてはぁとため息をひとつ吐く。
「これって前にわたしと一緒に解いたやつだよね?」
「……はい」
「それ以外に解いた問題はどれ?」
「……すいません、……1問も解いてないです」
「ふぅぅぅぅ~ん。予備校にも行ってない浪人生の倫也くんにはいっぱい時間があるはずなんだけど、倫也くんはこの一週間何をしていたのかなぁ?」
「ちゃんと勉強しようとはしてたんだよ!ホントだよ!?」
「言い訳はいいから。何してたか教えてくれればいいから」
「……春の新アニメの確認とか、新刊のラノベ読んだりとか、次回作の企画とかしてました……」
「先週に引き続き、受験勉強ほったらかしてそんなことしてたんだ。ふぅぅぅぅ~ん。」
「すいません、マジで許してください」
この状況では、倫也が恵に何を言っても言い訳にしかならない。いや、次回作の企画ならまだ多少は許されるかもしれないけど。
……問題はこうやって怒られるのが2週連続ということだ。先週も勉強が進んでいなくって怒られたはずなのに、今週も同じような理由で勉強していなくて怒られている。さすがに言い訳のしようがない。
「ていうか、こんな話をするのに何で喫茶店なんだよ?今日は休日なんだから俺の家でも良かっただろ?」
「そうやって、前にわたしに勉強を教えてくれって言って、倫也くんの家に行ったけどさぁ、このアニメを一緒に見るぞとか、ゲームをするぞって言って結局ほとんど勉強しなかったのはどこの誰なのかな?」
「……マジですいません」
さらに痛いところを突かれて、倫也はひたすらペコペコと頭を下げるしかなかった。
「……っていうか、恵も『あーうん、しょうがないなぁ、あとからちゃんと勉強しようね』って言って流されてなかったっけ?」
「ふぅぅぅぅ~ん、倫也くんはそうやって責任転嫁するんだ。主人公の風上にも置けないね~。」
「……ねえ、もうそろそろこの話やめにしない?辛くなってきたんだけど」
「そうやって、前も勉強する時間なくなりかけて、勉強始めようよって言いだしたら、そんなこと言い出したよね?しかも、その上でわたしに強引にキスしてきて話逸らして逃げたよね!?本当に受験生というか浪人生の自覚はあるのかな!?」
「…………マジですいません」
言われっぱなしではさすがに精神衛生上良くないと、僅かながらに仕返しを試みた倫也。しかし、逆に墓穴を掘る様な形になって無残にも撃沈。
ちなみにその時のことを補足しておくと、その時の行為はキス止まりではなくって、
そのまま最後までした上で逃げてしまっていた。
……しかも、そうやって逃げたのが1回だけではなく3回も逃げているあたりがさらに問題で。
倫也の言い訳としては『えっちをしているときの恵ってさ、萌死にそうになるほど可愛いいんだよ!?しかも、恵の方から『もっと……』とか言って求めてくるんだよ!?仕方ないじゃん!?』とのことだった。
「倫也くん、今わたしに対してすっごく失礼なこと考えてなかった?」
「滅相もございません」
「…………まぁ、そういうわけで倫也くんの家だと話が逸らされちゃうから、今日は
午後からどうするかは置いといて、お昼までは勉強しよう、ね?」
「……はい」
さっきまで随分と怒っていたはずの恵の顔がいつものフラットの顔に戻る。
倫也はそのいつもの恵の姿に安心感を覚えて、問題集を手に取り勉強を開始した。
その間、恵はスマホを触ったり、倫也がわからない問題を教えてくれたりと、やはり先ほどまでの怒りは何だったのかというくらいに普通に接していた。
勉強を始めて二時間ほど経過したところで、問題集もキリがいいところにまで進めることができていた。時刻はちょうどお昼時であることから、倫也と恵は昼食を注文しながら休憩に入る。
「実を言うと勉強のことはあんまり気にしてないんだよね」
「……だったらあんなに怒らなくてもいいんじゃないですかね?」
「ちゃんとやってたらということも考えて、ごほうびも用意してたんだよね~。さすがにまったくやってなかったとは思わなかったけどね~。」
「……すいません。来週はちゃんとやります。」
「今日からの間違いじゃないかな?」
「……今日、家に帰ってからもちゃんとやります」
「よろしい」
浪人生だというのに全く勉強していないという落ち度によって、倫也は一切の反論ができず、恵の言われるがままに帰ってからも勉強することを約束するしかなかった。
「勉強は倫也くんだけの問題だけど、サークルの方は他の人にも影響出るからね。もうすぐゴールデンウィークだし、次回作の内容を決めておかないと厳しいんじゃないかなと思って」
「……そうだよなぁ」
受験勉強だけでなく、ゲームの企画もそこまで進んでいない現状にため息をつかざるを得ない。
それから3週間。改めてアイデアをまとめているが、なかなかまとまらずに四苦八苦しつつ、現状に至る。
「まぁ、この1週間もゲームの企画は考えてたみたいだし。今のところどんな感じなの?」
「まだ途中だから、できてるところまでな」
進捗を気にしている恵に対して、倫也は現在考案中の企画を話し始める。
「次の作品である坂道トリロジーの3作目は2作目である『冴えない彼女の育てかた』の続編って考えてる。
前作のラストは主人公と巡離が付き合って、喧嘩して、仲直りして、そこで二人はずっと一緒にだよ、ってという感じで終わったけど、今作はそこからがスタートだ。
今作では幸せに付き合っている二人の幸せな感じのイチャイチャをさらに表現したいと思ってる。
前作は巡離をいや、恵をメインヒロインに作り上げることを目的に作品を作った。そして、十分に満足できる作品になったと思う。
……でもな、まだ足りないんだ。」
「足りない?」
何が足りないのかが全くわからず、恵が首をかしげる。
「そう!幸せそうにイチャつくシーンがまだまだ足りないんだ!」
「は、はぁ……」
倫也の口調が落ち着いたものから、ちょっとだけ熱が入ってくる。
恵はその熱くなり始めた倫也を見てちょっとだけ引いていた。
「だいたいどのギャルゲでも付き合って、二人は幸せに暮らしましたって感じで終わる場合がほとんどなんだよな。ゲームによっては付き合い始めてからもイベントが進んでいく場合もあるけど、基本的には付き合うことがほぼゴールになっている場合が多い。それで、付き合うってことをゴールにする場合はそこで終わりで、そのあともひたすらイチャイチャする作品はそんなに多くない。
だから、エンディングのその後のイチャイチャを妄想して同人で話を書く人がいる。それはその作品を読んだ人がその作品に感化されて書く場合もあれば、本編でのイチャイチャ具合が物足りないというのもひとつの理由だと思う。そして、俺は後者の方でまだまだイチャつき具合が足りないと思う」
「……あれで足りないの?」
あんな恥ずかしいキスシーンとかも載せているはずなのに、あれでまだ足りないとのたまう倫也に、恵はうわぁ……とドン引きせずにはいられない。はぁとため息をひとつ吐き、恵は話を続ける。
「じゃあその場合、何をゴールとするの?前作は付き合うことがゴールだったけど、付き合い始めがスタートなら何をゴールとするの?」
「そこはアドベンチャーゲームとして考えていて、1作目を参考にしようと思ってる。伝奇物というか、ヒロインたちが住んでいる街でいろんなトラブルというか、ミッションが発生して、そのミッションをすべてクリアすればゴールだ。そのミッションの中で2人の愛の協力があって愛が深まり、2人でミッションをクリアしていく。キャラクターは2作目を、背景は1作目を踏襲する感じだ。」
倫也は長々としゃべったことによって乾いたのどを潤すために、水を喉に流し込む。
「今のところはこんな感じで考えているけど……恵はどう思う?」
「続編ってことは、またわたしがメインヒロインをやるの?」
「そりゃそうだろ。だって恵がメインヒロインをやってこそのblessing softwareだし」
「前作のときもそうだったんだけどさぁ、わたしと倫也くんの実体験がほとんどそのまま世に出るのってすっごく恥ずかしいんだよ。……特にキスシーンとかさぁ」
前作に関してはいろいろと恥ずかしい思い出をシナリオにされたことを思い出し、眉を顰める。特にキスシーンなんかはシナリオを校正していた自身がえっちな気分になるくらい。
「そりゃそうだろ。恵はメインヒロインなんだから」
「……そういう問題じゃない気がするんだけど。っていうか倫也くんは恥ずかしくないの?」
「だって、あのときのお前めちゃくちゃキュンキュンしたんだぞ!今までいろんなアニメとかギャルゲーとかラノベとか見たけどさぁ!その作品すべてをかき集めてもあの時以上にキュンキュンした瞬間はなかった!」
「は、はぁ」
「何より、俺のメインヒロインはこんなにもかわいいってことを伝えたい!俺のメインヒロインは史上最高にかわいいってことを伝えたいんだよ!そのためなら俺はどんなに恥ずかしくても構わない!」
「……わたしが恥ずかしいのは構ってほしいんだけど?」
恵のメインヒロイン具合を語るのに熱くなりすぎて、いつの間にか席から立ちあがり、正面に座る恵に向かって身を乗り出していた。
「あー、はいはい、わかったから。暑苦しいから水でも飲んで落ち着いて」
「お、おう」
恵はそんな熱くなった倫也をなだめつつ、水を飲むように勧めて席に座らせた。倫也はもう一度コップに注がれた水をのどに流し込む。
すると、さっきまで暑苦しい倫也に対して呆れた顔をしていた恵が、いつの間にか優しく微笑むように倫也を見つめていた。
「どうかしたか?」
「んー、ちょっと昔のこと思い出してね。ちょうど2年前に倫也くんに学校の放課後に誘われてこの喫茶店で話をしたよね」
「あー、そんなこともあったな」
あの坂道で見つけた美少女が恵だと言うことを知り、恵と話がしたいと言ってこの喫茶店に誘った記憶が倫也にも思い出される。
「そのときは、わたしのことキャラが死んでるとかって、いろいろ酷いこと言われたけど」
「あー、うん……それは、失礼だったと思ってる」
その時の話の内容は恵にとっては酷いもので、さすがの倫也も少し後ろめたくなるくらいに。
「そのときにわたしのことを可愛いって言ってくれたけど、全く心こもってなかったよね。全然嬉しくなかったし」
「だから、ごめんって」
でも、そんな酷い内容だったことを語る恵は全然嫌そうな顔をしていなくって。
「…………でも、さっきの『かわいい』は、……心がこもってた」
「っ……」
「だから……嬉しいなって」
「……お、おう」
少しだけ顔を赤くして、少しだけ笑った顔で嬉しいと語るその表情は、やっぱり倫也のメインヒロインだからこそ出てくるもので、倫也を否応なしにキュンキュンさせる。
ときどき、こうやって垣間見せる素の加藤恵の本当のかわいさ。
倫也のために演じるメインヒロインとしての加藤恵ではなく、本来の加藤恵としてのかわいさが滲み出ていた。付き合い始めてもう数カ月が経過するのに、倫也を嫌でもキュンキュンさせてくる恵だからこそ、倫也は恵をメインヒロインとしてのゲームを作りたい、もっとイチャイチャしたいと思ってしまう。
「……ねぇ、もう一回言ってよ」
そして、倫也にかわいいと言われてテンションの上がったメインヒロインは、倫也に向って非常にめんどくさい爆弾を投げてくる。
「……言わない」
倫也のさっきの『かわいい』は熱くなった勢いで出てきた言葉であって、冷静になるとさすがにそんな言葉は恥ずかしくて言えるわけがなかった。
「え〜史上最高にかわいい倫也くんの彼女がお願いしてるのに〜?」
「それ自分で言っちゃう!?」
「倫也くんが言ったんだよ〜」
「くっ……」
「はやく」
「……かわいい」
「ん~?誰がかわいいのかな?」
「……恵はかわいい」
「一回だけ?」
「恵はかわいい恵はかわいい恵はかわいい恵はかわいい恵はかわいい恵はかわいい恵はかわいい恵はかわいい恵はかわいい恵はかわいい」
「……念仏唱えるみたいな言い方やめてくれない?」
「……恵ってこんなめんどくさい性格だったか?」
「めんどくさいって言わないでくれない?倫也くんにかわいいって言われてちょっとテンション上がってるのはあるね~。で、つづきは?」
「あ~、もぉ~、……俺の恵は、史上最高に、かわいいです」
「あ、今の『俺の恵』っていうのがポイント高いね」
「……あと何ポイント必要なの?」
「100ポイントくらい?」
「今、何ポイント?」
「3ポイントくらい?」
「もう勘弁してもらっていいですかぁっ!?」
『お待たせしました』
「!?」
「!?」
そんな超絶バカップルのやり取りが行われていたのは喫茶店の中であって。そんなやり取りを全く気にせず、注文した昼食を運んでくる店員さん。そのやり取りを店員さんに聞かれていたかと思うと、二人の顔は一気に真っ赤になり俯かざるを得ない。
「……と、とりあえず、冷めないうちにお昼食べよっか」
「……そ、そうだな」
二人が昼食を食べる間、二人は顔を真っ赤にしたまま一言もしゃべることはなかった。
二人が昼食を食べ終えて、食後のコーヒーを飲んでいると、恵の方から再び次回作について質問が飛ぶ。
「さっきの次回作の話だけど、主人公とヒロインの仲は進展するの?最初から付き合ってる設定なら、ひたすらイチャイチャするだけ?」
「いや、謎を解いていくうちに二人の愛は更に深まっていく。愛があるからこそ、トラブルを乗り越えることができる!それがさらに愛を深めていく!そして、さらなるイチャイチャを呼ぶ!」
「……それって最後はどうなるの?」
「付き合っている二人の行き着く先なんて結婚しかなくないか?」
「………………………………」
倫也のさらっと話す内容に、この人何言ってるんだと言わんばかりに、思わずこめかみに手を当てしかめっ面をする恵。
「……言いたいことはわからないこともないんだけどさぁ、
……これってまたわたしと主人公、というか倫也くんを元ネタにしてシナリオを書くの?」
「そのつもりだぞ?」
「………………で、最後は結婚まで持っていきたいんだよね?」
「お?…お、おう」
「それってわたしとの結婚を想像してシナリオを書くってこと?」
「ん?」
「…………わたしの意識過剰かな?」
倫也には別にそんなつもりはなかった。というか気がついていなかった。結婚を想像しているのはあくまで主人公とヒロインではあったけど、それが自身と恵であることが結びついていなかった。
恵の発言によりそれがパズルのピースのようにカチリとはまり、自分がとてつもなく恥ずかしいことをしようとしていることに、躊躇もなく言っていたことに気がついてしまった。
「ああああああぁぁ!!いや、違うんだよ!い、いやっ、違わないわけではなくって?全くそんなつもりがないわけではなくて、なんというかは言葉の綾というか、そのですね!」
「あ~はいはい、わかってるから。やっぱりそういうとこがヘタレの倫也くんだよね」
「ちちちち、違うぞ恵!」
倫也は言い間違いなのか言い間違いじゃなかったのかよくわからないことをのたまいつつ、必死にそこまで考えていなかったことを説明しようとするが、恵には全く届くことはなかった。そして、やっぱりこういところが倫也くんだよねと呆れた表情になる恵。
……でも、その表情は少しだけ赤みを帯びていた。
「それはともかく」
「……ともかくなのかよ」
「またわたしがメインヒロインっていうのは、しばらく考える時間くれないかな?」
「えっ……」
ちょっとだけ難しい表情で自身がメインヒロインをやることを躊躇う恵に倫也は驚きの声を漏らす。
一年前の霞ヶ丘先輩が倫也の企画を断った状況と被ってしまい、一気に心拍数が上がる。
「ちょ、ちょっと待って恵!?もしかしてサークルを……」
「そういうのじゃないから!サークルをやめたりとかそういうのじゃないから!」
「だ、だったら何で?恵がやらなきゃうちのギャルゲーは始まらないんだぞ!?」
「うん、それはわかってる。……それはわかってるんだけどさぁ」
「だったら……」
「やっぱり恥ずかしいんだよねぇ、ヒロインって。わたしがやらなきゃ始まらないってわかってるんだけどさぁ……」
やらなけばいけないという理屈と恥ずかしいという感情になかなか折り合いをつけられず、ためいきをつきながらテーブルに突っ伏す恵。前作で自身と倫也の思い出をあそこまで赤裸々にゲームのシナリオとして載せられたのに、これ以上にイチャイチャするシーンを載せられる可能性があることを考えると、それは耐えがたいものであり、いくら恵でもさらっとフラットにOKを出すことはできなかった。
倫也は少なくとも恵が辞めたりとかそういった方向での意見ではないことにひとまず安堵する。
でも、恵のその心情を察しつつも、この企画にメインヒロインに恵を絡ませないわけにはいかないわけで。
「……わかった。企画も途中段階だし、まだまだ内容を詰める必要があるから、もう少し時間がかかる。だから、それまでに決めてくれ」
とりあえず、恵の回答についてはいったん先延ばしということで倫也は了解した。
ただし、ここで倫也が言う『決めてくれ』はOKかNGではなく、OK以外の答えはないわけであるが。
恵は突っ伏していた顔を上げて倫也の顔を見る。倫也の顔は少し不安そうではあったが、絶対に恵がやってくれると信じている表情でもあった。
「もう少しってどれくらい?」
「遅くてもゴールデンウィークが終わるまでに。それまでには伊織にもOKをもらいたいと思ってる。そうでもしないと、恵が言ってたように他の人にも迷惑がかかっちゃうしな」
「……うん、わかった」
メインヒロインをやることに決まらなかったことに安堵しつつ、メインヒロインやることを決意することを先延ばしにしてしまったことに、恵はモヤモヤとした感情を抱え、難しい表情を浮かべつつ、またため息をひとつ吐いた。
「ちなみにごほうびって何だったの?」
倫也はふと、今日の勉強前の会話を思い出す。
『ちゃんとやってたらということも考えて、ごほうびも用意してたんだよね~』
倫也は別にごほうびが欲しいというわけではなかったが、準備したごほうびが何なのかは気になっていた。
「あー、はいこれ」
「何だこりゃ?」
「ごほうび」
(重っ!?)
恵から手渡されたのは、ラッピングされた紙袋で、持った感じは思った以上に重い。紙袋の口はきっちりと閉じられていて中に何が入っているのかは全く分からなかった。
勉強していたらのごほうびだったはずなのに、まったく勉強していなくてもあっさりと渡されてしまって、思わず拍子抜けしてしまう。
「勉強してたらごほうびだったんじゃないのか?」
「まぁ、ちゃんとゲームの企画はちゃんとやってたみたいだし。そういう意味でごほうびってことで」
(何だろうな?)
倫也はごほうびの中身が何かを期待しつつ、紙袋の封を開け、中身を確認する。
中に入っていたのは………………
……受験勉強用の問題集だった。
「問題集じゃねーか!しかも使い古しだし!」
「わたしが使ってたやつだよ。合格者のご利益あるよ。ごほうびでしょ?」
「……ごほうびじゃなくない?」
「前の問題集が終わって、やる問題がなくて困ってるだろうな~って思って」
「やっぱりごほうびじゃなくない?……まあ、ありがたくいただきます」
確かにちゃんと勉強をしていればごほうびだったかもしれない。まぁ、倫也に限ってそんなことはあり得なかったわけで。がっくりとうなだれながらも、倫也は取り出した問題集を再び紙袋にしまい込んだ。
「で、今日はこれからどうする?どこか場所を変えて勉強か?」
昼食も食べ終わり、次回作の企画の話も終わり、午後からの予定は後から決めることになっていたので、そちらの方に話題を移す。
さっきも今日から勉強すると言った手前、勉強をする方向で考えていた。午前中からずっとこの喫茶店で勉強をしており、さらに午後からもここで勉強し続けるのはマナー違反と考え、場所の変更を提案する。
「ううん、今日はデートしよう」
「は?」
恵から帰ってきた回答は予想外のもので、思わず呆けた言葉がもれてしまう。
「倫也くんは浪人生で毎日休みかもしれないけど、わたしは大学でちゃんと勉強しているから、週末は遊びたいんだよ」
「さらっと酷いこと言わないでくれない!?」
ストレートに痛いところを突く恵の発言に、倫也は意味がないとは思いながらも抗議を声を上げる。
「だから、今日は倫也くんとデート、だよ」
倫也とのデートを楽しみにする恵のその笑顔はやっぱりかわいいメインヒロインで、さっきの酷い発言もどうでもよくなってしまう。
「……今日から勉強するんじゃなかったっけ?」
「勉強はデートが終わってから、倫也くんの家でわたしと一緒にやればいいんじゃないかな?」
「俺の家で一緒に勉強って言っちゃったよ!?さっきと言ってる事違くない!?」
「あれ~?そうだったかな~?」
「そうだよ!?強引にキスして話を逸らして勉強から逃げるって……………………ん?」
「ん~?何かな~?」
「……恵、その、俺の家で一緒に勉強しようとすると、……強引にキスするかもしれないけど、いい?」
「……ちゃんと勉強したら、ね」
「……それは、つまり、その、OKっていうことで?」
「……前も言ったけど、そういうのは言わないのがマナーってものだよ倫也くん」
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