九、残された人間

 驚いた顔をする七椿を前に、私はブラン管のテレビから流れるニュースを聞いていた。

 先日起きた通り魔の犯人が捕まった。女のアナウンサーは無感情に原稿を読み上げる。関和也、犯人の名が流れたとき、店内にいる何人かが、テレビへと吸いつけられる。

 七椿なつも少しは見ていたが、目を逸らした。

 「その娘、どうして行方不明になったんですかね」

 冷めたコーヒーを啜りながら、上目遣いに聞いてくる。

 「話を聞けば、よりどころを見つけて、その羽奈さんと仲良くなって、とても自殺するとは思えない。」

 七椿には同感であった。とても、自殺を考えるような状況ではなく、日々を楽しく忙しそうに過ごしていた。文化について調べているときも、この国に行きたい!と言っていた。

 それから勉強中、時々何処か遠出したいと独り言を言っていた。

 「彼女、より関心が高まったか、急に遠出する!って言いだして。そこで、スケッチとか、個人で商品作ってるお店に話聞き行くって。言って、夏休み中に飛び出していったの。」

 彼女が言った目的地はここから、新幹線を乗っていかなくてはならない距離だった。しかも帰り道に何か所にも足を運ぶと言っていた。大丈夫なの?、お金は?と親並みに心配していた。「親がお年玉とか取っといてくれたから大丈夫。それに、父からちょっとお金もらったし。」彼女は安心させるように言っていた。

 「それから、顔を見てないの」

 写真は幾つか送られてけど。帰りながら、スケッチしてるってメール来てたから。その場所の風景や食べ物の話もメールで聞かされていた。けど、ある日、それがぱったり無くなった。

 「切れたのは、彼女がどのあたりで?」

 冷めたコーヒーを啜って、七椿はそっと目線を合わせて来る。

 「ここから、電車で最後まで行って、それから、ちょっとのところかな?」

 そうかならないわけだ。漏らした独り言を、七椿はごまかしてコーヒーを啜った。

 気になって私は聞く。

 「何が、ないの?」

 「通り魔…その、ここら辺で起きたから、場所ちがうなーって。ほら、近くだったら…ね?。」 

 電車で移動すること考えなければの話だが。犯人がどこに住んでいるかで話は変わってくるだろう。

 「その通り魔のせいなんでは…なんて」

 くすっと笑う。納得させている笑みに見えた。

 「蒼桜あおいも、かな」

 そう思った方が一層のこと楽じゃん。悔しそうに呟いた。

 一向に出てくる気配のない妹に対して、怒っては悲しんで、残された七椿はその繰り返しだった。

 私はカケルに対して一喜一憂の目で見ていなかった。何処か冷めた目で見ていた。

 どうせ、人殺すんでしょ。

 どうせ、人を襲うんでしょ。

 だから、信じられないカケルを安心して待つことは出来ないでいた。それでも、心のどこかで帰るのを期待しているのであった。

 今大切な人に飢えて。

 自分が悲しくて、寂しくて、切なくて。だから、自分の感情が虚しく感じてしまうのだろうか。

 何でわからなかったかな。普通の人が隣にいなくて、ずっと寂しい思いをしてたのかな。一人で居るよりましじゃんって強がってたのかな。

 今更、カケルへの愛が不安定になった。

 変だって見過ごしてたけど、彼氏らしいことしてもらったことないな。突然押し掛けて、びっくりさせてやろうと思って、嬉しいだろうなと思てたのに、部屋でずっと本読んでるし。私の方ちゃんと見てくれてるかなって不安だった。時折、ちゃんと言葉にしてくれてたけど。

 強がって周りのこと見てたけど、やっぱり私も女だった。人間だった。

 静かに泣いた。涙がぽたぽたとズボンに落ちる。

 「羽奈はなさん…?」

 きょとんとしている七椿は、そっと布巾を渡した。

 ありがとう。

 言葉にならなかった。息だけが出た。

 記憶の錠が外れるとともに、思いの錠まで外れてしまった。

 思い知った。今まで、我慢していたと。

 「しばらく、泣かせて」

 ほぼ嗚咽だった。

 店内には、幸いにも私たち以外誰もいなかった。

 七椿が見えない。地面も、靴も、ズボンも。私も。何もかも。

 カケルはどこ?彼女には匹敵するかどうかわからない愛が、突然胸中で暴れ出す。

 涙は止まることを知らなかった。

 『何もないよ』。脳裏に焼き付いたカケルは言った。

 リストカットを見つけた、あの日みたいにカケルは隠し事をしていたのかな。

 『人間の肌があんまりわかんない。どんなものかさっぱり。だから、こうやって人の肌を触ったり見たりすんの初めてなんだ』

 ミチルの旦那の言葉を思い出す。ベクトルが歪な方向へとねじ曲がり、カケルはリストカット以上のことを、私を倒してキスした以上のことをやりたくなったのかな。

 家に行く度に増えたいた本は、私を踏み台にしたのかな。

 もうわかんないや。

 カケル、どうか、無事に帰ってきてください。それだけでいいから。

 私は、カケルに振り向いてほしかった。

 それでも、あなたは自分のしたいことに夢中だった。

 素敵だな、反面、振り向いてくれないカケルを呪わしく思った。

 私が落ち着いた頃には、すっかり夜になっていた。

 七椿に謝り、店のマスターにも謝った。

 何か、抱え込んでたんですね。また来てください。

 優しく言って微笑みかけた。

 七椿と別れて、家に着く。

 次の日、警察がやって来た。

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