六、あたまのおくにあったはなし

 ファミレスに入った私たちはドリンクバーを頼んだ。

 彼女がジュースを入れたコップを2個持ってきた。

 「オレンジジュースでよかった?」

 頷き、冷たいコップを受け取る。澄んだ味の中に若干の酸味が鼻に残った。

 「で、何から教えてくれるの?」

 彼女は身を乗り出した。いつの間にか、テーブルの上にシャーペンとノートが広げられている。

 「ね、聞いてる?」

 あまりにも茫然と眺めていて、彼女は手を振っている。

 「聞いてるけど。」

 冷たく言い放す。

 「だったら、早く教えてよ」

 「うーん」

 「何が駄目なの?」

 「いやー」

 「はっきりしてよ」

 わかったと、彼女は居住まいを正した。明瞭な声で提案を持ちかけてくる。

 「嫌なら、はっきりと嫌と言って。何か、気になる点があったら、はっきりと言って。どちらもないのなら、さっさと教えて。」

 はっきりした性格の後の乱暴な命令に少しイラっとした。しかし、このまま彼女の提案を無視して、また来られても面倒だ。

 「まず、デザインは見るのが好き?それとも、作るのが好き?」

 「わかんない」

 よく、教えを乞うに来たものだ。

 「わかんない?えっと…将来、なりたいとか?」

 「うーん」

 「興味を持ったから、とか?」

 「そう」

 案外まともな声量で帰って来た。

 「ほら、制服とかさ、建物の外観とかさ。され、どうやって、できてるのかな~て考えるうちに楽しくなっちゃって。それに、疑問も生まれて。でも、ほら、周りに聞いてもさ?友達だよ?『お前そんなこと考えてるの?』とか、『そんなこと考える?使えたらいいじゃん?』とかまともな答えが返ってこないんだよね…」

 一デザイナーとして言われてしまうことには頭に来るが、現状を顧みて納得するしか無いようにも感じていた。今の日本は環境はあまりにも贅沢過ぎた。好奇心を潰す嫌いがあった。

 私の相槌を待つように、消えて行った声と一緒に、ちらっと視線を投げかける。頷くと、また口を動かし始める。

 「子供に言っても帰ってこないなら、次は大人かなーって思って先生に聞いたら。私、授業受ける態度さ、悪くてさ、先生、取り合ってくれなかったんだよね。『お前、授業聞いてないのに、そんなしょうもないことに疑問持つのか』とか『あなたにはわからない』とか言われてさ、それも、職員室の前でだよ。先生皆に聞こえてさ、そうするうちに先生口聞いてくれなくなって…」

 相槌を打っている。彼女は都合が良い、と感じたからか先生たちは同情できた。詳細を知らない私でも、人の話を聞かない奴の話なんて聞きたい気持ちになるわけがない。大人どうしでもあるのに、ましてや、子供と大人の間では露骨に出てしまう。

 でも、誰かが興味を持ったということは決して無視されるようなことではない。

 カケルもあった。何も関心しなかったカケルは私の家にある本には関心を示した。

 『なにこれ、はなちゃん』と私に寄越して来たことがあり、そのままカケルに貸してやったことを思い出した。それから、持っている小説を全部読破し、やがて父が持っている本にまで及んだ。その際、彼は見知らぬ年上相手に休みの日めがけて、直談判しに来たっけ。びっくりとした父の顔と、あまりの真剣さに眉間に力のこもったカケルの顔をいまでも忘れない。ものすごくおかしくて母と笑っていた。

 カケルもあったから何かに興味を持った人間を無視することはできなかった。

 「それでさ、」

 相槌を打っているのに安心したのか、すっと後の言葉が聞かれた。彼女は少し、楽しそうにしていた。

 「美術の先生?に聞いたんだ。学校では変人呼ばわりされてて、キモイとか言われてる先生なんだけど。なんか、静かで目が沈んでるような感じで、その先生に聞いたらね?何個か駅を跨いだら、ちょうどデザイン会社があるって教えてくれたの。それで、」

 と、詰まった。もうわかったでしょ、と言わんばかりに目を合わせてくる。

 「なるほどね。それで、うちに来たわけね?」

 聞いてみれば意外にも興味がそそられた。

 「あなたの意気込みはわかりました。」

 おもしろそうだし、とあのときの怒りを忘れ、私は彼女に名刺を差し出した。

 「私、笹咲羽奈さささきはなって言います。宜しくね」

 きょとんとしている彼女はスッとその手を伸ばして、受け取った。

 私は、ノートを開けて、最初に彼女が何を知りたいかについて質問することにした。

 「じゃあ、」

 口を開けかけとき、バッと目の前の彼女が立った。びっくりして、後ろへ体をのけぞらせる。

 「いいの?」

 彼女は涙声で言った。目には水が溜まっている。西日が彼女の涙をロマンチックにさせた。

 「へ?」

 「いいの?私、授業も聞いてないのに。自分勝手なのに。」

 涙が零れた。脇にある紙ナプキンで目元を拭ってやる。子供ぽく感じた彼女に微笑みかける。

 「別に、いいよ。それより、名前教えてくんない?」

 「え、遠藤綾梅えんどうあやめです。」

 泣いた後の彼女は、とてもテンポの良い話をした。不明な部分は不明のままで、綾梅がわかる範囲からやっていくことになった。

 綾梅の興味のある話を聞いていく内に、日は速足で進み、いつの間にか顔を隠してしまった。時計を見た私は気づく。

 「親心配しないの?」

 軽く聞いたら、綾梅は引きつった笑顔を作った。

 「いいよ。」

 諦めに似ていて吐き捨てた言葉は私を重くさせた。

 「ふーん。でも、あんまり長いと私も会社あるしな…」

 多分、部長はかんかんだろう。こんなに長くなるとは思いもせず。早々に切り上げて来る人間として私を選んだかもしれなかった。一報すればよかったが、話がおもしろく忘れてしまっていた。

 「そうだよね、ずっとは無理だよね。だよね。」

 また引きつった笑いの綾梅はぎこちなく尻を動かした。

 さて、どうしたものか。自分の残った仕事と、時間とを考え、何やら事情のある綾梅とぎりぎりまでいることにした。

 「わかった。6時半までいっしょにここにいる。それからは、自分で暇を潰して。」

 聞いた綾梅は子供みたく笑顔をし、さっきよりも少し弾んで話し始めた。家に帰りたくないらしかった。

 結局、軽く時間をオーバーして別れた。別れ際、ぎゅっと名刺を握り寂しそうな眼だけを残し家路へと戻った。

 最終的に、制服やエンブレム、マークなどと言った、フォーマットなデザインが気になっているようだった。勉強しなきゃ。心が小さく呟く。

 そのとき、季節外れの冷たい風に煽られたを覚えている。整った髪が一気に潰されて、げんなりして会社に戻った。

 遠藤綾梅と初めて会った日のことを、昼にかけて上がっていった陽のように眩しく思った。

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