十二、証明途中(2)

 関和夫は取り調べの最中終始無言だった。家族が訪れても無言で、目すら合わせようとしなかった。

 「ねぇ、あなた、こどもたちはどうするのよ?ねぇ」

 部屋中に響いていた妻の声を、警官は悔しさに耐えながら夫婦を見守っていた。愛する人のはずなのに、まるで他人を見るような目だった。結局、関は口を開かなかった。

 しかし、一つの証拠を見せたら舌は踊るように動いた。

 「今、隣で少女を誘拐した容疑で取り調べを受けている人間がいる。」

 そう始めたとき、わずかに眉が動いた。依然視線は斜め下を向いており、口はだらしなく開いている。

 「その人間が、自分の潔白を証明するためにカメラを持っていた。そこに、ある女の死体が映っていた。」

 もったいぶって息を止めると、関の視線は警官へと注がれる。余裕のあった口は、今や大洪水を引き起こしそうなまでに開いている。

 わかっていることだが、あえて遊ばせてみるとみるみる顔が変わっていく。

 汗が流れ、幾分涙が溜まっている。力が入り、若干体の動きも増えた。

 「その死体に、お前の体液が検出された。」

 時が止まった顔をした。関は一瞬身体を止めたが、数秒して大声で笑い始めた。

 「ああ!そうさ!殺してから!死姦してやったさ!」

 暴れ出したために周りの警官が押さえる。一人の警察官はさらに自供させるように叫ぶと、呼応するように笑いながら関は言った。

 「ふざけてんだよあの女!俺の親父をレイプ犯に仕立て上げやがった!だから、俺はあいつに復讐しただけだ!」

 1人の警官は、もう一度関及び周辺を徹低的に洗い出すよう命じた。命じられた人間たちは急いで部屋を出て行った。

 取調室では複数人が交代で関に相手をした。時折、関夫人が来訪するも追い返すしかなかった。関は会う気などなく精神的にもかなり不安定を迎えていた。

 通り魔の一件は少女殺害をカモフラージュしようとしたに過ぎなかった。簡単な策を取れば自分の子供でも良かったらしかった。

 洗い出せばある人物の存在が浮かび上がった。

 数年前に起きたレイプ事件の当時の加害者だった。それと、ついてくるように被害者の親の名前も出てきた。

 二人はどうやら、名の知れた警官のバディだったらしい。


 「あった」

 廃屋内に歓喜の音が響き渡っているが、女の死体が転がっている。

 随分古びたようすで、少しずつ腐敗が進んでいる様子であった。吸ってはいられない臭気が鼻孔を付いて、胸を気持ち悪くさせた。

 「それがお目当ての死体かい」

 彼女は死体の周りを警察宜しく、歩き回っていた。うーん、と唸って死体をじっくりと観察していた。

 頬はひどく痩せている。腐敗が進んでこうなったかもしれないが、生前も痩せていたのだろう。髪が薄い頭から予測できた。

 頸動脈付近には短い線があった。会えて口に出さなくとも、状況は悲惨だ。

 「違う」

 一言告げて、彼女は死体の傍らに座り込んだ。足の力が抜けたのか、足が外に放り投げられている。

 「嘘」

 独り言を言っている彼女の頬には、幾筋の涙があった。

 彼女の顔が幼くなっていた。雨粒を大きく流して目を瞬かせている。

 独り言を連呼する彼女と違って、身体は別の誰かの様だった。

 死体を揺らし始めて小声で、お母さん、と涙声で呟いていた。必死に、身体を揺すって生き返るのを待ち望んでいるかのような期待の目。彼女を見るに堪えなかった。

 何が起こっているのか分からない僕は彼女と一緒に、腐敗の進んでいる女の死体の傍らに屈んでいた。

 40代辺りだろうか。顔にはかろうじて見える、いくつもの皺が。苦労した成れの果てがこんなにも無残で、空しくて悲しくのか。

 隣の彼女は何故か肩を震わして泣いているし、目の前には名前の知らない人間がいた。彼女の震え方は本当に悲しんでいるのだろうとわかった。声を掛け辛く、あの大人びた彼女はまだ存在しているか、その確かめようも無かった。

 彼女は小さな幼き声で母を呼んだ。しきりに振っても生き返ってはくれないと分かってるのあろうが、子供心に認めることができないのだろう。

 泣き声は嗚咽に変わると、顔をくしゃくしゃにして死体の胸に顔を埋めた。

 もう日も沈みそうだった。夕焼けが入ってきて彼女を照らし出した。涙は綺麗に浮かんでおり、死体の手の上にぽつりと落ちた。埃が水に染みた。

 日が沈むと辺りは暗くなり始める、彼女はもう泣き止んで目の前の死体に手を合わせていた。

 「誰かわからないけど、きっと大切な人なんだろうね」

 自分の身体から涙が流れていたのにも関わらず、まるで他人事の様に言った。お母さんか羨ましいな、彼女は顔を上げて呟いた。

 「目の前の人間がそうなんでしょ」

 改めて問うと、

 「多分ね。私にはわかりようもない。頭の中に、この人らしきの声が、聞こえた。だから、多分。」

 彼女は闇に埋もれていく死体を上から眺めた。また、手を合わせ、そっとビニールシートをかぶせた。

 出る間際、僕はあることを聞きたくなった。

 「君、本当は何者なんだい」

 出た後は無言だった彼女は、ホテルまで近い距離になるとまだ涙が滲んだ声で言った。

 「私は、この人じゃない」

 意味深な言葉の続きはホテルに入ってからだと、彼女は言った。

 晩御飯の後、お風呂に入った。充電したカメラを各々持ち、風呂内の撮影した。年頃の女の子の筈なのに嫌がらずに承諾した。

 お風呂上り、落ち着いた頃ベッドの上で彼女は何気なしに話し始めた。

 「私は男に殺されたの。」

 険しい顔になって彼女は言った。

 「私デザインのこと、特に制服のこと人に教えてもらって勉強してたの。大学受験とか関係なく、好奇心だけで目的なくやってたの。」

 言葉を切って、

 「教えてもらってたことってね、デザインとかその周辺のことだけじゃないの。学習が深まらないからって言って、世界史とか日本史、地理とかも教えてもらっていたの。そしたら、日本の知らない地名に興味が惹かれるようになって、次第に行きたいって思うようになったの。」

 膝を抱えて彼女はうずくまった。

 「なんか自分の視野が狭いことに気付いて。今まで、親に面倒見てもらって、何不自由なく育ててもらって。なんか、それが間違った認識だと思うようになって。それで丁度お金もあったし、夏休み入ったから行こう、て決めたの。視野を広げるために。もちろん、親には言ったよ。ちょっと長くなるかも知れないけどって。そしたら、お父さんは行ってらっしゃいって言ってくれて。何かあったら、連絡して来いよまで言って。私は家を出たの。」

 別れ際、今まで教えてもらった事言って思ってることちょっと話したら、お父さん泣いちゃって。彼女の少し憂い気味に言った。

 「色んなところ行ってスケッチして、色んなお店とかに行って質問したんだ。親切に教えてくれて嬉しくて、ちょっとだけ服を作るところ見せてもらったんだ。」

 彼女の目は輝いて、懐かしんでいた。そのときのスケッチは上手くいったと喜んでいる。

 「ついでに、観光もして。教えてもらってた人とメールしながら帰ってたんだけど。」

 調子が暗くなって、目線が落ちた。喜んで開放していた身体をまた抱え込んだ。先程より、一層強く抱えられて、膝に手が食い込み膝を赤くしていた。

 「昼間、寄り道がてら廃屋探検してたんだよね。写真とかで見てて、行きたいなぁ、って思ってたから。そしたら、後ろから誰か近づいてきて私は襲われたの」

 言葉を切って彼女は身震いした。絶対にしないと決めてたのに、と口走った。肩の震えを押さえ、顔色がみるみる悪くなる。

 心配になった僕は彼女の傍に寄り、ペットボトルに入った水を渡した。彼女は勢いよく口をつけ、口からこぼした水を気にせず続けた。

 「男に姦されてたの。」

 鈍く衝撃が走った。目の前の少女が幼く見えているからかもしれない。それに、泣いていたあのときの彼女の顔を重ねると、そうされるようには見えなかった。

 彼女の最初に見たときの映像がフラッシュバックする。時折、顔を変えるのは大人を振り回すための演技と最初は思っていたのだが、聞かされればどうも妄想じみて二重人格を疑ってしまう。

 見てきた彼女は自然に見えたし、相反する泣いている彼女だって偽りの涙には見えなかった。リスクを冒して大胆不敵に二重人格を演技するのも考えにくかった。

 切羽詰まった状況でなければリスクを冒そうとは思わない。思春期ならもっと幼稚な演技を持ってくるに違いない。それか、もっと姑息な手段を用いて弱みを握るかもしれない。

 「こんな話、信じられないでしょ?」

 僕の心を見透かしたように言った。曖昧に頷いて、彼女を横目に見た。彼女は黙って目を伏せた。

 「私だって、信じてもらえるような話とは思ってないよ。」

 諦めた口調で布団に包まった。

 「もう寝ようよ。明日も、有るんだしさ」

 無理矢理に話を終わらせた彼女はもう寝息を立てていた。

 僕はファンタジックな妄想を頭の片隅に置きながら、照明を消してベッドに入った。

 彼女の話は信じきれない。それが、第一印象であった。

 スマホを開いてみると、はなちゃんからメールん着信があった。タイトルが『警察にお話したこと』となっており、どうやら誘拐犯に仕立て上げられているらしかった。

 七椿さんの妹の話に続いて、彼女がある女の子にデザインを教えていたことが記されてあった。それは、さっき隣の彼女が喋ったことと同じであった。それに、七椿さんの妹に関しては隣の少女まんまであり、姉妹の母は行方不明になっていると書かれてある。

 いくつかの仮説が立った。色んなことが小説の話とくっついていく内に、僕は眠りに落ちた。

 夢では懸命に仮説の試行錯誤が行われた。

 

 

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