笹咲羽奈の場合
二、身体
「 え?カケル君がいなくなった?」
ミチルはあえて冷静だった。
「そうなの…何処いるかな…」
私は首をもたげながらデスクに肘をつく。今はお昼時で、私以外、皆外へ食べに行っている。
「心当たりは?ないの?」
「あったら苦労しないよ」
「だよね。ごめん」
ミチルの後ろを子供が通る。ミチルは二児の母だった。
大学で出会った男の人とそのまま結婚に至ったミチル。本人は、だらしない夫、と評価しているが、そこまでだらしなくは見えなかった。
「ちゃんと、ご飯食べてる?声からして、ずっと捜索中って感じだね。」
呆れた声のミチルは、向こうで子供をあやしている。
ママ、今日の晩ご飯は?男の子の声がした。長兄である悟くんは小学生で今は夏休みらしかった。
ママ、ママ。と、下の妹の真理ちゃんはママに抱っこを要求しているらしい。
はいはい、とミチルは明るく応える。懐かしい感じがした。
「ミチルごめんね。忙しい時期に、カケルが」
「はなちゃんが謝ることじゃないでしょ。カケルくんでしょ、悪いのは」
悪気がないのはわかるが、今は耳が痛く、心がキュッとする。幾ら現実とは言え、認めたくなかった。
「なんか、兆候なかったの?逃げ出す」
ミチルの声の近くに真理ちゃんの声がある。
「兆候ね…生憎、最近プロジェクトが立て込んでて、会ってなかったし…」
「デザイナーも忙しいもんですな」
呑気な口調のミチルに私は腹を立ったが、親友であり、こうして一種不安の吐口になってくれているため文句は言えなかった。
「うん。無理にでも会っとけばよかった。」
「それでも、カケル君の本心は変わってなかったと思うよ」
ミチルが冷淡に突き放す。
しかし、それでも本心を知っていたらどれだけよかっただろうか。
私は悔しさ紛れに、髪をくしゃくしゃにする。
わからない。その焦燥感が私の神経を逆撫でする。
心あたりなどない。なぜなら、彼の交友関係も何もかも知らないから。彼女のくせに何も知らないのだ。
「とりあえず、思い出してみよ。カケル君がどんな行動をとりそうか。」
「う、うん」
「まず初めの兆候は?」
「う〜ん…」
「兆候って言ってもあれか、じゃ、指針を変えよう。変なことし出したのはいつ頃から?」
ギクっとしたそのことを正直に伝えたほうが早くことが進むだろうか。生唾を飲む。
「言いにくいなら、お茶濁していただいても結構よ。」
「なら」
お言葉に甘えて。
「自傷行為?」
「なんで疑問?まぁ、いいや。それはどれくらい?」
「正確にはわかんない…始まりはわからないけど、終わったのは私に見つかったときかな」
「それいつ?」
待ってましたと言わんばかりの噛みつき具合。
「高2の夏休み?」
「…なるほどね。それで、次は?」
「えっと、次は変に身体を触り始めた?」
「ん?はなの?」
「そう」
「いつ」
「リストカットの後、だったはず…!」
しまった。口を滑らせてしまった。記憶を辿っていたらつい?口に出てしまった。
しかし、ミチルは気にする反応もなく、そのまま進んでいった。
「そっか、自傷行為の次か…」
どこか納得するような声。彼女の癖、考えるときに顎を触る姿がパッと浮かんだ。
「なんか見つけた?法則とか」
「まぁ、まだ証拠が欲しいかな。次」
催促する声が推理を披露するあれそのものだった。
「次は…ちょっと言いにくいかも…」
「初めのに比べればどうってことない感じがするけど」
ミチルは子供のときから変なところで勘が良かった。人の気持ちなどお構いなしの物言いなのに、時々打って変わって人の心を見透かしたかのように冷静に物言う時があった。大抵はいい方向に転がっていくのだが、稀にその見破りが裏目に出ることだってしばしばあった。
「う〜ん。言いにくいなー」
「う〜ん?はなちゃんが黙っているなら話は進められないな。…uh-huh?もしかして、まぁそいうことだろうな。」
一人で納得に入るミチルは無言の圧力をかけていた。
「わかったよ。カケルが教室で、キスしてきた」
「ほ〜ん。ちょっと外した」
「ちょっとって何よ」
「行為のほうかと思った」
あっけらかんとしすぎでは。
「まぁ、そっちもそっちだけど」
「そっちもそっちとは?」
「なんか、回経るごとに激しくなっていった、というか」
「あるあるでしょ。男の人はavとかでそういうの憧れている部分あるだろうし、マンネリを防ぐ口実にもなるし」
「つまりのところ?」
「それは変わってないかな。一時、私の旦那もそうだったし」
そうなのか?
「異常なのは、そのキスだね。サプライズの気持ちでやったのかね?」
「さぁ?今更聞かれてわかんない」
「こう見ると、性欲だけの変わり者かよって感じだけど」
「それは、さすがにやめて。それが事実でも、それをとやかく言えるのは私だけなんだから」
「ごめん。」
誠実な声だった。
「だけど、一つだけ法則っていうか、共通点が」
「何それ?」
「どれも、体に関してが多いよね」
「うん」
「もしかして、人間を確かめたかったんじゃないかな?」
「は?それどういう意味?だって人間は生きてて感てるじゃん?」
「それははなの感じ方であって、カケル君の感じ方じゃないとしたら?そんなの、無理に無い!とは断言できない。」
「どうして、そこまでの自信を?」
「旦那もそんなこと考えてた人間だから。」
え?
「生々しい話ね。旦那と初めてsexするときね、なんか服脱がせてくれるまではよかったんだけど、ブラの上からはね?胸、触ってくれるんだけど、そっから進まなくて。どうしたの?っていうとね、真面目な顔して、『人間の肌があんまりわかんない。どんなものかさっぱり。だから、こうやって人の肌を触ったり見たりすんの初めてなんだ』てね。私もポカンとしちゃって、そう今のはなちゃんみたいに」
何かを察したのか。ミチルは私の名を使った。
確かに、ポカンだ。そんな経験の浅い人間がこの世界にいるなんて。
「私、少し可笑しくて笑っちゃたんだ、そしたら旦那も笑ってたんだけど。どうやら、あんまりそういうのに関心がなかったみたい。ずっと、機械のこと考えてたら、いつのまにか大人になってた、て言いてたよ。旦那はそういうのに対して反動がなかったから変な性欲が出たりしなかっただけと考えられるならよ?カケル君自分の性のベクトルに気づいて、確かめてみたかったんじゃないの?だから、それが裏目に出てしまったとか?」
都合の良い解釈の前、具体例があったためか幾分まっとうに聞こえた。
私はカケルを知らない。それが大きな沼となって、私の足を取っていた矢先、ミチルという変に勘のいい親友に救われた気がした。
旦那さんも、カケルと程度の違いがあるとは言え、少なからず異常ではないとほっとすることができた。少なからずだが、この世界にはカケルみたいな人がいるのだ。
それでも、沼から抜け出した訳じゃない。次を考えなければ、この一手も意味をなさない。
「ありがとう。ミチル少し気が楽になった」
「まぁ、いいよ。子供ばっかりも疲れるから、いい頭の体操になったわ」
相談を頭の運動と捉えているあたり、彼女がゲーム感覚でカケルのことを聞いていたとなると少し腹も立つが、彼女のおかげで前へと進めたため、咎めるのはなしにしよう。カケルが無事なら、うんと愚痴を言ってやればいい。
「じゃ、ミチル。今度、ゆっくりお茶でもしよう」
「んー、じゃ、頑張って」
ミチルは軽い挨拶ともに通話を切った。
軽い休憩が入るが、時計に目をやればもう昼休みも終わりそうだ。この後会議がある。眠気覚ましがてら、コーヒを飲もうと席を立ったとき、オフィスに人が帰ってきた。
「笹咲。客が来てる。直ぐ、玄関に行ってこい」
先輩が穏やかな声で行った。指は下を指している。
「え?どなたですか?」
「知らんが、お前に用があるってよ。まぁ、行ってこいよ。昼がまだなら、ついでに外にでも食べてこい、会議は明日でいいから」
本当に大丈夫だろうか。でも、班長がここまで行ってくれているのだし、プライドを掲げて反論しても、ポキッと簡単に折られてしまうだろう。
「わかり、ました」
と、財布を持ち、班長のいる出口へと向かう。
「なにか思い詰めてそうだな。まぁ、言いたくなったら言ってくれ」
班長が横をすり抜けていった。
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