《ネモフィラと瑠璃》ネットを騒然とさせた二人組の音楽ユニットがこつ然と姿を消した。世間はあっというまに彼女らの音楽を忘れ、新しい音楽に関心が移っていく。
けれども「私」だけは、あの旋律をいつまでも忘れられずにいた。ヘッドフォンに閉じこもり、その曲ばかりを繰りかえし流し続ける。音に酔って頭が痛くなってもやめられない。音楽を手放せない。
「私」にとって、あの音楽は《言葉》だったからだ。
……なんて素敵な青い春なんでしょうか。
読みはじめたときはなみだのような青さが文章のあちらこちらから感じられて、読み進めるごとにそれは傷からインクが溢れだすようにぽつぽつと浸みだし、最後には晴れた空の青さに替わりました。
音楽を言葉だというその真意。ぜひとも読んで確かめてください。
最高の青い春を、読ませていただきました。
言葉である歌を失った少女は、立ち入り禁止の屋上でヘッドフォンをはめて音に溺れる。
けれど、その屋上の鍵はあってないようなもの。
ヘッドフォンもノイズキャンセリングで外音を完全に遮断しているわけじゃない。
もう、気づいて欲しがっているようにしか思えない。
そこに現れた少年は、彼女に歌って欲しい言う。
差し伸べられたその手を取り、事情をうちあけた上で前へと進むこともできたはすだ。
けれど、彼女はそうできない。奇跡を信じられずまた殻に閉じこもろうとしてしまう。
正直めんどくさくはあるけど、それは彼女の傷の深さを物語っているようだし、血が通って感じられる。
そうして一度拒絶があり、ヘッドフォンをつける頻度が減っていく過程がさらりとした描写ながら書かれいるからこそ、瑠璃の石言葉である「真実」が重みを帯び、それを肯定するかのような「音」は力強く響く。
高校屋上が舞台。ヘッドホンを耳にあてがい「わざと」ますます自分を孤に追い込む女子高生が一人。
彼女が聞き耽るそれは『ただの流行の音楽』ではありませんでした。
彼女にとって大切な……。
そこに現れたのは男子生徒、それも後輩だそう。
名乗った彼は唐突に『依頼』をします。
初めましてなんでしょ? なんでそんなことを言うの?
彼女のことを知りもしないで。そっとしておいてあげて。
心の傷を癒すには音楽が一番なのだから。
そう、癒すはず、なのに彼女は癒されるどころか……。
バラバラだったピースがかちり、かちりときれいにはまっていく爽快感。
とっても切ない物語。だけど読後感はまさかに爽やか。
至極のアオハル物語を堪能させていただきました!
とても心を動かされました。
『ネモフィラと瑠璃』は二人で音楽を作り、世に出していたアマチュアユニットです。歌唱担当のネモフィラこと律葉は、とあることがきっかけで歌うことができなくなり、心を閉ざしています。音楽という自分らしい表現を失い、苦しんでいる律葉の苦しみが痛々しいほどに刺さります。
そこに現れた翼が律葉に歌ってほしいと願ったことで、律葉の世界が少しずつ変わっていく。彼女の語る言葉から、音楽が自己表現の手段であり、相方の瑠璃との繋がりであり、かけがえのないものであったことがよくわかります。繊細な心の機微、心に傷を負ったものがそれでも音楽から離れられない因果。私自身にも思うところがありますが、それを抜きにしても苦しくて、切なくて、業のようなものを感じる小説だと感じました。
タイトルにもあるように、『音楽でしか生きていけない』んです。
音楽が出来なくなったら、もう生きている意味なんてないってくらいに純粋に音楽が好きなんです。そんな人が突然音楽を奪われたら……。
これは創作家にとって、他人事ではないことのように思います。
この作品には、敢えて(と私は思いました)最後まで曖昧にしてある部分があります。それがなんだか曇り空のようでいて、でも最後のシーンでは主人公=律葉さんに確実に光が差し込んでいた。
逃げ出したくなるようなギリギリの境界で、それでも律葉さんは救われていた。音楽で生きたいと言う願望によって。
終始晴れ渡った青春じゃあなくって、雨上がりに雲の隙間を縫って光刺すような青春の方が『小説でしか生きていけない』人は共感出来る。そう思いました。