第二話「鋼のゴーストハンター」
時刻は23時前。大きめのバッグを背負った浸に連れられて和葉が訪れたのは、和葉がいつも通る霊のいる空き家だった。
「も、もしかしてここの除霊……するんですか……?」
「ええ、ここが職場体験の場です」
和葉にとっては近づくだけでも恐ろしい場所だ。今も門の向こうには、幼い少女の霊が立っている。なるべく目を合わさないようにはしているが、彼女は間違いなく和葉のことを見ていた。
「では行きますよ」
浸が平然と門を開け始めると、和葉小さく悲鳴を上げる。
「そ、そんな躊躇なく! あの霊、絶対ヤバいんですよ!」
「私は霊感が低くて本当にわからないんですよ。だからいつも、行くしかないんです」
「行くしかないって……どれだけ危ないのか、わからないのに行くってことですか!?」
「……そうですよ」
浸はそう答えると、一度視線を門から和葉へ移す。
「苦しむのは、生きている者だけではありませんからね……きっと。感覚的にわからないのが口惜しいとさえ思います」
そう言ってから、浸は鍵のかかっていない門を開く。その瞬間、和葉の中に悍ましい気配が流れ込んでくるような感覚があった。
「うっ……!」
吐き気を催すような悪意だ。全てを塗りつぶしてしまいかねない。もう和葉は、夜の匂いや虫の声も聞こえない程塗りつぶされかけていた。
「難しいかも知れませんが、落ち着いてください。私でも微かに嫌なものを感じます。それ以外には何か感じませんか?」
「それ……以外……?」
浸にそう言われて、和葉は少し意識する。泥の中に落ちたものを探すような感覚だったが、確かに何かあるような気がする。そうして探るように意識を集中させていると、泥のような悪意の中で小さく、たすけて、と聞こえた気がした。
「えっ……?」
思わず和葉が見たのは、前方に立っている霊だった。
「今、たすけてって……」
少女は、和葉と目が合った途端、涙をこぼす。それを見た瞬間、和葉は悪意の主が彼女ではないと確信した。
「……待ってて! 今行くから!」
「早坂和葉! 待ってください、なるべく私の後ろに――――」
浸が言い終わるよりも、和葉が門の向こうへ駆け出す方が早い。少女に駆け寄った和葉は、すぐに少女と視線を合わせるために身を屈めた。
「だ、大丈夫!?」
そう言った瞬間、落ちてきた泥が首筋から背筋を伝うような感覚があった。
「早坂和葉!」
思わず見上げた瞬間、不自然なまでに面長の男と目が合った。
黒い目が、黒だけに感じられない。まるでパレットの上で滅茶苦茶に混ぜた絵の具だ。黒のような、深い緑のような、濁りきった色の眼が、和葉を飲み込もうとしている。
「ひっ……!」
和葉が悲鳴を上げた瞬間、背後から浸が飛びつく。そして次の瞬間、音を立てて地面に男が落下する。
慌てて確認すると、すぐ側に木があるのがわかる。どうやら男は、その木に逆さにぶら下がっていたようなのだ。
「……どうやら本当に”ヤバい”のが姿を見せたようですね」
和葉を後ろにやりつつ、浸は立ち上がる。
男は、顔から地面に着地したまま動かない。それどころか、その態勢のまま浸に向き直った。
「やっト……ひッ……ひっカカった、ナぁ……?」
地面についたままの男の顔の側面から、虫のような足が無数に生える。腕は真横に広げられ、足はだらしなく垂れ下がっている。そして腹部に縦の穴が開き、その上に二つの目が浮き出てくる。男は腹部の縦穴を動かし、イントネーションの狂った日本語を吐き散らした。
「ズっと……こウしテ……コロしてェって……マッてたのニ……」
「完全に悪霊化していますね……」
「これが……悪霊……?」
和葉が今まで見てきたのは浮遊霊ばかりだが、幾度か悪霊と言える存在を見たことがある。それらはどれも負の感情を撒き散らしていたが、このように異形の姿を持っているわけではなかった。
「悪霊化した霊は、こうして自身の姿を変質させることがあります。このように歪なものも、珍しいわけではありませんよ」
「……っ!」
そして次の瞬間、和葉の中に厭な感覚がなだれ込む。規格外の殺意と悪意が、和葉の中で滅茶苦茶に暴れ出す。思わず嘔吐しかけて、和葉は口元を抑えた。
「こ、この人……何人も、殺してる……。この場所で……あの女の子に釣られて近寄ってきた人も……殺してる……!」
「……なるほど、そこまで感知してしまうのですね、あなたは」
浸は静かにそう言って、バッグの中から、包帯の巻かれた何かを取り出す。
「ナっ……なん……ダ、ぁ……?」
「では……祓いましょう。この雨宮浸の名において」
はらりと。包帯が解かれる。三日月に似た美しい銀色が、月の薄明かりを僅かに反射させる。
「か、刀……?」
ソレは、俗に青竜刀と呼ばれる武器だ。浸は演舞のようにそれを鮮やかに振り回し、身構える。
「アッ……アッ……ああああああアあァああアぁああァァああ!」
男――悪霊の身体から、無数の触手が伸びる。浸はそれらを全て青竜刀で切り落とし、果敢に悪霊へと迫っていく。
距離を詰められた悪霊は、手足を歪に動かして対応するが、浸のスピードに追いつかない。首を軸に身体を振り回し、回避するのが精一杯だ。
そんな様子を見つめつつ、和葉はふと少女の存在を思い出す。浸と悪霊の戦いのすぐそばで、少女はうずくまって震えていた。浸はなるべく少女から遠ざかろうと動いているようだったが、悪霊の方は今の位置をキープしたまま浸と戦闘を続けている。
「お姉……ちゃ……」
思わず和葉は走り出してしまう。悪霊は浸との戦闘で動けないだろうし、今のままでは浸が戦いにくい、せめて自分が少女を浸から遠ざけなければ。そう考えたのだ。
案の定、浸に気を取られている悪霊からの妨害はなく、和葉は少女の元へ辿り着く。このまま抱き寄せて一度この場を離れれば良い。そう思った瞬間、風を切る音がした。
「えっ……!?」
浸によって切り落とされたハズの触手が、再び和葉へ伸びている。それを理解した瞬間、和葉は咄嗟に少女へ覆いかぶさる。霊による霊への攻撃がどのような影響を及ぼすかなど和葉にはわからなかったが、身体は勝手に動いていた。
そして覚悟して目を閉じる……しかし、和葉が覚悟した瞬間は訪れなかった。
「……早坂和葉……私は、あなたのことが気に入りましたよ」
「あ、雨宮さんっ……!」
雨宮浸が、和葉達をかばうようにして立っていた。
その身体には無数の触手が刺さり、黒いスーツが血に染まっている。
「あ、ハは……キ、も……チイ……」
「わ、私のせいで……雨宮さん!」
泣き叫ぶような声を上げる和葉だったが、浸は不敵に笑みを浮かべる。
「私は鋼のゴーストハンター雨宮浸! この程度の傷、かすり傷にも入りませんね!」
そう叫ぶ浸の手に、青竜刀がないことに和葉は気づく。どこかに落としたのかと探していると、上空でクルクルと回る銀の刃を見た。
「私は霊触は得意な方でして」
落下する刃が、悪霊の身体を切り裂く。真っ二つに両断された悪霊は、悲鳴を上げる暇もなく消滅を始めた。
「多少手を離れた武器でも霊を切れるんですよ。アディオス、良い旅を」
天国と地獄、その有無はわからない。けれど例え悪人であったとしても、行き先が地獄であったとしても、雨宮浸はそれが良い旅であることを願う。せめて旅路の間だけでも、安らかでいて欲しいと、そう雨宮浸は思っているのだ。
「雨宮さん! 雨宮さん!」
「ふふ、心配しなくても私は元気ですよ。身体は異様に丈夫なので……それに、傷は浅めですから」
「そ、そうだとしても……!」
「それよりも、彼女の方へ行ってあげてください」
そう言って浸が視線を向けたのは、少女の方だった。和葉は躊躇いながらも、少女の元へ駆け寄っていく。
「あ、うあ……お姉ちゃ……」
少女は和葉へ助けを求めるように手を伸ばすが、その言葉は要領を得ない。それでも和葉は、うんうんと頷いた。
「……怖かったね。もう大丈夫だよ」
「あ、……う……」
「うん、わかった。お父さんとお母さんの所に連れてってあげる」
和葉がそう言うと、少女は和葉へしがみつく。和葉は少女を抱き上げ、浸の元へ戻っていく。
「……あの、雨宮さん、少し寄りたい場所があるんですけど……」
「ええ、勿論構いませんよ」
和葉が向かったのは、ここより少し離れた場所にある住宅街だ。その中の、加藤と表札に書かれた家へ向かうと、そこで和葉は少女をおろした。
「裕子ちゃん、ここで合ってる?」
和葉の言葉に少女――裕子は頷くと、すぐに家の中に壁をすり抜けるようにして入っていく。
その様子を見送ってから、浸は口を開いた。
「……子供の霊は、悪霊化していなくても意識が混濁していて、うまく話せないことが多いんです」
「……はい」
「あなたのような人だけなんですよ。ああいう霊の名前を呼んであげて、未練を少しでも晴らしてあげられるのは」
和葉は、裕子の記憶をその霊感で読み取っていた。あの家の近くで既に悪霊化していたあの男に殺され、それ以降は霊の見える人間をおびき寄せるための餌にされていたのだ。
裕子は、言葉にならない声で必死に訴えていた。もう一度だけ、家に帰りたいと。
「あっ……」
和葉が感じていた裕子の気配が、消えていく。じんわりと身体に広がるような安心感が、夜風で冷えた和葉の身体を温めたような気がした。
「早坂和葉……あなたは優しい人です。あれだけ迷惑がっていた霊を、身体を張って助けようとした。もし彼女が悪霊に傷つけられていれば、その傷が原因で彼女の魂は淀み、悪霊化していたかも知れません」
「そうだったんですか……」
「あなたの行動は正しい。あなたの力は……正しいことに使えます。今夜のように」
ずっとずっと、嫌だった。迷惑なだけで、怖いだけで、こんな力はいらないと、そう思っていた。気味悪がられるだけの、他人からも自分からも否定される力だった。
だけど、正しいと言ってもらえた。
これがどれほどの希望なのか、和葉自身にすら計り知れなかった。
ただずっと溜め込んでいたものが急に押し寄せて、和葉は思わず涙を流した。
きっとずっと、誰かに許容して欲しかったんだと、ようやく気づいた。
「早坂和葉。私の助手になりませんか? 私にも、霊にも……あなたの力は必要です」
差し伸べられた浸の手を、和葉はそっと取る。
「……はい、よろしくお願いします」
雨宮霊能事務所。明日からはそこが、早坂和葉の新しい居場所である。
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