第二十二話「ピンポン玉をぶつければ一本ではないのか?」

「裸の付き合いというのも悪くありませんね」


「……ああ。お前の身体は引き締まっていて美しい。もっとよく見せろ」


「ふふ……こんな傷だらけの身体で良ければいくらでも眺めていただいて構いませんよ」


「その傷こそが美しい。お前が身体を張って誰かを助けた証に他ならない」


「そうですね……そう言われると、この傷も勲章のように思えてきますね」


「…………いや、なんなのアンタらのその空気……」


 湯に浸からず、タオルすらつけずに語り合う浸と絆菜を、露子は湯船に浸かりながら見つめていた。


「見てみてつゆちゃん! 温泉卵! 後で一個あげますね!」


「……こいつはこいつでこんなんだし……」


 和葉は温泉、と聞いてすぐに卵を準備し、今は嬉々として湯船に浸けて出来上がるのを待っている。ちなみに許可は取ってある。


「……お前、私よりスタイルが良いんじゃないか?」


「そんなことはありませんよ。赤羽絆菜の方がすらっとしていて美しいではありませんか」


「それは私の胸がお前より小さいだけだ。お前のプロポーションは完璧だ。普段何をしている?」


「ええい! はよ入らんかい!」


 素っ裸で語り合う二人を怒鳴りつけ、露子は深くため息をつく。


「……あたし何でここにいるんだっけ……」


 話は、数時間前に遡る。










 赤羽春子が成仏してから数日後の夕方頃、仮面について調べていた露子は、浸に報告するために雨宮霊能事務所を訪れていた。


「元からこの仮面は、使用者を半霊化させるために使われてたらしいわよ」


「なるほど……。そうすることで戦闘力を上昇させることが目的だったのでしょうか」


「でしょーね。だけど霊力の込められた霊具だから、霊力が淀んでしまって封印されたってとこかしら」


 仮面の片割れを弄びつつ、露子は推測を口にする。


「もうあたし達にはピンと来ないけど、何十年も前に赤マントって怪異の噂が流れてたらしいわ。もしかして正体はこの仮面に取り憑かれた霊能者なんじゃないの」


「かも知れませんね。しかし気になるのはそれよりも……」


「あのツギハギ女ね」


 そう返す露子の目の前に、何故かグラスに入ったコーラが置かれる。それを見て露子が訝しんでいると、浸の前にはコーヒーが置かれた。


「ちょっと! 何であたしがコーラで浸がコーヒーなのよ!」


「つゆちゃん苦いの苦手なのかなって思って……! コーラ、嫌いでした?」


「……好きだけど」


「良かったぁ」


 安堵する和葉に毒気を抜かれ、露子は諦めてコーラを口にする。よく冷えた、清涼感のある炭酸飲料に喉が唸りそうになる。うまいものはうまかった。


「彼女についてはまだわからない部分が多いですね。何か手がかりになるようなことは言っていませんでしたか?」


「手がかりらしいことは言わなかったわね。ただ……赤マントは子供をさらって殺さないとって、そう言ってたわ」


「……赤羽絆菜があのような状態に陥ったのと、彼女は関係があるのかも知れませんね」


「ああ、私が仮面をコントロール出来なくなったのは、あの女に出会ってからだ」


 不意に、事務所の入り口からそんな声がする。見るとそこには、紙袋を提げた赤羽絆菜の姿があった。


「ふふ、待っていましたよ赤羽絆菜」


「待たれていたか。光栄だ。そしてこれは土産だ」


 言いつつ、絆菜は紙袋を机の上に置く。


「……この紙袋は……!」


「お、知っていますか早坂和葉」


 浸の言葉に、和葉は凄まじい勢いで首を縦に振る。


「それはもう! 数量限定で一日十数人分しか販売されない、乙君おつきみ屋の限定モナカ! どうやってこれを!?」


「朝から並んでなんとか掠め取った」


「神よ……」


 和葉は急に跪いて絆菜を崇め始めたかと思えば、今度は慌てて絆菜の分のコーヒーを淹れ始めた。


「神様! コーヒーでよろしかったですか!?」


「いや、甘党なんだ。すまない」


 申し訳無さそうに絆菜がそう答えると、そのそばで露子がわざとらしく笑みをこぼす。


「あら、意外とお子様なのね」


「ああ、お前と同じだ。仲良くしよう」


 冗談めかしてそう言う絆菜だったが、露子はそれを睨みつける。


「ていうか何でここにいるワケ? アンタ半霊でしょ?」


「ああ、だが悪霊ではない。私はこれから、この事務所で和葉先輩の助手になる」


「ハァ!?」


 露子は思わずグラスを落としかけたが、なんとか持ち直して机の上に戻した。


「えへへ……そんな神様の先輩だなんて……和葉で良いですよぅ」


「そういうわけにはいかない。先輩は先輩だ。あと、神様はやめてくれ。そんな良いものではないよ」


 絆菜が落ち着いた所作で浸の隣に座ると、目の前にコーラの入ったグラスが置かれる。


「そこは助手の席よ」


「そうか。ではお前の隣に座ろう」


「勘弁してよね。何であたしが半霊と仲良く隣り合わなきゃいけないのよ」


「あ! じゃあ私つゆちゃんの隣座るから! ほら仲良し仲良し!」


 慌てて間を取り持って、和葉は露子の隣に座る。露子はまだ不満げだったが、絆菜はさほど気にしていないようだった。


「浸、マジでそいつ雇うワケ?」


「ええ。彼女はそのために呼んだんですよ」


「……あいつは半霊よ。いつ悪霊化するかわかんないわ」


「その時は私が責任を取るまでです」


 にべもなくそう言い切られ、露子はバツが悪そうに顔をしかめた。


「それよりも、詳しい話を聞かせてもらえませんか? 赤羽絆菜、あなたはどのような経緯で暴走してしまったのか……」


「……それについてだが、私にも詳しいことはよくわからない。あのツギハギの女に出会って、無理矢理仮面をつけられたところまでは覚えているんだがな……」


 赤羽絆菜の身体は、今も半霊化したままだ。


 あの仮面を長期間に渡って使い続けた上、再生能力を何度も使用したせいで人間に戻り切れていないのだ。


「じゃ、振り出しね。結局あのツギハギ女については何もわかんないってことでしょ。はい解散」


 そう言ってコーラを飲み干すと、露子は席を立つ。


「ふふふ……そうはいきませんよ朝宮露子」


 しかしそんな露子を、浸は不敵に笑いながら引き止める。


「……何よ」


「赤羽絆菜の歓迎会をしますよ! 朝宮露子!」


「…………は?」


 そのまま流れで送迎バスに詰め込まれ、朝宮露子は旅館へと連れて行かれたのであった。










「……ぷはっ! 大体! あたし浸の事務所の人間じゃないでしょーが! 何で歓迎会に巻き込まれるワケ!? ていうか聞いてないわよ!」


 更衣室を出てすぐのロビーで、浴衣姿で牛乳を一気飲みしながらキレるその姿は、不服なのか満喫しているのかよくわからない。隣では、和葉が牛乳を三本程飲み終えていた。


「しかし世話になっている朝宮露子を呼ばないという選択肢は、私にも早坂和葉にもありませんでしたね」


「ですよねー」


 温泉卵を配りながら、和葉は満面の笑みで浸に同意する。


「私は全て初耳だった。サプライズは嬉しいぞ。温泉卵もうまい」


 和葉にもらった温泉卵を口にしつつ、絆菜は満足げにそう言う。


「はぁ……もう怒るのも疲れてきたわね……」


「あ、みてみて卓球台! 浸さん、卓球しましょうよ!」


 そんな露子をよそに、卓球台を見つけた和葉がはしゃぎながら指差す。それを見た浸は小さく頷いて歩み寄っていく。


「ふふふ……卓球少女浸ちゃんと呼ばれた私に勝てますか……?」


「そうなんですか!?」


「いえ冗談ですが」


「もう浸さんったらぁ!」


 とは言え浸の身体能力は常人のそれより遥かに高い。普通にやれば和葉では歯が立たないだろう。


 もちろん、そんな大人げないことを浸はしなかったし、和葉もわかっていたので二人はのんびりとしたラリーを始めていた。


「……卓球か」


「何よ、アンタもやりたいの?」


「ああ、興味がある」


「……あっそ」


「やろう」


「誰がやるか!」


「まあそう言うな。私の相手はお前しかいない」


 平日なせいか客も少なく、基本的に高齢者ばかりだ。絆菜は既に卓球台の方へ向かっている。そこからこちらへ手招きする絆菜を突っぱねようかとも思ったが、周囲の目が気になった露子は諦めて向かっていった。


「言っとくけど、容赦はしないわよ」


「全力で来い。私は本気の勝負が一番好きだ」


「喰らいなさい、あたしの弾丸サーブをっ!」


 洗練された美しいフォームから繰り出される露子のサーブは、まさに弾丸と言えた。高速で飛来し、机上で跳ねたピンポン玉をその目でとらえ、絆菜は全力で打ち返す。


「これを……受けきれるかっ!?」


 それは回転のかかっていない、単純な直球だ。


 ピンポン玉はネットを飛び越え、そのままストレートに露子の顔面へ向かっていく。


「は?」


 そして見事、ピンポン玉は露子の顔面に直撃した。


「受けきれなかったようだな。これで私の一本か?」


「アホかぁーっ! ルールもわかんないの!?」


「相手にピンポン玉をぶつければ一本ではないのか? 和葉先輩と浸はガードし合っていたいただろう?」


「……このあたしが……一から卓球を叩き込んでやらぁぁぁぁっ!」


 それから数十分、朝宮露子先生の卓球教室が始まるのであった。






 卓球の後は部屋で豪華な食事が振る舞われ、特に和葉は快くまで料理を楽しんだ。露子は絆菜にはまだつっかかっていたものの、諦めて料理と雰囲気を楽しんでいるように見えた。


 そうやって騒いでいる間に夜が更け、すっかり疲れてしまった和葉と露子はその場で眠ってしまう。そんな二人を布団の中で寝かせてから、浸は外の空気を見ながら日本酒を嗜んだ。


 風呂に卓球に食事、場の空気で上がっていた体温を夜風で冷やす。風に揺れる木々を見ていると、どこか心が落ち着くような気がした。


 そんな浸の隣に、絆菜が座り込む。


「一緒にどうですか?」


「……そうだな。少しだけもらおう。あまり強くないがな」


 おちょこに注がれた日本酒を、絆菜は少し口にする。思ったよりもキツめのアルコールに驚きながらも、絆菜は微笑んだ。


「たまには悪くないな、こういうのも」


「そうでしょう。あなたはこれまで、ずっと気を張り続けていたのではないですか?」


「ああ、そうだ。そうだったよ。でも今日は忘れられた」


「それは良かった……私も、今日は楽しめましたよ」


「良い上司だよ。本当に……もっとはやくお前と出会えれば良かったな」


 自嘲気味に、絆菜はそうこぼす。


 もっとはやく浸と出会えていれば、もっとはやく楽になれた。もっとはやく、こうして浸とゆっくり出来たのだ。そう考えると、今までの時間が絆菜にとっては口惜しく感じられる。


「ふふ、私ももっとはやく赤羽絆菜と会いたかったですね。ですが、こうして出会うことが出来ました。今はそれを喜びましょう」


「……そう、だな」


 そう答えた時には既に、絆菜はその場に倒れていた。少し驚いて様子を見て、浸はクスリと笑みをこぼす。


「……おや。本当にあまり強くなかったのですね……」


 すっかり寝入ってしまった絆菜をそっと運び、布団の中で寝かせると、浸は一息つく。


「ようこそ、雨宮霊能事務所へ」


 絆菜の寝顔にそう声をかけてから、浸は一人きりの晩酌を再開した。

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