第二十三話「強襲! お好み焼きの達人!?」
その日は、ゆるやかな雨の日だった。
時刻はまだ正午だったが、雨雲に覆われた空は黒い。風のない比較的穏やかな天気と言えば聞こえは良いが、どちらかというと風すらない寂しい天気だった。
そんな灰色の昼下がりの住宅街に、一人の少女が佇んでいる。その表情に生気はなく、今日の空を映したかのような顔色だ。
少女の元へ、一人の女が歩いてくる。少女が振り向くと、女は穏やかに微笑んで見せた。
「……こんにちは」
女は後ろで手を組んで、少女へ歩み寄ってくる。少女はただ、女を見ていた。
「……あなたのことは……知っています」
ささやくようでいて、寄り添うような声音だ。
いつの間にかすぐそばまで近寄ってきていた女は、雨水より少しだけ温かい息を吐く。
女の背丈は、170cmくらいだろうか。少女を少し上から見下ろすと、長い黒髪が垂れてくる。
「ごめんなさい……何も、してあげられなくて……」
悲しそうにそう呟いて、女はそっと後ろ手に隠していたものを少女の足元へ転がした。
「え……?」
少女の戸惑いに、女は笑みを返す。
足元には、死体が転がっていた。
「だから……せめて、あなたの恨みだけは……晴らすお手伝いをさせてもらえませんか……?」
女の声と態度には、悪意がない。心底申し訳なさそうに、純然たる善意で申し出ている。
「大丈夫……うまく、出来ますから……。私が、手伝います」
女はそっと少女の頬に触れてから、そっと抱き寄せる。
「もう一人じゃないんです……。これから沢山復讐して、沢山鬱憤を晴らしてください……」
ああ、こんな言葉に救われてはいけない。
これは救いの手ではない。深淵から伸びた悪魔の手だ。
それなのに、どうしようもなく少女は救われてしまった。
こんなに気持ちに、本心に寄り添われたことはなかったからだ。
「さあ、ソレの手を取ってください……。その人の罪はきっと……死だけでは償うことが出来ませんから……見せしめにしましょう」
たおやかに微笑んだその女を、少女は美しいと思ってしまった。
そのまま、誘われるままに少女は死体の手を握りしめる。
ずるずると。引きずる音がして。
少女はその場から立ち去った。
ある日の昼下がり、雨宮霊能事務所を八王寺瞳也が訪れた。
「ひーたーるちゃん。ちょっと良い?」
事務所の中に入りながらおどけた様子でそう言う瞳也を、絆菜がソファへと案内する。
「ええ、構いませんよ」
「そりゃ良かった。で、このべっぴんさんは?」
「赤羽絆菜だ。ここの助手の助手だ」
浸の代わりに絆菜がそう答えると、瞳也は少し驚いたような顔を見せてから嗤う。
「助手の助手か。ということは早坂ちゃんの後輩ってことになんのね」
「ああ。和葉先輩は有給を消化中だ」
「そーなの?」
確認するように瞳也が問うと、浸は大きく頷く。
「早坂和葉は最近頑張り過ぎというか……これは私の責任でもあるのですが、時間外労働が多かったように思いますから。丁度赤羽絆菜が来てくれているので、少しお休みしてもらっています」
勿論和葉は最初拒否していたが、浸と絆菜の説得で渋々有給を使うことを決めた。
「しかし若いのに働きたいなんて珍しいねぇ。おじさんなんてもう休みたくってしょうがないよ」
「ふふふ……早坂和葉は勤勉ですからね。それに、赤羽絆菜にも仕事に慣れてもらわないといけませんし」
そんな会話をしている内に、絆菜がコーヒーを淹れ終わる。
「ありがとね。いただくよ~」
瞳也は出されたコーヒーを喜んで口にしたが、数秒後には微妙な顔で固まってしまう。
「……なるほどね」
「……すみません。そろそろいけるかと思ったのですが……」
気まずそうにそう言いつつ、浸はコーヒーを一口飲む。
「……何故だ。和葉先輩に教わった通りにやったハズだ」
「もう一度早坂和葉のくれたメモを見た方が良いかも知れませんね。どこかの工程でミスをしているかも知れません」
浸にそう言われ、絆菜は慌ててメモを確認し始める。
「……豆を間違えた」
どうやらインスタント用とドリップ用のものを間違えたらしい。絆菜はすぐにコーヒーを淹れ直し始める。
「すまない。すぐに淹れ直す」
「あーいいよいいよ。これはこれで趣があるし」
「……ふ、浸の知り合いは良い人間ばかりだな。待っていてくれ、必ず最高のコーヒーを淹れる。インスタントですまそうという甘えが生んだミスだこれは」
妙に気合の入った絆菜の背中にやや戸惑いつつも、瞳也は一息ついてから浸に向き直った。
「よし、本題に入ろうか」
「ええ、お願いします」
「悪いニュースとなんとも言えないニュース、どっちから聞きたい?」
「八王寺瞳也の話したい方からで構いませんよ」
「じゃ、悪い方行こうか」
そう答えて、瞳也は深くため息をついてみせる。
「最近、この町で変な噂ばかりが広まり始めてる」
「変な噂……というと、こないだのトンカラトンのようなものですか?」
「そそ。そういう感じのやつね」
もうすっかり味に慣れたのか、瞳也は平然とした顔で絆菜のコーヒーを口にしつつ話を続ける。
「やれひきこさんだのさっちゃんだのみっちゃんだの、結構噂になってんのよ」
「……ここにきて都市伝説ブームということですか?」
「……なら良かったんだけどね。結構被害者が出ててうちでも問題になってるわけよ。しかも殺子あやこさんの話まで出てくる始末。まるでタイムスリップだよ」
殺子さん、という単語を聞いた瞬間、浸は顔色を変える。
「危険ですね」
「殺子さんか……懐かしいな」
淹れ直したコーヒーを配りつつ、そう呟いたのは絆菜だ。浸はコーヒーを口にして味を確認して頷いてから、そうですねと頷く。
「あの時はちょっとしたパニック状態でしたね」
「都市伝説にありがちな、話をしたら現れる系のやつだったよね。確かおじさんも昔はちょっと怖かったな~。うん、おいしくなったねコーヒー」
コーヒーを口にしつつ、瞳也は絆菜に微笑む。
「しかしアレはただの噂話ではないのか?」
怪訝そうに絆菜が問うと、浸は首を左右に振る。
「こう言った噂は霊の存在を変質させることが多いですから。こういう噂は負のイメージを拡散させやすいので、霊が悪霊化しやすくなります。それも、噂に近づくので凶暴になりやすいのが厄介です」
「……なるほどな」
殺子さんが実在するかどうかはこの際問題にはならない。ゴーストハンターにとって問題なのは、殺子さんの噂そのものの影響を受けてしまう霊や、噂に踊らされる生きた人間だ。
「……それで、なんとも言えない方とは? 今の話と関係はありますか?」
一息ついてから浸がそう切り出すと、瞳也は小さく頷いてから話し始めた。
「上が霊滅師れいめつしに依頼したよ」
「……なるほど、それはなんとも言えないというか……リアクションの取りづらい話ですね」
「犠牲者が出始めた以上、このまま放置は出来ないからねぇ。霊滅師協会に連絡入れたらしいよ」
「まあ、それで事件が収まるならそれに越したことはありませんね。そう考えると良い話なのでは?」
「……それを結構真面目に言える浸ちゃんの人間性、おじさんは好きだけど心配になっちゃうな」
そんな二人の会話に、絆菜はついていけずに眉をひそめる。そんな彼女に気づいて、浸は説明を始めた。
「霊滅師というのは、我々ゴーストハンターと同じ悪霊退治の専門家ですよ」
「何故名前が違うんだ? ややこしいだけだろう」
「霊滅師になるには、霊滅師協会と呼ばれる組織に認められる必要があります。あそこは……少し言い方が悪くなりますが、旧態依然としたところがあるので、基本的に血統主義なんですよ」
浸の実家は農家だ。霊能者の家でもないし、浸自身それ程高い霊力を持っているわけではない。霊滅師協会に霊滅師として認められるのは、基本的に名門の家から出た霊能者だけである。余程霊力があり、かつ協会とのパイプがあれば家柄に関係なく霊滅師になることも出来るが、浸はどちらにも該当しない。
「ゴーストハンターというのは、元々霊滅師協会に属せない、或いは属したくない霊能者が勝手に始めたものなんですよ。歴史も実は浅いのです」
「だからぶっちゃけ仲はそんなに良くないんだよね。黙認はしてくれてるんだけど、お互い商売敵とも言えるし」
言いつつ、瞳也はコーヒーを口にする。
「ま、そんなわけだからちょっと気をつけてねって話。あと、おじさんが言ったって人に言わないでよ? 怒られちゃうからね」
冗談めかしてそう言ってから、瞳也はコーヒーを飲み干すと事務所を後にした。
僅かな足音と、静かにページをめくる音を耳にしながら、和葉は静かに図書館で本棚の前にいた。
浸に説得されて有給をとった和葉だったが、使い方がよくわからない。今まではバイトを毎日入れていたし、休日も特にすることがなかった。
和葉は霊が見えるし、強く感じ取ってしまうのでなるべく外出を避けていた。学生時代からずっとそういう風に過ごしてきたせいで、こういう休日に慣れていない。
今までは霊の気配に怯えてばかりだった和葉だが、浸と過ごす内に恐怖が薄れていった。そのおかげで、こうして安心して外に出られるようになったのだ。
(えっと……あ、あった!)
探していた本を見つけて、和葉はすぐにそれを手に取った。コーティングされた表紙の手触りがなんだか懐かしくて、和葉は何度か撫でてしまう。
学生時代は親しい友人が少なく、休憩時間を図書室で過ごすことが多かった。浸のところで助手をやるようになってからは、卒業していたこともあってこういった場所に来る機会がなかったのだ。
しかし受付付近の機械で本を借りようとしたが、財布の中に入れておいたハズの会員証がない。慌ててバッグの中を探したが、それらしいものは入っていない。
「わ、忘れちゃった……」
がっくりと肩を落とし、諦めて手続きをキャンセルしようとすると、後ろから細い腕が伸びてきて、機械に会員証のカードがスキャンされた。
「えっ……?」
「お困りなんだろ? 俺のカードで借りれば良い」
「えっ? え……?」
急なことで混乱する和葉だったが、スーツ姿のその男は手際よく手続きをすませていく。
短く整えられた、明るいブラウンの頭が和葉の方へ振り返る。
「これで良しっと。ああ気にしないで、ただの善意だよ」
穏やかな表情をしているが、芯の強そうな顔立ちだ。彼はまっすぐに和葉を見つめると、そっとその手に本を乗せる。
「俺もこの本好きでね。君と同じ本が好きだなんて、ちょっと嬉しくなっちゃうな」
「……はぁ」
ポカンとした表情で頷く和葉と、微笑む男。微妙な空気が漂っていたが、男は笑顔を崩さなかった。
「……あ! ありがとうございます!」
ハッと我に返り、慌てて和葉が頭を下げると、男は良いよ良いよと和葉の肩を叩く。
「今日は本を借りに来たんだけど、ちょっと気が変わったな。自分の会員証で人の本を借りたのは初めてだし、気分も良い。この後近くの喫茶店でお茶飲まない? ってもお昼時だね。いっそお昼にしない?」
急に誘われて困惑する和葉だったが、実際そろそろ昼食にしようと思っていたところだ。
「えっと……じゃあ、お昼にしますか……?」
「決まりだね! 何食べたい?」
「うーん……あ! ここのそばに出来たお好み焼き屋さんなんてどうですか?」
「……」
和葉がそう提案すると、男は急に黙り込む。
「えっと……お好み焼き、ダメですか?」
「……いや、違うんだ。ごめんね。俺は今、すごく驚いているし嬉しいんだよね」
「え?」
「まさか初めてのことが一日に二回も出来るなんて思わなかったよ。そのお好み焼き屋、俺は知らないんだ。よし行こう、今日は最高だ」
男は表情を一気に明るくさせると、和葉の手を引いて図書館を出て行く。
ちなみにこれは立派なナンパなのだが、和葉はあまり理解していなかった。
「
場所は変わってお好み焼き屋のカウンター席。和葉は名刺を受け取って読み上げる。
「そ。俺、一応院長ってわけ」
「和葉ちゃんは……大学生くらいかな? それとももう仕事してる?」
「あ、えーっと……雨宮霊能事務所ってとこで、助手をやってます」
「へえ、そうなんだ。面白い仕事してるね」
琉偉はそう言いつつお冷を飲みつつ、目の前の鉄板に目をやる。そして急に、その切れ長の瞳で店員を睨む。
「あーはい! はいはいやめやめ! 冗談じゃないよ、まったく」
琉偉は身を乗り出して店員の手を止める。
「ちょ、ちょっと何するんですか!」
「あのさぁ。俺はここに初めてきたわけよ。わかる? そんで今からおたくは何を作るわけ? お好み焼きだろ」
「そ、そうですけど……」
戸惑いつつ店員がそう答えると、琉偉は店員の手を強く握りしめた。
「あ、いたたたたたた!」
「そうだよ、お好み焼きだろ。なのにおたく何? そんなんじゃおいしくならないよ。しかもそれ関西の焼き方でしょ? 真面目にやってくれよな」
「ちょ、ちょっと番匠屋さん!」
慌てて止めようとする和葉だったが、琉偉は和葉を静止してそのまま続ける。
「俺はさ、お好み焼きは広島のが好きなのよ。そもそもなんだよこれ。生地が泣いてないか? 折角初めて来た店なのに、こんなしょうもないの食べさせられちゃたまんないわけよ」
「な、何をめちゃくちゃな――――」
「めちゃくちゃしてんのはおたくでしょ? ああもうどいてくれ、俺がやる」
琉偉はすぐに立ち上がり、強引にカウンターの向こうへ入ると店員を押しのけて勝手にお好み焼きを焼き始めてしまう。
「え、えぇ……?」
店員が店長を呼びに行っている間に、琉偉はてきぱきと準備を整えていく。
「店長! この人です! なんか勝手に作り始めて!」
先程の店員が、店長と思しき人物を連れて戻ってくる。当然店長は顔をしかめていたが、琉偉は気にもとめずに調理を続ける。
「兄ちゃん、どういうつもりだ」
「おたくらにお好み焼きを食わせてやるよ」
「言ってくれるじゃねえか。やってみろ!」
「店長ォ!?」
ここは普通に追い出すところだ。そう思っていた店員は、店長の思わぬ言葉に素っ頓狂な声を上げる。一方完全に置いていかれた和葉は、困惑したまま琉偉の調理を見つめていた。
それから待つこと十数分。異様に慣れた手付きでつくられたお好み焼きが、3分割されて和葉の前に出された。
「お待たせ。うまいよ、それは」
「よ、よくわかんないですけど……いただきます!」
わけはわからなかったが、和葉は空腹には抗えない。すぐに一口食べると、和葉は思わずその場で震え始めた。
「こ、こんなことって……!」
「どう?」
「生地とそばとキャベツが、全ての素材達が……お互いに尊重し合ってる! 全ての素材が一丸となって一つの究極にたどり着くために手を取り合って……これは……これは、味のプロ野球球団です!」
なんだかよくわからないことを口走る和葉を見て、店長もゴクリと生唾を飲み込んでからお好み焼きを口にする。そうした途端、店長は前掛けも手ぬぐいも外して床に叩きつけ、その場で悔し涙を流し始めた。
「ありえねえ……こんな味があったのか……これじゃ俺らの作ってたお好み焼きなんて……豚の餌だ!」
「そんな馬鹿な……! クソ、俺も確かめてやる!」
恐る恐る、店員も琉偉のお好み焼きを口にする。そして口にした瞬間、床に這いつくばって琉偉の靴を磨き始めた。
「俺が間違ってました! 先生! 俺に、俺にお好み焼きの極意を教えてください!」
「良いってことよ。でもさ、極意ってのは自分でたどり着かなきゃダメなんだよ。おたくはまず、お好み焼きの焼き方ってのを最初から勉強した方が良いよ」
「はい! はい!」
「また来るから、その時おたくの答えを皿で表現してほしいね。あ、その時は関西風でも良いよ。勘違いしないでほしいんだけど俺、別に関西風のこと嫌いじゃないから。それが答えだってなら、真面目に食べてやるよ」
そんな会話をしている内に、和葉は琉偉の作ったお好み焼きを食べ終わる。わずか三分の一では胃袋的には満足出来なかったものの、至高の味に辿り着いた琉偉のお好み焼きで脳内は多幸感でいっぱいになっていた。
「すごい……番匠屋さんって、本当はお好み焼き屋の人なんですか!?」
「いや、違うよ。俺は番匠屋心療内科の院長、番匠屋琉偉だってば」
そう言って微笑むと、琉偉はお好み焼きをもう一枚焼き始めた。
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