第二十一話「お山を作って、トンネルを掘って」

 以前戦った時は拮抗していた浸と赤マントだったが、今は違う。素早いだけで単調な動きの赤マントの攻撃は、浸にはかすりもしない。


 どれだけ赤マントがナイフで斬りかかろうと、浸はそれらを軽々と受け止めてしまう。


「浸さん……大丈夫なんですか? あの刀……」


「今は万全の状態みたいだし、こないだみたいなことにはなんないわよ。でも……」


「……はい。浸さんの霊力、なんだか淀み始めてるみたいに感じます……」


 正確には浸の霊力ではなく、雨霧の霊力だ。封印から解き放ち、使えば使う程その霊力は淀んでいく。しかしそれと同時に少しずつ増大し、浸を淀んだ霊力が包み込んでいく。


「っ……!」


 浸自身も、そのことには気づいている。雨霧を使い続ければ、いずれは完全に飲み込まれてしまうだろう。


 今の、赤羽絆菜のように。


「赤羽絆菜! 目を覚ましてください! あなたはもう……私達と戦う理由はありません!」


「アカイ……マント……イリ、マスカ……?」


 赤マントとの鍔迫り合いの果て、浸は勢いよく雨霧を振り抜いて赤マントを弾く。


「ええ、いただきましょう。あなたが二度と、それを羽織らずにすむように」


 浸がそう告げた瞬間、赤マントがピクリと反応を示す。それに気づいた浸は手を伸ばしたが、二人の間に露子の怒声が挟まる。


「馬鹿! 油断すんな!」


 投擲されたナイフが、浸の肩に突き刺さる。咄嗟に回避行動を取っていなければ普通に急所に直撃していただろう。


「カ……カ、カ……カカカッ」


 奇声と共に、赤マントが歪に蠢く。


 即座に距離を詰め、赤マントは浸に斬りかかったが、すんでのところで浸はそれを雨霧で受け止める。


「赤羽……絆菜っ!」


 痛みに耐えつつ、浸は赤マントのナイフを受け止める。


 淀んだ霊力が雨霧から滲み出て、浸の傷口に染み込んでいく。また少し、身体を汚染された気がして浸は怖気を感じた。


「……お姉ちゃん!」


「あ、春子ちゃん!」


 和葉の止める声も聞かず、春子は飛び出していく。そして浸と赤マントの間に入ると、泣きながら赤マントへ訴えた。


「もう……もうやめて! この人は、良い人だよ!」


「アカイ……マント……イ、リ……」


「お姉ちゃん……」


 その瞬間、浸は気づく。


 今のやり取りだけで、春子の霊力が一気に淀んだのだ。


「赤羽絆菜……いい加減にしてください……!」


 雨霧を握る手に、力が込められる。吹き出す血を気にもとめず、浸は力いっぱい雨霧でナイフを弾く。


「目を……覚ましなさい!」


 たたらを踏んだ赤マントに、浸は力強く平手を叩きつける。その光景を見た和葉と露子は、わけがわからず目を丸くしていた。


「え……?」


「ビンタ……?」


 赤マントは首を傾けたまま、静止する。この期に及んでビンタが通用するようには見えなかったが、何故か赤マントは動きを止めていた。


「わかりましたよ。赤羽春子が成仏出来ない理由が」


 そのままゆっくりと歩み寄り、浸は春子を後ろに追いやりながら言葉を続ける。


「……赤羽春子の未練は……赤羽絆菜、あなたです」


「ア……?」


 マスクの裏側から、くぐもった戸惑いが漏れる。


「彼女はあなたのことが心配で、成仏出来ないんですよ」


 うつむく春子と、頷く和葉。赤マントはただ、静止していた。


「なのにあなたがこんな様子でどうするんですか! 守るハズだった赤羽春子を、あなたが悪霊化させてしまうのかも知れないんですよ!」


 このまま赤羽絆菜が赤マントのまま暴れ続ければ、遅かれ早かれ春子の霊魂は完全に淀み切る。悪霊化してしまえば、もう強制的に除霊するしかなくなってしまうのだ。


「ア……アァ……」


 呻き声を上げながら、赤マントが悶え始める。仮面ごと顔を右手で覆いながら、赤マントは蹲った。


「さあ、仮面を外しましょう。赤羽春子を、安心させてあげてください」


 浸はそう言って、もう一度赤マントへ手を伸ばす。すると赤マントは、即座に一度後退してから浸へ斬りかかる。


「浸さん!」


「――――はっ!」


 しかしカウンター気味に、浸は雨霧を振り下ろす。鋭い銀色の閃光が縦に煌めき、邪悪な意志を切り裂いた。


「あ、相変わらず無茶するわね……」


 ポトリとその場に落ちたのは、真っ二つになった白い仮面だ。そして浸の前で、赤マントが――――赤羽絆菜が膝から崩れ落ちる。


「一歩間違えば真っ二つよ……」


 浸が切り裂いたのは、仮面だけだ。赤羽絆菜を赤マントたらしめていた白い仮面を、雨霧で切り裂いたのだ。


 今の赤マントと渡り合うだけなら、無理に雨霧を使う必要がない。それでも浸が危険な雨霧を用いたのは、仮面だけを斬り裂くためだったのである。


 だがこれは賭けだ。元凶である仮面を切り裂いても、絆菜自身が完全に悪霊化してしまっていればもうどうにもならない。


「……どうやら、賭けには勝てたようですね」


 ゆっくりと浸は、倒れた絆菜に歩み寄る。もう既に半霊になってしまってはいるが、悪霊化には至っていない。仮面の呪縛からも逃れたようで、絆菜はただ気絶しているだけだった。


「……さてと。これはこちらで処分しておきましょう。もう二度と、間違って誰かの手に渡ることがないように」


 浸はそっと真っ二つになった仮面を拾い上げ、嘆息した。


 日が落ちる。


 逢魔ヶ時が終わる。


 駆け寄ってくる和葉達を見つめ、浸は穏やかな笑みをこぼした。










 気がつけば絆菜は、寝室の布団で眠っていた。慌てて時計を見ると時刻は午後十時を過ぎていた。


 どういう経緯で今ここにいるのか、絆菜には理解出来ない。今まで一体何をしていたのかもわからなかった。


 ハッとなって辺りを見回したが、仮面もマントも近くにはない。探している内に、自分の身に何が起こったのか段々と理解出来てくる。


「……そうか、私は……」


 あの仮面にとらわれ、正気を失っていた絆菜は浸によって救われた。絆菜自身はほとんど半霊化してしまっているが、ひとまず自分の身が無事であることに安堵する。


「……助けられたのか」


 仮面にとらわれた絆菜は、もうほとんど悪霊と変わらなかった。そんな絆菜を、浸はどういうわけかこうして助けたのだろう。今すぐ礼を言いに行きたかったが、こんな時間では無作法だ。諦めて明日にしようと諦めた絆菜は、春子のことを思い出して立ち上がる。


「春子、いないのか?」


 霊である春子は、滅多にこの家からは出ない。声をかけると、すぐに春子から返事があった。


「お姉ちゃん……」


 リビングに向かうと、春子が食卓に座っていた。春子は絆菜を見て安心したように微笑むと、すぐに席を立って絆菜の元へ歩み寄る。


「……良かった……!」


「すまない。心配かけたな」


 春子の頭をなでつつ、絆菜は穏やかに微笑む。


「お姉ちゃん、外に行かない?」


「外に? 良いが、どこに行くんだ?」


「砂場」


「……ああ。なるほど。わかった、行こう」


 団権団地の砂場は、生前よく遊んだ、春子にとってお気に入りの場所だ。絆菜はすぐに、春子を連れて砂場へ向かう。


「……さて、何を作る?」


「お山にしようよ」


「お城じゃなくて良いのか?」


「お姉ちゃん、ぶきっちょさんで時間かかるじゃない」


「……ふ、言ってくれる。だがいつまでも昔のままだと思うなよ。お姉ちゃんは負けず嫌いだからな」


「……お山が良いよ」


 どこか悲しげな声音で、春子は言う。それが意味することをなんとなく察して、絆菜は頷いた。


「……そうか、そうだな。お山にしよう」


「うん……」


「綺麗なお山を作ろう。私と春子だけのお山だ」


「トンネル掘って良い?」


「ああ、もちろん」


 そうして、絆菜と春子は静かに砂の山を作り始める。


 水道の水をバケツに汲んで、砂を固めながら山を作る。先の丸い、三角形の山だ。


「反対側、お姉ちゃんが掘ってね」


「ああ」


 春子は、まるで惜しむように少しずつトンネルを掘る。それにあわせて、絆菜も少しずつトンネルを掘り進めた。


 このままこの時間だけが続けば良い。絆菜も春子も同じ気持ちだった。


 なんだか、掘り終わると終わってしまうような気がして。


「ありがとう、お姉ちゃん。遊んでくれて」


「いつでも遊ぼう。お姉ちゃんは無職だ」


「ふふ、ダメだよ。お姉ちゃん、雨宮さんのところの助手さんになるんでしょ?」


「……ああ、そうだったな」


 ゆっくりゆっくり、山に穴を掘る。


 終わらないように。


「前にもこんなことがあったな」


 懐かしむように絆菜がそう言うと、春子は笑って頷く。


「あの時は、皆一緒だったね。お父さんが日曜なのに遅く帰ってきて、今から遊ぼう! って」


「そうだったな。母さんは、眠くて少し怒ってたっけな」


 なんだかぼんやりと、両親の姿まで見えてくるかのようだった。


 父も母も笑っていて、絆菜も楽しくて仕方がなかったのを覚えている。春子の笑顔も、昨日のことのように思い出せる。


「お姉ちゃんはもう、大丈夫だよね」


「……もうとはなんだ。私は最初からずっと、大丈夫だ」


「そんなことないよ。お姉ちゃん、ずっと寂しそうだった」


 母がいなくなり、父が消えて、それからずっと。


 春子のために気を張り続けていた絆菜の本心は、春子には最初からお見通しだった。


「……私は、お前を守っているつもりだったよ」


「守ってくれてたよ」


「……だが、支えられていたのは……私だったのかも知れないな」


 少しずつ、トンネルは進む。


 手を止めればいつまでも完成しなくてすむけれど、春子の姿は霞んでいく。


「ありがとう、春子」


 指先が触れた。


「ありがとう、お姉ちゃん」


 小さな手をそっと握っていると、頬を一筋の涙が伝うのを感じた。


「そしてすまない。お前をこの世に縛り付けていたのは、私だ」


「ううん……一緒にいられて、良かった」


 触れた手の感触が霞む。もう、終わりだ。


「……元気でね」


「ああ……お姉ちゃんはずっと、元気だよ」


 必死に感情をこらえて、笑顔を作った絆菜の言葉に、安心したのか春子は微笑む。


 そっと、そっと消えていく。闇と静寂の中に包み込まれるかのように。


「さよなら……ありがとう、春子」


 もうトンネルの向こうに、握った手はなかった。


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