第十二話「霊刀雨霧」

「ぐっ……!」


 なんとか般若さんの鉈を受け止める浸だったが、すぐに苦しそうに呻き声を上げてしまう。


「浸!」


 このままでは押し負ける。そう感じて声を上げた露子だったが、浸は露子の予想に反して般若さんの鉈を押し返した。


「えっ……!?」


 押し返され、般若さんはたたらを踏む。般若さんにとっても予想外だったのか、少し戸惑うような様子も見せていた。


「……アンタ!」


 そこで露子は、浸の霊力が普段の数倍にまで跳ね上がっていることに気づく。慣れた霊能者はある程度他の霊能者の霊力を測ることが出来るのだ。


 浸の霊力は、霊能者としてはともかくゴーストハンターとしてはお世辞にも高い方とは言えない。それでも彼女が戦ってこれたのは、その強靭な精神力と尋常ならざる身体能力のおかげだ。


 しかし今の彼女の纏う霊力は桁違いだ。現状、露子が知る霊能者で最も霊力が高いのは和葉で、それは今も変わらない。浸の纏うソレは、霊能者のものとは違う。もっと出鱈目な……それこそ悪霊や怨霊のものに近い。


「……あまり……長くは持ちません……」


 般若さんを押し返しては見せたものの、浸の方も満身創痍だ。肩で息をしつつ、どうにか立っているように見える。


「……浸、その刀……」


「……ええ。霊刀雨霧です」


「バカ! 何でそんなの持ってんのよ!」


 露子の言葉には答えず、浸は般若さんへと向かって行く。浸の雨霧と般若さんの鉈がぶつかり合い、甲高い金属音が露子の耳を劈いた。


「……以前会った時とは違う。アレは悪霊なのか?」


「は? あたしに聞いてんの?」


「他に誰かいるのか」


「調子に乗らないで。仲間面するのはやめてよね」


「気になったことを聞いているだけだ。道端で駅への行き先を聞くのと同じだ」


「ああそう。じゃあ答える義理もないわね」


 そのまま数秒、その場に沈黙が訪れる。しかしやがて露子は、浸を見つめながら話し始めた。


「霊刀雨霧は、予め霊力の込められた古い霊具なのよ。悪霊じみた霊力は、浸じゃなくてあの霊刀から出てるってワケ」


「話すのか」


「独り言よ!」


 通常、現代の霊具は使い手の霊力を通すものでしかない。かつては雨霧のような、霊力を予め付与された霊具が主力だったが、年月を経ると霊具に込められた霊力そのものが淀んでしまう。その結果、使い手に過剰な負荷を与えたり、霊具そのものが悪霊化してしまう事態に発展しがちだったため、現代ではほとんど使われていない。


 浸の使う霊刀雨霧も、そんな古い霊具の一つである。


「はぁっ……はぁ……!」


 当然、浸にかかる負荷も強い。霊刀雨霧はもう何十年も前に作られた霊具だ。とっくの昔に込められた霊力は淀み始めており、浸の霊魂を蝕んでいる。雨霧を使うということは、強力な悪霊に取り憑かれた状態とほとんど変わらない。


 浸はこの雨霧なら霊壁を突破出来ると判断していたが、そもそも般若さんに一太刀入れることさえ出来ないというのが現状だ。鉈を受けるので精一杯で、攻めに転じることが出来ない。


 そのことにいち早く気づいたのは露子だ。彼女はすぐにリロードし、般若さんへ発砲し始める。


 しかし霊壁に守られている般若さんはそれを気にもとめない。鉈を狙う必要があったが、浸に当たる可能性がある。付かず離れずで戦っていた赤マントの時とは状況が違ったし、何より露子は今の浸を傷つけることを恐れていた。


「……私が引きつける。先程同様援護を頼む」


「うっさいわね、偉そうに命令してんじゃないわよ」


 露子は悪態をついただけだったが、赤マントはそれを露子なりの了解と解釈する。すぐに般若さんとの距離を詰め、ナイフで切りかかった。


「……何故あなたが……!?」


「その話は後だ。私とアイツで隙を作る」


 浸は困惑していたが、やがて状況を飲み込んで後退し、刀を構えた。


 体力的にも限界が近づいており、これ以上般若さんと正面からやり合うのは不可能だろう。赤マントの言う通り、二人が作ってくれる隙に全てをかけるしかない。


(……もってくださいよ……後少しだけっ……!)


 グッと両足に力を込めて、浸は大地を踏みしめる。決して倒れぬように。


「浸! キメなさいよ!」


 赤マントと戦う般若さんの鉈に、露子の弾丸が命中する。般若さんの胴ががら空きになったその一瞬を見抜き、浸は全身全霊をかけて一歩踏み込み、霊刀雨霧を薙いだ。


「――――はっ!」


 浸の思惑通り、般若さんの霊壁は雨霧によって斬り裂かれる。浸の霊力と雨霧の霊力が、般若さんの霊壁を上回ったのだ。


「――――ッ!?」


「斬った!」


 これには驚いたのか、ピクリと反応を示す般若さんに、浸の二撃目が容赦なく振り下ろされる。


 般若の面と共に真っ二つに斬り裂かれ、般若さんは呻き声を上げた。


「アディオス。良い旅を」


 浸がそう言うと同時に、般若さんは消滅し始める。長い戦いが、ようやく終わりを迎えたのだ。


 程なくして、般若さんの霊魂は完全に消滅する。何十年にも渡って蓄積された怨念が、ようやく消えていく。


「……くっ」


 般若さんが完全に消滅してからすぐに、浸はよろめいた。もう立っていられず、雨霧を地面に突き立ててどうにか支えている状態だ。


 そしてそんな浸の身体を、雨霧から漏れ出した淀んだ霊力が包み込み始める。もう浸は、雨霧を制御出来る状態にない。


「浸!」


 浸の身体が、雨霧の霊力で強引に動かされ始める。糸の切れた人形のように動き始めた浸の身体に飛びつき、露子は雨霧を取り上げた。


「っ……こんなモン振り回してたの!? どういう精神力よ!」


 雨霧を手にした瞬間、雨霧の霊力が露子へ流れ込もうとする。それをどうにか御しつつ、露子は雨霧を浸の背中の鞘へ収めた。


 雨霧が使える状態で残されている以上、その霊力を一時的に封じ込む方法があるハズだ。咄嗟にそれが鞘だろうと判断した露子だったが、どうやら正解だったようだ。


「……ありがとうございます……朝宮露子……」


 大量に吹き出している汗を拭うことすらかなわないまま、浸は仰向けになって絞り出すような声でそう言う。


「はい喋らない。詳しいことは後で聞かせてもらうけど、とにかくアンタは病院よ」


「いや、それは困るな。お前達はここで始末する」


「……は?」


 冷淡な声でそう言って、赤マントは露子の方へ歩み寄ってくる。


「散々仲間面しといて今度は始末? 随分と虫が良いのね」


「調子に乗るなだの馬鹿にするなだのほざいておいて、今はお友達だから逃してもらえると考えていたのか? 虫が良いんだな」


 次の瞬間にはもう、露子は発砲していた。カッとなったからではない、先手を打っただけだ。弾丸は確かに赤マントの肩へ命中したが、赤マントは止まらない。なんの躊躇もなく接近し、露子へナイフで切りかかる。


 そのナイフを長いマガジンで受け止め、露子は赤マントを睨みつけた。


「悪霊もどきの半霊さんは痛覚がないのかしら?」


「ゴーストハンターもどきの子供かと思ったが躊躇がないな」


「褒めてる?」


「ああ。だから心置きなく潰せる」


 露子の腕力では、赤マントを押し返すことは出来ない。一度距離を取りたかったが、倒れている浸に赤マントを近づけたくなかった。


 どうしたものかと思考を巡らせていると、どこかから風を切る音が聞こえてくる。


 即座に反応し、飛び退いたのは赤マントだ。見れば、弓を構えた早坂和葉がこちらをまっすぐに見据えていた。


「……やめてください」


 和葉の傍らには、健介がしがみついている。それを確認し、赤マントは小さく舌打ちすると高く跳び上がり、木の上に飛び乗った。


「……次はないぞ。ゴーストハンター」


 その言葉は、和葉に向けられていた。和葉は小さく頷いて見せたが、赤マントはそれを見もせずに去って行く。


「……このっ!」


 木を跳び移って去って行く赤マントに発砲する露子だったが、弾丸は一発も当たらないまま赤マントはその場から姿を消した。


「浸さん!」


 赤マントが去ってからすぐに、和葉は浸へと駆け寄っていく。どうやらもう意識はないようで、苦しそうな表情のまま横たわっている。


「早……坂……和葉……」


 和葉の姿を見て、浸は無理に身体を起こそうとするが、傷ついた身体は起き上がることを許さない。


「……彼も……無事なようですね……ありがとう、ございます……」


「浸さん……酷い怪我……! 無理に喋らないでくだーーーー」


「よく……頑張ってくれました……ありがとうござい……ます……」


 和葉の言葉を遮って、浸の手が和葉の頬に触れる。


「やはり……あなたが……助手で良かった……」


 その言葉を聞いた瞬間、和葉はたまらなくなって涙をこぼす。これまでの頑張りが、一気に全て報われたかのような感覚だった。


 しかしその後すぐに、浸は気を失ってしまう。力なく降りた手を握りしめ、和葉は声を上げる。


「浸さん! 浸さん! しっかりしてください!」


「……とにかくここから運ぶわよ。あたしの体格じゃキツいから手伝って」


 冷静に浸の脈を確認し、露子がそう言うと和葉はすぐに頷く。


「はい! ……救急車も!」


「そうね……先に呼んどいてもらえる?」


 うなずき、和葉はすぐに救急車を呼ぶ。その後はスムーズで、健介は無事に家まで送り届けられ、浸も山の麓から病院まで運ばれることになった。

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