第九話「鬼が来たりて」

 赤マントは両手のナイフを交互に繰り出し、浸に切りかかる。赤マントの動きが素早い上に、愛佳との戦いの直後でやや疲労している浸には分が悪い。対応出来ない速度ではないものの、手数の面で圧倒的に赤マントが有利だ。


 だが、浸は強引に赤マントを押し返す。渾身の一振りでナイフを弾き、攻めに転じた。


 浸の青龍刀を、赤マントは右手のナイフで受け、鍔迫り合いを演じる。


「答えなさい。何者ですか? ここ最近、ゴーストハンターを襲っているのはあなたですか?」


「ゴーストハンターは全て潰す。お前もだ」


「それが解答というわけですか……わかりました!」


 会話しつつも、浸は赤マントへの妙な違和感が気にかかっていた。和葉の言う通り、霊なのか人間なのか判別出来ないのだ。


「……半霊、ですか?」


 赤マントから感じるものと、自身の知識を照合し、浸は一つの答えを導き出す。しかし、それに答える者はいない。赤マントはチャンスとばかりに、浸から一度距離を取る。


 そして再び赤マントは浸へ向かって行こうとしたが、その足元に突如一本の矢が刺さった。


「早坂和葉!」


 無論、和葉の矢である。和葉は震えながら弓を構え、真っ直ぐに赤マントを見据えていた。


「つっ……次は……当てます……!」


 正体不明の赤マントへの恐怖もあったが、それ以上に人間かも知れない相手を射ることが和葉は怖かった。


 赤マントはしばらく無言で和葉を見つめていたが、やがて凄まじい速度で撤退し、アパートのベランダを一段ずつ踏み台にして屋上へと逃げて行く。


 浸は一瞬追いかけようかとも思ったが、まずは西村の保護が先だ。逃げていく赤マントを尻目に、浸は和葉達の元へ駆け寄っていく。


「ありがとうございます早坂和葉」


「……はい。それより、浸さんは大丈夫ですか?」


「ええ、傷はありません。大丈夫ですよ」


 答えつつ、浸は屋上の方へもう一度目を向けたが、もう赤マントの姿はない。


「ゴーストハンターは全て潰す……ですか」


 ゴーストハンター自体を狙っているようだが、その理由はわからない。これ以上考えても答えが出るハズもなく、浸はひとまず赤マントへの思考を打ち切ることにした。


「……スッキリしませんが、今日はひとまず休みましょう。赤マントがゴーストハンターを狙っているなら、すぐにここを出ますよ。これ以上巻き込むわけにはいきません」


 その後はすぐに西村を部屋まで送り届け、浸は和葉と共に一度事務所へと戻った。










 赤マントの襲撃を受けてから数日は、特に何事もなく時間が過ぎて行った。和葉は正体不明の赤マントへの恐怖が拭い切れなかったものの、ひとまずは通常の業務へ戻っている。


「あ、浸さん!」


 特に依頼もないまま何事もなく過ごしたその日の夕方、一通り作業を終えた和葉が嬉しそうに浸のデスクへ駆け寄っていく。


「どうかしましたか?」


「あの、良かったら今日、うちでご飯食べていきませんか? お母さんからさっき連絡があって、浸さんの都合が良ければって」


「良いですね。そういえば以前ご挨拶に行きたいという話もしましたし、ご馳走になりましょう」


 早坂家のハンバーグとはどんなものだろうか。そう考えて思わず浸がイメージしたのは特大サイズのハンバーグだ。ご飯はどんぶりでハンバーグはキングサイズ、それを和葉は当たり前のように食べるのかも知れない。


 和葉のそんな姿をイメージして笑みをこぼしそうになっていると、突如事務所の外からバタバタと足音が聞こえてくる。


「あれ、お客さんですか?」


 和葉が出迎えると、事務所の前にいたのは小学校低学年くらいの男の子二人だった。


「こんにちは。どうしたの?」


 身を屈めて和葉が声をかけると、一人が急に泣き始めてしまう。それに対して和葉がおろおろしている内に、浸が後ろから歩み寄ってきていた。


「こんにちは。雨宮霊能事務所の雨宮浸です」


「幽霊、やっつけられるんだよな!?」


「はい。ご依頼ですか?」


 やっつける、という言い方に浸は多少抵抗があったが、表現として間違ってはいない。やっつけるのではなく祓って救う、というのはあくまで意識の問題だ。除霊とやっつけるはイコールではなくともニアリーイコールとは言える。


 それ以前に、困って焦っている子供にそのような精神論を語るのはナンセンスだと思えた。


健介けんすけを助けてよ!」


「わかりました。まずは落ち着いて話を聞かせてください。早坂和葉、何か飲み物を出してあげてもらえませんか?」


「あ、はい!」


 慌てて、和葉はジュースの用意をし始める。その間に浸は、二人の少年を来客用のソファへ座らせた。






 泣いている少年は相場隆弘あいばたかひろ、もう一人は田井中宏太たいなかこうたと名乗った。健介、というのは二人の友達の阿佐ヶ谷健介あさがやけんすけのことらしい。


「祠を壊してしまった……?」


 宏太の話を聞き、浸は思わず言葉を繰り返す。


「……ごめんなさい」


 宏太、隆弘、健介の三人は、放課後に学校の裏山に入り込んでいたらしい。本来立入禁止になっている場所なのだが、フェンスをよじ登って入った三人は奥まで進んで行き、ある祠を見つけた。そしてふざけている内に、祠にぶつかってしまい、老朽化していた祠を壊してしまったのだ。


「そ、そしたら……で、出てきて……」


「……まずいですね」


 宏太の言葉は嗚咽混じりで要領を得なかった。ここまでどうにか泣かないように気を張っていたのだろうが、思い出したことで耐えられなくなったらしい。


「……あの、出てきたってもしかして……」


「ええ、悪霊です。それもかなりまずいですよ……あの裏山に封じられている悪霊……いえ、怨霊は」


「怨霊って……!」


 怨霊と悪霊は少し違う。浸が以前そう説明していたことを、和葉は思い出す。霊魂が淀みきり、完全に崩壊した怨霊は通常の悪霊を凌駕するという。


「俺達……必死で逃げてきて……でも、健介だけ逃げ遅れてて……!」


「わかりました。とりあえず二人は一度家に帰ってください。早坂和葉は出発の準備をお願いします」


「は、はい!」


 浸は努めて穏やかに振る舞っていたが、声音から余裕がないことが和葉にはわかる。その裏山の怨霊、というのは相当まずいらしい。


 宏太と隆弘を帰らせてから、浸も準備に取り掛かる。


(……アレを一応持っておいた方が良いのかも知れませんね……)


 やや逡巡しながら、浸は事務所の奥から竹刀袋を持ってきて背負う。竹刀袋に入ってはいるが、中に入っているのは本物の刀だ。


「……浸さん?」


 神妙な面持ちで動きを止めた浸へ和葉がそう声をかけると、浸はすぐに和葉へ振り向く。


「……いえ、何でもありません。しかしすみません……どうやらハンバーグはお預けにした方が良いようです」


「大丈夫です、またにしましょう! お母さんにはもう連絡しておきましたから!」


 申し訳なさそうな浸に屈託のない笑みを見せて、和葉はそう答えた。






 日が落ち始めた夕暮れ時に、二人は件の裏山へと向かう。フェンスの扉は宏太達が内側から鍵を開けたままになっており、すぐに中に入ることが出来た。先生や親よりも先に浸のところに来たのは、慌てていたこともあるだろうが怒られるかも知れなかったからというのもあるだろう。


 子供の耳まで浸の噂が届いているのは、商店街にちょくちょく顔を出すためだろう。大人を伝って子供の耳まで霊能事務所という名前が届いたのかも知れない。


(偶然とは言え、すぐに知らせてもらうことが出来て良かったですね……)


 そう安堵しつつ、浸は和葉を連れて裏山を歩いて行く。鬱蒼と生い茂る草木の臭いが鼻をつくと同時に、僅かに厭な感じがして浸は顔をしかめる。恐らく怨霊の気配だ。


 一方和葉は、浸以上にその気配を感知していた。表情は強張り、何かに怯えるようにして周囲を見回している。一応浸の弓と矢筒を預かってはいるが、今の状態だとまともに射ることは出来ないだろう。


「早坂和葉」


「は、はいっ」


 浸に声をかけられ、和葉は肩を跳ねさせる。


「……今回はかなり危険です。やはり私一人で行った方が良いのかも知れません」


「そ、そんな……大丈夫です!」


 そうは言い切ったものの、この裏山一帯に立ち込める不穏な空気が、和葉は恐ろしくて仕方がなかった。共感反応は起こしていないものの、淀み切った醜悪な怨念を和葉は常に感じ取っている。正直な本音を言えば、和葉は一刻も早くここを立ち去りたかった。


「あの……ここの怨霊、どんな怨霊なんですか?」


 話題を切り替えようと和葉がそう問うと、浸は神妙な面持ちでそれに答え始める。


「かつて”般若さん”と呼ばれていた怨霊です。容姿に恵まれておらず、周囲の人々から疎まれ、迫害され、そして死後怨霊となったと伝えられています」


「酷い話ですね……」


「ええ、全くです。悪霊化してすぐ、周囲の人間の顔を鉈で切り裂いて回ったそうです。そのまま当時の霊能者では手がつけられず、完全に怨霊になった段階でようやく封印することが出来たそうですよ」


「その般若さんっていう名前はどういった経緯でついたんですか?」


「……顔を隠すために、常に般若の面をつけていたそうです」


 そこで、一度会話は途切れた。先程から感じている怨念のような気配と浸の話を照らし合わせながら、般若さんについて和葉は想像を巡らせる。一体どれ程の痛みと、恨みと、悲しみがこの中に込められているのだろうか。仮に共感反応を起こしたとして、それが和葉に理解出来るものなのか。色々と考えている内に結局恐怖心はぶり返してしまっていた。






 そのまましばらく、健介を捜して奥へ進んでいくと水の流れる音が聞こえてくる。


「ここ、川があるんですか?」


「ええ。確かこの先にちょっとした渓谷と吊橋がありますよ」


 そのまま進むと、浸の言う通り吊橋が見えてくる。もう既に日は落ちきってしまっており、怨霊の気配もあってか不気味な風景に感じられる。


「……あれは……?」


 ふと、吊橋の方を見て浸がそんな言葉を漏らす。見れば、そこにはうずくまっている小さな人影があった。


「もしかして、健介くんですか!?」


「恐らくそうでしょう。今行きます!」


 そう言って即座に浸が動き出した瞬間、何かとてつもないプレッシャーのようなものを感じて和葉がその場に膝をつく。


「――――早坂和葉!?」


「こ、この感じ……もしかして……!」


 まるで、直接心臓でも握られているかのような圧迫感だった。


 背後から足音が聞こえてくる。まるで周囲の景色が歪んでしまったかのような錯覚を覚えて、和葉は震え始めた。


 そしてすぐに、濁流のような負の感情が流れ込んでくる。それはビジョンでもあったし、言語だったかも知れない。要領を得ない支離滅裂な何かが流れ込んできて、和葉は正気を失いかける。何が何だか理解出来なかったが、それが負の感情であるということだけは確信出来た。


「これは……っ!」


 そしてその感覚は、浸も僅かながら感じ取っていた。霊感応を不得手とする浸ですら、ただならぬ何かを背後から感じ取っているのだ。


「き、来ます……般若さんが……っ」


 次の瞬間、太い鉈が浸めがけて振り下ろされた。


「っ!?」


 間一髪回避して、浸はいつの間にか距離を詰めていた”般若さん”を視認した。


 それは乱れた着流し姿の、般若の面をつけた男だった。しかし節くれだった四肢は傷だらけで、膿んでいる。腐臭を発しながら般若さんは、鉈を構え直して浸を見ていた。


「ひ、ひぃっ……!」


 立ち上がれもしないまま、和葉は這いずって般若さんから距離を取ろうとする。面の向こうにある、深淵のような瞳がこちらを見てしまう前に逃げ出したかった。


 浸は予め受け取っていた青龍刀を構え、般若さんと向き合う。浸にとって今最優先すべきなのは、和葉と健介の身の安全だ。


「早坂和葉! すぐに彼をつれてこの場から逃げてください!」


 彼、とは健介のことだ。浸の言葉でハッとなった和葉は、ようやく立ち上がる。


「でも、浸さんは!?」


「私の仕事は元々この怨霊を祓うことです。任せてください」


 そう言って振り返り、浸は不敵に微笑む。しかし和葉はその笑みに、いつものような余裕を感じ取ることが出来なかった。


「ひ、浸さん……!」


「急いでください!」


 浸にしては珍しい、怒鳴るような語気だ。慌てて頷くと、和葉は健介のいる場所目掛けて逃げるように駆け出す。


 その足音を背後に聞きながら、浸は気を引き締めた。


「では……祓いましょう。雨宮浸の名において」


 その言葉をゴング代わりに、般若さんは再び浸へ切りかかる。一瞬青龍刀で受け止めようかと思ったが、浸の身体は即座に回避を選ぶ。身をかわし、そして踏み込みながら青龍刀で切りかかる。しかしその刃は、般若さんの身体には届かなかった。


「なっ……!?」


 般若さんが避けたわけでも、鉈で受けたわけでもない。浸の青龍刀は、般若さんの身体に到達する寸前で見えない何かに阻まれていたのだ。


 目を凝らすと、般若さんの周囲に深い紫色が微かに見える。


「霊壁……ですか……!」


 力の強い悪霊、とりわけ怨霊クラスの霊が稀に起こす現象である。強すぎる怨念が霊力を増幅させ、それがバリアのように霊の身体を包み込む。それが霊壁だ。


 それに対して驚いたその一瞬の隙が、浸にとって命取りだった。


「――――っ!?」


 般若さんの鉈が、浸へ襲いかかる。もう回避は間に合わない。そう判断した浸は、青龍刀でその鉈を受けた。しかしそれは、鍔迫り合いにすらならない。


 般若さんの圧倒的な腕力が、浸をその場で青龍刀ごと弾き飛ばす。


「えっ……?」


 その光景を、和葉は向こうから見ていた。


 浸の身体が呆気なく弾き飛ばされ、渓谷へ落ちていく。


「うそっ……嫌……!」


 浸の身体が川へと落ちるその音が、和葉の鼓膜を無慈悲に刺激した。


「浸……さん……? 浸さんっ!!」


 和葉の悲鳴が、橋の下へ落ちていった。


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