第十八話「白い仮面のその理由」

 戦いは決した。


 傷こそ負っているものの浸は立ち上がり、赤マントはそのままその場に崩れた。


「……負けたな」


 ややよろめきながら、赤マントは立ち上がる。そんな赤マントに向き直り、浸は武器を収めた。


「では、話してもらいますよ。そして協力させていただきます」


「……不思議な奴だな。まさか協力させることを強要されるとは思わなかったよ」


 赤マントはそう言って肩をすくめた後、ゆっくりと話し始める。


「……私には、妹がいる」


「妹さんが……?」


 問い返す浸に頷き、赤マントは言葉を続ける。


「あの子は……春子はるこはもう死んでいる。霊なんだ」


「えっ……?」


 驚く和葉とは裏腹に、浸は赤マントの言動に納得して深く頷く。彼女がゴーストハンターと戦っていたのは、霊である妹を除霊されないためだったのだと。


「……それで、以前出会ったゴーストハンターに除霊されかけた、と」


「……ああ。強制的にな」


「まだ悪霊化はしていないのですね?」


「勿論だ。まだ、な……」


 どんな霊でも、いずれは悪霊化する。それは多分、赤マント自身も理解していることだ。


「私はせめて……彼女が未練を断ち切って成仏出来るようにしたい。雨宮浸、早坂和葉……お前達は、本当に協力してくれるのか?」


 浸と和葉を交互に見つめてから、赤マントはそう問うた。


「当然です。そういう約束でしたからね。それに、悪霊化する前の霊を強制除霊するような真似はしたくありません」


「何が出来るかわかりませんけど、私にもお手伝いさせてください!」


 二人の言葉に、嘘はない。それが表情から理解出来て、赤マントは安堵のあまり肩の力が抜ける。


 もう、ずっと長いこと気を張り続けていたような気がする。もしかすると、肩の荷が下りるのかも知れない。


「何がも何も、これは早坂和葉に適任ですよ! あなたの霊感応なら、妹さんの未練の理由がわかるハズです」


「あ! 確かに! 確かにそうです!」


 そんな風にはしゃぐ二人を見て、赤マントは肩肘を張っていたのが馬鹿らしくなってため息をつく。最初に出会えていれば良かったという浸の言葉に、今は心底同意出来る。


「本当に……お前達に最初に出会えていれば良かったよ」


 そう言って、赤マントはゆっくりと仮面を外す。素顔をさらけ出し、二人とは対等な関係でいたくなったのだ。


「……赤羽絆菜」


 素顔を晒した赤マントーーーー赤羽絆菜に、浸は微笑みかける。


「これから、よろしく頼む」


「……ええ、こちらこそ」


 絆菜の差し出した手を、浸はしっかりと握る。返ってきた人としての温かみが嬉しくて、絆菜はそのままずっと握っていたいような気分になっていた。


「だが私がやってきたことは罪だ。これからは、それを償えるように生きたい」


「そうですね……良ければ私の事務所に来ませんか? 助手は早坂和葉がいますので……役職はどうしましょうか」


「ふふっ……最高の提案だな。ならまずは、助手の助手から始めさせてくれ。一から教えてほしいんだ」


 絆菜がそう言った瞬間、驚いて和葉が肩を跳ねさせる。


「やりましたね早坂和葉。後輩が出来ましたよ!」


「え!? 先輩!? 私先輩なんですか!?」


「ああ、よろしく頼む。先輩」


「わ~~~~~~!」


 先輩、と呼ばれたのが新鮮だったのか、和葉は大はしゃぎで絆菜のもう片方の手を取る。


「こちらこそよろしくお願いします!」


 ずっと欲しかったのはきっと、こんな温もりだ。孤独に戦い続けた日々はもう終わり、新たな道が開けたような気がした。


「細かいことは後日にしよう。今日はもう、休みたい」


「そうですね。私も傷の治療がしたいですし、良ければ赤羽絆菜も……」


「いや、良いよ。私は傷の治りが早い」


 そう言ってマントを翻した絆菜の身体に、もう傷口はない。だがそれと同時に、和葉は絆菜の変化に気づく。


「……あの、もしかしてですけど……さっきより、霊に近づいていませんか?」


 恐る恐る和葉が問うと、絆菜は小さく首肯する。


「……ああ。傷が早く治るのは、私が霊体に近づいている証拠だ。よく気づいたな」


「早坂和葉の霊感応は普通の霊能者とは比べ物になりませんからね」


「……頼もしいな。妹の時は頼む」


「……はい」


 絆菜は和葉が頷いたのを確認してから、その場を立ち去っていく。その背中を、和葉は不安げに見つめていた。


「霊体に近づいてるってことは……」


「ええ、いずれは」


 決定的な言葉を、浸も和葉も口にしなかった。










 二人と別れ、絆菜が帰路につく頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。


 今までは不安なだけだった。暗い夜道は、不安なものを想起させる。襲ったゴーストハンターが、いつお礼参りにくるかもわからなかった。


 だが今は何も怖くはない。手を差し伸べてくれる誰かがいるだけで、強くいられる。


「……浮かれているのか、私は」


 普段より数段軽い足取りに自ら驚きつつ、絆菜は歩いて行く。


 そんな彼女の前に、小さな影が立ちはだかった。


「おっす」


「誰だ」


 すぐに、絆菜はその影の違和感に気がつく。何か、何かがおかしい。


「誰だとはご挨拶ね。ま、初対面だししゃーないしゃーない」


 その甲高い声は少女のものだったが、違和感が拭えない。違う、普通ではない。人ではない。絆菜の感覚がそう叫んでいる。


「でも私はあなたを知ってますぅ」


 瞬間、影が絆菜の背後に回っていた。


「……!?」


 違和感に気を取られて油断していたせいもあったが、少女の動きは予想よりも速い。すぐに臨戦態勢を取ろうとしたが、影が手に持っている白い仮面に気づいて、絆菜は再び動きを止めた。


「怪人赤マント」


「お前……いつの間に」


「逢魔ヶ時に現れて、子供をさらってぶっ殺す。そういうものでしょ」


「……私は違う」


「うん、違う。だから変だと思うなぁ」


 少女は白い仮面を弄びながら、ケラケラと笑みをこぼす。


「これはそういう霊具のハズ。わざわざマントを羽織るのも、この仮面の影響でしょう? でもすごいのね、あなたこの仮面をコントロールしてたんだ」


「……それをこっちに渡せ」


「こんな仮面で幽霊もどきになってまで、あなたは何がしたかったのかな?」


「お前に話す……道理はない!」


 次の瞬間、絆菜の手から数本のナイフが放たれる。しかしそれらは、一本足りとも少女には命中しなかった。


「オイ、人が喋ってんだろうがこのトンチキが。最後まで聞けよボケ」


 少女の身体から生えた数本の不気味な触手が、絆菜のナイフを掴み取っている。それが何なのか理解出来ず、絆菜は思わず狼狽えた。


「お前は一体……!?」


「お仲間よ」


 少女のその言葉と同時に、伸びた触手が絆菜の身体に巻き付く。身体の自由を奪われてもがく絆菜だったが、触手の拘束はきつく、抜け出せない。


「この仮面の使い方、教えてあげる」


「待て……何をする気だ……? やめろ!」


 絆菜を縛り上げたまま、少女はゆっくりと歩み寄る。そして眼前まで迫った少女の顔を見て、絆菜はその表情を驚愕に染め上げた。


「何人の顔見てチビってンだよ」


 継ぎ接ぎだらけの顔が、嘲笑で歪む。不揃いな両目が、ぐにゃりと曲がったまま絆菜を見ていた。


「トンカラトンだけじゃ足りないらしいし、丁度良いや」


 驚愕に染まった絆菜の顔が、白い仮面で覆われる。それと同時に絆菜の身体が、薄暗い紫色のモヤに包まれる。


「くっ……あぁっ……!」


 呻く絆菜を少女が静かに嗤う。


「それじゃあよろしくね。怪人赤マントさん」


 触手の拘束が解かれると同時に、”怪人赤マント”が静かに揺らめいた。










 その日の朝宮露子の仕事は、中学校に出没し始めた上半身のみの姿をした悪霊の除霊だった。


 その悪霊は既に学校中で”てけてけ”という名前で知れ渡っており、てけてけ怖さに学校を休む生徒までいる程だと報告を受けている。


「しっかし……マジでこのご時世にてけてけとはね。恐れ入ったわ」


 目の前で這いずるてけてけを見つつ、露子はそんな軽口を叩く。このてけてけは好戦的で、夜の校舎で発見した瞬間露子に襲いかかってきたのだ。


 露子の戦闘スタイルの都合上、建物の中で戦えばガラスや備品を破壊しかねない。大した悪霊ではないと判断した露子は、どうにか校庭までてけてけを誘い込んだのだ。


 もっとも、露子をまっすぐ追うのを途中で諦め、窓ガラスを突き破って校庭に出てきたせいで結局ガラスは割れたのだが。


「しかし妙ね……こいつ、ほんとに悪霊?」


 飛びかかってくるてけてけに銃弾を浴びせて除霊しつつ、露子は訝しむ。和葉程の霊感応はなくても、このてけてけから感じる負の感情が普通の悪霊よりも小さいことくらいはわかる。


 悪霊には、悪霊化するだけの理由がある。時間経過によって悪霊化するのも、霊魂が、想いが時間経過で淀むからだ。


 だがこのてけてけはそれが足りない。だからこそ、大した悪霊にはならなかったのだ。


「……なんか変な感じするわね……。まあ、後で浸にでも相談しようかしら」


 ひとまず仕事を終えた露子はそのままその場を立ち去ろうとする。しかしその足元に、一本のナイフが突き刺さった。


「……めんどくさ」


 心底気怠そうに呟き、露子はナイフの飛んできた先へ視線を送る。そこには、月光を背に、夜風でマントをひらめかせながら屋上に立つ”赤マント”の姿があった。


 赤マントは勢いよく屋上から飛び降りると、露子を見据える。


「後にしてくんない? 今日は疲れてんだけど」


「ヒ、ヒ……ヒ」


「……は?」


 カクカクと首や手足を不規則に蠢かせながら、赤マントは奇声をこぼす。


「アカイ、マント……イリ、マス……カ?」


 不自然に首を傾げ、赤マントはそう問う。


「……悪いけど、あたしは黒が好きなの」


 露子がそう答えた瞬間、一直線にナイフが飛ぶ。すかさずそれを回避して、露子は二丁の拳銃を赤マントへ向けた。


「何よアンタ。とうとうほんとにただの霊になっちゃったってワケ?」


「アカイ、マント……」


 言いかけた赤マントに、露子は容赦なく弾丸を撃ち込む。急所は外したが、肩には命中した。しかしそれで怯む赤マントではない。再びナイフを飛ばしながら、高速で露子との距離を詰める。


「このっ……!」


 赤マントの動きが、以前会った時よりも速い。ジグザグに動く赤マントに、露子の弾丸は中々命中しなかった。


 瞬く間に距離を詰めた赤マントが、露子の銃を片方蹴り上げる。即座に露子はもう片方の銃で弾丸を撃ち込んだが、赤マントは止まらない。


「アカ……イ……マント……イリ、マスカ……?」


「…………やば」


 眼前の赤マントが、ナイフを振り上げていた。

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