第十七話「逢魔ヶ時の涙」
そこはもう、何年も前から放置されている廃工場だった。
既に機械は撤去されており、残っているものはほとんど何もない。
ひび割れた窓ガラスから差し込む日が不気味に赤い。明かりのない、薄暗い黒と赤い日のコントラストはどこか禍々しかった。
「は? 手当り次第トンカラトンにした?」
「そうよ~」
そんな廃工場で、一人の女が素っ頓狂な声を上げる。その声を受けて、少女がおどけた調子で返す。
「トンカラトンがいるんでしょ? なら良いじゃん?」
少女が悪びれた様子もなくそう言うと、女は深くため息をつく。その表情や顔立ちは、薄暗闇の中でははっきりとうかがえない。
「トンカラトンだけ無駄に増やしてもダメよ。本当に必要なのは種類」
「え、なにそれめんどくさ。良いじゃんトンカラトンでも」
ぶすっとした表情でそう言って、少女はそのまま言葉を続ける。
「それに、かわいそうなお顔の人達に包帯巻いてあげたんだから感謝されたいくらいなんですけど~」
もう女は、少女に取り合うつもりはなかった。これ以上は何を言っても無駄だと感じたからだ。
(……人の顔より自分のフランケン顔をどうにかしなさいよ)
そんな悪態を心の内に押し込め、女は赤い光であらわになった少女の顔を見やる。
継ぎ接ぎだらけの、不揃いで精巧な顔立ちに、女は軽く怖気を覚える。後は頭にボルトでも刺さっていれば立派なフランケンシュタインだ。
「まあ、文句があるなら陰キャの”
「そうね。次はそうするわ」
皮肉交じりにそう答える女だったが、少女はさして気にする様子もなかった。
矢継ぎ早に迫りくるトンカラトンの刀を、浸は双剣でなんとか受け続けていた。
その攻防の中で、浸はトンカラトンに対して言いようのない違和感を覚える。赤マントのものとも違う、独特の違和感だ。
和葉はその違和感の正体にいち早く気づき、浸の後方でトンカラトンを射ることを躊躇っていた。
「この人達……ほんとに悪霊なんですか!?」
纏う気配は悪霊のもので間違いない。襲いかかってくるのも悪霊の習性だ。しかし和葉は、このトンカラトン達から負の感情をハッキリと感じることが出来ないのだ。トンカラトン達は、まるで何かの力に引っ張られているかのように襲いかかっているように、和葉には感じられた。
「わかりません……! ですが、現状どうすることも出来ません!」
それは除霊するしかない、という意味だ。直接的な言葉を避けたものの、浸がそう言っていることを和葉は理解出来る。
それでも和葉は逡巡したが、浸だけで対応するのにも限界がある。
「……ごめんなさい!」
謝罪の言葉を口にしつつ、和葉は意を決してトンカラトンを射る。対応に追われる浸はトンカラトンに決定打を与えることが出来ないため、その役目は今和葉が担うしかない。
和葉自身はそのことに気づいていないが、和葉は最初に比べるとかなり霊力の扱いに慣れつつある。以前は闇雲に込められているだけだった霊力も、今は一射一射にしっかりと込められている。そのため、和葉の高濃度の霊力を頭部等の急所に受けたトンカラトンは、一撃で消滅することさえあった。
「これは……!」
そのことに最も驚いたのは浸だ。浸も、本人さえ知らない間に和葉はしっかりと成長している。今まで受けるだけで精一杯だった浸も、和葉のおかげでかなり楽に戦えるようになっていた。
「これで……最後です!」
程なくして、最後の一体が浸の一撃によって消滅する。最初こそ数に驚かされたものの、想定よりも呆気なく終わってしまったため、どこか肩透かし感がある。そしてなにより、何故トンカラトンが発生したのか理解出来ず、浸も和葉もどこかすっきりしない気分だった。
「……妙ですね」
「はい……。どうしてこの霊達はトンカラトンに……」
和葉が霊達から感じた感情は様々だったが、いずれもトンカラトンは愚か、包帯にもほとんど結びつかない。交通事故で死んでしまった霊や、自殺した霊ばかりで、トンカラトンに斬られてトンカラトンになったという者さえいなかった。
そのことを和葉が浸に話すと、浸は更に訝しげな表情で考え込んでしまう。
「まるで何か……他に外的要因が絡んでいるかのように思えてしまいますね……」
「それって、霊をトンカラトンにした人がいるってことですか?」
「そうとは決まっていませんが……そういう風に考えてしまうような状態でしたね」
その言葉に、和葉はゴクリと生唾を飲み込む。
「でも、そんなことどうやって……」
「案外難しいことでもありませんよ。早坂和葉ならご存知だとは思いますが、悪霊化する前の霊というのは不安定なことが多いですからね。何かを吹き込んで思い込ませたり、何らかの方法で捻じ曲げてしまうことは不可能ではないと思います」
浸はつとめて冷静にそう解説していたが、言葉の節々に憤りが感じられた。もし霊の存在が誰かによって強制的に歪められているのだとしたら、それは浸にとっても、勿論和葉にとっても許されざることだ。
「トンカラトンがまた増える可能性もありますが……ひとまず一段落したと見て良いでしょう」
「ああ、ひとまずはな」
しかしその言葉に答えたのは、和葉ではない。
河川敷の橋の下から、ゆっくりとこちらに歩いてきたのは赤マントだった。
「……早坂和葉、下がっていてください」
「でも……」
「彼女とは私がケリをつけます」
和葉はもう、赤マントを攻撃出来ないだろう。それに浸自身、赤マントとは戦うなら一対一で戦いたかった。
「その女はゴーストハンターだと言い切った。言い切った以上、その女も潰す。遠慮せず二人で来い」
「そうはいきませんね」
「何故だ」
「私の流儀に反します。あなたのような相手とは、一対一できっちりとケリをつけたいと思っていますからね」
「そうか……好きだよ、お前のような奴は」
「そうですか。私もあなたは嫌いではありません……どうでしょう、争う理由はないと思いませんか?」
「言ったハズだ。次に会った時が最後だと」
赤マントはそう言い終わるやいなや、浸へナイフを投擲する。即座に反応した浸がナイフを左の剣で弾くと同時に、跳躍した赤マントが上からナイフを振り下ろす。それを右の剣で受け止めて、浸は強引に赤マントをナイフごと弾いた。
「咄嗟に利き手を残したな。良いセンスだ」
「武器がこれでなければ、今のは防げたかわかりませんでした。流石です」
そこから先は、ナイフと双剣による高速の攻防だった。浸も赤マントも、一歩も引かずにお互いの武器をぶつけ合う。その勝負は、和葉の目には互角に見えた。
「そろそろ理由を教えてもらえませんか!? 何故ゴーストハンターを潰すのですか!」
「お前達がいる限り、あの子は安心出来ない!」
「あの子……!? それは、あなたにとって大切な人ですか!?」
「そうだ……命を賭すに値する!」
そこで一度、浸と赤マントは一度距離を取る。
「あなたは……あなたは人間です! 半霊になってまで、一人で戦わなければならない理由はありません! もし、誰かを守りたいのなら……私が協力します」
「ふざけるな! お前は……お前達は絶対に協力出来ない! 私とお前達が、相容れることはない!」
この時初めて、和葉は雨宮浸の”怒った顔”を見た。
「事情を話しもしないで、何が相容れないですか! 話を聞かせなさい話を!」
剣を持ったままどんと自身の胸を叩き、浸は怒声を上げる。
「私は聞きます! 多分相容れます! 何故ならあなたは善人だからです! 早坂和葉を助けた! 理由はそれだけで私には十分です!」
「あっ……」
――――あの人は……結果的にかも知れないですけど、私を助けてくれました。私には、これ以上の理由なんていりません。
和葉の脳裏に、かつての自分の言葉が蘇る。
浸もまた、和葉と同じ気持ちでいてくれたのだ。
結果的にでも和葉を助けた赤マントを、善人だと思ってくれていた。それが嬉しくて、たまらなくなって和葉の手に力が込められる。
「私……私も力になります! あなたが困っているなら、助けてもらったお礼がしたいです!」
「っ……!」
二人の言葉に、赤マントがたじろぐ。
しかしそれでも、赤マントは向けた刃を降ろさない。
「……話したさ」
ポツリと。呻くような言葉だった。
それを吐き出して、赤マントは仮面の裏を激情に染め上げる。
二人の言葉を受け入れれば、今の自分を否定することになる。これまでやってきた全てをだ。それが簡単に出来るような余裕は赤マントにはない。
そしてなにより……
「話した上で武器を向けたのは、お前達ゴーストハンターだったんだよ!」
一度裏切られたものを、信じるのは難しかった。
「最初に……最初に私が、あなたに出会いたかった……私がその時、あなたに手を差し伸べることが出来ていればよかったんです」
もしその時赤マントと出会っていたのが浸であれば、こうはならなかったのかも知れない。事情がなんであれ、全てのゴーストハンターを潰すだなんてことを、言わせないですんだのかも知れなかった。
「私がゴーストハンターである理由をもう一つ見つけたので教えておきます。それは……あなたのような人に、手を差し伸べるためでもあります」
浸のその言葉に、赤マントは動揺を隠せない。持っていたナイフが、ブレ始める。
「は、はは……。まさか今、そんな答えが聞けるとは思っていなかったよ」
だがそれでも、赤マントはナイフを持ち直す。
「だがまず……決着をつけよう。お前を信じるかどうかは、その後で決める」
「意地っ張りさんですね」
「ああ、意地っ張りさんだ。その上勝負好きで好戦的だ」
浸も再び、双剣を構える。お互いに真っ直ぐに見つめ合い、静寂が訪れた。
「……行くぞ」
赤マントがそう言った瞬間、二人はほぼ同時に駆け出す。一直線に駆け抜ける銀色の線が、一瞬だけ交差する。
互いに互いの武器を振り抜き、静止する。最初に出血したのは浸だった。赤マントに切り裂かれた横腹から、真っ赤な血が流れた。
「やはり好きだよ。お前のような奴は」
そして赤マントが、膝をついた。
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