第十九話「赤いマントはいりますか?」

 赤マントとの戦いの翌日、和葉も浸もなんでもない朝を迎えた。


 いつも通りに起きて、いつも通りに事務所で顔を合わせ、いつも通りにのんびりと過ごす。


「そういえば赤マントさん……じゃなくて、赤羽さんの連絡先ってわかるんですか?」


 書類を整理しながら和葉が問うと、浸は首を左右に振る。


「いえ、知りませんよ。恐らく赤羽絆菜の方から事務所に来てくれるのではないかと思ったのですが……」


 浸は以前、彼女に名刺を渡している。そこには雨宮霊能事務所の住所が記載されているため、絆菜がまだ名刺を持っていればこちらに来てくれるだろうと浸は考えていた。


 しかしよく考えれば、絆菜は団権団地に住んでいるのだ。こちらから声をかけにいくことも出来る。


「来るのを待つよりも会いに行きましょうか。妹さんもそちらにいらっしゃるのでしょうし」


「赤羽さんの家、わかるんですか?」


「ええ、団権団地です」


「え!? あそこ!?」


 浸は前から絆菜を知っているが、和葉はそもそも彼女の顔を見たの自体昨日が初めてだ。


 見知った地名が出てきたことに驚き、和葉は思わず大声を出してしまう。


「行ってみましょうか。お土産でも持って」


「……そうですね!」


 ともあれ、場所がわかっているなら行けば良いだけだ。


 自分が信じた赤マントが、赤羽絆菜がこれから正式に味方になるのが和葉は嬉しくて仕方がない。露子はまだしばらく反発するかも知れないが、とりあえずもう赤マントと誰も敵対しなくて良いのだ。


 和葉がそんなことを考えて心を弾ませていると、薄っすらと霊の気配を感じて和葉はピタリと動きを止める。


 微弱な気配だが、確かに霊の気配だ。それも、事務所に向かってきている。


「……浸さん、霊が近づいてきています」


「……事務所にですか?」


「はい……でも、すごく弱い気配です。それに多分……悪霊化もしていません」


 そう話している内に、事務所の入り口に小さな女の子が立っているのが見える。


 年齢は大体小学校高学年から中学生くらいだろうか。小柄なその少女は、怯えた様子でドアの向こうからこちらを見ていた。


「……浸さん」


「ええ、迎えてあげてください。怖がっているのでしょう。何かあれば私が対処しますから、安心してください」


 以前、和葉は霊に心を許して取り憑かれたことがある。その時の経験が和葉を躊躇わせていたのだが、浸にそう言われると心強い。


 和葉がすぐに入り口に向かい、ドアを開けると、少女は肩を跳ねさせて縮こまった。


「……大丈夫だよ」


 そう言って和葉が手を差し伸べても、少女は怯えたままだ。相当怖いのだろう。


 どうすべきか悩んでいる内に、和葉はなんとなく少女の霊のことを感じ取り、一度穏やかに微笑んだ。


「大丈夫。私達はあなたを除霊しないよ。お願い、お姉ちゃんの話、聞かせて?」


 和葉がそう言うと、少女は一瞬躊躇った後すぐに和葉に飛びつく。


 ずっと不安だったのだろう。小さな身体を震わせながら、少女は和葉の胸の中ですすり泣く。


「浸さん、この子、春子ちゃんです」


「……まさか、赤羽春子ですか?」


 浸の問いに、和葉は静かに頷いた。






 ひとまず少女――春子が落ち着くまで時間を空けてから、二人は春子から話を聞くことにした。


 和葉が感じ取れたのは、彼女が一度他のゴーストハンターに除霊されかけたことと、姉である赤羽絆菜への強い思いだけだ。詳しいことまではまだわからない。


 勿論、やろうと思えば出来るのだろうが、今から話そうとしてくれている相手から勝手に読み取るようなことを、和葉は好まない。


「……赤羽、春子です……」


 どうにか落ち着いた春子は、ひとまず自己紹介をする。


「私は雨宮浸です。ここの所長ですよ」


「私、早坂和葉。浸さんの助手だよ、よろしくね」


 二人がにこやかに挨拶すると、春子はポカンと口を開けたまま停止してしまう。


「えっと……どうかした?」


「いえ、その……。ゴーストハンターって聞いたから……もっと怖い人達だと思ってた……さっきも、優しくしてくれた……」


 霊である春子にとってゴーストハンターとは、自分を脅かす存在だ。それでもこの霊能事務所まで足を運んだのには、よっぽどの理由があるのだろう。


「お姉ちゃんは、浸さんのこと、好きだって言ってました」


「光栄ですね」


「だから……頼るなら、ここにしようって……思って」


「ふふふ……それは大正解ですよ。私は例え依頼人が霊であっても仕事を受けます」


「でも……お金……」


「おっと、では雨宮霊能事務所ではなく、雨宮浸個人としてあなたの話を聞かせていただきましょう。何せあなたは私の友人の妹ですからね」


 浸はハッキリと、赤羽絆菜を友人だと言い切った。そのおかげで安心出来たのか、春子の表情から少しずつ緊張が抜けていく。


「お姉ちゃん……帰って来ないんです」


「家に、ですか?」


「うん……いつも、朝には帰ってきてるのに……」


「では捜しましょう」


 二つ返事でそんなことを言う浸に、春子は表情を少しだけ明るくさせた。


「あの、お姉ちゃんは……」


 春子は少し迷っているようだったが、やがて決心したのか再び口を開く。


「ゴーストハンターのこと、ほんとはやっつけたくないんだと思う……浸さん達とも、ほんとは、仲良くしたくて……」


 少しずつ、春子の言葉が涙まじりになっていく。


「春子の……春子のせいなの……! お姉ちゃん、春子を守るって、それで……どんどん幽霊に近づいていって……」


「春子ちゃん……」


 きっと絆菜は、迷い続けていたのだろう。


 浸と出会って、浸を知って、もしかしたら浸なら……と。


「お願いします……お姉ちゃんを助けてあげてください……! お姉ちゃん、このままじゃ春子と同じになっちゃう……」


 絆菜は、どんどん人間から霊へと近づいていき、半霊となったのだろう。そして今は、半霊から霊へと近づきつつあるのかも知れない。


 しかしそもそも何故、絆菜が人間から霊へ近づいていったのかが、和葉にはわからなかった。そもそも生きた人間が死なずに霊に近づくこと自体、道理に反することだ。


 露子の話なら、半霊というのは魂だけが淀んで悪霊化した人間のことだ。それなら、悪霊化せずに半霊になったイレギュラーということになる。


「……まずは赤羽絆菜を見つけ出す所から始める必要がありますね」


「……そうですね」


 答えつつ、和葉は泣きじゃくる春子を見つめる。


 春子の霊魂は、既に危険な状態に近づきつつある。今すぐに悪霊化することはないだろうが、ある程度淀みつつある状態だ。大きな負の刺激があれば、悪霊化しかねない。


 絆菜を見つけ出すと同時に、春子を成仏させることについても考える必要があった。










 時刻は午後四時過ぎ。丁度空が赤くなり始めた頃合いで、一人の少女が帰路についていた。


 放課後真っ直ぐ家に帰らず、学校で友達と話していたその少女は、住宅街を一人で歩いていた。


 人通りはなく、聞こえてくるのはカラスの声だけだ。少し心細く感じた少女は、やや早足で歩いて行く。


 そんな彼女の影に、いつの間にか長い影が並ぶ。背後にどこか薄気味悪いものを感じて、少女が振り返らずにそのまま歩くと、影は消えた。


 しかしそのことに安堵した瞬間、少女は前方に立ちふさがった何かとぶつかってしまう。


「あ……」


 それは背の高い、白い仮面を被った何かだった。


 赤いマントを羽織ったソレは、イントネーションの狂った声で問いかける。


「アカイ……マント、イリ、マ……ス、カ……?」


 そのあまりの不気味さに、少女は完全に竦む。


「い、いらない……!」


 それでも勇気を振り絞ってそう答え、少女は赤マントから逃げ出そうとするが、彼女の身体を細長い左手がとらえ、その口を塞ぐ。


 赤マントの右手には、ナイフが握られている。それを見た瞬間、少女は必死に叫ぼうとしたが、口を塞がれているせいでうまく叫べない。


「アカイ……マント……」


 もがく少女を抱きかかえ、赤マントは少女の背中にナイフを向ける。


「……ッ……ッ……」


 しかしそのナイフが、少女の背に刺さることはなかった。


 赤マントはナイフを持つ手をプルプルと震わせたまま、動きを止めている。


 まるで迷っているかのようだったが、それでも抱きかかえた少女を放す様子はない。


 そうしている間に、暴れた少女が赤マントの手から逃れる。


 泣きながら逃げ出す少女を追いかけようとする赤マントだったが、すぐに苦しそうに呻き声を上げながらその場にうずくまってしまった。


「ウ……アァ……」


 赤マントは呻きながらも立ち上がり、ふらふらと歩き出す。そのまま住宅街を離れて行く。


 そのままどれだけ歩き続けただろうか。赤マントがたどり着いたのは波止場だった。


 人気はなく、釣り人もいないその場所をフラフラと歩く赤マントは、さながら亡霊か何かのようだ。


 そんな赤マントの背後に、黒と金のシルエットが歩み寄る。


「……アンタ、そうしてるとほんとにただの悪霊じみてるわね」


 その声に、白い仮面が振り向く。そしてすぐにナイフを取り出して構えたが、背後の少女は――――朝宮露子は腕を組んだまま動じない。


「殺せもしない癖に、ナイフなんかちらつかせてんじゃないわよ」


「アカイ……マント……イリ、マスカ……」


 赤マントは、昨夜と同じ言葉を繰り返す。もう、会話自体が不可能なのだろう。


 だがそれでも、こうなる前の自我が僅かに残っているのか赤マントは露子を殺さなかった。殺せなかった。


 元々ゴーストハンターを潰すのが目的だったのなら、どちらにしても露子は殺すべき相手だ。こんな状態で殺したくなかったのか、それとも別の理由が出来たのか、露子にはわからない。そもそも何故赤マントがこのような状態に陥っているのかさえ皆目検討もつかないのだ。


「見ちゃいらんないわね。浸達には悪いけど、アンタはあたしが祓う」


 それでも、露子のやることは変わらない。


 霊は祓う。ゴーストハンターとして、霊から人々を守るために。


「……行くわよ」


 二丁の拳銃が、静かに構えられた。

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