第三話「商店街のゴーストハンター」

 雨宮浸の朝は早い。午前六時前には起床し、身支度を整えるとすぐに事務所へと向かう。雨宮霊能事務所の開業時間は午前八時だが、一時間以上前に浸は事務所へ到着する。開業時間の前に掃除をすませておくためだ。


 そうしててきぱきと身体を動かすことで、浸は眠気を一切寄せ付けない。作業が終わればコーヒーを一杯飲み、優雅な時間を過ごす。普段ならここで終わりだが、今日からは少し違う。


「お、おはようございます!」


 午前七時半。雨宮霊能事務所の新米助手である早坂和葉が初めて出勤する。やや緊張した面持ちの和葉に、浸はデスクに腰掛けたまま微笑みかける。


「おはようございます早坂和葉。早いですね。今コーヒーを淹れましょう、それとも紅茶が良いですか?」


「えっと、じゃあ……紅茶の方を……。ていうか、そういうのって私の仕事なんじゃ……」


「何を言いますか。それはお客さんに出す場合の話ですよ。助手に紅茶を淹れるのは私の仕事です。譲りませんよ」


 ややおどけた調子でそう言って、浸は紅茶を淹れ始める。それを尻目に見ながらとりあえずソファに座り、和葉は思わずあくびをしてしまう。


「朝は苦手ですか?」


「苦手って程でもないですけど……私高校卒業してからしばらくはバイトで、仕事も夕方からだったので……」


 そんな会話をかわしている間に、浸は紅茶を淹れ終える。出された紅茶を静かに飲みつつ、和葉は事務所を見回した。


 昨晩もそうだったが、この事務所は非常に清潔だ。悲しいことに和葉のバイト先の店内よりもこの事務所の方が清潔に感じる。


「バイト先への連絡はすみましたか?」


「ええ、一応……就職が決まったって言ったら、店長喜んでくれて……」


「そうでしたか。でしたらまた、あのコンビニには顔を出しましょう」


 時間は実に緩やかで、中々開業時間にならない。こんなに居心地の良い三十分を、和葉は他に知らない。


「あの……そういえば私服で良いって話でしたけど、ほんとに良いんですか? 一応リクルートスーツとか、用意があるんですけど……」


 今の和葉の服装は、白いシフォンブラウスと淡いピンクのレースタイトスカートに黒いレザーのサッシュベルトを合わせたものだ。やはりリクルートスーツにするべきだったかも知れないと後悔したくらいだったが、浸はそれで良いです、と微笑んだ。


「早坂和葉には白やパステルカラーが似合いますね。どうしても私だけだと事務所全体が硬い印象になりがちなので、今日みたいに柔らかい色を差していただけると助かります」


「そ、そう……ですか?」


 和葉は親以外には褒められ慣れていない。どう反応したら良いのかわからず、そわそわとした態度を取ってしまう。


「あ、雨宮さんだって綺麗じゃないですか! クールビューティーで出来る女って感じでぇ!」


 照れていたせいもあって上ずった声で和葉が主張すると、浸はちょっとだけ驚いたような顔をしてから笑みをこぼす。


「そう見えているなら良かったです。ふふふ……これでも幼い頃はお転婆浸ちゃんと呼ばれたものですよ……」


 そんな会話をしている間に、時計の針が午前八時を指し示す。


「おっと、時間になりましたね」


「……はい! 今日の予定って、どうなってますか!? 私、何をすれば良いですか!?」


「そうですね……」


 浸はそう言って考え込むような仕草をしつつ、手帳を取り出して眺める。だがすぐに手帳を閉じると、デスクの方へ向かって行く。


「ハッキリ言って今日は今の所何もないので……」


「ないんですか!?」


「親睦を深めるためにまずカードゲームとかどうでしょうか?」


 そう言って浸がデスクから取り出したのは、プラスチックのケースに入ったトランプの束だった。


「……へ?」


「さあ、勝負してもらいますよ! 強運のゴーストハンター雨宮浸、今日は負ける気が一切しません!」


 得意げにそう言いながら、浸は喜々としてカードをシャッフルし始める。そんな様子に唖然としながらも、和葉はなんだか楽しくなって笑みをこぼしてしまうのだった。










「早坂和葉、ちょっと強すぎませんか?」


 あのままトランプを続けること二時間、雨宮浸は延々と負け続けていた。


「え、そんな……そうですかね……?」


「いやほら私全然勝てないじゃないですか。早坂和葉、トランプの才能までおありで?」


「……もしかしたらそうかも知れません」


「やはり……」


 無論、ただただ浸が壊滅的に弱いだけである。すっかりその気になった和葉はトランプを眺めていけるかも知れない、などと言い始め、浸は浸でそのまま真面目に称賛し始めてしまう。


 そんなこんなで更に時間は過ぎ、気がつけばトランプと談笑だけで昼前になってしまっていた。


(二人きりのババ抜きで二時間も遊んでしまった……)


 時計を見て、和葉はそんなことを思う。浸にババ抜きを持ちかけられた時は、二人だけで盛り上がれるのか心配だったが、思ったよりも時間ははやく過ぎた。浸はなんとか勝とうと必死だったし、和葉はそんな浸の様子を見ているだけでも楽しめた。


「ふふふ……ですが笑っていられるのも今の内ですよ。私は必ずババ抜きであなたを倒す……その時を楽しみにしておいてくださいね……」


 何故か自信たっぷりにそう言いつつ、浸はトランプを片付け始める。


「さてと、トランプもしたことですし、今日は巡回に行きますか」


「巡回って……パトロールみたいなことするんですか?」


「まあ、そんなところです」


「ちょっとゴーストハンターっぽいですね! がんばります!」


 トランプをするのも楽しかったが、やはりゴーストハンターの助手となった以上はそれらしいことをしたい。そう思っていた和葉は、ついに来たか、と意気揚々と立ち上がる。


「やる気があるのは大変良いことです。あなたは良い助手になる……ふふふ……」


「何の含み笑いなんですかそれ……」


 浸の含み笑いには全く意味などなかったが、和葉にはそのことを知る由もなかった。






「浸ちゃん! よくきたね! ほらこれ、持って行きな!」


「どうだい? 今日の魚は一段と活きが良いぞ! 安くしとくぜ!」


「ちょっと聞いてよ浸ちゃん! うちの旦那がねぇ……」


 巡回、と称して浸が向かったのは近所の商店街だった。浸が何か異常はないかと商店街を回ると、どこの店でも同じように歓迎される。半分くらい回る頃には、浸の手は野菜だの魚だの肉だのが入ったナイロン袋で埋まっていた。


「あの……持ちますけど……」


「……そうですね、流石にそろそろいくつかお願いしましょうか」


 和葉は最初から助手の自分が持つ、と言っていたのだが、浸は構いませんと答え続けていた。


「お、浸ちゃん今日はかわいい子連れてるね! どうしたんだい?」


「ふふふ、かわいいでしょう。うちの新しい助手ですよ」


「よ、よろしくお願いします!」


 声をかけてきたのは、定食屋の店主の男だ。慌てて頭を下げる和葉に笑いかけてから、店主は自分の店を指差す。


「どうだい? 今日はここで食ってかねえか?」


「……そうですね。ではそうさせていただきましょう。良いですか?」


「え、あ、はい勿論!」


 その店、岡村亭は和食がメインの定食屋だ。浸はサンマ定食を、和葉は唐揚げ定食を注文する。


「待ち遠しいですね……ここは大根おろしが絶品なんですよ」


「雨宮さんって、和食が好きなんですか?」


「ええ、どちらかと言えば。白いご飯や焼き魚、お味噌汁なんかが安心しますね。あなたは?」


「うーん……おいしければ、なんでも」


「好き嫌いが少ないのは良いことですよ」


 話している内は穏やかだった浸だが、料理が運ばれてくると目を丸くする。


「……どうかしました?」


「あ、いえ……その、早坂和葉……あなたはそれを全部……?」


「は、はい……全部食べますけど……」


 和葉が頼んだのは普通の唐揚げ定食ではない。ご飯も唐揚げも山盛りの超大食い定食だ。味噌汁のお椀も浸より一回り大きく見える。


「あ、唐揚げ一つ食べますか? レモンかける前に」


「……では一つ、いただきましょうか」


 和葉の細い胃袋にどうやって大量の米と唐揚げが入るのか。浸には皆目検討もつかなかったが、想像以上に和葉はスムーズに定食をたいらげていく。


 明らかに和葉の方が浸の倍以上の量を食べているというのに、食べ終わるのは和葉の方が早い。浸はどちらかというとゆっくり食べる方ではあるが、それでもここまで差がつくのには驚かされてしまう。


「事務所で昼食を取る時は沢山作らないといけませんね」


「雨宮さんって料理も出来るんですか?」


「ええまあ、少々ですが」


 控えめに言っているが、浸は基本的に事務所で昼食を取る。今日のように商店街でもらった野菜や魚を調理しなければならないため、ある程度料理には慣れているのだ。


「……やっぱりすごいですね……雨宮さんは」


「嬉しい言葉ですね。もっと言ってください」


「雨宮さんはすごいです……」


「ふふふ……」


「……私も、頑張ります!」


 純粋な笑顔でそう意気込む和葉に、浸は微笑みかける。昨晩話した時はもう少し暗い印象を浸は受けていたが、和葉の本質はそうではないらしい。どちらかというともっと前向きで、純真だ。そこに影が差していたのは、強い自己否定が原因だろう。彼女の自己肯定感を高める一助になれたのだとしたら、浸にとってこれ程嬉しいことはない。


 そのまま定食屋でゆったりとした時間を過ごしていると、近くの席から噂話が聞こえてくる。


「竹田さんも見たんですって、商店街の黒いモヤ!」


「あぁ? もうだいぶ歳だろ、ボケただけなんじゃないのか?」


 その話し声を聞きつけると、浸はすぐに席を立って噂話をしている二人の方へ歩いて行く。


「今の話、詳しく聞かせてもらえませんか?」


「おや、浸ちゃんじゃないか。奇遇だね」


 話していた二人は老夫婦だ。二人は浸に快く応じると、さっきまで話していた噂話について詳しく話し始める。後ろについてきている和葉と共にその話をしっかりと聞いた浸は、不敵な笑みを浮かべた。


 話を聞いた後、すぐに浸と和葉は会計をすませ、定食屋の外へと出ていく。


「早坂和葉、どうやら仕事が出来たようですよ」


「え、仕事って……さっきの話ですか?」


「ええ、そうです。今夜早速調べてみましょう」


 今日はもうゴーストハンターらしいことはないのではないかと思っていたせいか、和葉は思わず胸が高鳴ってしまうのを感じていた。

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