ファイナル・デッド山本ピュアブラック純米吟醸

和田島イサキ

お猪口三杯分の憧れと約束

 尻に一升瓶を突き刺したまま、春先に雪の下から見つかるのがよく似合う女だ。

 何をしても似合う人間というのは本当にいるもので、もちろんそれは嘘偽りのない感想、でも当人からすればあまり嬉しくはないだろうな、と思った。

 実際、何の慰めにもならなかったみたいだ。彼女はただ呆然とわたしを見つめて、それとも単にまだ酔いが覚めてないのか、とにかく状況がさっぱり飲み込めていない、その程度のことならギリギリわたしにもわかった。

 雪深い北陸の地。この辺りの受け持ちになって随分と経つ。

 凍死体なんかはもう見慣れたもので、その原因が泥酔すなわち酒というのもよくある話だ。

 酔った勢い。人間はそれだけで簡単に死ぬ。事件性はない。事故か自殺、それだけは間違いなく断言できる。予想ではなく、もちろん推理であろうはずもなく、見れば自動的にわかってしまうことだ。

 丸一日降り続けた雪の、その名残の小雪ちらつく午前二時。

 それにしても、随分積もったものだと思う。こういう夜には凍死者が多く、なればこそこうして見回りに出ているのだけれど。でも、初めてだ。若い女性の、それもここまで容姿に恵まれた女の、こんなにアヴァンギャルドな死に様は。

 雪の下。尺取虫みたいな格好の、その尻に聖剣エクスカリバーよろしく、深々突き刺さったままの山本ピュアブラック純米吟醸。

 ――いい趣味してる。

 という、そんな感想はさておきどう見ても死体だ。

「ご愁傷様す」

 そう告げる。まずは様子見、わたしだってそれでも言葉くらいは選ぶ。

 死んでるよ、と、ほらここに死体が埋まってますよ、と、初手からそんな直球はさすがにショックが大きい。まずは優しく、オブラートに包んで。習ったセオリーによれば確かそのはず、でも効果の程は例によって例の如くだ。

 難しい。こういうのは苦手だ。わたしには、人の心がわからない。わかってしまえばもう続けることはできない、そういう仕事だとは言われているけれど。

 わたしの目の前、背が高くて髪の長い女。

 年齢はだいたい二十歳前後か、長い手足を器用に畳んで、ぽつんと雪の上に座っていたところをわたしが見つけた。さっき見つけた。だいたい五分か十分くらい前だ。

 声をかけようとして、でも彼女の方が早かった。独り言だと思う。

 こちらに気づいた様子はなくて、なにより自分に言い聞かせるみたいな調子だったから。


「……どこかしら、ここ……ええと、わたしは確か、鮎坂様から頂いたお酒を」

 口ぶりがもう、完全に記憶が曖昧な人のそれ。

 しまった、と思えど時すでに遅し、見つけてしまった以上は素通りってわけにもいかない。だめだ。ハズレ引いた。できればもうちょっと初心者向けのがよかった、なんて、こればっかりはさすがに巡り合わせだ。

 ――仕方がない。

 覚悟を決めて、声をかける。

「富山す」

 間違いようのない答え。どこかしら、って、そう言うから。いける。これならやれるうん大丈夫自信を持てわたし、と、その甘い考えがまず最初の間違い。

「……トヤ、マ……? あの、すみません。何かの間違いでは?」

 私の知っている富山とは随分違うようですけど――その反応に、わかる、とわたしは内心に頷く。

 富山じゃない。だって富山と断定できる要素が何ひとつない。見渡す限りの大雪原、いまや何もかもすべてが雪の下へと沈んで、つまりここまで真っ白いともうなんだって一緒だ。

「お気の毒すけど、富山す。あるいは『数時間前までは確かに富山だったはずの場所』す」

 くい、と、制帽のつばを引き、こころもち目深に被り直す。

 彼女はただひとこと「随分ちっちゃいのね貴女」と、どうも会話が通じてないようだけれどまあ問題はない。会話はダメでも言葉は通じた、それだけでもまだマシな方だ。いきなり怒って暴れだす、そういう人も少なくないから。

「ええと。あの、寒くないすか。そんな格好で――いやお洒落ではあるんすけど」

 わたしの言葉、いかにも『本題を切り出す前の会話の枕』感丸出しのそれに、にわかに身を縮こめて恥ずかしがる彼女。

 なんでも「ごめんなさい、こんな寝巻き姿で」とかなんとか、なるほどよく見たら寝巻きだった。気づかなかった。よく見ない限りは全然寝巻きじゃなかった。少しでも気を抜くとお洒落なドレスか何かと認識してしまう、そんな自分の見識の貧しさをただ呪うしかなかった。

「やや、あの、寝巻きもそうっちゃそうすけど。でも、ほら。こっちす」

 彼女の手を取り、軽く持ち上げるようにして目の前へ。見えるすか? と聞けば、彼女は頷く。ええ、よく――そう言いかけたところではたと止まり、

「……いえ。〝よく〟は、見えません。あの、なんでしょう? これ、半分くらいしか」

 わかる、と再び内心に頷く。

 半分くらい。半分見えるけど半分見えない。とどのつまりは半透明ってことで、ここまで来たならもう答えは出たも同然、

「ご愁傷様す」

 手を合わせる。合わせることで言外に仄めかす。

 あなた死んでるす。もう幽霊す――そんなわたしの優しい気遣いに、彼女は目を細めてにっこりと微笑み、

「――いいえ。許しませんよ? そんな、勝手な」

 怒り出した。やばい、このひと怒りのボルテージが上がると逆に笑顔になるタイプだ。

「あや、その、違うんす。あのすね、今どき、こんなくっきりとした姿で霊体になられて」

 立派すなあまだお若いのに、って――その言い訳、とりあえず褒めるだけ褒めてその場を収めようという浅はかな魂胆は、でも完全に逆効果っていうかなんか「証拠を見せなさい証拠を」ってなった。

 証拠。死亡診断書の写しとかだろうか。

 やや困るすうちはそういうの出すのはやってないので、と、きっと本当ならそうなっていたところだ。案外そうでもなかったというか、これが意外とどうにかなってしまったのは、彼女がたまたま死にたてほやほやだったおかげだ。

 仕事道具の特注ポラロイドカメラ。

 彼女の足元、雪の中を手当たり次第に撮って、結果引き当てたのが例のアレ。

 順当に行けば春頃発見されるであろう、尻に一升瓶ぶっ刺したままの彼女の死体。

「よかったす」

 ついうっかり漏らした安堵の呟き、それさえなければここまで拗れなかったと思う。

 よくない。だって人ひとり死んでるのにいいことなんてあります? と、彼女のその言い分はもっともだった。ぐうの音も出ない。ただ死んでるだけでも充分悪いのに死に様があのざま、さらには雪解けの季節に見つかるその当人の名前が、

「そういえば、お互い自己紹介もしていませんでしたね。私、山本つくし、と申します」

 なんて、そんな不意打ち卑怯すぎる。

 山本。つくし。そのまんまだ。特に名前の方なんか春先に芽吹くものの代表格、これで噴き出すなって方が無理な話だ。笑った。もう窒息するんじゃないかってくらい笑って、その結果つくしはにっこりと笑った。最高の笑顔。さすがは何をさせても絵になる女、笑顔にここまで重量感を込められる女をわたしは他に知らない。

「すんませんした。反省してるす。もう二度どしないすやや本当す。あとりりむす」

 よろしくす、と差し出した右手。それをつくしはまじまじ覗き込むみたいに眺めて、そして訝るような調子で「アトリリムス……?」とか言った。

 違う。お前は何か根本的な部分を勘違いしている。この右手はただ握手のために差し出しただけで、別にアトリリムスでも何でもないっていうか単純に「あと、わたしの名前は『りりむ』です」って意味だ。

「ンンブォッファ」

 強烈な破裂音、というかつくしが口から唾液の飛沫を噴出させる音が聞こえて、そして、

「嘘でしょそんな全身真っ黒黒の地味系不審者みたいな見た目で名前がりっりりブフォア」

 と、さんざ笑い転げるのはいいけど「でもつくしじゃんお前」って思った。つくしじゃんお前。雪の下でじっと春待つものの比喩じゃん。そんな考えがつい無意識のうちに、口からこぼれ出ていたなんて漫画みたいなこと絶対にないのに、

「――ッハァ、顔に、ッハ、書いてあり、ましてよ……ハァ、つくしの分際で、って」

 肩で大きく息をするつくし。大したものだと思う。本当に何をやらせても絵になる女、ただの殴り合いでさえまるでダンスのようだ。

「降参す。つか、なんなんすか。なんで尻に一升瓶刺して死んでんすかそんな強い人が」

 何者すか。どう見ても足運びが素人のそれではなかったすよ――その質問に、でも彼女は答えない。いや、答えられなかった、というのが正確か。

「別に、わた、私はハァ、ただ人より、少ッハァあのごめんなさい休んでからでいいかしら?」

 すとん、とその場に座り込む彼女。わたしはといえば既にその隣、大の字になって寝転がっていた。セオリーだ。殴り合いの後というのはそういうものだと思う。どうせならつくしもそうすればいいのに、と、そう思ったもののでも口には出さない。

 知っていた。彼女はきっと、こんな風に寝転がるような真似はしないんだろうな、って。

 すぐ隣、ちょこん、と座る寝巻き姿の女の、そのピシッと芯でも挿したかのような背筋。

「つくし、お嬢様すか」

「大袈裟です。ただ人よりも少し、旧い家に生まれただけですよ」

 それで幼少のみぎりより、お祖父様から拳闘の手ほどきを――それでか。道理でというかなんというか、随分と的確な打撃だった。牽制をばら撒き敵の足を止め、見えない角度から繰り出す急所への一撃。ひたすら効率だけを追求した熱のない拳。それが笑顔のまま繰り出される光景。夢に出そう、なんて、そんな個人的な心理的外傷はどうでもいい。

 お嬢様で、あとボクシングが上手い、というのはわかった。

 でも、それでは答えになってない。

 わたしの質問は、「なんで死んでんすか」。要は、死に至るまでの経緯だ。

「ただ事じゃないす。よければ、話くらい聞くすよ? これも仕事のうちす」

 無理にとは言わないすけど――と、本当は多少無理しても聞くべきなのだけれど。

 富山の果て、このどこまでも続く大雪原の中、わたしたちにはただ時間だけがあった。他はない。行くあても、他にすべきことも。

 しばしの逡巡の後、彼女は頷く。やがて語られたその内容は――。

 たぶん、こういうのを期待外れと言うのだと思う。

「さっきのボクシングのくだりの方がまだマシす。なんすか?『記憶にございません』て」

「あんまりでは? そちらから話せと強要しておいて」

 お猪口で三杯、そこまでは絶対間違いありません――と、彼女。その後は栓をして冷蔵庫にしまって、でも「本当?」と訊けば「たぶん」と目を泳がせまくる。

 だめだ。どう見てもなんも覚えてない人の動きだ。もはや信用できる要素が何ひとつなくて、それでもいろいろと尋問するうち、どうやら間違いないと思えることがふたつ。

 家系的に、つくしは相当な下戸らしい、ということ。

 そしてもうひとつ、どうも酒乱の気まで疑われる、という点。

「なんで飲んだんすか……」

 そんなんで。酒を。要は「何考えてんのお前」と、その言葉にでも口をつぐむつくし。

 不意に黙り込んだその一瞬、なんだかじわじわ顔を赤くするのが見えて、「おっこれは」と期待したその瞬間に「だって鮎坂様が」ときた。Yes。やっときた。これだ。待ってた。

「カレシすね!」

「なんてことを。違います。尊敬する方というか、その、お友達です。まだ」

 存外に正直な女。今はまだお友達の鮎坂さん、いずれお友達以上の何かにされてしまうかもしれない鮎坂さん。そんな憧れの人からの、大事な誕生日プレゼント。

 四年か五年ほど前、かなり前倒しで贈られた二十歳のお祝い。

 リクエストしたのはつくし自身だ。ちゃんと大人っぽいものをくださいな、と、そんな子供丸出しのおねだりをした、その結果がこの時限式の山本ピュアブラック純米吟醸だ。

「感動しました。こういうのが大人の贈り物なのですね」

 その言葉に、わたしはただ「そうすね」と相槌を打つ。どうしよう、そんな満ち足りた照れ笑いを見せられたらもう何も言えない。

 大人の贈り物。その形容は確かにその通りで、でも世間一般にはそれを「お歳暮」あるいは「お中元」という。いずれにせよ社交上もしくはビジネス上の慣習、つまり「お前たぶん女っていうより得意先かなんかとして見られてると思う」と、そんな無粋は言いっこなしっていうか最高のパンチが飛んできそうで言えない。

「本当は、明日――ああいえ、もう今日ですね。ちゃんと二十歳を迎えてから開ける、そういう約束だったのですけれど」

 でも、待ちきれなくて。だから一日、いえ数時間くらいなら、フライングしても――。

 静かな声でしみじみと語る、その結果がご覧の有様だ。

 憧れの人からの大事なギフト、それを深々尻に突き刺しての凍死。いやこれ鮎坂さん泣いちゃうんじゃないすか、なんて、そんな赤の他人の都合はさすがに業務の範囲外だ。

 わたしの仕事は、この彼女。

 山本つくしを、適切に〝処置〟すること。

「ところで、りりむ。そろそろ攻守交代というか、不公平でしょう? 私ばっかり話して」

 貴女の方がよっぽど正体不明なのに――その言葉に、わたしはやはり「わかる」と内心に頷く。

 自分でも思う。こんなの不審が服着て歩いてるようなものだ、と。大雪の晩、凍死者の一人や二人くらいは珍しくなくとも、でもその幽霊と雑談に興じる暇人というのはそういない。

「だいたいこの制服がもう怪しすぎるんす。なんすか黒い制帽に黒マントて」

 完全に悪の組織すよこんなの、と、その言葉に「あっ違うんだ」とつくし。全然違う。かすりもしない。ていうかあんたずっとわたしのこと悪として扱ってたんすかこんないっぱい話して――なんて、いくら詰め寄っても彼女は涼しい顔で、

「じゃあ何?」

 とひとこと、そう言われるとこう、その、なんだ。

 困る。

 ちょっと説明が難しい、というか。自分で言うと絶対アホっぽくなるから。

「まあ、その。なんすか。公務員みたいなものっていうか、お迎え役すね。あっちからの」

 そうお茶を濁したところ即座に「つまり、死神?」と、そのド直球のおかげで余計に恥ずかしい結果になった。これじゃただの自意識過剰の死神というか、死神のくせに自意識過剰だ。死にたい。いっそわたしにもお迎えが来たらと、そんな祈りはでも仕事の後だ。

 死神。

 死者の魂の案内役。あちらとこちらの橋渡しをして、きっちり最後までお見送りをする大切なお仕事。

 もちろん、誰もがなれるようなものではない。少なくとも幽霊、それもある程度くっきりした姿を保てないようでは無理で、そういう意味ではこの彼女――。

「つくし、才能あるす。どうすか。うち来ないすか。最近人手が足りてないっぽいす」

 笑顔の絶えない職場すよ、と、その勧誘にでも「待って」となにやら神妙な顔のつくし。

「……今の話が本当なら。貴女、わたしを迎えに来たの?」

 ええまあ一応、と、曖昧に頷く。

 失敗だった。肯首したことも、なにより〝曖昧に〟の部分も。

「嘘ついてませんか、りりむ」

 ――なぜそれを。

 と、その反応がどうやら決定打だった。実は確証があったわけではなかったみたいで、でも違和感バリバリだったと彼女は言う。

 ひとつは、迎えに来たというわりには、その対象の名前すら知らなかったこと。

 そしてもうひとつは、単純にわたしの口ぶりだ。

「なんというか、たまたま見つけてしまった、って感じでしたから」

「降参す。それだけ頭が切れるなら、すぐ本物の死神になれるすよ。わたしと違って」

 本物じゃない方の死神。それがわたしの生業で、簡単に言うなら見習いだ。

 雑用と、事務仕事と、事務所のトイレ掃除とあとこういう日の見回り。本来の死亡予定にない、突発的な事故による計画外の死者。その魂を早期に発見するための、要はイレギュラー対応の補助要員だ。

 そうなった。そういうポストを無理やり作ってもらった。あまりにもデリカシーがなさすぎて、死者という死者を片端からキレさせてしまうわたしのために。

「ああそれと、ついでにリクルートもやれって言われてるす。これには自信あるす。わたしの見つけてきた人材は、みんなエース級の活躍してるすよ。ほんとす」

 どうだ、とばかりに胸を張るわたしに、なんだか微妙な面差しのつくし。言うに事欠いて「それでいいの貴女は」なんて、そんなの考えるまでもない。

「いいわけ、ないじゃないすかぁぁぁぁ……」

 くずおれる。膝をつき、涙を流して咽びながら。

 雪深い北陸の地、この辺りの受け持ちになってもう三百年が経った。

 最初の三ヶ月で死神を降ろされ、あとはひたすらトイレ掃除の日々だ。同期や後輩が何人もの死者を見送っている間、わたしは何人もの同期や後輩を見送ってきた。死神は、幽霊となった死者がボランティアで勤める仕事だ。長くてもだいたい五十年くらいで引退するのが普通で、なのにわたしだけがずっとひとりぼっちのトイレ清掃だ。

「そのトイレすら五回は見送ったす。うちの事務所、移転とかリフォームとか結構するす」

 でも、せめて一度くらい、正式な死神として活躍するまでは――。

 それが動機だ。しぶとく死神見習いを続ける理由。

 ひとつのことをきちんと片付けるまで、どうやっても次には進めない性分。正直、あんまり共感してもらえたことはない。大抵「わかるけどでも限度ってものが」って言われて、つまりわたしはどこかおかしいのだと思う。

 ちゃんとやれない。

 死神を。死者との正しい交流を。つまり、人の心がわからない。わかってしまえばもう続けることができない、そういう仕事だとみんな言っているのに、

「話が違うす。それならわたし、誰より適性がありそうなもんすよ?」

 もう意味がわからんす――そう完全にふてくされてめそめそうじうじ泣きはらすわたし。

 ここまで黙って話を聞いていたつくしは、少し考え込む様子を見せたあと、

「わかりますけど、でも物事には限度というものが」

 気の利いた励ましでわたしを救ってくれる、そのはずの場面で強烈なフィニッシュブロウをぶち込んできた。綺麗に入った。膝に来た。いや嘘でしょそこでその発言が出てくるかな普通、と、その抗議がもはや声にもならない。

「ウッ、フグッ」

 と、こみ上げる何かを必死に堪える、そのわたしの胸に真っ直ぐ突き刺さる「さすがに三百年は引きます」のひとこと。

「もし私なら、そうですね。十六――いや、少し延長して、二十年。最初にそう、はっきり期限を決めてしまいます」

 自分で設けたデッドライン、それを超えた時点で即座に強制終了。どんなに半端な状態だろうと、いくらやり残したことがあろうと、でも〝終わり〟が来たならそこでおしまい。最初からそういうルールにしてしまえばいい――。

 その言葉に、優しくわたしの背を撫でるその感触に、わたしはつい胸を熱く――いや本当、できればそうしたかったのだけれど逆にぞぞっと冷え込んだというか、

「なんすかそれ。無理す。完全に心を亡くした殺人サイボーグの発想すよそれ」

 思わずドン引きしてしまった、その時点でようやく、初めてのこと。


 彼女は、笑った。

 それも、「でしょう?」だなんて、楽しげに。


「よく言われます。お前には人の心がない、って。大抵は信じてすらもらえなくて、だから鮎坂様くらいでしょうか」

 多少なりとも、真剣に答えてくださったのは――寂しげな顔で笑うつくしに、まさか「そんな大事な人からのプレゼントを尻に」とも言えない。わかるす、と深く頷いて、その結果「嘘言わないで」と返された。なぜだ。

「貴女さっき、私のことサイボーグって言ったでしょう。わからないの、私たちには」

 お互いの心も、人の心も。そうでしょう?――そう微笑まれると、どう返していいのか反応に困る。

 俯くわたしと、微笑むつくし。今しばらくの無言の時。

 今日一日の名残の雪は、いつしかぱたりと止んでいた。

「ねえ、死神失格さん」

「見習いす。失格でなくて。なんすか」

「私、貴女は素敵な方だと思います」

「そうすか」

 そうすか。いや、そうかなあ。わからない。わたしには、わたしたちには、人の心が。

 ただわからない同士であるという、その事実を除いてきっと何も知らない。

 特に、

「好きですよ。結構、私、りりむのこと」

 ――この人の心は。


「……さて。それでは、そろそろ案内してくださるかしら。素敵な死神さん」

「見習いす。やめてほしいす。皮肉っていうんすよそういうの」

 その苦情に、でも「あらどうして?」ととぼけた顔のつくし。曰く、死者のお迎えをするのが死神だというなら、私にとってそれは貴女のこと――。

「許しませんよ? 今更、他の誰かに引き継ぐなんて勝手は」

 最後まで責任とってくださいね――とかなんとか。

 ――困る。

 どうしよう。帽子のつばをくいと引き、大きく目深に被り直す。見れない。彼女の顔が。一体どうすればいいのだろう、なんだか冷や汗が止まらない。

 人の心がわからない。

 相手の気持ちを察するのが苦手で、でもまさか、そのせいで。

 ――こんな。こんなことが。


「……わかったす。責任、取ればいいんすね?」

 覚悟を決める。ここからはただ事務的に進める、おそらくそれがお互いのためだと思う。

「じゃあ、始めるす。わたしひとりじゃしんどいすから、頼むすよ」

「はいは……い? うん? 何してるのりりむ。そして何かしらいま貴女のくれたこれは」

 難しい質問だ。この辺りではスコップ、地域によってはシャベルともいう。雪かき道具の定番だ。

「待ってどこから出し――ああマントね、結構いろいろ入るのねそこ。で、何。これで何」

 そんなの雪かきに決まっている、さっき雪かき道具って言ったんだから。ひたすら、掘る。足元の雪を。

「えっ嘘なにそれ地獄行きってこと? 掘るの? エレベーターとかないわけ?」

「違うす。死体を掘り起こすんすよ、雪の中から。でないと、帰れないす」

「帰る? ええ? 誰が、どこに?」

「つくしが、つくしの家に、す。いつまでも幽霊と凍死体のままにはしておけないす」

 もともと計画外のイレギュラーなんすから――説明しながらせっせと穴を掘るわたしに、なんか「待って待って待ってえっ怖いほんと意味わかんない」と当のイレギュラー。

 わかる、とわたしは内心に頷く。

 たぶん、この人、普通にこのまま死ぬんだ、と思ってたはずだ。

「運が良かったす。損壊の少ない死体ならその場で治せるすから。これがすね、例えば轢死体とかになってくると、ただ生き返るだけのことで実質何日分も」

「生き返るの私!?」

「そう言ってるす。あのすね、わたし、死神じゃないんすよ? あっちに連れてく権限ないす。権限なくてもできる処置は、せいぜいそっちに戻すことくらいす」

 わかったら早く手を動かすす――その頼みに、でも『ズシャア』とその場に膝をつく彼女。「うそでしょお……」と両手で顔を覆うその悲痛な姿に、わたしは「だからすね」と先を続ける。

 腹は括った。

 せめて、約束は守ろう。

 たとえそれが彼女の側からの、一方的なお節介であったとしても。

「もう来ちゃダメすよ。少なくとも、しばらくはダメす。できるだけ先延ばしにしてくれないと、わたしじゃなかなか難しいすから」

 三百年のトイレ掃除。昨日の今日でいきなり覆せるものではなくて、つまり猶予が必要だ。

 昇格のための準備期間。いずれ彼女が正式に、改めてこちらに来た際に――。

「責任取るんすよね。わたしが。ならこれしかないす。待ってて欲しいす」

 ざくり、と掘り返す足下の雪、いよいよ顔を出す目的のもの。

 凍死体。結局最後まで手伝わなかった当のつくしは、でも妙に晴々とした――とは正直言い難い実に微妙な面持ちで、

「降参です。変に格好つけようとするものではありませんね。まんまとやられました」

「あや、そんなつもりはっていうか、格好良かったすよ? 惚れたす」

「そういうのを死体に鞭というのです」

 ピシャリ、と死体の尻を叩く死者当人。なかなか稀有な絵面で、でもそんな場面すら絵になってしまう。

 彼女、山本つくしは何でも似合う女だ。

 死さえも、復活さえも平気で我がものとして、まったくぶれることがない。こんな女なら悪くはない、と、そう自然に思わせてくれる美しい女だ。

 ――もしわたしが、正式な死神になるのなら。

 この女の隣にいるのがよく似合う、どうせならそんな死神がいい。

「わかりました。それでは生き返――どうすればいいのかしら。ていうか、大丈夫? 治るのこれ?」

 すう、と死体に重なる、つくしの霊体。ほのかに輝き、生気を取り戻す彼女の体。

 その隣、今は抜けて転がる一升瓶。山本ピュアブラック純米吟醸。今度来るときは尻でなく手に持ってきて欲しいす、と、そのわたしのリクエストにでも「それはいいけどねえ本当に大丈夫? 後遺症とか出ない?」と彼女。

 しばしのお別れ。

 その前に、わたしは彼女を覗き込む。あっ、と、つい漏れる声。小さく謝る。わたしと彼女。いずれまた、再び出会うそのときは――。


 笑顔で、応える。

 それがふたりの、一升瓶一本分の友情と約束。

「人工肛門すね」

「えっ?」


〈完〉

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