十人目 アゲアゲ(三島晴彦)

 夕方が昼にはみ出した分だけ涼しい風が吹く。往来も少しだけ人の通りが落ち着いて来た。

 背中に長い筒を背負った男がティアドロップ型のサングラスを右手でいじりながらやって来る。

「俺は君よりもハードボイルドだ。勝負しよう」

「しません。相談があれば乗ります」

「俺のハードボイルドさを確認したい」

「ルールは了承されましたね? どんなところがハードボイルドなんですか?」

「恋はいつもプラトニックだ」

「いきなり恋!?」

「手も繋がない」

「言葉だけ?」

「口もきかない」

「それが恋なら片思いです!」

「顔も知らない」

「平安時代ですか!?」

「メールだけで、恋をして、恋をされる」

「それは出会い系じゃないですか!?」

「待ち合わせにはいつも来ない」

「騙されてますから!」

「きっと遠くからスナイプされてるんだ」

「まだ頭とか吹っ飛んでないですよね? なら違いますよね?」

「俺がナイパーだからって警戒しているんだ」

「スナイパーじゃないんですか?」

「違う、ナイパーだ。ナイス・パーマの略だ」

「確かに左右両方、見事な縦巻きカールですけど! おじさんがする髪型なのか? それでいいのか?」

「ナイパーが仕上がるまで俺は決して動かない」

「仕留めるまで動かないスナイパーみたいに言ってますけど、パーマの完成待ちですから!」

「俺の髪は『hair salon 漢気』のマスターのハサミしか受け付けない」

「ハサミじゃなくてパーマですから! って言うか『漢気』って、オシャレに全力で背を向けてますよね?」

「カットのときに本を三冊も持って来てくれる。大体いつも『セブンティーン』『non-no』『cancan』の三誌だ」

「どう考えてもピチピチの女子の読む雑誌です!」

「難解な訳だ。シャンプーをしてくれるお姉さんの指のしなりが極楽だ」

「漢気お姉さん!? ゴツいの!?」

「オシャレなお姉さんだ。マスター以外はみんなお姉さんだ。俺は口もきけない」

「ハートは思春期シャイボーイ!?」

「店は原宿にある」

「雑誌の選択に納得です! でも、何故に店名に漢気を?」

「マスターが自分に足りないものを店名にしたと言っていた。その店名に釣られて俺のような輩が並ぶ」

「それでナイパー工場と化す訳ですか!? 見事に足りないものが集まりましたね」

「ど真ん中撃ち抜いたな。その通りだ。最初は苦笑いしていたマスターもいつの間にか同じような髪型になった」

「カリスマへの逆感染!?」

「そしてその髪型を目指してまた人が集まる。素晴らしきループだろ?」

「もはや雑誌も『コニャックと葉巻』『背立禁止』『鼻で笑う』とかにすればいいのに」

「そんな素敵な雑誌があるのか?」

「ありません。じゃあ、背中に背負っている長いケースの中身は何なんですか?」

「ネギだ」

「何故にそんなに仰々しくネギを背負う!? 職務質問した警官もびっくりですよ!」

「深谷ネギだ」

「ちょっと大きくて太いですけど! だからって背負いますか!?」

「ネギを折ると、怖いんだ」

「ハードボイルドが怖れる相手って、ボスとかですか?」

「概ね合ってる。ママだ」

「合ってませんよね!? ママはボスじゃないですよね? ボスなんですか? と言うかママと呼んじゃっていいんですか!? 何か特別な役割の人のコードネームなんですか!?」

「実母だ。我が組織には俺とママしか居ない」

「それは組織ではなくて家族です!」

「ママが怒ると怖い。尻があり得ない腫れ方になる」

「お尻ペンペン!? 成人男性を?」

「本当に痛いんだ」

 男は自分の尻をさする。

「今も腫れてるんですか!?」

「昨日、やっちまったのさ」

「何を?」

「お使いで買ってくるお面を、つば九郎の筈がくまモンを買ってしまって」

「いや微妙に似てるけど、同じ売り場にはないでしょ!? それ以前に何故にお面をお使いします!?」

「夏祭りを120%楽しむためだそうだ。俺の尻が120%になってしまった。あと、コードネームならある」

「どんなですか?」

「俺は『アゲアゲ』だ」

「パリピですか!?」

「これは略語だ。『Apple’s golden extract and great evening』の頭文字を取ってAgeageだ」

「『リンゴの黄金の抽出液と素晴らしい夕べ』って、夕方にリンゴジュース飲んでるだけじゃないですか! お子様大好きリンゴジュースって、どこがハードボイルドなんですか!?」

「サンセットを見ながら独りグラスを傾ける。ソフトドリンクだっていいじゃない」

「いいじゃない、じゃないですよ! ソフトって白状しちゃってますし!」

「リンゴジュースのときもだが、俺は風に当たって黄昏れることに美学を感じている」

「埠頭とかに行くんですか?」

「いや、屋上だ」

「高層ビル?」

「hair salon漢気の二階建ての屋上だ」

「原宿の風! ハードな風を求める場所じゃない!」

「一階で髪型を整えたハードボイラー達が集結するのだ」

「ハードボイラーって、全力稼働中のボイラーですか!? と言うか、縦巻きカールのむくつけき男達がきっと広くもない屋上に群らがって、風をその身に受けて遠い目をしているって、悪壮観と言う言葉がこれほどピッタリ来る光景もなかなかないですよ!」

「そして俺達は歌を口ずさむ」

「大合唱!?」

「いや、それぞれ好きな歌を歌う」

「カオスな雑音集団です!」

「でも自分の歌を一番にしたいから、それぞれどんどんヴォリュームが上がっていく」

「床屋のてっぺんで何の儀式ですか!?」

「歌い終えて自分の巣に帰るとき、こころが満ち足りた感じが嬉しい」

「仲間を確認してあったまるのはいいことですけど、ハードボイルドってもっと孤独を愛するんじゃないんですか?」

「うさぎって、寂しいと死ぬらしいじゃないか。きっと俺はうさぎの血を引いてるんだ」

「ハードボイルドに拒絶反応を起こしそうな血統です!」

「もう半分はママの血だ。ママほどハードな女を見たことがない」

「お父さんがうさぎ、いや、どんな女性なんですか?」

「ママの冷蔵庫は半分がとうがらしで埋まっている。髪はパンチだし、料理に包丁は使わない」

「一段上のナイパー!? 包丁を使わないって?」

「手でちぎる。握り潰す。それにとうがらしがまぶされる」

「ワイルド過ぎる! 野生とうさぎの混血、いや、うさぎも野生かも知れませんけど、そのブレンドがあなたと言うことなんですね」

「野生児がかっこいい人間であるためには、ハードボイルドが必要だ」

「野生児になるって決まった訳ではないですけど、あなたにとっての生きる指針なんですね」

 僕達はしばし黙って、お互いの顔を見合った。

「確認は出来ましたか?」

「出来た。どうやら俺は自分の描いていたハードボイルドと少し違うようになっていたみたいだ」

「目標に向かってガムシャラにやっていると、いつの間にか最初に考えていたところと違うところに向かってしまっていると言うのは、あることです。じゃあ、最初からやり直さなければならないかと言えばそんなことはなく、もう一度目標をしっかりと見据えて漕ぎ始めればいい。そしてもし自分が目指すものと違うものが正しと思ったら、舵を切ればいいんです。大事なのは、どこを自分が目指したいかを見極めることです」

「そうだな。まずは俺にとってのハートボイルドが何かもう一度、考えてみるよ」

「どこを目指すかも考えてみて下さいね」

「だとしても変えられないものもある」

「聞いてます?」

「ゆで卵は半熟が好きだ」

「ハードボイルドは!?」

 男は、ふっ、と笑うと去っていった。恐らく彼の素の部分はハードボイルドよりももっと仲間を求める、チームで何かをするようなものに適性があるだろう。このまま行くもよし、方向転換をするもよし、その根っ子の方針を決めるのには恐らく、ハードボイルドの壁に一度ぶつかる必要があるのだと思う。……ハードボイルドの壁って何だ? よく分からないけどぶつかったら痛そうだ。


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