四人目 江戸川慎二
二時を過ぎて少々緩慢になった日差しはそれでも十分に暑い。白衣の下のワイシャツが濡れ切っている。でも白衣は脱がない。
スーツ姿の青年がニヤニヤと揉み手をしながらやって来た。顔の割に体の線が太い。
「あなたが最初のお客さんだ」
「客はあなたですよね?」
「僕の話を聞いてくれるかい?」
「もちろんです」
「僕は青年実業家でね、これから会社を立ち上げて、たくさんの善良な人々を巻き込んで、いずれは大金持ちになるんだ」
「善良な人々を巻き込むって、悪徳前提ですか!? と言うか、まだ何もしてないですよね?」
「してないよ」
「してないんですか!」
「だからこうやって計画を相談しに来たんだよ」
「最初の客にしようとしてたじゃないですか」
「それも同時に狙っているよ、今も」
「客になるかどうかは話を聞いてから判断します」
青年は細かく三回頷いた。
「会社の名前は『天から燦燦と降り注ぐ光によってキラキラと輝く星』にしようと思う」
「一体何をする会社なんですか? あわや新興宗教みたいなニュアンスだけどいいんですか? しかも、天から始まって星で終わるって、地上は? 地上の私達には届かないのその光? そして長い、長過ぎる! 最早文だし! 燦燦とかキラキラとか修辞句がうるさい!」
「略して『天ぴ星』、テンピボシだよ」
「アジの開きの会社?」
「違うよ。仮想のものを取り引きさせる会社だよ」
「天日干し関係ないじゃないですか。まさか仮想アジの開きの取り引きじゃないですよね?」
「それも考えた」
「考えたんですか」
「仮想土地にした」
「土地の仮想って、買わないでしょ」
「最初は仮想よりは実体のある、海王星の土地の売買をするって形にしようと思ったんだ」
「海王星!? 行けない所の土地なんて買わないですよ」
「君だって、アマゾンの土地買うでしょ?」
「買ったことないですよ!」
「行けないけど買えるよ、アマゾン」
「それはネットショッピングの方でしょ? それに無理すれば行けますよ! でも、アマゾンの土地は要りません」
「まさに、欲しい人がいれば商売になるってこと。海王星の土地、欲しい、よね?」
「要りません」
「でも調べると、太陽系の惑星の土地は既に売られてるんだ」
「本当ですか?」
「僕と同じこと考える奴が既に居たってことなんだけど、他の星の土地を勝手に権利どうこうするなんて、傲慢にも程があるよね」
「どの口が言いますか!」
「それで、だったらもっとずっと遠い星ならいいかなと思って、ベガ、織姫ね、の土地でどうかなと思った」
「なんでまたベガなんですか?」
「僕は織姫派だからね。七夕の時も常に織姫にお願い事書いてたよ。君は織姫派? 彦星派?」
「犬派猫派的な!? それって一般的なことなの?」
「僕の周囲じゃ7:3で織姫派が優勢だよ。君は?」
「決めなきゃならないなら、織姫派ですね」
「じゃあいいじゃないですか。ビバ織姫ってことで、ベガの土地だよ」
「因果関係が緩すぎます! そもそも恒星ですから。太陽の土地と同じで、ドロドロですよ」
「確かにそうだ。でも僕は別の思考ルートで却下した。遠過ぎたら仮想でも同じじゃないかって」
「それで仮想土地になったんですね、で、その仮想土地はどこに保存されるんです? サーバーとかですか?」
「僕の頭脳」
「改竄し放題の場所!? そこだけはダメでしょ!?」
「記録がベガ並にドロドロになっちゃう?」
「どんだけぐちゃぐちゃにするつもりなんですか!?」
「天日干しにすれば戻るかもよ?」
「混ざった状態で乾くだけです! と言うか自分の頭の天日干しって何ですか!?」
「僕を唯一にして絶対の窓口に固定するためには必要な処置だと思う」
「何の神様ですか!? 完全に自分の胸先三寸で価格を決めるつもりですね」
ふう、と彼がため息をつく。釣られて僕もつきそうになってすんでのところで堪える。
「お気に召さないようだね。もう一つプロジェクトは並行に走ってるんだ」
「反復横跳びのままどっか行っちゃう感じですよ! 言いたいことは分かりますけど」
「君はアンチ巨人か?」
「いや、野球はあまり観ないですけど」
「僕はアンチ巨人ではない。かと言って巨人ファンでもない」
僕は首を傾げる。
「でも、アンチ巨人を公言する人を見て、何かを批判することがアイデンティティと言うのが許せない気持ちが少なからずある」
「そうですか」
「だから、N P O法人アンチ巨人バスター、略してA K Bと言う団体を作ろうと思う」
「何かを批判するものを批判するアイデンティティになっちゃってますから! ここまで人のこと言えない主張もなかなか見当たらないですよ!? さらに略語! それ、正面から喧嘩売ってますから!」
「背番号は48」
「その番号だけは避けて! 必死で避けて! と言うか何のユニフォーム!?」
「東京ドームが水道橋。だから秋葉原に本拠地を置く」
「だから、世界の中でそこだけは回避して下さい!」
「じゃあ、真ん中取って御茶ノ水にしよう」
「左右からの勢力に挟まれてアップアップな未来しか来ません!」
「活動は主に布教活動だが、いずれは歌って踊れるようになりたい」
「じゃあ、最初からアイドルを目指して下さい。真っ直ぐ偽物に向かわないで下さい」
青年はアメリカ人のように肩を竦めて両手で天を仰いだ。ジャラ、と言う音がする。
「もう一つプロジェクトがあるんだ。それは、仮想アイドルに投資するって奴なんだ」
「それも全部あなたの頭脳の中にあるってことですよね?」
「でもこれまでと違って、僕の脳の中にはたくさんのアイドル達が詳細に記録されている。土地よりずっと」
「いずれにせよ脳内! ただのアイドル好きですよね!?」
「ああ、ただのアイドル好きだ。でも、そこだけは誰にも負けない自信がある」
「じゃあそこで勝負した方がいいんじゃないですか?」
青年と私は目と目を合わせて一瞬、黙る。
「そうかも知れない」
「悪徳の香りの高いことで一発当てるより、きっと好きなところから掘り下げて行った方が、新しい企画が面白くなる可能性が高そうです。もちろんビジネスなので市場調査などは必要になるでしょうけど、善良な人々を食い物にするにせよもっと素敵な方法があるでしょう?」
「もう一度、練り直してみるよ」
「頑張って下さい。で、さっきから『ジャラ』って音がするんですけど、何なんですか?」
「ああ、これか」
青年はスーツの上を脱いだ。
「鎖かたびらだよ。いつ刺されるか分からないからね」
そう言ってズボンも脱いだ。
「つま先まで全部、守られている」
「まだ、何も悪いことしてないですから! そしてそんなに心配なら真っ当な仕事をして下さい!」
「転ばぬ先の杖だよ」
「だから、まだ歩き始めてないですから」
「でも、ありがとう、正しい方向が見えた気がするよ」
そう言って彼は去って行った。せめてスーツを着用すればいいのに、全身の鎖かたびらをジャラジャラ言わせながら公園の奥の方に消えて行った。と思ったら戻って来た。
「またいいプロジェクトを思い付いたら相談に来ていいかな」
「もちろんです」
「最初のお客になってくれるかな」
「それは分かりませんが、ほぼ断ると思います」
青年はニコ、と笑って、「じゃあ、また」と向こうへ行く。だから何でスーツを着ないのだ。
また、を求められると言うことは、彼には手応えがあったと言うことだ。それは嬉しい。彼が素敵なプロジェクトを立ち上げて、善良な人々が害ではなく益を被るようになればいいなと、鎖だらけの背中を見ながら思った。むしろ、あれを脱ぐことこそが必要な最初の一歩なのではなかろうか。そして裸にスーツ。いや、裸はだめだろ。
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