三人目 国木田皆子

 太陽はてっぺんを越えて、熱が地上に最もたまる時間帯。こうなると意地でも白衣を脱ぎたくない。

 通り過ぎてゆく人々の中に一際目立つ女性。真っ直ぐに歩いて来る。

「ついに私の番ね」

「いや、順番待ちゼロですから」

「じゃあ私の番よね」

「はい。どうしましたか?」

「ピアニストとして、てっぺん獲りたいの。でも上手くいかないのよ」

「ここで相談するスケールの話? てっぺん獲るって、昭和の不良ですか? ピアニストの世界ってそんな魑魅魍魎の蠢くすさんだ世界なんですか? もちろん相談は受けますけど」

「努力してるのよ。そしてすさんだ世界よ」

「イメージ!」

「芸能にはドロドロが付きものなのよ」

「イメージが崩壊してしまう」

「壊して、正しくするのが、調教よ」

「何で僕がここで躾けられなきゃならないんですか! ……それで、どんな努力をされてるんですか?」

 女性は両手で体のラインをなぞる。

「派手に! このレインボードレスでステージに立つわ」

「絢爛過ぎでしょ! 中世のお姫様ですか。スカートが広がり過ぎだし、後ろに何メートル引きずってるんですか? 羽とかいらないでしょ。しかもその羽が何でコウモリの羽なんです? 統一しましょうよ? 最初からずっと言いたかったんですけど、何でも盛り過ぎの、闇鍋ルックになってますから!」

「まさにテーマは闇からの脱出よ」

「むしろ闇に一直線に落ちゆくコーデですよ! ピアノ弾けるんですか、そのスカートで」

「無理よ」

「ダメじゃないですか。本末がド派手に転倒しちゃってますよ!」

「だから改造したの。前が開くわ」

 女性はドーム状のスカートを左右に開いた。

「何で開けた下にアヒルが居るんですか! そんなもの見にお客さんは来てないでしょ?」

「白鳥よ。サービスになるかなって」

「なりません。偶然迷い込んだ思春期の男子でも喜ぶか微妙ですよ!」

「一部の人だけだとしても、喜んでくれるなら」

「そのために他の大勢を犠牲にしちゃダメでしょ! 本番はキュロットでも穿いておいて下さい。と言うより、そもそも、そんなに服を着て、演奏に影響出ないんですか?」

「超、弾きづらいわ」

「じゃあやめましょうよ! あなたの仕事は演奏ですよね? ピアニストですよね? 僕、そこのところ確認しないと前に進めないと思います」

「ピアニストよ。てっぺん獲りたいの」

「どうして格好で攻めるんですか。いつも家で練習しているときの格好にすればいいでしょ?」

「本番ってのは、皆タキシードとかドレスでするのよ」

「いや、ドレスの範疇超えてるから。すぐに紅白出れるレベルですよ? 逆にいつもこの格好で練習すればいいのかな?」

「それは変でしょ」

「ここにその姿で現れて、どの口が言いますか!」

「家ではタイツで練習してるわ」

「意外と普通ですね」

「全身の」

「いや、おかしいでしょ。どう言う家庭事情でそうなったのか知りませんけど、全身真っ白にしてピアノに向かっているって、もう、芸じゃないですか」

「色は黒よ」

「さらに分からん! ピアノに溶け込むんですか? 一体感でいい演奏が出来るんですか?」

「それはあるのかも知れない。そうね。本番は黒の全身タイツにするわ」

「今の姿と別方向だけど、距離は同じくらい正常から離れてますって。普通にしましょう。他にどんな努力を?」

 そうね、と女性は呟く。

「ステージで自分の入場のときに、ファンファーレを鳴らすわ」

「ピアノの演奏会なのに?」

「お馬さんが出走するときのアレよ。そうすると会場の五人に一人くらいソワソワするわ」

「何の目的で流してるんですか! 仲間でも探してるんですか? あなたもソワソワするんですか?」

「しないわ」

「競馬はしないってことですか?」

「いつも聞いてるから平常心になるのよ」

「逆!? どっぷり浸かり過ぎて安定剤みたいに?」

「そうよ」

「それはイヤホンで聴いて下さい。他にはありますか?」

「火薬は少なめに使ってるわ」

「多寡の問題じゃなくて、火薬はピアノに必要ないでしょう!?」

「演奏の終わりに、パーン、ってやると盛り上がるのよ」

「びっくりするだけでしょう? お客さん喜んでますか本当に」

「私は盛り上がるわ」

「盛り上がらせる相手が違う! たとえ自分だとしても、曲が終わってからじゃなくて、中盤くらいにその盛り上がりを火薬抜きで、演奏に乗せて下さい!」

「ステージではそんなものだけど、あとは招待状に凝るわ」

「いいですね。きっとそう言うの大事です」

「ふたパターンあって『この招待状と同じ文面を五人に出さないと呪われる』が一つ目で」

「そんな呼びかけじゃ行きたくないですよ! 行っても呪いの演奏とかされそうですし。逆にチェーンメールが大爆発したら入り切らない人数になりますよ?」

「そしたらパブリックヴューイングで」

「映像じゃなくて、音! 生の音を聴きたいんです! そもそもそんな設備のあるコンサートホールないでしょう?」

「もう一つが『握手券付き』よ」

「どこぞのアイドルですか? その付加価値要ります? 人来ます?」

「皆無ね。私の右手はまだ純潔を保ってるわ」

「その手はピアノを弾くために使って下さい。他にはあります?」

 女性はちょっと考える。

「あ、S N S的なので宣伝してるわ」

「曲のサンプルを流すんですね」

「インスタよ」

「そっちじゃないでしょう! 何で映像……確かにその衣装は映えそうだけど、そっちじゃないですよね、本業は」

「ピアニストよ」

「そう、ピアニストなんですよね」

 うん、と同時に頷く。

「ピアニストとしての本業に専念して、付加価値とかは今は考えずに、宣伝ももっとストレートに楽曲に絞るのがいいんじゃないでしょうか」

「そうかも。話してて、結構自分が外れたことをしていたような気がして来たわ」

「てっぺんまでの道のりでいずれはそう言う付加価値が重要になるときもあるでしょう。そのときにはこれまでの経験が生きると思います。演奏時の服装はそれが主役でないことをよく噛み締めて、選んで下さい」

「そうするわ」

「あと、てっぺんを獲るのだとしたら、その道の先輩に相談するのがいいと思います。私はそこまでのトスが出来れば上出来な位置に居ると思います」

「闇から脱出出来るかも知れないわ。勇気を出してやってみるわ。ありがとう、じゃあね」

 彼女は去っていく。長いながい尻尾のような布がいつまでも僕の前からいなくならない。この尻尾を切らないと永遠に闇から出られないだろう。

 勇気を正しい方向に出して欲しい。布を見ながらそう思った。



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