九人目 北原清春
午後一番の風に吹かれても、太陽は放熱を微塵も緩めない。ボタボタと、汗が白衣に滲みを作る。
スマホ片手の若い男性が机の前を通過した。
と、思ったら戻って来る。
「春が来ない」
「もう夏ですけど!?」
「春を呼ぶための相談をしたい」
「こころの春? 恋の春?」
「僕の会社はアプリを作ってるんだけど、売れない。ブレイクの春を呼びたい」
「どんなアプリなんですか?」
「いくつかあって、まずは『A R肥溜め』ってゲーム」
「A Rでわざわざ肥溜め出します!?」
「こうやってスマホをかざすと、画面の中央に肥溜めを設置出来る。で、そのまま待って、その上を現実の人が通過すると『アァ!』の声とともに1点入る。時間内にどれだけの人を肥溜めに落としたかで点数を競うゲームだ」
「何故に肥溜め!? チェックポイントじゃダメなんですか!? しかもプレーヤーは構えるだけ?」
「だけ。でもおばあちゃんが通過すると『アオ―――ン!』の声とともに5点入る」
「何でおばあちゃんだけ高得点なんですか!? しかも遠吠え!?」
「人がとにかく居れば高得点だから、実地試験で新宿駅のラッシュに肥溜めを設置してみたら、『アアアアアアアァァァァァァァ!』って信じられない雄叫びを上げた。駅員さん怖かった」
「本当に設置したみたいに言わないで下さい!」
「でも点数も信じられないものになった」
「ラッシュが有効活用された!?」
「もしあのラッシュが全部おばあちゃんだったらと思うと」
「点数五倍ですけど! おばあちゃんだけの新宿ラッシュって! 混ざりたくない!」
「僕はおばあちゃんっ子なんだ。大好きなおばあちゃんを肥溜めに落とすのはこころが痛む」
「点数五倍で穴埋めですか!? そして、その痛みをアプリを作る前に感じて下さい!」
「次は、『あ、そこそこ』と言うゲーム」
「『そこ』ってどこですか?」
「ゲーム画面に背中が出て来て、適当な場所に触れると『もっと右』『ちょっとだけ下』と声がして、その場所に到達してタップをすると『もうちょい強く』とか『あ、やっぱりもうちょっと右だった』とか言われる」
「背中掻いてるだけじゃないですか! 確かに到達感はありますけど!」
「背中のラインナップは『おじさん』『おばさん』『おばあちゃん』の三種類」
「おじいちゃんは?」
「ちょっと旅に出てる」
「何で!?」
「三人をクリアすると『太ったおじさん』『背の高いお兄さん』が解放される」
「全部背中ですよね? 何か違うんですか?」
「面積」
「それだけ!?」
「二人をクリアすると『おじいちゃん』が帰って来る。『おじいちゃん』がラスボス」
「旅のくだり要らないですよね!? 流石に今度は面積以外に違いがありますよね?」
「『おじいちゃん』の痒いところは逃げる」
「確かにそう言うときありますけど」
「ビュンビュン逃げるからまず捕まえられない」
「それゲームとして成立します?」
「そこでアイテムの『痒み止め』で範囲を狭めてゆく」
「背中がバトルフィールドに!?」
「最終的に追い詰めて、掻く!」
「ロマンたっぷりですけど、背中掻く話ですからね?」
「でもふと思うんだ。知らない人の背中掻いて、何が楽しいんだか」
「どうして作ったんです!?」
「それで背中を撮って取り込めるように改造した」
「背中出して歩いている人居ますか!?」
「街には居ないんだ、それが。盲点だった」
「盲点広大ですか!? たとえ居たとしてもいきなり『背中の写真いいですか?』は勇敢過ぎるでしょ!?」
「ビーチならと思ってやってみたら、たまに撮らせてくれる人が居るけど、何で海にまで来て人の背中掻いてるんだ? 疑問渦巻く」
「居るんだ!? その疑問はやる前に持って!」
「いずれは有名人とコラボしたい」
「背中だけ登場って、マニアック過ぎます」
「次は『エアフォン』と言う通話的アプリ」
「的?」
「誰かと電話したいけど話し相手がいないときってあるだろ?」
「ありません」
「そう言うときに、このアプリを起動すると、電話で話す感じでアプリが相槌を打ってくれるんだ」
「独り言メイカーってことですか!?」
「いや、擬似会話だ。実際にやってみよう。スピーカーホンにして」
男はスマホを机の上に置く。男がスマホに話しかける。
「もしもし」
『あ、俺だけど』
「今日は上野に来てるんだ」
『信じられない!』
「面談をしてるんだ」
『ぬいぐるみを忘れなければ安眠出来るよ』
「いい先生だよ」
『ソリティアをすると気が紛れるよ』
「もう少し話をしていこうと思う」
『背中が痒い』
「きっと実りがある」
『もうちょい右』
「じゃあまたね」
『信じられない!』
「え、もう少し喋る?」
『信じられない!』
「どっちだよ!」
『ソリティアをすると気が紛れるよ』
男がアプリを終了する。
「こんな感じだ」
「会話が一瞬しか噛み合ってませんから! しかも語彙が少なすぎでしょ!? この短い間で二つも同じこと言いましたよ!? どんだけソリティア推しなんですか! 『信じられない!』三回言ってるし! 話題の選び方も脈絡なく偏り過ぎでしょ!? 微妙にさっきの背中のアプリが混ざってるし!」
「このアプリは、使う度に学習して、つまりさっきのセリフは基本的に僕が彼女に言ったことから抽出されている」
「女性設定なんですか!? 思いっ切り『俺だけど』って言ってましたよ!? そこも学習で上書きされるんですか?」
「される」
「じゃあ最終的には自分と会話する、山びこアプリってことですよね?」
「そうかも知れない。でも一旦ストックしてからランダムで言う」
「恐ろしくて何も言えないじゃないですか! さっきの会話からだけでも、会話なのかな? ソリティア大好き、寝るときはぬいぐるみってバレますよ」
「大好きだ。ぬいぐるみはクマのミスターダイアモンドだ」
「クマ、硬っ! と言うことは『信じられない!』も連発していると言うことですか?」
「業績を見て、いつも呟いている」
「何でそのシーンでこのアプリが起動されてるんですか!?」
「僕には必要なアプリだ」
「あの受け答えで!?」
「必要だけど満足は出来ない」
「満足出来るものを作って!」
「もっと育てば理想の女性になるかも知れない」
「自分になるだけです!」
ふう、と一息入れる男性。
「次は、『ライブモザイク』と言うアプリだ」
「どうライブなんですか?」
「カメラで写真、動画を撮るときに、予め定めた人物の顔やその他の場所に、その人物がどう動こうとモザイクが付きっぱなしになる、と言うアプリ」
「なるほど。撮る前からずっとモザイクがロックオンで付くんですね。それは使いようによっては便利ですね」
「不具合があって、一度設定したモザイク対象が解除できない」
「恋人を登録したら完全にアウトな写真しか出来なくなります! ツーショットの相方がいつもモザイクって後ろ暗過ぎでしょ!」
「そこでランダムライブモザイクと言う機能を付けて、これは顔と認証したものをモザイク化するけど、永遠ではない」
「それはそれで使用する意味がわかりません」
「『A R肥溜め』と同時起動すると、歩いて来た人の顔にモザイクが掛かり、三点になる」
「モザイクおばあちゃんは?」
「十点!」
「顔にモザイク、足元に肥溜めって、他人にどんだけ勝手な加工をするんですか!」
「『エアフォン』と同時起動をしてみたら奇跡が起きた」
「どんなです?」
「セリフがたまに『ピー』になる」
「絶対別のプログラムが必要でしょ! おかしいでしょ、自然に会話にモザイクがかかるって!」
「電話で話しているのに『ピー』が入ると、一体何を言われているのか落ち着かなくなる」
「身に覚えがあるんですか!?」
「社長だからね」
「社長とそれをイコールにしないで!」
「『あ、そこそこ』にモザイクをかけても難易度は変わらなかった」
「見えないものを探すゲームです!」
二人で一緒に息をつく。
「どう思う?」
「一つひとつのコンセプトはしっかりしていると思います。何がヒットするのかは僕には全く分からないですけど、尖ったコンテンツと言うのは良さそう」
「でも売れない」
「一番面白かったのは、アプリとアプリのコラボが出来ると言う点です。そう言うコラボでやると言う視点はどうでしょう?」
「例えば?」
「そうですね。相手の顔にかざしたら、その人のこころの声が聞こえるアプリってのはどうでしょうか?」
「ほう」
「そのときに、『エアフォン』で収集した言葉に、ときどき『ライブモザイク』による『ピー』が入って、言われたことに腹が立ったらその顔をタップするとモザイクを設定出来る、ですかね」
「いいじゃん。さっきのだと『ピーをすると気が紛れるよ』って感じか」
「そんなこと言われたらその人に、即モザイク設定しちゃいますよ!」
「後は『信じピーない』とか?」
「『ピー』の位置がおかしい。モザイクが顔じゃなくて頭だけにかかってるようなズレ方です。見せられない髪型つてどんなだ? じゃなくて、その短い間にどんな危険なワードを放ってるんですか!?」
「面白いよ、それ採用」
「採用してから吟味をちゃんとして下さい。計画の段階で脇の甘さを可能な限り削ぎ落とさないと、コラボのように連動するアプリだときっと不具合が生まれてしまうと思います。だから、しっかりと煮詰めて下さい。アイデアは面白いと、素人ですけど、思いますから、そう言う98%を100%にするような努力をして頂けたらと思います」
「分かった。努力する」
男はそう言って帰ろうとして、もう一度僕の目を見る。
「さっきのアイデア、本当に採用していいんだよな? 後で権利関係とかなしだよな?」
「大丈夫です。煮るなり焼くなりして下さい」
踵を返す男。目の前の次の企画のことで頭がいっぱいだとしか思えない彼が、精緻に計画を練ってくれるか。それをするかしないかが社運を、春が来るかを決めるだろう。選べるのだから、春の方に進んで欲しい。
「よっしゃ、新作だ! すぐ作るぞ!」
去りゆく彼の呟きが聞こえた。
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