五人目 ハクマ・イミソシ・ルニック・ジャガー(島崎街太郎)
夏の宵に向かって空気が弛緩し始める四時。引かない汗、空になったペットボトル、2リッター。自販機でスポーツドリンクを買い求める。
黄色い帽子を被った短パンの、小学生だろう、男の子が近づいて来た。
「僕は大人だ」
「もしそうならそのコスプレは重症です」
「もう小学校四年生なんだ。大人なんだ。話を聞いてくれる?」
「この面談のツッコミはハードですよ? 耐えられますか?」
「どれくらいなの?」
「ちょっと火傷するくらい、食べ物ならワサビを食べるくらいですね」
「火傷にワサビを塗るの!?」
「鬼畜の所業!? 流石にそれよりマイルドです」
「じゃあ、マーガリン?」
「いや、塗らなくていいから!」
「日焼けにはマーガリンを塗るといいって聞いたよ」
「確かに日焼けは火傷の一種ですけど。って、誰がそんなこと言ったんですか?」
「神様」
「何の?」
「マーガリンの神様が昨日の夢の中で」
「八百万の神のバリエーションが豊か過ぎる! お願い神様、嘘を教えないで!」
「とってもマイルドで、ビンビンに植物性な神様だった」
「ビンビンに植物性って何!? マイルドな雰囲気なの? 顔なの?」
「味」
「食べちゃった!? 神様!」
「マイルドで、それでいてしっかりとした油の味があり、後味もすっきりしていた。そう、それはフィンランドの森のよう」
「どこの美食家ですか!? フィンランドの森の味って! 入浴剤ですか!?」
「フィンランドの森に居る牛から作ったモノのよう」
「森に牛居ませんから! と言うか牛から作ったそれは、バターです!」
「バターのよう」
「認めちゃうの!?」
「バターの神様も横に居て、バターも日焼けに効くよ、って」
「お願い神様、嘘を重ねないで」
「二人の神様はとっても仲良しなんだって」
「シェアの奪い合いではないの!?」
「とにかく塗りたいんだって。でも、僕の家の朝はごはん派で、パンはないんだ」
「神様二人ともシュンとしちゃった」
「だから僕は言ったんだ。『パンがなければお菓子に塗ればいい』って」
「何トワネットですか!? お菓子とバターがマーガリンが、殺し合っちゃって双方かわいそうですから!」
「そしたら『お菓子は嫌だ』って。じゃあどこに塗るのか訊くと『皮膚がいい』って。『その日焼けによく効くよ』って」
「確かにあなた、こんがりですけど、違うでしょ!? 結局神様の塗りたい欲求のはけ口になってるだけじゃないですか!」
「だから朝起きたら、塗ってみようと思って冷蔵庫を開けたら、バターもマーガリンもなかった」
「ごはん派!」
僕と彼はお互いを値踏みするように睨み合う。
「つまり、こう言う感じですけど、いいですか?」
「がんばる。あのね、僕は大人なんだ」
「ランドセルと大人の相性は、マングースとコブラのレベルですよ?」
「僕は大人なのにみんな大人として見てくれないんだ。それを相談したいんだ」
「なるほど。ではどう言うところが大人なんですか?」
少年はテーブルの上の僕のペットボトルを指差す。
「あれは子供の。で、僕は大人のを持ってる」
背負ったままのランドセルから器用にペットボトルを出す。1.5Lだ。
「いや、デカ過ぎるでしょ! ランドセルの半分くらい埋まっちゃうでしょ!?」
「でも大人はこっちを飲むから」
「そのサイズのペットボトル持ち歩いている大人、見掛けないでしょ!?」
「だから、定規だって1m定規だし」
「さっきからはみ出してたのはそれか! 長過ぎでしょ!? アンテナみたいになってますよ!?」
「リコーダーはもちろんアルトだし」
「合奏で他の子と音ズレますから」
「のりはこれ」
「デカっ!」
「消しゴムも大きいし、鉛筆も十本分くらいの太い奴」
「どこで売ってるんですか!? 使い辛くてしょうがないでしょう!?」
「それが大人だと思う」
「生きづらさやり辛さを飲んで生きる、それが大人、それっぽいけど、あなたがしていることは絶対にそれではない」
「大きく出来るものは大きくしたんだ。でも誰も大人と認めてくれない」
「持ち物のサイズの問題じゃないですから!」
「胸毛も生やしたんだよ」
「どうやってですか?」
「マーカーで書いた」
「それは生やしたとは言いません!」
「見る?」
「見せたければ、見ます」
少年はシャツをめくる。そこにはぐちゃぐちゃに太い線が引かれているだろうと言う予想に反して、細い細い、本物の毛のような線が丁寧に一本ずつ書き込まれていた。
「クオリティー高っ! 確かにそこだけおっさんの胸になってます」
「体育のときに着替えると、みんなが『胸だけダンディ』って言う」
「それは大人と言ってはいないですから」
「だから体の他のところにも毛を書いていこうかと思う。いずれはタトゥーにしたいな」
「後悔確定の入れ墨! どうせいずれ生えますから。そして他のところに書いても見せなくていいですからね」
「でも書いたところだけ大人になれる」
「それがそもそもの間違いです。書いたところだけ大人風になるだけです。大人であることと、大人のマネをすることは違います」
「あと、たくさんため息つく」
「大人を何だと思ってるんですか!?」
「晩酌に、水だけど、一杯やって、クーって言う」
「そう言う大人もいますけど、大人だとそうするのではないです」
「エッチな広告を見て、ドキドキする」
「それは大人関係ないです。大人になったらむしろドキドキはしなくなります」
「一人で夜におしっこに行ける」
「えらいけど、それはあなたが登った大人の階段ではありますけど、それ以上ではないです」
少年はもう少し考えたが、何も出てこなかった。その様を見届けて、今一度アイコンタクトを取る。
一緒に、小さくため息をつく。
「大人というものの定義を、外側に見えるものだけでし過ぎているのが問題です。大人と言うのはもっと内面的なものが一定のラインを超えると言うことが半分、外側よりももっと外にある社会との関係の中での責任を持つと言うことがもう半分で出来ています」
「ずっとツッコまれてた間、僕も段々やって来たことが真似でしかないんだって、気付いたよ」
「真似ること自体を否定するつもりはありません。ポイントは真似る場所です。内面のものだったら、どうやったら自立することが出来るようになるのかがキモです。社会への責任は、納税や選挙など、決められていますので調べればすぐにも分かると思います」
「つまり、僕にとって大人って何か、から考え直せってことだよね」
「その通りです」
少年はどこかすっきりとした表情をしている。
「ありがとう。考えてみるよ。最後に、僕の名前は『ハクマ・イミソシ・ルニック・ジャガー』、大天使から選ばれし少年……大人だ」
「小四で中二病って、発症早くないですか!? しかもうっかり子供って認めちゃってるし。というより、完全なる『ごはん派』の名前でしょ、それ。ついでに、神様二人も居て、選ぶのは大天使って、神様かたなしですね」
「僕は大人だ。神様だろうと大天使だろうと、それは決められない。僕がもう一度考え直す、だよね」
「その通りです」
「それじゃ」
少年は去って行った。
その身に余る持ち物と、それを入れる普通のランドセル。だったらランドセルを大きくしようよ。服装ももっと子供らしくないのがあるだろうに。もしかしたら、ツッコミ損ねているものがまだ彼に対してはあるのかも知れない。でもきっと、彼なりの「大人」を見付けたらまた来てくれるだろう。その時に、思い切りツッコもう。その日が早く、来るといいな。
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