異世界帰りの現実無双~元勇者は、平穏無事には暮らせないようです~
かきつばた
第1話 お役御免⁉
虚無を思わせる深い闇の中に、一人の女性が座っていた。背もたれは彼女の頭をゆうに超え、肘置きまでついている。
一言で言えば、絶世の美女。その美貌に曇りはなく、見る者全て――老若男女問わず、惹きつけること違いない。
彼女は腕を組んだまま、胸元まで垂らした金の髪を指先でいじっている。それは苛立ちから、というわけではないらしい。現にその顔には穏やかな笑みが。
その足元、長い赤マントの男がうつ伏せで倒れていた。
「目覚めなさい、選ばれし者。いつまで寝ているつもりですか?」
「これは……」
その声に、渋々といった様子で男は立ち上がった。数えきれないくらい経験したこの現象に、ついため息をこぼす。
そんな彼をいじらしく思ったのか、彼女は悪戯っぽく微笑みかける。
「よくぞ偉業を成し遂げてくれました。異世界の戦士――いえ、勇者ハルキヨよ」
「御託はいい。俺はどうしてここへ呼ばれたんだ、アリシアさんよ?」
「驚きました。あのまま放っておかれた方がよかったですか? きっと瓦礫に巻き込まれてぺっしゃんこ。『おお、ハルキヨよ。死んでしまうとはなさけない!』エンドまっしぐらだったのですが」
「とんだ愉快なバッドエンドだな、そりゃ」
ハルキヨ、もとい
傷は全て治っている。ボロボロだったはずの装備も元通り。
それはまさしく神の御業。
だが、不思議はない。彼が相対しているのはこの世界を治める女神。そして、彼を異世界転移させた張本人でもある。
「だいたい死んでたとしても、どうせここに連れてこられるよな。だったら、同じことじゃないか」
「ええ。それはそうです。でも、死ぬときってすごい痛いじゃないですか。……はっ、もしかしてハルキヨはドMでしたか。やたらめったら死ぬな~、と思ってたのですが、わざとだったんですね、あれは」
「なわけねーだろ。人に変な属性を付与するな。というか、やたら死ぬな、ってなんだよ。こっちは一生懸命頑張ってんだぞ!」
陽清の強い抗議を、アリシアは涼しい顔でスルー。所謂女神スマイルは、一部の敬虔な信者を除けば、おおよその人々を苛立たせるだろう。
気を取り直すように、女神は錫杖で床を叩いた。穏やかな鈴の音が辺りに響き、彼女の表情がとても慈愛に満ちたものへと変わる。
「とにかくですね、本当にお疲れさまでした。魔王の消滅、こちらでも確認しました。お見事です……とってもかっこよかったよ?」
「……やめろ、いきなり神のベールを脱ぐな」
「おや、照れてますねぇ。なんとも可愛らしい。ああそれとも、激闘の最中、盛大に攻撃を空ぶったことを恥じてます? それとも呪文を噛んだこととか。魔王なんか、たいそう
「お前は俺の母親か! ったく……」
悪態をつきながらも、陽清はこの女神の変な人間臭さが嫌いではなかった。彼女が親しみやすい人柄を持っていたからこそ、ここまでやってこれた。
もちろん出会った当初は、なんだこいつと思ったものだが。軽口を返せるほど、今ではすっかり打ち解けている。
「ともかく、だ。さっさといつも通り戻してくれよ。ここすげえ殺風景で何もないじゃないか」
「むっ、神の居所に何を言いますか。本当は、ここは風光明媚で、天使たちも大勢で、華やかな場所なのですよ」
「はいはい、どうでもいい嘘ありがとう」
「信じてませんね、これは。不敬です、不敬! そんな貴方は、真に帰る場所に強制送還です!」
「お前、何言って――」
「では、勇者ハルキヨ。今回は本当にお世話になりました。元の世界に帰っても、変わらずのご活躍を――」
「待て待て。ストップ。本気で意味がわからないんだけど」
長台詞を台無しにされたからか、女神は不愉快そうに顔を歪ませる。
「だって、貴方と初めて会った日に言いましたよね。魔王を討ち滅ぼすことこそが使命、と」
「ああ、もちろん覚えてるさ。使命が終わるまでは死ぬことさえ許しませんって、いったい何度ゾンビアタックをやらされてきたものか」
となると、困惑し反発していた陽清も、自分の境遇を受け入れざるを得なくなった。自分は異世界に来て、救世主としての役割を押し付けられた、と。
それで今日まで、がむしゃらに魔王討伐を目指して旅を続けた。
「いいですか、その使命が終わった今、貴方がこの世界においてできることは、もうありません。そしてそもそも、貴方には帰る場所と、待っていてくれている人がいるではありませんか」
「……いや、そうかもしれないが。今更どの面下げて戻れって」
「大丈夫です、ハル君、とってもイケメンです」
「そういう意味じゃねえ。そして、いい加減、ハル君はやめろ!」
ぶぅ、っと不貞腐れたように女神はふくれっ面を作る。さらに、いじけた様に髪弄りまで始めた。
ここだけ見れば、誰も彼女を神だとは思えない。少女らしさが残ったままの、一人の妙齢の女性。いや、無邪気で悪戯好きな小娘の方が正しいかもしれない。
「本気、なのか?」
「冗談や与太話でこんなことは言いません」
「マジか……」
「帰りたくないのです?」
「いや、どうだろ……正直、いきなりすぎて思考が追い付かねえ」
「それ、初日も言ってましたね」
「お前がいつも急なんだ!」
「てへっ、めがみ、はーんせいっ」
「よし決めた。諸悪の根源をここで討つ!」
「わわっ、やめてください! 暴力反対、不敬者、このワタシを誰と心得るのです!」
陽清が剣を抜くと、アリシアはわちゃわちゃし始めた。激しい身振り手振り、涙ぐむその姿に。手振りをするその姿に、威厳という言葉は存在しない。
どこまでもふざけた世界の管理者に、異世界人は長いため息をこぼした。そして、この世界に住まう、全ての生きとし生けるモノに同情する。
「……元の世界に帰れ、か。魔王倒したってことで、これから人生上向きだって思ったんだけどなぁ。どう過ごすか、ちょっと楽しみだったり」
「ムリムリ。ハル君、基本陰キャ体質じゃん。それが証拠に、ここまでずっとソロでやってきたわけだしさ。ワタシは何回も、そろそろ仲間増やしたらーってアドバイスしたのに」
「う、うるせーな! 気が合う奴がいなかっただけだ」
「気安く話せなかっただけでしょ。内弁慶体質だもんねー、ハル君」
「いくらなんでも口調が砕けすぎだろ、お前。ジェットコースターかよ」
「ああ。そちらの世界にあるという、絶叫マシンとやらですね。いつか乗ってみたいものです」
「……もうだめだ。ついてけん」
今までの調子はどこへやら。アリシアはすっかり真面目腐った表情になり、堅苦しい話し方に戻っている。
あまりの起伏に、魔王を倒した若者はついに白旗を上げた。どこでもいいから、とにかくこの場を離れたくって仕方がない。
「この際ですね、貴方の意見は聞いていられません。ワタシはこの世界を管理する者として異物を排除せねばならないのです!」
「この人、世界を救った勇者のこと、異物とか言いだしたんだが……」
「人じゃないです、女神です、め~が~みっ!」
「うるせー、何が女神だ。ろくすっぽ旅の手伝いしなかったくせによ。なんだよ、普通、祝福だとかいって、チートアイテムやスキルの一つや二つくれてもいいはずだろ。それが、着の身着のまま放り出しやがって!」
「それでも成し遂げたんですから、えらい、えらい、ハル君」
「頭を撫でるのをやめろぉっ!」
陽清は、腰を浮かせよしよししてきた女神の手を跳ね退けた。
今さらこんな子供騙しで手懐けられる勇者ハルキヨではないのだ。その顔がほんのり赤いのは、ただ恥ずかしかっただけ。
改めて背筋を伸ばして座り直した女神は、そのまま異世界の若者に優しげな眼差しを送る。
「では女神的なアレで、貴方には二つの選択肢を用意しましょう」
「最初からそう言ってくれ、まったく」
「一つ目は、さっきから言ってるように元の世界に戻ること」
「ああ。で、もう一個は?」
「ここでワタシと永遠を共にすることです!」
どこからか聞こえてくる、ドヤッという効果音。アリシアはムカつくほど、清々しく自信満々な表情を浮かべている。
「……あの、普通の住民として残るってのは」
「ないです」
にっこりとほほ笑む女神。有無を言わさない迫力と、なんとも言えない薄気味悪さが同居している。
陽清はぐっと眉根を寄せた。考えるまでもないことだが、それでも一息つきたい。向こうのペースに巻き込まれっぱなしのせいで、精神はかなりやられている。
「いや、その二択だったら、当然前者の方だが」
「えー、なんか傷つきますね……そんなにワタシと一緒は嫌ですか?」
「……お前が問題じゃなくて、この空間が」
「ウフフ、照れちゃって、ほーんとかわいいんだから」
「だーもうっ、うざってえ!」
「アハハ、貴方をからかうのはこれくらいにしておきましょうか」
ひとしきり笑い終えた後。アリシアは、ふぅと息を吐いて、慈母のような暖かな表情を作った。
「では今度こそお別れです。貴方の気分も落ち着いたようなので」
「それは、まあ……そうだな」
陽清は微妙な表情で頷いた。
唐突だったものの、女神の要求自体は理解できるものだった。それに、彼だって向こうの世界が恋しくないわけじゃない。
問題は、その選択肢がいきなり降って湧いたこと。もう二度と向こうの世界には帰れない。それは、とうの昔に覚悟を決めていたのに。
そんなことをされれば、誰だって混乱する。それなりに時間が、いや、心の整理が必要だ。
アリシアとのいつものやり取りのお陰で、陽清はすっかり平静を取り戻していた。
けれど、今彼の胸の中にあるのは喜びだけではない。冷静になると、今度はどうしても未練が芽生えてくる。
この剣と魔法の殺伐とした世界。危険しかなかった冒険の日々。初めはただ受け入れがたかったはずなのに、今ではすっかり彼の意識に根付いている。
もっとここにいたい、闘いを忘れてのんびりしたいという気持ちは確かにある。それは、アリシアを前にすると、なおさらそう思ってしまう。
しかし、これは決まったことだ。抗っても仕方ない。
だから陽清は、曇りのない笑顔を浮かべて、しっかりとアリシアを見据えた。
「……じゃあ早いとこ、元の世界に戻してくれよ」
「ええ、そうですね。――勇者ハルキヨよ。改めて、感謝申し上げます。この世界は貴方によって救われました。どうか、そちらの世界でも変わらぬご活躍を」
「畏まられるとなんか照れるな」
言いながらも、陽清はその場で傅いた。それなりの礼儀作法は、諸国の王とバト――トラブルの中で学んだつもりだ。
「こちらこそ、お力になれたのならば何よりでございます、女神様」
「ふふっ、とても様になっていますよ。――それでは、目を瞑りなさい。次に目を覚ました時、貴方が目の当たりにするのは十数年に渡り見慣れた原風景」
「……なあ、一つ訊きたいんだけど。俺の向こうでの扱いってどうなってんだ? ここにきて、ざっと五年近く経ってるんだけど」
「それについては、ご心配には及びません。時を戻します」
「さすが女神。スケールがデカい。割とマジで初めて尊敬するわ」
「ちょっと! それどういう意味です⁉」
猛然と顔を赤らめるアリシアを、陽清はそっぽを向いてスルーする。
そんなことより、もう一つ気になったことがあった。
「なあ、時を戻すってことは、俺がこれまでの旅で身に着けたスキルとかは」
「…………さ、さあ。始めましょう! そろそろ、お夕飯の時間に間に合わなくなってしまいます!」
「おいてめえっ! 誤魔化すんじゃねえ!」
「口汚いですねぇ、ハル君は。そんなんじゃ女の子に嫌われますよ?」
「ほっとけ! んなことより、さっきの質問の答えをだな――」
その時、ぐらりと陽清の身体が揺れた。抗うことができなくて、彼はゆっくりとその場に倒れていく。
身体がいうことを聞かない。金縛りにでもあったかのようだ。
瞼が自然と閉じていく。
何かに引き寄せられている、そんな感覚に陽清は襲われていた。
「さようなら、ハルキヨ。どうか、貴方のこれからに幸多からんことを。私にはもう手助けすることは許されませんが」
無機質な声がして、一気に陽清の意識が不確かなものになっていく。
最後まで女神は自分本位だ。
始まりからしてそうだった。走馬灯のように、この異世界での日々が勇者となった陽清の脳裏を駆け巡る。
思考は闇に溶けていく。
言いたいことは山ほどあるはずなのに、言葉は決して口を出ない。金縛りは今も続いている。
それでも陽清は最後の力を振り絞った。薄れゆく意識を気合で引き留める。
これだけは言わなければ――言いたいんだ、と。
彼の目がうっすらと見開いて、僅かに顔が上を向く。
「じゃあな、アリシア。楽しかったよ」
女神が最後に残した涙交じりの笑顔を、彼が知ることは永遠になかった。
◇
「兄さん?」
怪訝そうな少女声で、陽清の意識は覚醒した。
目の前には不安そうな顔をした
長身のわりにほっそりとした身体つきは、あどけない顔立ちと相まって、どこか華奢な印象を抱かせる。
制服姿は、ピカピカと輝いていた。着慣れた感じはなく、新品同様。
陽清はさっと視線を巡らせた。
視覚情報を素早く整理した結果、ここは自宅玄関だ。どうやら自分はこれから学校に向かうところらしい。右手に、スクールバッグを提げていた。
「ど、どうして泣いてるの?」
「……ああ、そうか。俺、泣いてたか」
陽清がそっと目の下を触れると、冷たい感触がして指が濡れた。
果たして自分は何を想って泣いているのだろう。
再び元の世界に戻れたという安心感。目の前にいる変わらない妹の姿。
あるいは、離別に。とても大切な者との。
彼はこの衝動をひどく持て余していた。
「なんでもない。ちょっとあくびを堪えただけさ」
「そうなの? 変な兄さん。気を付けてね、新学期早々、事故とかシャレにならないよ?」
眉を顰めながらも、星佳は揶揄うようにくすくすと笑った。どこか大人びた印象を受けた。
本来なら、こんな小生意気な態度にムッとする陽清だが、今は別のことに気を取られていた。
女神の言うように、時間が巻き戻っている。妹の制服の状態、そして手に持つ鞄の妙な軽さ。
間違いなく、今日は始業式の朝だ。
行ってきますの他愛のないやり取りすら、今の彼にはひどく心に染みた。
感慨深さを振り切るように、乱暴に玄関の扉を開け閉めする。
通学路を歩く足はかなりもどかしい。飽きるほど見たはずなのに、立ち並ぶ住宅がやけに新鮮に映った。それでいて、風景の予測は立つ。
本当に元の世界に戻ったんだと、陽清が一歩を踏みしめるごとにそんな実感が増していく。
五年ぶりでも、高校への行き方を、決して忘れてはいなかった。やがて、渡るべき小さな交差点が見えてきた。幹線道路からは外れていて、行き交う車も、信号待ちをする車もなし。
そんな状況でも、その女子生徒は赤信号を律儀に守っていた。
着ているのは、陽清がさっき自宅で目にしたのと同じ制服。スカートはちょっとだけ短く、さすがに下ろしたての雰囲気はない。
陽清が追い付く前に、信号は青に変わった。
恙なく、女子生徒は歩き出す。
ありふれた、珍しくもない光景。
だが、陽清は強い既視感を覚えていた。
ひやりと走る悪寒。暖かな日差しの中、強い寒気を覚える。
陽清は思わずぐっとつばを飲み込んだ。顔の横を一筋の汗が伝っていく。
咄嗟に駆け出していた。青信号は決して点滅していない。
頭に浮かぶ最悪のイメージが、彼を駆り立てていた。
「あぶないっ!」
がらんどうとした道路。真横から猛烈な速度で乗用車が突っ込んできていた。
陽清はありったけの声を振り絞って叫ぶ。
前後して足を止める女子生徒。迫りくる恐怖に足がすくんだのか、決してその場を動こうとしない。
陽清は、はっきりと悟った。
全ての始まりを。また同じことが起ころうとしていることを。
あの日の記憶が急速に像を結ぶ。
一層足に力を込める。ギリギリで間に合うはず……いや、間に合わせると、覚悟を決めて。
異世界で過ごした年月は、青年の内面を決して変えなかった。むしろ、その特質を強めたといえるかもしれない。
何かを期待したわけでもない。完全な保証を持っているわけでもない。むしろ、無事では済まないと、陽清は本能的にに理解していた。
二度目はない。それでも、なお交差点に突っ込む。
異世界帰りの勇者は懸命に腕を伸ばす。その指が女子生徒の肩に触れる時、鋼鉄の魔物との距離はごく僅かになっていた――
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