第4話 難敵との遭遇
テレビでは、地域の情報番組が流れていた。スタジオでのトークが終わって、映像は中継へと切り替わる。
女性レポーターが歩くのは、どこかの住宅街だった。足を止めて振り返った顔は、かなり強張っている。
「ここが現場です。早朝、通りがかった住民から警察に、『辺り一帯の樹木がなぎ倒されている』と通報があったそうです」
「ゲホッ、ゲホッ」
「ちょっと、汚いわね、アンタ」
「大丈夫、兄さん」
レポーターがいるのは、陽清が十時間ほど前に訪れた総合公園の前。あの時とは違い、燦々と輝く太陽がその全容をよく照らしている。
貼られた規制線テープが物々しさを醸し出す。画面の奥に広がる林の一部が、不自然に抉れていた。
あまりの驚きに、飲んでいた麦茶が妙なところに入って、陽清は大きくむせた。涙目になりながら、星佳の差し出してくれたティッシュを受け取る。
「あらやだ、物騒」
「何だっけこれ。ミステリーサークル?」
「よくそんな言葉知ってるわねぇ、セイは」
「馬鹿にしてるの?」
「いえいえ、ちょっと死語ぎみかなーって?」
「うっさい、おばさん」
母と妹の小競り合いをよそに、陽清はテレビを食い入るように見つめていた。レポータはおろか、スタジオ出演者の見解まで、意識を張って。
どうやら、原因は明らかになっていないらしい。そもそも、街の不思議な超常現象として、面白おかしく取り扱っているだけのようだ。
安堵して、彼は再びグラスに麦茶を注ぐ。
自分が犯人だとバレていないのはいいが、事件の露呈した予想外の速さに、肝は冷えたまま。滅多なことはするべきではないと、改めて決意し直す。
斬撃を衝撃波として飛ばすなんて芸当、この世界で必要とされないのだから。
「兄さん、そろそろ出る?」
「ああそうだな……って、お前には関係ないだろ」
「どうして? 同じ学校に通ってるんだし、一緒に行ってもいいじゃない」
「そうそう。ほら、近頃何かと物騒だし」
母が目を向けたテレビ画面では、天気予報をやっていた。
今日は一日中晴れるらしい。なるほどこれは確かに物騒だ、と陽清は眉を顰めた。
問答もそこそこに、兄妹はほぼ同時に立ち上がる。一緒に登校する、つまるところそれは、今までと何ら変わりはない決まり事。
二度目ともなれば、通学路にもはや目新しいところはない。昨日とは違い、隣に登校を共にする身内があれど、ただ退屈なだけ。
他愛のない与太話に耳を傾けていると、二人は信号に引っかかった。相変わらず、車通りは皆無。これでは、その鉄の棒は張りぼてにしかすぎない。
「昨日、ここで事故あったらしいね。知ってる?」
「ああ……まあなんとなくは」
「振っといてなんだけど、意外。兄さん、そんなことに興味ないと思ってたから」
「たまたま耳にしただけだ」
「耳にした、ねぇ」
「なんだよ」
陽清はニヤニヤした妹を睨む。
だが、星佳がその小馬鹿にするような笑みを引っ込めることはなかった。むしろ、より深まったとすらいえる。
「ちゃんと友達出来た?」
「それはこっちのセリフだ。お前の方はどうなんだよ」
「こっちは、それはもうたくさん」
「まあそうだろうな。外面はいいから、お前」
「兄さんとは逆に、ね」
星佳はくすくすと笑う。
痛いところを突かれて、陽清は顔を歪めた。正面を向いて、忌々しい赤いライトが速く変わることを念じる。
それが通じたのか。まもなくして、二人は空っぽの停車線の前を横切り始めた。
そのまま、今日は正しい道筋を歩いていく。高校に近づくにつれて、自転車通学の面々に抜かれることが増えた。
「あれ、なんだろ」
「お願いしまーす!」
二人の視線の先には、御嘉地学園の校門。多くの制服姿で波ができている。
その両わき、邪魔にならないところで、二人の女子生徒が何かを配っていた。
怪訝に思いながら、柳上兄妹は近づいていく。
そんな彼らにも、《それ》は差し出された。地図がプリントされたビラ。遠慮しがちに、星佳が足を止めて受け取る。
しげしげと眺める妹をよそに、渡してきた女性の顔を見て、陽清は気が気でなかった。
二人組の片割れ、ショートヘアの方に見覚えがある。ちらりと見ただけでも、その容姿は記憶にはっきりと残っていた。
「これは……探し人?」
「はい。昨日、この近くで事故がありましたよね。実は私、巻き込まれちゃって……」
「えっ! 大丈夫だったんですか!」
目を見開いて、ぎょっとする星佳。女子生徒は、安心させるようににっこりと微笑む。
陽清もまた衝撃は受けていた。妹のとは、全く異なる方向で。
やはり、この女子が昨日救った相手だ。勘づいてはいたが、当人から改めて真実とわかると、ややばつが悪い。なるべく顔を合わせないように俯く。
もっといえば、今すぐこの場を立ち去りたい。
「ええ、それが無事ですんだんです。実はある方に助けられて」
「なるほど、それでその人を探してるんですね」
「はい、そういうことなのです。――ごめんなさい、新入生さんにいきなりそんな話をしてしまって」
申し訳なさそうにしながら、女子生徒は星佳の胸元の校章を指さした。それは学年ごとに微妙にデザインが違う。
「気にしないでください、お役に立てないとは思いますけど……。ということで、はい、あげる」
「なんだよ」
「陽清が協力してあげて……いや、ダメか。友達いないもんね」
「うるせえな」
揶揄する雰囲気がとても鬱陶しい。舌打ちをしながら、陽清は妹に突き付けられたビラを受け取った。半分に折り畳んで、速やかに制服のポケットへ。
女子生徒は二人のやり取りを微笑まし気に眺めていた。話の最中ちらちら陽清の方を見ていたが、未だ彼が探している張本人だと気づいた様子はない。
一通り、おちょくったところで、星佳は兄の横腹を小突いた。
何か言えということらしい。そう察して、陽清は咄嗟に言葉を紡ぐ。
「見つかるといいな」
「何かわかったら教えてください」
「それじゃ失礼します」
そう言って、柳上兄妹はそそくさと玄関口へと向かった。
女子生徒もまた、ビラ撒き行動を再開する。
バレなくてよかった、と思いながら、陽清はさっきの女子生徒の校章が気になっていた。あれは二年生のもの。もしかしたら……。
嫌な予感をすぐに打ちはらう。その答えは、実はポケットに押し込まれているのだが、ついに彼はそれを確かめなかった。
◇
ところで。長期休みが明けると何が起こるだろうか。
……もちろん、その答えはテストである。
万が一ポピュラーでないとしても、御嘉地学園では恒例行事なのだ。
二年三組も、絶賛数学のテストの真っ最中。ペンの走る音と、紙の捲れる音だけが響く。
お題目は実力考査。その名だけあって、手強い問題が並んでいる。
生徒たちの進み具合は、概ねよくはない。最初の小問集合を突破すると、論述問題がずらり。
手を止めるだけでなく、早々に白旗を上げて机に突っ伏すものを。
(解ける、解けるぞ!)
そんな中、陽清はアドレナリン全開だった。恍惚とした表情は、自らの企みが功を奏した悪役のようだ。
ペンを置くのは、問題文を読むときくらい。それでも次の瞬間には、勢いよく白紙に文字が踊り出す。
元来、彼はそこまで学業が得意な生徒ではない。学年順位は、二桁と三桁をウロウロする程度。どの科目も、満遍なく普通。
最後、小難しい整数の証明問題を解き切って、陽清はシャーペンを転がした。
満足がいって、ふーっと長く息を吐き出す。
解き始めた時から今まで、ずっと勢いに任せてきた。けれど、こうして落ち着くと胸の中に困惑がやってくる。
体感時間でいえば、最後に数学をやったのは五年以上前。となれば、得意不得意はこの際、意味を持たなくなる。
計算力は落ち、記憶は薄れゆく。よほどの天才を除き、このテストに対抗することは不可能なはず。
そして、残念ながら、柳上清治は決してその例外ではない。
(やっぱり異世界での経験が残ってるのか)
昨日のことと合わせると、向こうでの鍛えた身体能力——俗に言うパラメータはそのまま。こうして、賢さの数値はテストに影響を及ぼしている。
そんなあり得ない結論に、陽清は目を背けることはできなかった。苦悶する表情は、傍目から見れば数学の難問に悩んでいるようにしか見えない。じっさいは、全てを解き終わっているわけだが。
そろそろテスト時間が終わりに近づいてきた。
解決しない問題よりも、作り上げた答案だ。紙を裏返して、異世界帰りの学生は初めから見直しを始めていく。
「そこまで。後ろから答案回して。妙な動きをした奴は……罰を受ける」
監督の男性教員が物騒な言葉を浴びせる。窪んだ眼光は鋭く切れ長、その大きな身体は柔道選手のよう。おかげで、全く冗談には聞こえない。
こんななりをしながら、担当科目は家庭科というのだから、人は見かけによらないの好例だ。
「いやぁ、めちゃくちゃ難しくなかったか?」
「なっ、えげつねーよ。どうせまたどっかの大学の過去問だって」
「そういや、夏のやつはさ、平均点三十いかなかったよな」
やってきた休憩時間。
生徒たちは早速品評会を始めている。漏れる言葉は不満だけ。受ける側からすると、相当に難しく感じたようだ。
陽清は暇を持て余していた。座席はテスト用の配置。そのため、彼に積極的に話しかけてくれる、あの気のいい男とは離れている。
何をするでもなく、ぼんやりと英語の春休み課題をパラパラ捲り始めた。一応、これに基づいて出題されるらしいが、数学では類題は少なかった。
そんな一人ぼっちな彼に近づく女子生徒が一人。
「あの、君が柳上君ですか?」
「……そうだけど」
「あ、ごめんなさい。勉強中に」
陽清の無愛想な声に、彼女は気が引けていた。もじもじと、言いにくそうに身動ぎをする。
だが、彼に他意はなかった。突然すぎて対処が追い付いていないだけ。一種の反射だ。昨日の陽キャイケメンは、少しも意に介さなかったが。
相手を認識して、陽清の心臓が一つ大きく跳ねた。言葉が、身体のより奥へと引っ込んでいく。気分はたちまち沈み込んでいく。
沈黙の中、彼女はいきなりはっとした。
「あの、今朝会いましたよね。可愛らしい一年生の女の子と一緒に」
「…………ああ、あの事故に巻き込まれたとかいう」
「覚えててくれたんですね!」
彼女は決して、陽清の言葉の白々しさには気づかない。先ほど、怖気付いたのはなんだったのか。その表情はとても明るい。
「改めまして。私、椿屋怜奈といいます」
「ええと、柳上陽清だ」
「はい、知ってます」
高度なコミュニケーションが行われていた。
怜奈はただニコニコとするばかり。言葉を発する様子はない。何かを待っているみたいに、陽清の目に映った。
結局、陽清の方が「そうか、どうしてだ」と返すまで、彼女の無言は続いた。
「同じ美化係ですから」
よろしくお願いします、ぺこりと頭を下げられると、陽清としては動揺しながらも同じ反応をするしかない。
間違いなく、面倒なことになる。ポケットに押し込んである例のビラを、陽清は思わず制服の上から触るのだった。
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