第3話 特殊体質

 ロングホームルームは、あと少しで終わろうとしている。黒板はおおよそ生徒の名前で埋め尽くされ。余白の部分は残り僅か。


「あと、決まってない人、いるかな?」


 凛とした声が、教室の中に響く。


 その主は教壇に立つ人物。だが、担任ではない。本来いるはずの中鉢愛沙なかばちあいさは、窓辺に椅子を置いて、静かに議論の行方を見守ってた。

 どこか冷めた感じのする美人。今年で二十八になるこの英語教師は、男子生徒の間では密かに人気を集めている。


 この時間は新年度特有のイベントである、自己紹介と係決めが行われていた。

 主導権を握るは、真っ先に決まった議長。教卓に軽く乗り出しているのが、その人瀬戸口莉里せとぐちりり

 傍らには副議長の男子と、二人の書記が控えている。


 返事がないことに満足して、莉里は話を閉じようとした。

 だが、教壇の延長線上からすっと手が伸びる。


「美化係が空いているわね」

「あ、ホントですね。誰、黙ってるのは?」


 わざとらしく困ったように笑いながら、議長は視線を窓側から教室全体へとずらした。


 今度ばかりは流石にざわつくものの、やはり返事をする者はいない。


「どうやら、遅刻予定の彼女みたいね」

「ああ、はい。わかりました。斎川さん、用紙の方には書いといてね」

「わかったよ~」


 一連の流れを、陽清は少しどぎまぎしながら見守っていた。

 決して自分に関係のない話ではない。なにせ話題に上っているのは、彼が選んだ係。相方が空白のままなことは、気にはなっていた。


 彼の座る列から二列左にずれたところに、一つだけ空席がある。その主は、先に中鉢が言った遅刻予定の女子。

 しかし、今が本日最後の授業。未だ姿を現さないということは欠席になるだろう。


 その名前を知らない女子に、陽清は予感めいたものを感じてしまう。今朝庇ったあの女子こそ、その正体ではないのか。

 まさか同じクラスだったなんて……偶然にしては出来過ぎている。


 一人を除いて、無事に委員係が決まったということで、教壇に陣取っていた面々が自分の席へと戻っていく。


「ちょっと早いけれど、ショートホームルームを始めましょう」


 ガタガタと机と椅子が動く音がして、落ち着き払った声が室内を巡った。

 教壇に戻ってきた中鉢が、そのまま連絡事項を告げる。淡々と、正確に。容姿と相まって、さながらアナウンサーのよう。


 チャイムが鳴るのに少し遅れて、二年三組の面々は半日授業から解放された。


 久しぶりの学校は、陽清の身にかなり堪えた。集会も、教室でずっと座っているのも、窮屈で仕方がない。

 もっとも、他の生徒も登校日は半月ぶりだ。昨日までは春休み。用事がない限り、学校は学生にとって縁遠い場所になる。


 それでも、陽清が一際げんなりしているのは、偏に体感時間のズレからくるもの。長い時間を異世界で過ごしたはずなのに、表面的には時間が経っていないというのは、なかなかに浦島太郎的なものがあった。


「陽清、お前もカラオケ行かないか?」

「へ?」


 陽清がのろのろと帰り支度をしていると、昴が話しかけてきた。


「親睦会ってことでさ、どうせこの後入学式で、暇だろ」

「まあそうだけど……」


 少しだけ逡巡する様子を見せる陽清。

 だがそれは、所謂アリバイ工作だった。彼の中での結論は決まっている。


「いや、今日のところはやめとくよ」

「そうか、じゃあまた今度な! 絶対だぜ」

「わかったよ、ありがとう」


 昴は無邪気な笑みを浮かべた。そこに、気を悪くした様子はまるでない。


 そこにやや罪悪感を覚えつつ、陽清鞄を持っては立ち上がった。


「おつかれさん、また明日!」

「ああ、また明日」


 その言葉の不思議さを、異世界帰りの身としては深く噛み締める。

 基本的に旅を繰り返す日々。一つの場所に滞在することは少なく、繰り返し顔を合わせるのなんて、それこそアリシア以外いなかった。


 ふいに思い出した女神の姿に苦笑しながら、陽清は教室を後にした。


「ねえ、今の誰だっけ?」

「陽清だよ、柳上陽清。自己紹介してたじゃんか」

「そうだけどさ、記憶にのこんなかったっていうか~」

「スバルはやさしいねぇ。あんなのにも、声かけるなんて」


 陽清が出ていくや否や、昴の元に女子が集まりだす。

 彼と今まで話していた地味なクラスメイトの話題なんてほんのひとときのこと。

 次の瞬間には、放課後の予定で盛り上がるのだった。



        ◇



 食卓に並ぶ料理の数々を、陽清はゆっくりと味わっている。

 久々に食べたカップ麺ですら極上の味だった。昼間も感じたことだが、食事という点において、この世界の方が優れている。


 フォローするとすれば、彼の立場が観光というものを許さなかったせいだ。街に滞在したとしても数日。基本的に、野外を歩いている時の方が多かった。当然、食料も劣悪なものになっていく。


「……アンタ、そんなにがつがつ食べるような子だったかしら。いっつも文句ばっかだった気がするんだけど」

「兄さん、サラダとか絶対に手を付けなかったよね。俺は草食動物じゃないとか言って」


 母と妹は、がっつく柳上家長男を白い目で眺める。彼の持つ茶碗の中には、三杯目の白飯。普段からすると、大喰らい。


 そんなことは意に介さず、陽清は箸を進めていく。


「部屋でゴロゴロしてるだけかと思ったら、意外とお腹減ってたのねぇ。セイは部活とか決まった?」

「まだ。ってかさ、どこにそんな余裕があったわけ? 母さんと一緒に帰って来たんだよ、あたし」

「そうね、そうだったわ」


 大雑把に笑い飛ばす母に、顔を顰める星佳いもうと。いつも通りの他愛もないやり取り。ともすれば、またか、とうんざりするような。

 でも、陽清はつい箸を止めて、目を奪われていた。鬱陶しいはずのそれは、今はただひたすらに懐かしいだけ。

 つい何かがこみあげてきて、顔が歪んでしまう。


「なに変な顔してるのよ」

「兄さん、泣きそうになってない? そういえば朝も――」

「星佳! 余計なことを言うんじゃねえ」


 机の下で、兄妹の密かな攻防が行われる。


 恥ずかしさを振り払うように、陽清は慌てて残るご飯をかきこんだ。


「ごちそうさま」

「はい、オソマツサマ。困ったわぁ、あの人の分どうしようかしら」

「カップ麺でも出せば」

「泣くわね、きっと」


 アハハ、と柳上家の女たちが笑い合うのを聞きながら、長男はリビングを後にした。胸の中に、未だ帰らぬ父への申し訳なさを抱きつつ。


 ゆっくりと階段を上がり、彼は突き当りにある自分の部屋へ。流れで机に向かうものの、ひどく落ち着かない。

 エネルギーが余っている不思議な感覚。それは晩飯を食べた後だから、当たり前かもしれないが、普段だったら横になりたいところなのに。

 陽清は自らが抱える違和感を、完全に持て余していた。


 途端、思い返すのは朝の一幕。半日が経って、彼の中にはとある仮説が結びつきつつある。


 すなわち、肉体の状態は向こうのままではないか。


 辿り着いた答えに、もういてもたってもいられなくない。日中はまだ、人目を気にする余裕はあった。だから、部屋でのんびりと過ごしていたわけだ。

 だが、時刻は夜。多少の奇行は見過ごされる。


 座ったばかりにもかかわらず、陽清は勢いよく立ち上がった。手ごろなものはないかと、そのまま押し入れを漁る。できれば、棒状の何か。体育の授業に剣道はあるが、肝心の竹刀は学校に置きっぱなしだ。


 だが、都合のいいものは見つからなかった。落胆しながら立ち尽くし、忌々しげに、やや不慣れな感じのする自室を見渡す。


 部屋の外から、誰かの足音が聞こえて、すぐに彼はドアから顔を突き出した。


「なあ、星佳。木刀とか持ってないか?」


 兄の妄言を聞いた、妹は足を止めてあんぐりと口を開ける。


「……私のこと、なんだと思ってるわけ、兄さんバカ

「だよなぁ」


 思いのほか鋭い眼光に苦笑しながら、そんな反応を嬉しく感じる陽清だった。



          ◇



 住宅街を駆け巡る人影が一つ。軽やかに息は弾み、その足取りはしなやか。黒いジャージ姿は、闇の中に溶け込んでいる。白いラインが走っていなければ、視認するのは難しいだろう。

 人影は十字路を渡ったところで、止まった。街灯がその姿を明らかにする。


「……ここっぽいな」


 陽清の視界の前に、開けた芝生が広がっている。暗闇に目を凝らすと、いくつか謎の器具のシルエットが浮かんできた。


 ここは彼の家から少し離れたところにある総合公園。幼い頃の朧げな記憶を頼りにしたために、かなり彷徨う羽目になった。


 夜だから誰もいない。幹線道路から離れているせいで、車通りもゼロに近い。

 奇麗な星空の下、傘を片手に持つ怪しい青年は、どう見ても不審者だ。けれど、観測されなければ、問題はない。


 やや怖気づきながら、公園の中へ。どこかに得体の知れない者でも潜んでいるのではないか。

 異世界で、散々ゴーストタイプのモンスターを相手にしていても、そうした恐怖は抜けない。それはあくまでも、人間の持つ本能。


 陽清は、芝生の中央にぼうっと立つ。視線の先には雑木林。木々の葉が不気味に揺れ、微かな音を奏でていた。


 静かに息を吸う。傘を正面で構える。さながら、剣の如く。

 なかなかに様になった立ち居振る舞い。剣の高度な熟達具合を思い起こさせる。

 もっとも激しい戦闘の多かった冒険終盤において、悠長に構えを取ることは少なくなっていた。


 これがいわゆる、陽清の持つスキル。棒状の物を剣のように扱う能力。いや、積み重なった経験による反射現象と呼ぶべきかもしれない。

 ともかく彼の手にかかれば、普通の傘ですら剣と化すのだ。もちろん、それは異世界に置いてはという話なのだが。


 そのまま縦に一振り。


 ぶるん。

 

 ただ風を切るだけ。不思議なことは起きない。

 もちろん、こんな時間に変な人影が傘を振っている、というのは十分奇妙奇天烈なことではある。


 今の動作に、彼はかなりしっくりと来ていた。目の前に物体があれば、それを両断していただろう感がある。

 傘は剣。一度意識すると、身に着けた剣技が頭を巡る。 


 ごくりとつばを飲み込む。とある予感が陽清の胸を支配していた。

 思わず、かさを持つ手が震えてしまう。


「まさかな……」


 手元に目を落として、元勇者は唇を不自然に曲げた。

 逸る鼓動を必死に抑えるように、何度か深呼吸を繰り返す。


 不安ではない。あるのは、期待。


 足を前後させたまま、ゆっくりと剣を振り上げる。

 右足を踏み出すのと、腕を下ろすのはほぼ同時。

 その際、全身に迸る気力を、一点に集中させることを忘れずに。


 ――のちに彼は反省する。どうしてもっと、お手頃な技から試さなかったのか、と。

 最後に放った技だからか、身体は勝手に動いていた。


 そして夜闇に、煌めく一閃が奔る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る