第5話 ふとした違和感

 新学期が始まって四日目。学生生活は、すっかり平常運転に戻っている。

 今日もまた、朝からびっしりと授業。三時間目は二時間体育。文系クラスが全て一緒なため、体育館にはかなりの数の生徒が集まっていた。


 軍隊式の、集団行動を基盤としたウォーミングアップが終わって、学生たちは素早く一か所に集まる。隊列を乱さず、私語も一切なし。


 激しい雨音が体育館の屋根を叩く。生憎の、あるいは人によっては恵みの雨。とにかく、今日やる予定だった体力測定は中止になった。


 結果、初回の体育から選択授業に。生徒たちは各々の自由意思に基づき、散らばっていく。


 体育館では、バスケが行われることとなった。奥が男子のコートだ。六つチームが、総当たりで試合をする手筈になっている。


 今はその第三試合。


 ボールを持つ男子生徒が、素早くでフェンスの手から逃れた。そのまま、シュートを放つ。美しいフォームから放たれたボールは、淀みのない放物線を描く。

 見事にネットが揺れ、野太い歓声が起こった。ボンボンボンと、重力に従いボールが跳ねた。


「すげえな、あいつ。また3P《ポイント》だ」

「でも見覚えねーぞ、誰だ?」

「うちのクラスの柳上だ。冴えないやつだと思ったんだけど」

「バスケ部?」

「いや、違うっぽい」


 待機中の男連中は、ステージの上で談笑に興じていた。縁に座る面々の話題の種は、目の前で行われる白熱の試合模様。

 一年もすれば、スポーツが得意な生徒はわかってくる。その顔触れの中に、柳上陽清は存在していなかった。

 予期せぬ新顔の登場に、ギャラリーはかなり困惑していた。


 周囲のそんな反応をよそに、シュートを決めた陽清は涼しい顔で自陣へと戻っていく。途中、チームメイトとハイタッチを交わしたりして、どこか誇らしげに見える。


 やがて、相手チームのオフェンスが始まっていく。

 巧みなパスワークで、あっという間にコート中央まで攻め入ってきた。


「へい、パス!」

「また昴だ」

「いけーっ、やっちまえ!」


 ボールが、近くにいたイケメンバスケ部員の手に渡る。彼は、不敵な笑みを浮かべて、その場でボールをつき始めた。

 流石に、そのドリブル姿は見事。しっかりと腰を落とし、ボールはまるで手に吸い付くようだ。

 

 獲物を狙うみたいな鋭い目つき。頭の中では、この防御をどう掻い潜ろうかと思案している。

 決して、追い詰められてるわけではない。あくまでも、余裕綽々。一層、彼のかっこよさが際立っていた。

 

 チームの得点の半分以上を、この男があげていた。


「行くぜ」


 小さく呟くと、昴の身体が素早く動き出す。

 鮮やかな切り込み、行く手を阻む相手をものともしない。ボールと一体化して、軽やかにディフェンス陣を躱していく。


 だが、その勢いはすぐに止まった。

 他でもない陽清が、前に立ち塞がった。


 シュートするにはやや距離がある。時間を気にしながら、昴は隙を窺う。一筋縄ではいかないことは、ここまでで十分にわかっていた。


 それでも、無理矢理に通り抜けようとする。


「くそっ!」

「おお、いいぞ、やなまち!」

「柳上な。覚えてやれよ」


 お手本のようなインターセプト。昴の動きに、陽清は完璧に反応していた。全てを見切っていたように。


 ボールが後方に飛ぶ。

 一つ跳ねたところを、すかさず陽清が奪取。がら空きのコートを、真直ぐゴール目掛けて駆けていく。


「てめえっ――!」


 だが、猛烈にそれを追う男が一人。

 陽清が止まったところに、激しくぶつかっていく。強引にシュートを止めた。


 たちまち審判を務めるバスケ部員の笛が鳴る。


 ボールはこぼれた。そして、倒れたのは――


「大丈夫か?」

「あ、ああ」


 昴は気まずそうにさし延べられた手を取った。なるべく、顔を見ないようにして立ち上がる。


「ごめん、ちょっとムキになった」

「スポーツってそんなもんだろ」


 それでも、すかさず昴は申し訳なさそうに手を合わせて謝った。大袈裟ともいえる仕草。


 陽清は何一つ気にしていなかった。むしろ、この気のいい同級生を転ばせてしまって、罪悪感すら抱いている。


 完全に無軽快なところへのタックル。ルール上ではファウルだが、攻撃としてはこの上ない一撃だった。

 普通だったら、陽清の方が転倒していたはずだ。ただでさえ、その見た目はがっちりとは程遠い。


 その後、ルールに従って、陽清がフリースローを放る。激しい動きの最中でも平気だったのだ。止まっていれば、造作はない。

 ゴールが揺れて、一際大きな歓声が体育館に響き渡った。

 

 この試合の結果は、陽清のチームの圧勝。向こうは、昴を中心として経験者が集まっていたにもかかわらず。


 結局、その後も陽清は変わらない活躍を納めた。授業が終わった時には、彼は小さな英雄となっていた。

 それはもちろん、高校生活、いや人生通じても初めての華やかな一場面。



          ◇



「柳上様、お仕事の時間ですっ」


 気配は感じていたが、声を掛けられて陽清は視線を上げた。

 賑やかな昼休み。母に作ってもらった弁当を食べ終えて、陽清は一人ぽつんと暇を持て余していた。


 ということで、本を読んでいたわけである。バッグに突っ込んであった、栞の挿してある文庫本を。

 もちろん、以前どこまで読んだかなんて覚えてはいない。当然最初から読み進めていた。


 そんな彼に芝居がかった口調で話しかけてきたのは、椿屋怜奈だった。恭しいお辞儀までつけて。どこか楽しげな雰囲気を身に纏っている。

 

「どういうことだろう、椿屋さん」

「見てください。ゴミ箱がいっぱい!」


 彼女は満面の笑顔で前方を指さす。

 直方体のプラスチック容器が、二つとも自らの限界を誇っていた。


「なるほど」

「理解が速くて助かります」


 そんな皮肉めいた一言をスルーして、陽清は素早く立ち上がった。仕事場に向かって、まっすぐに歩いていく。その後ろを、ニヤニヤしながら怜奈が続く。


 二人は手分けして、箱から袋を取り出しにかかった。


「ストップ、ストーップ! 間に合った?」

「ああ、大丈夫だ」


 慌てた様子ですっ飛んできたのは、昴だった。その手には、小さなビニール袋を持っている。


 陽清は、ゴミを入れやすいように口を広げた。同時に思い出したことがあって、空いた方の手でポケットを探る。

 そして昴に続いて、取り出した小さな白い球体を袋に放った。


「いやあよかった、よかった。――って、お前それ、いつのやつだよ。まさか、始業式の日のじゃねえだろうな」

「そのまさかさ。入れっぱなしにしてたの忘れてた」

「不潔だねぇ」


 昴はしかめっ面で鼻を摘まむ。そして、盛大に笑った。

 つられて陽清も少しだけ唇を曲げた。


「何の話です?」

「ああ、怜奈もいたのか。それがな――」


 不思議そうな顔で男子たちの会話に割り込んできた怜奈に、昴は得意げに新学期初日の話を教えた。


 聞き終えた怜奈は、もう一人の美化係が持つ袋の中身をじっと見つめる。


「じゃあ、よろしくな、ゴミ捨て」


 別に昴に言われるまでもないのだが。彼はどこか気分良さそうに、一際華やかなグループが陣取る教室後方へと戻っていく。


 陽清は袋の口をきゅっと縛ると、怜奈に目配せをして教室を出て行った。


 二年生の教室は三階。目的のゴミ捨て場は一階、それも、別棟にあるから、思いのほかと道中は長い。


 騒がしい廊下をゆったりと歩いていく二人。互いに言葉は発さず、気まずさからか、陽清の方がやや先を進む。

 学校全体に漂う騒がしい雰囲気からは、二人組は浮いていた。


 そのうちに、怜奈が少し足を速めて、陽清の隣に追いついた。


「そういえば。さっきのバスケ、大活躍だったって聞きました」

「大活躍ってほどじゃ……」

「謙遜ですか? 控えめなんですね、柳上君」

「そうか」


 自分ではよくわからず、陽清は語尾を上げる。

 正直、あまりこの話はしたくはなかった。あの時はつい夢中で身体を動かしてしまったが、思い返してみると、やりすぎた。

 去年の彼を知っている者は、その勇姿にかなり違和感を抱いた。だが、一番は陽清自身。バスケが得意ではない自覚は強い。


 身体が思い描いた通りに動いたのだった。いくら異世界でのパラメータが残っていても、果たしてどれが影響したのか。

 敏捷と筋力……ぱっと考えたところそんな感じだろう。もしかすると、きようさ辺りかもしれない。正解は、あのお気楽女神のみが知るところ。


 ともあれ、自分でしでかしたことながら、全くその手応えがない。どこか、後ろめたさすら覚えてしまう。


「おまけに、英語のテストの点数もすごかったですよね。他の科目はどうなんですか?」

「……ぼちぼちだ」

「ふぅん」


 素っ気ない返事だが、怜奈の目には強い好奇心が宿っていた。品定めするような目つきで、一見ぱっとしないクラスメイトを観察している。


 そんな視線にドキリとする陽清。自分が言わない限り、秘密は露呈することはない。考えもつかないことのはず。

 わかっていても、やはりこの女子と話すのは、特に緊張する。


 そもそもな話、ひた隠しにする理由はあるのだろうか。異世界帰りは考える。

 確かに自分は異質だが、表沙汰になったところで何か問題があるわけでもない。

 ……ような気がする。むしろ、力を奮った結果による称賛の声は、素直に嬉しかった。今まで感じたことのない喜び。


 大っぴらにして、ちやほやされるってのも――ちょっと考えて、がらでもないと苦笑した。そういうのは、昴のような奴の特権だ。


 自分はあくまでもひっそりと、今まで通りの暮らしを続けるだけ。異世界での冒険の反動か、彼の地味さには一層拍車がかかっていた。


「勉強もスポーツも得意なんて、まるで完璧超人。――私を助けてくれた人、車とぶつかったはずなのに、なんともなかったんです」


 それは大したことでもないような口調。意味のない雑談じみた口振りは、言葉のおかしさを和らげる。


 ただし、陽清にとっては、強力な先制パンチとなっていた。

 動揺しつつも、平静を装う。ちらりと、同僚の横顔を窺うが、どこまでも楽しげだ。


「見間違いだろ。そんなことは、ありえない」

「ええ。刑事さんにもそう言われました。そういえば、あと、足が速かったんです。陸上部かな、と思ったんですけど、訊いてみて心当たりはないって」

「へえ」

「本当、超人じみてて……って、いくら柳上君でも、車にぶつかったらただじゃ済みませんよね?」

「学校の勉強と、体育の授業はまるで役に立たないだろうからな」


 悪戯っぽく笑う怜奈の顔を、陽清はそれ以上見ていられなかった。

 視線を外して、そのまま早足に歩いていく。


「ふふっ、それはそうです。ところで、ゴミ捨て場はどこなのでしょう?」

「……こっちだ」


 再び追いついてきたとぼけ顔の美化係のパートナーを、陽清は再び振り切るのだった。

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