第11話 不釣り合いな激闘

 だだっ広い芝生の上、相対する二つの人影。


 風はなく、どこまでも静かで不気味な夜。疎らに位置する街灯は、夜闇全てを打ち払うには不十分だ。


 陽清は猛然とした勢いで、敵に迫っていく。後ろに手を伸ばして振りかぶるその先には、先端部分が一回り以上太くなっている棒。

 間合いに入り、大きく踏み出した一歩と共に振り切る。


 奇麗な弧の軌跡が空間に走った。


 襲撃者は、たちまち後ろに飛び退いた。

 何もない宙を、黒い塊が通過する。


 客観的に見れば、大したことのない一撃のはずだ。

 いくら、陽清が剣の扱いに慣れているとしても、今の得物はただの傘。しかも折り畳みときたものだから、形状は剣と決して似つかない。

 ただの打撃。フルスイングしたところで、そこまでの威力にはならない。


 だが、襲撃者は避けた。

 始動を見た瞬間に、それが《斬撃》だと察知した。


 空を裂き、風を払う超速の横薙ぎ。触れれば、おそらく鋼さえ斬り裂けるだろう。


 そういった性質を持つのが、異世界における剣術――戦闘技術。正しい方法を踏まえれば、必ず結果をもたらす。スキルと呼ばれる異能。

 例えば剣スキルは、斬るという事象を必ず起こす。形状が棒状のものであれば、刃などなくとも。


 襲撃者はそれをよくわかっている。無骨な打撃と侮っていれば、自らの胴体は真っ二つになっていた。


 だが、その回避方法は正解とはいえない。


 空振りは束の間のこと。陽清は、すぐに傘を逆手に持ち変えた。先端は、どこまでも地面と平行。


 腰の回転と共に、強く腕を突き出した。予備動作は一秒にも満たない。


 まさに雷鳴のような一閃。敵の喉元目掛け、轟々と風を切っていく。


 リーチはそこまででもない。間合い的に当たるかはギリギリだ。もし、襲撃者が後ろに再び退けば、初撃と同じ結果に終わる。


 だが。

 

 避けられない――本能的に悟る襲撃者。

 堪らず身を捩る。けれど、すぐに軽い痛みに襲われた。


 陽清の『突き』はその肩口を掠めていた。

 瞬間、宙に走る赤い閃光。

 それはすぐに、反動で生じた疾風にかき消された。


 傘は、見えない斬撃を纏っていた。今の一撃は、あくまでも『突き』という剣術を具現化したもの。武器本来の長さに関係なく、奥行き広く点と化した一撃を穿つ。


 あと少し遅れていれば……さすがの襲撃者も肝が冷えた。つーっと、一筋の汗が頬を伝う。

 胸を突き破りそうな鼓動と渇いていく口の中。


 そんな隙を、歴戦の勇者は見逃さない。

 柄の部分の左手を添え、斜めに斬り下ろそうと、傘を振るう。


 しかし、襲撃者の方が早かった。


「あまいっ」

「うそだろっ!」


 今度は襲撃者がナイフを振るう。


 ぼとり。

 何かが地面に落ちた。


 それは折り畳み傘の本体部分。骨組みの僅かに手前部分から、ばっさり消えていた。

 陽清が握っているのは、ただの金属の棒に変わる。


 襲撃者が、音もなく切り落として見せたのだった。まるで紙を切るように、いとも容易く。


 驚き狼狽える陽清を見て、襲撃者――いや、暗殺者はニヤリと唇を曲げた。


「人を殺せて、物を殺せない道理はないだろう?」

「そんなの反則だ」


 今度は陽清が間合いを取る番だった。

 後ろに下がりながら、一つ大きく棒を縦に振る。


 すると、斬撃が《飛んだ》。細長い月のような衝撃波が空間を伝っていく。


「ふん。どっちがさ」


 カキン――起こるはずのない金属音が、公園に虚しく響き渡る。

 暗殺者は眉を顰めて、不愉快そうな顔のままナイフでそれを打ち払った。


 それを契機に、剣戟は幕を上げた。


 猛然と、陽清は斬りかかる。一メートルに満たない金属の棒を、刀に見立てて自在に振り回す。

 様子見の時間は終わり。持てる技術をフル活用して、暗殺者を仕留めにかかる。


 暗殺者は、ナイフで応戦する。迫りくる刃を弾き、小刻みに立ち位置を変える。事ここに至ると、暗殺技術など無用の長物だった。必然、受けることに必死になる。

 それでも、相手を出し抜こうとするのは忘れない。チャンスがあれば、先の柄のように陽清の首を簡単に落とせる自信があった。


 耳を突き刺すような金属音が、どこまでも鳴り響く。時には火花が走り、暗闇にパチパチとフラッシュが光る。


 激しい足捌きのせいで、公園の芝生の痛みは加速度的に増す。土が抉れ、粒子となって辺りに散らばる。


 圧倒的な手数不足。打開策がないことを、陽清はひしひしと感じている。

 

 この打ち合いは無限。

 陽清と暗殺者の実力が拮抗しているからではない。暗殺者側が、あまりにも受け手に回るのがうますぎた。そして、付け入るところのないほどに堅牢。


(せめて魔法が使えれば……)


 陽清は生粋の剣士ではない。刀剣の扱いには慣れているが、その道のトップと比べると、数段実力は落ちる。

 本来の戦闘スタイルは、多彩な攻撃手段を駆使すること。


 何度目かの突撃。わきを締め、容赦なく陽清は柄を振り下ろす。


 暗殺者はそれを、しっかりと受け止めた。短い刀身部分で、いとも器用に。


 拮抗し、初めて鍔迫り合いへと発展する。


「お前いったい何者だ。どこでこれだけの技を」

「アンタと同じさ。《柳上陽清》さん」


 挨拶のような自然さ。暗殺者の口元には、涼しい笑みが浮かんでる。


 だが、その言葉は陽清を狼狽させた。

 僅かに、武器に込める力が鈍る。


 それが、決定的だ。


 思考が乱れたことによる僅かな空白を、暗殺者は決して見逃さない。

 がら空きの腹を、力いっぱい膝で蹴り上げる。


 咄嗟に腹筋に力を込めた。だが、そんなものは焼け石に水。

 呆気なく、身体はぐらりとよろめいた。咳込むと共に、唾液が飛び出す。

 ダメージに耐えきれず、陽清は腹部を抑えたまま二三歩後ずさった。


 それは敵の間合い。陽清はそこで、無様な姿を晒してしまった。


 暗殺者は右手に握ったナイフを、逆手に持ち変えた。ぐっと身を低くすると右腕を引いて腰を捩じる。


「暗殺者の一番の強みが何か知ってるか? それはな、決め手を外さないことだよ」

「くそ――っ!」


 血の気が引く。寒気が一気に全身を這う。その一振りが致命的なものだと、陽清は理解できていた。


「ここでね、『其の一撃、避けること能わずアンアヴォイデント・ストライク』」


 刃は、鋭い銀の光を放ちながら、闇の中に弧を描く。


 避けられない速度ではない。

 だが陽清は、咄嗟に左腕を差し入れて防いだ。


 グサリ――ナイフは深く肉を抉る。

 ドバっと血が固まりとなって、芝生を真っ赤に染めた。


 刃は骨のところでピタリと止まる。


「っぁあああ――!」


 我慢できずに、彼は激しく叫んだ。

 それでも、何とか反撃に転じようとする。ぐっと右手に力を込めるが――


 ドクリ――心臓が一つ大きく跳ねる。

 身体の力が一気に抜けた。

 立っていられなくて、ぐらりと姿勢を崩す。


 陽清は咄嗟に片膝をついた。傘の柄を落としそうになるのだけは、必死に留める。


 それでも、すぐに立ち上がることはできない。

 強い寒気、脱力感、嫌な汗が全身の毛穴から吹き出す。小刻みに身体を震わせ、だらりと頭を垂れた。

 速度を増す鼓動は、間近に迫った恐怖からくる原始的反応。理性は自らの敗北を受け止めつつある。


 暗殺者はナイフについた血を払いながら、陽清に近づいた。その前に茫然と立ち塞がる。

 表情はなく、その目は見る者を凍てかせるほどに冷たい。


「これは……毒か」

「まさか。毒を生み出すなんて芸当、わたしにはとてもできんよ。ただ、神経をちょっと弄らせてもらった」

「相変わらず冗談みたいな芸当だな」


 陽清は敵の顔を見上げて、鼻で笑った。

 あまりにも現実味がなさすぎる。だが、少しも動かない左腕が、その言葉の裏付けとなっていた。


「けれど、今のは驚いた。てっきり避けると思ったのだが」

「あんな前口上を垂れてたんだ。何かカラクリがあったんだろ、白々しい」

「ああ、そうだ。今のは、放たれた瞬間に命中が確定する類の技。もし避けていれば、その首はきれいさっぱり落ちてたのに」


 淡々と事実のみを告げる、無機質な口調。冷然と敵を見下ろす様は、絶対の裁定者だ。暗殺者は己が使命にしか興味はない。


 減らず口を叩きながらも、頭の中では光明を探していた。このままでは、むざむざと死ぬ。それではアリシアの、最後の厚意が無駄に。


 精神を研ぎ澄ませ、呼吸を自然なものへ。視線は暗殺者の顔にしっかりと固定。自然と一体化、私を滅し泰然と空間に没する。身体の感覚は、より不透明になっていく。脳と心臓だけが、柳上陽清の個を保っていた。


「べらべらとよく喋るな。暗殺者の名が泣くぞ。せっかくだから、自己紹介の一つや二つ、してもらいたいもんだがな」

「ふん。言いたいことはそれだけか」


 暗殺者はゆっくりとナイフを振り上げた。頭の上、切先はしっかりと対象の脳天に向けて。


 未だにじっと動かない陽清。傘の柄は、手の中で遊ばせてある状態だ。


 さらに脱力。胸の奥底に力を溜める。


「必要ないだろうに。これから死にゆく者にとって、何の手向けにもならない」

「はっ、自分の技量を誇りたかっただけか」

 

 侮蔑を多分に含んだ相手の口調を、暗殺者は歯牙にもかけず。

 どこまでも冷然、粛々と刑を執行するのみ。心境はまさに、処刑人のそれ。


 依然として、陽清の身体は思うようには動かない。それでも、この短い対話の中で、一撃を振るう用意ができた。

 外れれば死、そも繰り出せなくても同じ結末。

 

 焦りはなく、昂りはなく。

 彼は当然の様に、武器を握りしめる。


 狙いは、肘がギリギリの高さにやってきたところ。


 暗殺者は、容赦なくナイフを振り下ろす。それはただの刺突行為。


 全ての音が止んだ。

 二人を除いて、あらゆる物がその動きを止める。


 いつの間にか、うっすらとした雲が晴れていた。月は彼らを照らすスポットライト。儚く、青白い光がしんしんと降り注ぐ。


 運命が決しようとするその刹那――


「おまわりさん! こっちです!」


 必死さに満ちた女性の声が静寂を切り裂いた。

 周囲の時間が動き出し、今度は二人が静止する番。


 幻聴かと思えるほどに、この場には不釣り合い。

 高い音色は、緊迫感に水を差す。


「はやくっ、いそいでっ――!」


 続けざまにもう一つ。

 それは確かに現実の物。

 闘いの終わりを告げる鐘の音となって、周囲にしっかりと鳴り響くのだった。

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