第10話 闇との対峙

 六時間目の授業も、もう半分を過ぎた。

 教壇では、日本史の教員が古墳時代について淡々と語っている。

 時折増えていく板書、合わせて手を動かす二年三組の面々。中には飽きたのか、疲れたのか。居眠りに興じる生徒もちらほらと。


 教室の中には、緩やかな時間が流れていた。


 陽清はノートを広げながら、シャーペンを手慰みの道具としている。黒板の文字を追うことはせず、物思いに耽っていた。


 ここまでの一日は、彼が一度経験したものと大差はなかった。


 起床後は、星佳から朝練の話を聞いた。ほとんど同じ反応をして、今度はしっかり弁当を持って家を出た。


 朝のホームルーム前には、昴の与太話。朝から生徒会長と副会長に遭遇したのは、幸運だったと恍惚とした表情で語っていた。

 

 その後は智世にノートを貸し、昼食後には木佐野から野球部の勧誘。


 ともすれば、細部に違いはあったかもしれない。だが、陽清はおおよそ同じ一日をリピートしていると言ってよかった。


 ただ、一つだけ新たな発見が。

 校内で感じる視線の正体について。それはやはり、怜奈。注意深く観察していると、割とバレバレの挙動をしていた。

 尾行していた時点で、わかってはいた。


「なんだ、陽清。お前、怜奈ちゃんに興味あんのか?」


 その過程で、昴に目ざとく咎められてしまったのは、不運だったかもしれない。


 控えめな性格と清らかな見た目。ライバルは多いぞ、と彼は陽清に忠告した。くわえて、医者の娘という新たな情報まで提供。

 昴は思った通り女子の情報に詳しいようだ、とその時には感心したものだった。


(しかし、あいつ何者なんだ……)


 今、陽清の頭を占めるのは、あの襲撃者のことだけ。

 あれは相当な強敵。気配なく、心臓を一突きできるなんて神業じみている。それこそまさに、異世界で言うところの暗殺技術アサシンスキルだ。


 さらに向こうは、自分が異世界に行っていたことを知っている様子だった。


 何としても、着実に今夜仕留める必要がある。


 敵は単独なのか、複数なのか。意図と正体がわからない限り、不安はずっと付きまとう。

 そうした事情がなかったとしても、あの騙し討ちはあまりにも脅威だ。一度目は不意を突かれたからこそ、敗北を喫した。ここを逃がせば、高い確率で同じ悲劇が起こる。


 それは決して自らを慰めるわけではない。むしろ、平和ボケしてたことを恥じてすらいる。

 わかっていれば、何とかできる自信はあった。


(まあ素手じゃ無理だけど)


 ぐっと、メタリックなシャーペンを握り込む。いくら棒状のものといえど、これは戦闘には使えない。

 そのへんにいる、適当なゴロツキならともかく。


「これが百舌鳥古墳群で――」


 ぴたりと授業が止まった。教師はじっととある生徒の方を見つめている。 


 たちまち、教室の内が不穏な雰囲気に。


「昴、起きろ。先生がこっち見てる」


 陽清の握るシャーペンは隣で船を漕ぐ友人を起こすものとしては、これ以上ないアイテムだった。



        ◇



「いいか、二度と俺をつけ回さないでくれ。くれぐれも、夜なんて絶対ダメだ」


 しっかりと念押ししてから、陽清は走り去った。

 その姿を、怜奈は呆然と見送る。


 実際のところ、彼は尾行者を突き止める気はなかった。すでに事実は確認済み。何より、女子と話すのは苦手だ。


 それでも思い直したのは、来るべき襲撃に備えてなるべく一日をなぞった方がいいだろうと考えたから。

 妙な行動を取って、敵に勘づかれたくない。校内に敵が潜んでいる可能性もある。異世界経験者は、他でもない自分が好例だ。


 さらにもう一つ。怜奈を闘いの場から遠ざけるため。

 異世界を救った勇者は、クラスメイト一人守り切る自信はなかった。


 ただ、これは陽清の徹底的な勘違い。不要な心配、まさに杞憂。

 彼自身は、決してそれに気付くことはないけれど。


 ほどなく帰宅して、彼は早速家の中をひっくり返し始めた。何か武器になるものを探し求めて。


 幸い、自宅は不在状態。時間の限り荒らし回ったものの、そこはしょせん一般家庭。そう容易く、手ごろなものなど転がってるはずもなく。


「……参ったな」


 部屋に戻ってきた陽清は、制服を着替えることもせず、苦々しく呟く。ベッドの上には、何とか見つけ出した候補が並んでいる。


 先ほど、スーパーで買い物を済ませた母が帰ってきてしまった。そのままご機嫌な様子で夕食準備に。


 理想としては、それなりに長さがあり、携帯が容易。隠し持てることは必須。


「折り畳み式の日本刀とか、ないもんかねぇ」


 そんな馬鹿げたことを呟いて、陽清は吟味を開始する。ここまで闘う道具に窮したのは、初めての経験だった——



        ◇



 恙なく夕食は終わり、トレーニングの時間は間近に迫る。


 万全の準備を完了した陽清は、足音を殺して部屋を出た。

 かすかにその表情は強張り、鼓動はやや早くなっている。


 素早く妹の部屋の前に移動すると、その扉を控えめにノックした。


「星佳、ちょっといいか?」

「うん。いいよ、兄さん」


 平坦な調子の声が返ってきた。


 待てども扉が開くことはない。

 勝手に入って来い、と解釈して陽清は躊躇いなくノブを下げる。


 星佳はベッドに寝そべりながら、スマホと睨めっこをしていた。うつ伏せで、上半身を腕で支えて、かなり身体にキそうな体勢である。

 兄がずかずかと足を踏み入れても、少しも気に留めない。


 そんな妹のリラックスぶりを、陽清は突っ立って見下ろした。


「頼みたいことがあってな。もしかしたら、夜遅くなるかもしれないんだ」

「あいびき?」


 星佳は滅相もないことを口にして、顔だけちらりと兄に向けた。


 面食らいながらも、陽清はじろりと妹を睨む。


「……よくそんな言葉知ってんな、お前。残念だが、違う。兄がモテないことは妹の君が何よりも知っているだろう」

「えー、そうかなぁ。部活の先輩に、兄さんのことを訊かれたけど。柳上陽清の妹か、って」

「刑事みたいだな。あるいは借金取り」


 兄の物騒な喩えに、星佳は目を丸くした。

 ひとしきり呆れた後に、ようやく身体を起こす。ベッドの真ん中に座って、半目で不貞腐れた感じに兄の顔を見上げた。


「で、何をすればいいの?」

「誤魔化しておいて欲しいんだ。親父たちに心配かけたくないから」

「……理由は?」

「悪いけど、話せない」


 ふうん、星佳は怒ったように鼻を鳴らした。眼光に小さな怒りに火を灯す。頼みごとの内容、ではなく、詳細を話さないことに腹が立っているのかもしれない。


 陽清としては、そんな顔をされたところでどうしようもなかった。

 今晩、謎の人物と闘うから、なんてあまりにも現実感がなさすぎだ。


 気まずい沈黙が続く。柳上兄妹は、どちらも決して目を逸らさない。

 

 折れたのは星佳いもうとの方だった。

 関心を失ったかのように、わざとらしくまた寝そべる。


「ダッツね」

「ああ、了解。ありがとう」

「二つだよ?」

「おう。抹茶とストロベリー」

「期間限定のがいい」


 へいへい、と気の抜けた返事をする陽清。妹の強欲さを目の当たりにして、その口元は緩んでいる。


 後顧の憂いは断った。彼はくるりと身を翻して、妹の部屋を後にした。


 先ほどの和んだ表情はもうどこにもない。身に纏う雰囲気は闘いに赴く戦士。確かな足取りで、気配を殺して階段を下りていく。


 明かりのついたリビングを横目に、陽清はスニーカーを履く。耳をすませば、賑やかなテレビの音が聞こえてくる。


 必ず生きて帰ってくる――最初の苦い失敗を胸の奥にしまい込み、強い決意と共に扉を開けた。


 見上げた空に、月は隠れたまま。雲の流れはどこまでもゆっくりと。

 街灯に照らされながら、彼は夜の住宅街を駆けていく。いつもと変わらないペース。


 道行く人間は他に皆無。走る車もない。ひっそりと静まり返り、リズミカルな足音と息遣いが、至極退屈な音楽を奏でる。


 ありふれた景色の中を過ぎていく。

 神秘的な要素など、どこにもない。現代社会に置いて、あまりにも普遍的。


 陽清はそっと意識を後ろに集中させた。

 離れたところに、何者かの気配を感じる。


(どうやら、もうついてきてるらしいな)


 自分の迂闊さを改めて呪った。

 こんなことになるまで、なぜ放っておいたのか。


 大した問題にはならないだろうと、タカを括っていた。

 それはまさしく、慢心に他ならない。魔王を倒した――世界を救った自分に不可能はないという、圧倒的すぎる自負。


 そんなものは、生きていくうえでただ邪魔なだけ。


 自然と、足に力が籠っていたのか。

 公園についた時刻はいつもより早い。腕時計に目を落として、たちまち陽清は舌打ちをする。


 ひっそりとした空気の中、彼は準備運動を始めた。

 すでに火照っていた身体に上着は不要。するりと脱いで、丸めて適当なところに置いた。

 その時に、とある仕掛けをするのを忘れずに。


 異世界帰りの戦士は、黙々と日課のメニューをこなす。

 呼吸は荒さを増し、全身からは汗が噴き出す。身体の各部に乳酸が蓄積されるのを感じる。


 そして、あの夜と同じように、最後の懸垂へ。

 回数を口に出しながら、時間をかけて自らの身体を苛め抜く。


「ろく、じゅうっ!」


 溢れ出した気合と共に、彼は鉄棒から飛び降りた。

 心臓はあり得ないくらいに鼓動し、腕は怠くすぐには上がりそうにない。


 楽な体制を取って体力の回復に勤めながら、周囲に集中力を巡らせていく。


 先ほどよりも、何かの存在感は強くなっている。


 ごくりと唾を飲み込んだ。顔の横を伝う汗は、高まっている脈動は、激しい運動のせいだけではない。


 陽清は、緩慢とした動作で、ジャージの上着を拾い上げた。

 丸めた黒い塊、その中央には不自然な膨らみ。


 全ては一瞬のことだった。


 カチッ――何かがハマるような音。


 膨らみの根本が伸びた。飛び出した銀の柄の端には、丸い持ち手がついている。

 それを強く握って、陽清はくるりとターンした。回転の勢いで、後ろを一刀両断――横殴りにかかる。


「なんだとっ!」


 襲撃者には不可解な反撃。けれど、その身体が反射的に動く。

 後ろに大きく飛び退いて、対象との距離を仕切り直した。


 ジャージに隠していた物体が空を切った。

 それは何の変哲もない折り畳み傘。シルエットは棍棒にそっくり。

 

「お前は何者だ」


 恐ろしいほど低い声が、夜の空気を震わせた。


 襲撃者は何も言わず、短剣を握りしめる。

 自らの持てる技術を全て注ぎ込んだ、決殺の一撃を込めたモノ。敵の心臓を一突きにして、その命を無へと溶かしたはずなのに……。


 陽清は、静かに折り畳み傘を構えた。あまりにも堂々とした姿は、それを大剣と錯覚させるほどに。


 ――合図が何だったのかはわからない。


 次の瞬間には、陽清は一気に間合いを詰めていた――

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