第17話 虫の知らせ
天候は快晴。風は微風。強い日差しは、森の深くまでは届かないらしく、辺りは少しだけ薄暗い。
同じ格好をした一団が、緑生い茂るなだらかな斜面を淡々と進んでいた。その様はなかなかに軍隊じみている。
もっとも、ぱっと見の雰囲気がという話。よく見れば、隊列はそこまで整頓されているわけではない。
その最後尾付近に、陽清はいた。黙々と無心で足を動かして、前の背中を追い続ける。そこに辛そうな様子は少しもなかった。
背負ったリュックの重さも、足元の悪さも、彼には全く影響なし。この程度の行軍、異世界で何度も経験してきた。
まあもとより、樫木山はあくまでも初心者向けと銘打ってるわけだが。
「なんで俺たちは週の最終日に、山登りなんてしてるんだろうな」
「そういう高校を選んだからだろ」
「ったく、どこまでも余裕そうだな、陽清。さすがに嫉妬するぜ」
「昴だって、全然疲れて無さそうだけど」
隣を歩く昴は、とぼけた顔をしてそっぽを向いた。彼の足取りもまた、どこまでもしっかりしている。
二年生文系クラスの登山日は、金曜日だった。明日から休みだからちょうどいい。あるいは、休みなのにしんどい。と考えるかは、人それぞれである。
あまりにも最近バタついていたせいで、陽清がそれを思い出したのは妹との会話がきっかけだった。
登山開始から一時間ほど。
本来ならば、この二人は学年でもトップレベルに体力のある生徒だ。それが、こんなゆっくりと行軍していれば、そこまでの負担にはならない。
陽清はちらりと後ろを窺い見た。
三人の女子生徒が、一生懸命に歩いている。ぜーはーと息をする様は、かなりガタがきてるみたいだった。
「お前、ずっと怜奈のこと気にしてんな」
「別にそういうわけじゃ」
「どれどれ、ちょっと手助けしてやんよ」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべると、昴は急速に歩みを緩めた。
陽清は怪訝な顔で、友人の動きを目で追う。昴は、すぐに怜奈のいる三人組に合流した。
「いやぁ、しんどいよなぁ、マジで」
「あ、南波君! うん、もうへとへとで」
「カエデもそう思う? リサはどうよ」
「あたしも」
昴は後ろ歩きの体勢で、女子二人に軽快なトークを繰り広げる。相手方も迷惑がっている様子はなし。
同じクラスとはいえ、よくもまあそこまで馴れ馴れしく喋りかけられるものだ。盛り上がる友人の姿に、素直に感心する陽清だった。
ぼーっと眺めていると、昴が一瞬陽清の方に振り向いた。すかさずその視線が、一人懸命な様子で上り続ける怜奈の方に向く。
彼女は昴たちと少しだけ距離が空いていた。
……本当にそういうわけじゃないんだが。
心の中で言い訳して、一人蚊帳の外気味の怜奈に近づいていく陽清。昴とは違い、彼は前を向いたまま健気なクラスメイトの隣についた。
「椿屋さん、大丈夫か?」
「ええ、まあ、はい……全然、余裕はない、ですけど」
「そうか、その、頑張れよ」
少しも気持ちのこもっていない言葉に、怜奈は微かに頷いた。呼吸をかなり乱しながら、陽清の方をあまり見ようともしない。
かなりぎこちないやり取り。気まずそうな気配を察したらしく、昴が陽清を後方へと引っ張っていく。
「お前さぁ、もうちょい気の利いたこと言えねーの」
「そう言われてもな」
「そんなんだから、いまいちクラスでも浮いてんだろ」
「別にそれとこれとは関係ないと思うんだが」
「あんだよ。――いいか、一言一言心を込めろ、とは言わないが、もうちょっと表情を柔らかくしてみろよ」
「まあ、努力はする」
陽清は苦い顔で嘯く。
それなりに話すようになったとはいえ、未だに怜奈の前でもちょっと緊張を覚えてしまう。元勇者はどこまでも初心だった。
要領を得ない陽清の反応に、昴は不満そうな顔をした。唇を尖らせて、バシッと陽清の肩を叩く。
「じゃあ、ほれ、もう一回」
「そもそもな、別に椿屋さんに用があるってわけじゃあ」
「ツバキヤサン? いっそのこと、名前で呼んでやれよ。それもまた、人と仲良くするための一歩だ」
それはお前みたいなイケメンの特権だ、と陽清は心の中で反論する。自分はどこまでも日陰者、今さら変わらない。
顔を顰める陽清をよそに、昴はまたしても三人組の方に振り向く。
どこか呆れた笑顔を浮かべてゆっくりと歩み寄っていくが、そこへ後ろから男子生徒が割り込んできた。
「おい、柳上と南波。さっきからずいぶんと楽しそうじゃねえか」
「げっ、体育委員さんのお出ましか。別になんもしてねーよ」
「言い訳無用! だいたいお前らがのろのろしてることからしておかしいんだ。ほらほら、前行った、行った!」
「それは横暴だぜ。なあ、陽清」
同意を求めてくる友人に、陽清は曖昧な笑みで応じる。
そのまま自クラスの体育委員に謝って、昴を連れて歩みを早めることに。彼の不興を買うのはあまり好ましいことじゃない。
最後に、ちらりと怜奈の様子を窺うと、優しい微笑みを返ってきた気がした。
◇
山頂は生徒たちの賑わいの声で溢れていた。一時間ほどの昼食休憩。帰りのことは一端忘れ、誰もが思い思いに過ごす。
よく晴れた日だから、眼下には気持ちのいい景色が広がっていた。見知った街の風景も、俯瞰すればまた新鮮。ここまで登ってこれた、という達成感が沸き起こることだろう。
昼食を済ませた陽清は、さっと周囲に視線をやった。
「どした?」
「いや、別に」
「どうせまた、怜奈のこと探してんだろ」
「おっ、なになに。柳上は椿屋狙いなわけ?」
昴の隣から、野球部の木佐野茂貞がにやけ面のまま身を乗り出してくる。
例の勧誘をきっかけに、陽清は茂貞とよく話すようになっていた。茂貞は、自分とは対極的なゴリゴリの体育会系。
去年なら、仲良くなることもなかっただろうに、これももまた異世界帰りの特典か。こうして、付き合いのなかった人種と過ごすのはそこまで嫌ではなかった。
もし、異世界に行ってなければ。あるいは、この特異な体質が残ってなければ。きっと今までと同じ、変わり映えのしない地味な日常を過ごしていたのだろう。
そう思うと、何だか不思議な気分になる。そして相変わらず、実感が薄い。
「椿屋なぁ、言っては見たものの、あんまり印象はないのだ」
「シゲ、見る目ねーな。うちのクラスで、一番かわいいと言っても過言じゃないぜ」
「お前、この間は、瀬戸口がダントツだって」
「だったか?」
涼しげに笑い飛ばす昴に、茂貞は顔を顰める。
そんな二人のやり取りを横目に流しつつ、陽清は空になった弁当箱をリュックに押し込んだ。ふう、と一息ついて肩を落とす。
杞憂だった。
ここまで全く何事もなかった。
登山と聞いて、あの暗殺者と結びつけたのがよくなかった。それだけでなく、アリシアもまた変に不安を駆り立ててくるものだから、つい身構えすぎた。
考えてみれば、この人がたくさんいる状況下で、向こうも仕掛けてはこないはず。
(椿屋には、ちゃんと謝っておかないとな)
登り路、そばにいたのはやりすぎだったかもしれない。余計な不安を怜奈に与えてしまった、と陽清は少し苦い気持ちになる。
月曜の夜以来、暗殺者の気配はパタリと消えた。かといって、これで身の安全が確保されたと考える程、陽清は楽天家ではない。
何とかしないといけないと思いつつも、こちらから打って出る手段は皆無。本音を言えば、今日だって少しは期待していた。
暗殺者がやってくることを。
この世界では決して味わうことのできない、命を懸けた闘いを。
あまりにも現実離れしたあの瞬間を。
今こうして、平穏無事に過ごしていても、陽清はどこか違和感を覚えてしまう。暗殺者と出会った日以来、その感覚は大きくなる一方。
心がざわついて仕方がない。身体が、渇きを訴えている。
「おい、聞いてるのか、柳上?」
「――え? あ、ああ。悪い、ボーっとしてた」
「まあ腹もいっぱいだし、日差しも気持ちいいもんなぁ。オレだって、このまま草の上に寝転がりたいもんだ」
「別にしてもいいんだぜ、シゲ? そのままどこまでも転がしてってやる」
「言ってろ、勝手に。そんなことより、ほれ、椿屋探しに行こうぜ」
陽清の背中を軽く叩いて、茂貞はすくっと立ち上がる。そのまま快活な笑顔を浮かべたまま、軽く身体をほぐし始めた。
昴も茂貞に続く。ぱんぱんと腰のあたりを払いながら、気怠そうに目を細める。どうやら、発起人は昴ではないらしい。
二人に促されるまま、陽清は周囲を散策することになった。断る余地などまるでなく、うんざりした気持ちで友人たちについていく。
平らな野原を、適当に進む。あちこちに、色々なグループが固まっていた。
どこまでものほほんと、間延びした時間が流れている。
けれど、いくら歩き回っても怜奈らしき人影は見当たらない。
「ああ、怜奈ちゃんなら、さっき莉里と一緒にあっちの方に」
だれかれ構わず、クラスを気にすることなく、女子に声をかけていく昴。それが何度か重なって、ようやく怜奈の行方に関する手掛かりを得た。
今話しているのは同じ三組の女子。陽清とは全く関わりはないが、口振りからして、昴とは親しそうだ。
陽清は茂貞と一緒に、ちょっと離れたところで様子を見守っていた。
彼女が指さしたのは、登山道とは違う方向にある原生林。所狭しと伸びる木々は、侵入者を固く拒んでいる。
「それ、いつの話だ?」
「ええと、十分くらい前かなぁ。そういえば、まだ戻ってこないねぇ、あの二人」
その女子は、一緒にいた女子に喋りかける。その口調に、心配する様なところは微塵もなかった。
それでも、陽清の心の片隅がざわついた。
「そういうことなら、待つしかねえなぁ」
「でも、なんだって林の方なんかに行ったんだろな」
「虫取り、とか?」
「小学生じゃねえんだぞ」
昴は、おかしなことを口走った茂貞の頭をポンと叩く。
叩かれた方は、不満そうに唇を尖らせた。
友人たちのやり取りに苦笑しながら、陽清は林の方に目を向けた。鬱蒼と緑が生い茂り見通しはかなり悪い。
好き好んで入っていくような雰囲気ではない。それも、女子が二人で、だなんて。
またしても杞憂だ。頭に過ったぼんやりとした嫌な予感を振り払うように、視線を逸らす。
「でもさぁ、莉里と怜奈ちゃんが仲いいイメージあんまないんだよね」
「うん、意外な組み合わせ。なんかさっきのリリ、ちょっと変な感じだったし」
「疲れてただけっしょ。張り切って、先頭の方にいたから」
自然と、女子たちの話し声が耳に入ってくる。森が作り出す薄ら闇、いいようの知れない不安を覚えて、陽清はつい、身を固くしていた。
もう一度、林の方に目を向ける。見通しの悪い中、何かが蠢いているような錯覚を感じた。
「昴、ちょっと野暮用を思い出した。後は頼む」
「いや、後は頼むってな……」
躊躇うことなく、陽清は林の方へと走り出す。騒がしくなる後方のことなど気にならない。
あっという間に、その姿は闇に飲み込まれてしまった。
あまりにも唐突過ぎて、近くにいた同級生たちは、呆然と見送ることしかできない。
「あいつ、ホント足はえーな。ぜひセンターを守って欲しいんだけど」
「だな。ウチにも欲しい人材だ」
「ってかよ、もうちょっとで集合時間だと思うんだけど、大丈夫か?」
「……間に合えばいいな」
残された友人二人は、どこまでも戸惑うしかなかった。
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