第7話 学生生活は恙なく
四月三度目の月曜日。
今日もまたいつもと何も変わりない日常が幕を開ける。
決まった時間に起床し、着替えて階下へ。そして、母と妹と一緒に朝食を摂り登校する。
陽清の平日朝のあり方はだいたいこんな感じ。
「アサ・レン?」
「変な間を取る必要はないです、兄さん」
わかっててとぼける兄を、星佳は半目でじろりと睨んだ。
「いや悪い。俺にはあまりにも縁遠い単語過ぎてついな。だって共通の話題になりようがないだろ、それ」
「筋金入りの帰宅部だもんねぇ、アンタ。父親とは大違いだわ」
「母親とも、ではないですか。お二人は同じサークルで知り合った、と耳にしましたが」
「遥か昔の話ね。あんたたちの産まれる前のこと」
「……当たり前のことじゃん」
元々の会話のきっかけとなった少女が、くだらない話に終止符を打った。眉根を少し寄せて、不自然に味噌汁の入ったお椀を宙に留めている。
そのまま少し固まっていたが、荒々しく息を吐くと、お椀を机に置きなおした。わざとらしく咳払いして、兄の方に顔を向ける。
「で、話を戻すけど、明日から朝練始まるから、ちょっと早く出るよって」
「だってよ、母さん」
「あたしはもう聞いてるわよ」
「じゃあなんで」
「兄さんに言ってるの!」
「報告を受ける義理はないぜ」
陽清はわざとらしく渋面を作った。そのまま麦茶をぐっと飲み干す。
対して妹は、一気にむすっとした顔になる。今にも唸り出しそうな気配だ。
「いつも一緒に登校してあげてるの、誰だった!」
「もとより頼んでないさ」
「ふんだ。兄さんなんか、これから毎日一人で学校行けばいいのよ!」
「ああ、それで何の問題もないがな。せいせいするくらいだ。ということで、早速お先に失礼させていただこうか」
もったいつけた言い方をして、陽清は席を立つ。そこに、いつも持っていく黒い包みを忘れたまま。
そんな兄に急かされるように、星佳は強引に朝食の残りを押し込んだ。彼女の方は、兄のよりひと回り小さいピンクの包みを忘れない。
「いってらっしゃーい」
母は間延びした風に言って、じゃれつく子供たちを見送った。まだ食事中のため、片付けはまだ先のようだ。だからか、忘れ物にすぐには気づかない。
そんなバタバタした朝の登校風景。いつも、ではないが、大してイレギュラーでもない。所謂、稀によくあること。
飛ぶようにやってきたわりに、今や星佳は疲れた様子で陽清の隣を歩いていた。
そんな妹を陽清はちょっとだけ気の毒に思う。
「別に急ぐ必要はなかったのに。まだ余裕あるだろ」
「だって明日からは別々だもの……」
「そうだけど、たかが朝だけだろ。もう二度と会えなくなるわけでもなし。そんな悲しそうに言うなよ」
言いながら、今のは洒落になってない、と陽清は自省した。実際、今生の別れは確かに存在しかけたわけで。
「そうだ! 兄さんも明日から早く家を出るというのは」
「ありえない。早く行っても暇なだけだ」
「じゃあいっそのこと、硬テニ入る?」
「嫌だね」
「ケチッ!」
それは果たしてケチというのだろうか。陽清はやや頭を悩ませるのだった。
他愛のない会話をしながら、二人は学校を目指す。この兄妹の会話は、主導権がコロコロ入れ替わる。
じゃあ、と別れの挨拶を交わして、別々に校舎に入っていく。
それ以上妹を気にかけることなく、陽清は自分の教室に向かった。
「おはよーっ、陽清!」
「昴、おはよう」
朝のホームルームまであと十分。隣席の主は、すでに来ていた。相変わらず、笑顔は爽やかだ。
ガヤガヤした賑わいを感じながら、陽清は一日の支度を始める。ライン作業のように、スムーズに教科書類を机の中へ。
「聞いてくれよ。さっき、生徒会長見かけてさ。いやぁ、奇麗だよなぁ」
「へえ」
「へえ、ってつれない反応だな。……お前もしかして女子に興味ない系? うちのクラスの女子の誰か言ってたぜ。陽清に冷たくあしらわれたーってな」
「そんなわけないと思うが」
「お前、俺と話す時もそんな感じだし、誤解させただけだろうな。一応、フォローはしといたぜ」
「ありがとう……でいいのか」
もち、短く返して、昴は盛大に笑い飛ばした。
ぶっきらぼうなのは単に照れ、つまりは陽清女子の扱いに慣れていないだけなのだが。ただでさえ赤の他人と話すのは苦手なのに、女子相手だと輪をかけて何を言えばいいか、わからなくなる。
実際の所、昴と話す時でさえ、陽清から話題を振ることは少ない。内弁慶気質は、依然として健在だった
「まあいいや。生徒会長、カレシとかいんのかなー。どう思う、陽清」
「…………あっ」
予期せぬ事態を目の当たりにして、陽清はつい声を漏らしてしまった。鞄を探っていた手が、ぴたりと止まる。
そんな友人の様子に、昴は心配そうに顔を曇らせた。
「どした」
「弁当忘れた」
「…………ドンマイ!」
やや間があってから、昴は軽く笑みをこぼす。このクールすぎる男が、忘れ物をしただけで動揺した、ということがちょっと微笑ましかった。こいつにも、人間らしいとこがあるんだ、と。
「まあ、そんなこともあるさ。購買で買ってくるか、食堂で勝負をかけるか、だな」
「そうだな」
昴は先輩風を吹かせながら軽やかに笑う。彼自身同様のミスをすでに何度か犯している。
そのまま話題は、購買の商品や食堂のメニューの話へ。もっぱら、昴が一方的に喋り、陽清が適当な相槌を入れるだけだが。
やがて、担任のがちょっと早めに教室に入ってきた。気持ち、室内の騒音が小さくなる。
ほどなくして予鈴が鳴り、御高校の一日が幕を開けるのだった。
◇
クラス内での立ち位置が決まるのに、二週間という期間は十分だった。
そもそも、彼らは二年生。初顔合わせは確かに多い。それでも一年を同じ学び舎で過ごしているのだ。人となりを掴むのは、そう難しい話ではない。
リーダータイプ、委員長気質、人気者、ひょうきんなおちゃらけ役、リア充、ボッチ。ラベルは様々。個人で貼るものもあれば、共通理解と化しているものもある。
例えば、南波昴はカーストのトップに君臨していた。優れた容姿と、さらにバスケ部のエースであるものだから、女子人気はナンバーワン。
さらに、誰に対しても気さくな性格で男子からの支持もある。学力を除けば、特に非の打ち所はない。
他には、議長を務める瀬戸口莉里などは、女子のボス格。癖の強い陽キャ集団の頂点に立つ。学校行事のあれこれに、率先して首を突っ込むタイプ。派手な見た目で、学年でも飛びぬけて美人だとか。
その点で言えば、椿屋怜奈はその逆だった。清楚な見た目、真面目な性格で、大人なしめグループに属する。ありふれた表現をすれば、優等生。
ただし、クラスの一部の男子からは密かに人気だったりする。目立たないが、容姿やちょっとした仕草が可愛らしいとかで。
では、柳上陽清といえば。
「そうか、残念だなぁ。お前がいれば甲子園も夢じゃないと思ったんだけど」
「大げさすぎるだろ。野球はチームスポーツなわけだし」
「だから俺一人凄くてもダメだって? くぅ~、自信家だなぁ、おいっ!」
バンバンとガタイのいい丸坊主の男子が、陽清の背中を叩く。はっはっは、と豪快に笑い声を上げながら。
彼がこのクラスのムードメーカー、
その後、もう少し食い下がってみせたが、茂貞は大人しく自分の席へと戻っていった。心の底から残念がっている様子をみせながら。
先週の体育の授業。それは体力測定だった。
結果、異常な身体能力の持ち主が三組にいることは、文系クラスのみならず、学年全体にまで轟いた。
しかも、帰宅部だという。突如明らかになった期待株に、運動部はこぞって注目。先のように、勧誘活動は活発だ。
「やなっち~、ノートありがと~」
「ああ。また何かあれば」
「ホントいつもごめんねぇ。はい、これあげる~」
束の間の一人の時間。しかし、陽清はすぐに後ろから声を掛けられた。
その主は
頂いた袋入りチョコを口に含んで、陽清は返却されたばかりのノートを机の中に押し込んだ。
宿題を写させて、と言われて智世に貸した。授業は五時間目だから、ギリギリセーフというやつだ。
つい先日、先の実力テストの結果が張り出されてからというもの、同じようなことが何度もあった。科目問わず、だれかれともなく。
柳上陽清は、勉強もできる。そんな共通理解が出来上がっていた。おそらく、顔の広い友人、南波君のせいもだろうだろう。
ようやく落ち着きを取り戻し、彼は最近の日課と化している文庫本を開いた。
教室が騒がしい昼休み。活気の溢れるこの時間帯において、陽清は一人で過ごすことが多い。
厳密にいうと、さっきみたいに、頻繁に誰かに話しかけられはする。昼食だって、昴や、周りの男子と共にする。
ちなみに彼らは、食べ終わるや否や、体育館に向かうちょっとバーサクな連中だった。誘われたが、陽清は断った。
ただその全てが受動的。この男は決して自分から誰かに話しかけようとはしない。
柳上陽清の
クールな実力者として、一目置かれている。表立って騒がれることは少ないが、確かにその凄さを認められていた。
正直に言うと、優越感を抱かないわけではない。
学生生活は順風満帆、かつて灰色だったものが、バラ色に染まりつつある。
それもこれも、この身体に存在する異世界の残滓のおかげなわけだ。それを以てすれば、学生生活なんて容易い。
達成感や満足感はある。帰ってくることができて、改めて本当によかったとも思っている。
(でも、何かが違う……)
それでも、陽清は渇いていた。自らの能力を持て余しているという自惚れ。どこか現実に馴染めないでいる。
ふとした瞬間に、欠落感が顔を覗かせた。
異世界に行く前には、一度も感じたことのない心のズレ。閉塞感や退屈さとはまた違うモノだ。
得体の知れぬ空虚さ。
胸にぽっかりと空いた穴を埋めるものは、おおよそ今の日常に存在しない。
(そろそろ、時間か)
ふと、時計に目をやると、昼休みは終わりかけていた。
物思いに耽っていたせいで、ろくに読み進められなかった。ただ、最近はいつもそんな感じなのでそこまで気にはしない。
(またか……)
本を閉じようと思った時、誰かの視線を感じた。気のせいだと思いたいが、何度か重なると、例え感覚の産物であっても、現実味を帯びてくる。
気取られないように、さっと視線を巡らすが、やはりその正体はわからない。
薄気味悪さを覚えながら、英語セットを机の上に広げる。
こうして、同じような日々は繰り返されていく。陽清がどう思おうが、時間は容赦なく流れていくのだ。
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