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「もっとこんがり焼かなかったのは失敗でしたね。アタマは特別、超頑丈なんですよ。そんでも首から下まるまる再構成、ちーっと手間取りゃしましたが、カジャスさんのおかげでどうにか間に合ったわけです」

 あと少しで射出ブレードが形成できるという、その刹那に四散したカジャスの艇。フランは見ていた。仇は討つと、誓った。

 フォトンカッターは潰した。プラズマ砲は撃ってこない――ソリチュード号もろとも砕いてしまうからだ。ノウマンはあくまでも、ウィリアムズを主砲で屠ることに固執している。一部始終の通信を聴いていたフランは、それを一種のナルシシズムと解した。

《ならば、ともに送ろう》

 少女は不敵に笑んだ。一度は自分を殺しかけた敵からであっても、ウィリアムズと同列に認められたのが嬉しい。

「おー、どうぞ撃ちなせえ。ただし」

 もはや返事を聞かず、弾ける蒼雷。破壊の吐息が吹き放たれる――

荷電粒子圧縮閉殻インプロージョン・チェンバーの電磁縮退フィールド、もうしておきましたけど」


 分解に特化した〝月翅バタフライ〟でも、分解しないものがある。自分自身の複製レプリケーターだ。指令を伝えるナノコンピュータが、それを識別する。

 フランは分子構築に長じた己のアセンブラを使い、敵の分解機ディスアセンブラの模造品を作った。そして、同士討ちによって対抗分子兵器アクティヴ・シールドを混乱させる間に、敵艦内部へ本命の工作機械群を送り込んだのである。

 この戦術とて、カジャスが〝月翅バタフライ〟のシステム中枢を吹き飛ばさなければ、模造レプリケーターの構造を学習され、失敗していただろう。しかし少女は、現に敵主砲をことに成功した。


 本来なら砲口へ導かれるはずの縮退荷電粒子が、フランの固定ロックした電磁フィールドに限界を超えて圧し潰され、内破する。恒星コアを遥かに凌ぐ超高圧プラズマが制御を失い、膨れ上がり――大魚の腹中で、弾ける。

 全身を閃光の巨塊と変えて、バハムートが爆発した。

 内から溢れ出す焔に喰い破られ、燃えながら砕け散った。

おさらばアーメン

 ソリチュード号に生やした翅の残りを操り、フランは自身とコックピットブロックを護った。

 飛散粒子が緩衝板に穴を開ける。薄翼を貫き、メインカメラを破壊する。一グラムの破壊力が、標準音速で射出された一トンの鉄塊に匹敵する高エネルギー粒子だ。船外にいる自分が防ぎ切れるとは思わない。だが、艇へのダメージは軽減される。

 この胸に大穴が開いても、足元でシートに横たわる男が無事ならよかった。いちばん大切なものは、彼とともにある。

 祈る少女の翅が灼ける。再生したばかりの右腕が一本、抉り飛ばされる。髪も、皮膚も、再び灼かれてゆく。

 しかし彼女の命までは奪うことなく、やがて火粒の怒涛は過ぎ去っていった。


「……ウィル、ウィル! 月並みですが、寝ては駄目です! あたしが必ず治すから……あとでお仕置きでもなんでも受けますからっ!」

 コックピットに通信波を叩き込む。応答はない。翅をうち振ってエアロックへ向かう少女は、無尽の闇に一条の流星を見た。

 流星? 違う。噴射炎だ。

 誰のものとも知らぬ艇が、惑星の陰から飛び出して、宇宙の深淵へ遠ざかってゆく。ノウマンの初撃を凌ぎ切った生存者が、まだいたのか。

 いまの戦いを見られていたのなら、あの艇の主も殺さねばならない。

 強力な惑星磁場の中ゆえ、アセンブラで遠方から狙い撃ちにはできないが――見たところ、推進力はプラズマロケット。そう遠くはないし、本気を出せばまだ追いつける。補助脳が予想を検算し、肯定した。

 だが、追えばウィリアムズがその間に死ぬ。

 補助脳の判断が割り込む。どうせ彼は殺すのだ。やり方は教わっているのだから、艇と磁場ケージを修理して、モノポールの回収は自分ひとりで続行すればいい。鉱夫の死体は、オーロラの渦にでも投げ込んで――

「……黙れ、くそったれのチップ風情が」

 音にならない悪罵を、頭の中の機械に吐いた。

 確実性の問題だ。付け焼刃の知識では、熟練の技には及ばない。ウィリアムズが作業に当たらなければ、失敗する確率は――何パーセントかはいざ知らず――上がるに違いない。

 だいたい、あの艇がフランの姿を見たという確証があるわけでもない。ついさっきまでこの世のものならぬ死闘が繰り広げられていた戦場から、すっかり怖気づいて逃げ出そうとしているようにしか見えないではないか。よしんば見られていたところで、空間戦闘可能な違法サイボーグがこの銀河に一体しかいないわけではない。〝会社〟に累を及ぼす可能性など、それこそ天文学的に低い――。

 たたみかけるように思考し、補助脳が強権を発動する前に説き伏せる。単一の絶対命令ではなく、解釈の余地がある選択問題だから可能だった。

 もちろん、本音はたったひとつ。単純な願い。

 ウィリアムズを死なせたくない。少なくとも、いまはまだ。

 彼に習った手順の通り、フランはエアロックの扉を開いた。



月翅バタフライ〟の碧い輝きに、身体の過半を削り取られたあの瞬間、フランは思ってしまった。

 自分がここで死ねば、ウィリアムズをこの手で殺さずに済む。

 直後、フォトンカッターに斬られ、世界が燃えた。

 死ぬのか?

 それはそれで構わない。ようやく終わるのだ。苦しみも、いたみも――

 ――そのいたみは、忘れてやるな。

 残った頭の内側で、少女の思惟が記憶と再会する。

 あの身体はなくなってしまった。けれど、抱かれた腕のぬくもりは覚えている。

 いたみを愛するすべを教えてくれた男。ウィリアムズ。ウィル。

 


 その男の叫び声が、彼女の現実を再構成リアセンブルした。

 冗談ではない。バハムートの火力から逃れ得る確率など、元々そう高くはないのだ。そのうえ会話を聞く限り、ノウマンは手段と目的が一体化した戦闘狂。モノポールよりもウィリアムズの命を狙っている。あるいは勝利を。

 おまけに何をとち狂ったか、ウィリアムズはノウマンとの戦闘を再開した。間違いなくこの瞬間、宇宙最高峰の絶技を披露してはいるが、艇の性能差は如何ともしがたい。


 固有の周波数で、フランは支配下のアセンブラたちに命令を飛ばした。漂う船舶の破片、星間物質、材料は何でもいい。身体の再構成に取りかかれ――と。

 同時に、ソリチュード号にかけておいた〝保険〟を発動させる。装甲表面を剥離させ、スラスター・マトリクスとしての機能を解放。およそ三十六万枚の翅群は、ウィリアムズの操縦を補佐するように働き、彼の望む機動を実現する。〝月翅バタフライ〟に対しても、フランのように大量のマシンが直撃しなければ防ぎ切れるはずだ。彼の腕ならば、掠める程度に留めると信じた。


 プラズマと光の吹き荒れる戦域で、フランは活動に最低限必要な器官だけを優先して組み上げた。内臓のほとんどは省略。代用できる生命維持機能は、すべてナノマシンで補う。まずは飛べることを第一に。

 かき集めた分子で、千切れた翅群にカムフラージュ。フランは全身をハイゼンベルク・ナノスラスターの塊と化して、ソリチュード号に追いすがった。船尾側で大爆発が起こる。大量のペレットを一気に起爆したらしい。

 焔の壁が迫る中、着艇。翅翼を操り、即席の身体を包み込んだ。急加速――激震の中、翅を構成するマシンセルの一部を回収し、そのまま本来の身体を再構築する。脳が馴染んだ身体こそ、結局は一番動きやすい。


 その間にカジャスが颯爽と現れ、そして死んでいった。見えている。彼がくれたのは時間と、分子攻撃の突破口。イオンキャノンが〝月翅バタフライ〟のコントロールを麻痺させた。いましかない。

 電磁投射器に変成させた副腕で、バハムートの艦首を狙う。怖いのはフォトンカッターだ。あれを壊せば、使える武器はなくなる――なぜなら、ノウマンは戦いにを持ち込む変態だから。

 勝利を確信している限り、彼は副兵装のプラズマ砲による味気ない決着など選ばない。最期まで足搔いたフランとウィリアムズに対し、必ずあの主砲を撃ってくる。

 だが、その主砲はたったいま、こちらでした。

 だ。

「とぉー、こぉー、ろぉー、がぁー」

 単分子ブレードウェッジ射出。

「――ぎっちょんッ!」

 狙撃の心得はない。ゆえに撃ちまくる。刃弾の雨を浴びせるがごとく。おかげで六つのレーザー発振ユニットを、すべて破損させることに成功。

 そして少女は、翼の繭から飛び出した。

 乾坤一擲の大仕掛けから注意を逸らさせ、ひとりの男を大魚の断末魔から守るために。

 あとはウィリアムズも見ていた通りである。



「……アホなんですか!? 約束しましたよね、覚えてますか、銀河標準語わかりますか! あたし、逃げろとか生きろとか言った気がしますけど!」

 中年の宇宙鉱夫は、死と生の間を遊弋していた。

 まず失血がひどい。それ以外にも管という管は破裂し、肉は潰れ、骨は折れるか外れるか飛び出るかしている。治療に当たるフランも専門家ではないから、損傷した組織の修復は手当たり次第に行われた。

 もともと医療分野の技術だけに、注ぎ込まれた有機ナノマシンは、凄まじい速度で肉体を再生してゆく。しかし、治り切るまでにウィリアムズの生命力が絶えてしまうことはあり得た。脳の全潜在能力、また全精神力をも振り絞って、彼は戦っていたに違いないのだ。そうでなければ、手足が弾け飛ぶようなGに耐えられはしない。

「何やってんですか、ほんと……あんただったんでしょう。サイボーグでも遺伝子改造者でもない。どう見てもヒーローって感じじゃないですよ。それがあんな、全身から弾幕ゲーのラスボスみたいなオーラふりまいてるバケモンに、たったひとりで……」

 少女のなじりが、塞がれゆく傷口に沁みたのか。

 男は身じろぎし、目を開けた。

「ウィル! 聞こえますか、自分誰だかわかりますか、この腕何本に見えますか!」

 声を出さず、唇が「三」と動いた。飛散粒子で吹き飛んだ右の一本をまだ再生していないから、正解だ。

 フランの五体から、力が抜けた。

 大き過ぎる安堵が思考を押し流す。何も考えられなかったが、かろうじてウィリアムズの呼吸を助けるという思い付きは浮かんだ。されど、もちろん酸素マスクなどと気の利いたものはない。

 薄い胸に空気を吸い入れ、唇に唇を重ね、少女は男の口から息吹を送り込んだ。

 何度も、何度も――命そのものを注ぐように。

 男は目を閉じている。ただその顔に、安らぎと諦めがない交ぜになったような、眉根の陰翳を刻みながら。

 たどたどしくもフランは、無重力下の人工呼吸として間違ったことを、何ひとつしなかった。

 マニュアルとの違いがあったとすれば、吐息を与えるその営みが、恋人への――というよりは、妻から夫への――口づけに似ていたことだけである。



 ――数時間が経って。

「ね、ね、何て言ったんでしたっけ? あたしのこと訊かれて、『あいつは、俺の』の後、ウィルが言ったの何でしたっけ?」

 ひとまずの完治を見たウィリアムズは、自分と同じようにされたスクリーンを凝視していた。モノポールだ。ニュートリノの飛跡を探せ。横で騒いでいるクリーチャーは放っておけ――

「この磁気圏のなか、魚野郎に聞こえるよう叫んだわけでしょう。あのつよーい通信波、これから何万年もかけて球対称に、光速で拡がっていくわけですよねぇ。近くの星系なら、何年かすれば聞こえるんじゃないですか……あいつは~、俺の~~……」

「ええい、黙ってろクソ! もう磁気圏の外まで飛んで行っちまったかもしれねえんだぞ、そしたらどうやって」

 間の抜けたビープ音が、連続的なニュートリノ放射を報せた。

 戦闘で発生したデブリか何かと、モノポールが接触したらしい。

「……出来過ぎてやがる」

「あは、いーじゃないですか。文字通り死ぬほど頑張ったわけですし。宇宙があたしたちを祝福してくれても、きっとおかしくないのです」

 答える代わりに、ウィリアムズはレバーを傾けた。核パルスの殴りつけるような加速とは違う、なめらかな加速度が身体をシートに押し付ける。側面カメラの映像では、左右六枚ずつの翅翼が拡げられ、虹の燐光で闇を照らしていた。

「……ほんと言うと、あたしはうれしかったですよ。娘とか弟子じゃなく、〝嫁だ〟って言ってくれたの」

 彼の前に身を投げ出した少女が、慣性に押しやられて胸の中へ落ちてくる。

 操縦には邪魔だったが、一度は失われたその肢体を、ウィリアムズはそっと受け止めた。感触に変わりはないように思える。相変わらずか細く、熱く、やわらかい。

 肘でボタンを押し、オートパイロット起動。機械で対応できない軌道修正は、必要ならフランがやるだろう。

「そりゃあたしは、見てくれこそ十一歳のまんまです。でも実年齢はいちおう十五、六なわけで、文化圏によっては結婚できてもおかしくない歳ですよ。これも『銀河百科事典エンサイクロピーディア・ギャラクティカ』に載ってたから間違いなし。そういうわけで、旦那さま、勇気を出して!」

「何のだ」

 脳天に、拳骨一発。うわらば、とフランが奇声を吐く。

 しかし今回の彼女は、鉱夫の胸板にしつこく引っ付いていた。そうできることが、嬉しくて仕方ないというふうに。

「鈍いですね。じゃあ三択にしましょう。ごはんにします? お風呂にします? それともそれともー、生まれ変わったあたしとのお楽しみタイムをー」

 ウィリアムズは少女を抱え上げ、ドアの前まで移動すると、そのまま船室へ放り出した。

 それから席へ戻り、しばらく考えたのち――

 自分もまた、コックピットを出て行った。


 フランが執拗に迫る〝三択〟をかわしながら、ウィリアムズがしたことは、彼女に打ち明けていなかった過去の話だった。

 薄れた記憶しかない両親。児童養護施設で暮らした日々。生きる術を求めて鉱夫となり、ユハナンと出会い、亡くした。薬漬けの歳月――

 表面的な経歴なら、フランも〝会社〟による事前の調査で知っていたこと。だがウィリアムズ自身の口から告解される彼の物語を、少女は飽くことなく、慈しんで聴いた。

 そして、それらすべてに先んじて――

 二人は亡き恩人への手向けに、まずエイリアンの話をした。

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