佃煮の味は食べなければ知ることができない。佃煮がある、という情報だけではどんな味か主観的に捉えられない。ただ食べるには勇気が必要で、そのときをいつ迎えるかという話。
彼女が海苔の佃煮になっていた。から始まる衝撃的な一文からはじまる物語。現実とは思えないそれを目の当たりにしてからの主人公の時間の過ごし方が、静かな変質に感じられます。目の前で起こった異常をすぐには受け入れられない。けれど毎日は変わらずに過ぎていく。ふわふわとした毎日は不可思議にも感じますが、最終話でそれまでの流れから一変します。カタルシスというか、最終話で彼がとった行動こそが、ひとつの受容なのかもしれないと、感じた次第です。
おもしろかったです。形容しがたいイメージに包まれて、お気持ちがネバネバしたような気がします。生半可な関係の彼女が、生焼けのシーフードグラタンになってしまうなんて人生はカフカです。
読み始めてすごく疑問だったのは、「生焼けのシーフードグラタンなら焼けばいいのでは?」ということでした。これは暗喩と比喩でないのと両方の意味で言っております。なぜなら彼女は暗喩的な存在になってしまったので、それをどうにかするということはまさに暗喩であり、かつ現実の対処でもあると思うのです。
生焼けの関係が彼女の肢体に具現化したなら、きっちり焼き上げて関係を構築すればよいのではないかと思った次第です。
でも、焼き上げたシーフードグラタンを食べて彼女が蘇るのもおかしな話のような気もするので、やはり今のオチでよかったのだと思います。
クラゲ虫ってなんだろうと思いながら読み進めた。
どうやら、同棲している彼女の今の状態のことをクラゲ虫と呼ぶらしい。
彼女は布団のなかにいる。
海苔の佃煮のようになって。納豆のように糸を引いて。生焼けのシーフードグラタンのような匂いがする。
機嫌を損ねた彼女のためにプリンを買って戻った主人公。変わり果てた彼女の姿を見て彼は思う。不貞腐れた末にこうなってしまったんだなと。まるで感情が凍りついてしまったように。
翌日も変化のない彼女に対してこう思う。食事をしなくても大丈夫なのだろうかと。
クラゲ虫と名前があるということは、この世界ではよく起こる現象なのか。
主人公はなぜ、彼女がまた元通りになると信じているのか。
誰にも警察にも届けずに、いつも通りに会社に行けるのはなぜか。
答えはない。全ては読者に委ねられている。
彼女の想いは分からず、彼の想いも不透明なまま。
触感と匂い。凍った感情が溶け、一気に溢れ出る様。
非現実的ななかに、どこにでもある男女の愛情の形がはめ込まれ、違和感と共感との間で、読者は彷徨うことになる。
この奇妙でエロティシズムに満ちた世界に、貴方はどんな解を見出すだろうか。
たぶん、おそらく、やっぱり……。
色んな解釈ができる話って好きなんです。想像の余地のある終わり方とか、好物です。
この話は、それを冒頭からやってきます。
彼女が海苔の佃煮になってしまうのです。
布団をめくれば糸を引く納豆の泡立ちと、シーフードグラタン風の香り。私はこれを最初◯◯の喩えだと思っていました。しかし、読み終わって暫く経った今では、本当に海苔の佃煮だったのかもしれないと思っています。
その答えは出ません。
謎が謎を呼び、謎のまま完成する。
感覚を刺激する小説。
解釈自由の物語。
原案が奥様とのことで、おそらくこの物語には現実から抽出されたエッセンスもあるのではないかと推測します。そして作者の筆力とセンス。それらが、この小説を実のある幻想に昇華させている。
もし彼女が◯◯として書かれていたら、物語の色は全く違っていたことだろう。
海苔の佃煮。
この絶妙な言葉のチョイス。
これが「彼女が【スパゲッティ・ミートソース】になった」という風に書かれていたら、その味は大きく変わってしまうことでしょう。
言葉の味わいを堪能できる良作短編。
最後のシーンは刺さる人には刺さります(刺さった)。
そしてきっと、次に海苔の佃煮を食べるときには必ず思い出すだろうなぁ……(笑)
この作品に用いられる表現としては、「なんじゃこりゃぁ」ですね。
とんでもない物を読んでしまいました。
純文学系レビューの人の頭の中をのぞき込んでみたいです。どうしてそういう言葉が出てくるのか。
めちゃくちゃです。なんたって朝起きるとそこには海苔の佃煮。シーフードグラタンの香り。
なぜか平静を保つ彼。
なんじゃこりゃぁ
でもね、でも。
彼女が変わっても主人公は変わらないんです。変わらない。彼女はあんなに変わったのに。
それってつまり
彼女がどういう存在になっても変わらぬ愛を持っているのでは無いかな?この主人公は。
そして作者も。
という感じなのでは無いでしょうか。
誰かにそう訴えてる感じもするんですよね。
ただまあ、この理解の範疇を超える描写とかはとんでもねえです。難しい。
文学ってモノの方向性とか、人の感性とか、読んで味わってみてください。
おすすめです。
ある日、彼女が海苔の佃煮になる。
え? 何を言っているのかって?
小説の話である。そこを否定されると話が進まないので、まあそういうものかと聞いてもらいたい。
そう、彼女が海苔の佃煮になる。
多くの読者はこの奇抜なシチュエーションに、ある有名な海外小説を思い浮かべる事だろう。
私はそれこそ正にこの小説を書いた作者の思惑なのではないかと疑っている。つまりこれはカフカ『変身』に対するアンサーソングであり、また一方で『変身』の対極を描いた作品なのだ。
作者は最後に主人公を通してこう投げ掛ける。
「多分僕は、おそらく僕は、やっぱり僕は……」
この後にはいったいどんな言葉が続くのか。あなたならそこに何を入れる?
私ならこうだ。
――やっぱり僕は彼女を愛している。
一読の価値あり。そして一読した後は二度、三度、繰り返し読むと良い。その度に違った景色が見えてくるだろう。
名作とはそういうものだ。