露草

 

 「何とも後味悪くてね。寝覚めも悪くて、きっとわしはたたり殺されるんじゃないかと思います。ほら見てくださいよ、この顔。すっかり、やつれているでしょう。急に白髪が増えました。まだ三十路みそじ前なのにね。可哀想かわいそうでしょ。え、前よりも顔が丸くなっているって、そんなはずは、ございませんよ。

 あの、恋蛍が飛んでた夜、二人が話しているのを見て、おもしろがって大声で冷やかしたから、若い坊さんは慌てて逃げようとして、足を踏み外して川に落っこちて死んだ。八方さがしたけれど、死体は上がらなかった。つまり、このわし、太鼓持ちの大吉が殺したようなもの。半太夫は気がふれて歌舞伎若衆を辞めてしまった。全て、わしのせいや。

 あれから一年経って、半太夫は身請けされた先から出家して、今は山寺で修行しているそうです。もったいない、若衆の盛りに出家して緑の黒髪を落としちまうなんてね。その前に一度だけ一夜を共にしたかったのに。

 噂ですがね、その半太夫が修行しているいおりには出るらしいんですよ。何って、幽霊ですよ。溺れ死んだ恋蛍の坊さんの幽霊が現われるんですと。そして親しく交わるのが嬉しいと、半太夫が言っているって。幽霊と交わるって、どういうことですかね。そして、不思議なことに毎朝、新しい野の花が一輪、庵の花器に生けてあるって。それを聞いて震え上がりましたよ。

 ねえ先生、気になりませんか。本当にあの坊さんの幽霊が出るのか、誰が毎朝、野の花を生けているんでしょうね。ただの噂話しなのか、確かめていただきたいのです。どうか、よろしくお願いいたします。


 

 太鼓持ちの大吉の話しを聞いて、北にある槇尾山まきのおさんふもとへやってきた。

高山寺から歩いて脇道を下って行くと指月橋が見えてきた。

眼下に滝のように流れている清滝川を眺めていると心が洗われるようだ。

清滝川のせせらぎを聞きながら、橋を渡ると参道の石段がある。

緑に覆われた二曲の石段を上った所で休憩した。そこから、さらに歩くと息苦しいほど緑の木々が迫って来る。


「これはこれは、西鶴せんせ、お久しぶりでございます」

 

 柔かい土を踏みしめ、ようやく半太夫が修行をしている庵をさがし当てた。

庵から出て来た墨染すみぞめの衣を着た若い僧は、ひょろりと痩せて浅黒い。

厳しい修行で、あごとがほおはこけているが、目だけがきらきらと輝いている。

人違いかと戸惑とまどいながら見つめた。

笑顔にはんなりとした色香が残っていたから、半太夫だとわかった。

当然ながら、あの腰まである長く艶やかな黒髪は無い。

わしはどこか恨めしい顔をして半太夫を見ていたに違いない。

歌舞伎若衆というのは仕事とはいえ、嫌な顔ひとつせずに誰にでも肌を許し、共寝ともねしてくれる。心根の優しい者たちだが今思えば、その優しさに甘えて、ねやではずいぶんとひどくいじめてしまった。だから、半太夫の行く末が気にかかる。

 

 うながされて、二帖にじょうほどの何も無い小さな庵に入った。

床は板敷きで、丁寧に掃き清められていて清々すがすがしい。

ふちが欠けた茶碗に、小さなかめから水を柄杓ひしゃくで汲んで注いでくれた。

その指先はかさかさと荒れているが、優雅な手つきはまぎれもなく女形の半太夫。

かつて多くの京の芝居見物客がこの若者に夢中だった。

半太夫の美しい姿に恋い焦がれ、恋死にした男女は数知れない。


「何と、この庵に幽霊が出るという噂があるのですか。それを確かめにいらしたとは、先生も物好きですね。いえいえ、わたしの事を気にかけていただき、ありがとうございます。ご心配おかけしました。修行中の身で、夜も横になって寝ることはございませんが、それでも毎日が楽しくて仕方ないのです。少なくとも女形をしていた時分よりも、ずいぶんと正気です。

 このとおり隙間すきま風が吹きぬける粗末な庵です。今は夏ですが蚊帳かやも無いので、虫にさされるかもしれません。それでもよろしかったら、好きなだけお泊りになってくださいませ。むしろが一枚だけあります。どうぞ敷いてお休みください。。そうそう、このあたりはよく蛍が舞うのですよ」


「蛍、もう一年前の悲しい出来事を思い出して、辛くなったりしないのか。強くなったな、半太夫」

わしは、じんと胸が熱くなった。


「ふふっ、蛍は好きです。闇を明るく照らしてくれますし」

笑いながら、ちらりとこちらを見る流し目の何と艶っぽいこと。

今宵この山の庵で二人きりとは嬉しいことだ。

つい、よからぬことを思う。

持参した般若湯はんにゃとうを飲み、握り飯を食べた。

歩き疲れていたから、酔ってすぐに眠ってしまった。


 ふと、夜中に目が醒めた

今宵は月が出ていて暗闇ではない。

しばらくすると夜目にも慣れた。

半太夫の膝にでも触れようと手を伸ばす。

おや、おかしい、庵に半太夫がいない。

わしは起き上がり、硬い寝床で腰をさする。


 夜風に吹かれようと、外に出ると無数の蛍が乱舞していた。

夏の夜に妖しくぬくもる光が満ちている。

その向こうに、ぼんやりと人影が見える。

半太夫だと思ったが、それにしては影が大きい。

どうやら人が二人いる。

仲睦まじく腕を絡めているのか。

抱き合っているのか。

ふと、二人がこちらを向いた。

わしは腰をぬかして、尻もちをついてしまった。

恐ろしいほど美しい僧呂が二人、蛍の光に照らされている。

そして、全く同じ顔をして笑っていた。


「ぎゃあ、出たー幽霊」そう叫ぶと、ようやく立ち上がり庵の中へ逃げ込む。

何故だ、半太夫が二人いた。いや違う、ただ夢を見ているだけか。

筵をかぶって震えていたが、またいつの間にか眠りに落ちていた。



 翌朝、目が覚めると、半太夫が静かに座禅を組んでいる。

かたわらの欠けた徳利には、みずみずしい露草つゆくさが生けられていた。


「毎朝、野の花を生けてくれるのは、誰だね」

わしは野暮な事を聞いたと思う。


「おはようございます。西鶴先生。昨晩、私どもを見ましたね。驚かれましたか。あれが恋蛍のお坊様です。わたしたちは顔がよく似ていた。よくよく話してみると幼い頃に生き別れた双子の兄だったのです。双子の兄がいるとは知らずに、わたしは兄に恋していたのです」


「何と、双子の兄弟。そして、恋蛍の坊さんは生きていたということか」


「はい、あの晩、川に流されて岩に頭をぶつけて、記憶がずっと戻らなかったそうですが、最近、やっとわたしの事を思い出してくれて、毎夜ここを訪ねてくれるのです。近いうちに二人で諸国を巡る修行の旅へ出るつもりです」


「そうか、それはよかった。美僧二人旅とは心配だが、気をつけて行っておいで」

そう言い、安堵あんどしたようにため息をついて見せたが、少し寂しく思う。

数日間この庵に泊まるつもりだったのだが、今すぐにでも立ち去るとしよう。

太鼓持ちの大吉には「五日ほど泊まった。幽霊は出なかった。しかし不思議なことに毎朝、新しい野の花が一輪だけ生けられていた」とでも言っておこうか。


小さな青い蝶のような露草の花をのぞきこむ。

花の中心には、こぼれ落ちそうな甘露が光る。   

                      (了)






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野の花いちりん夢枕 オボロツキーヨ @riwa

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