1.5 日本語に主語はない(5) 

ハとガ(2)


 「ハ」は主題の提示だ、と述べた。この提示という面に重心を移すと、いろいろある中からこれを主題として取り上げる、という取り出し効果(スポットライト効果)が生まれる。

 例えば「女ハ殴らない」を英文に直せ・・・。「女ハは泣かない」なら「女」を主語にして英文を作れるが、「女ハ殴らない」だとちょっと迷う。

 普通この発言の意味は「(私は)(よく人を殴るが)女(について)ハ殴らない」ということで、他のモロモロから特に「女」を取り出して言及する言い方である。「(魚は嫌いだけど)マグロは食べる」とか「顔はきれい(だけど心は・・・)」とか、対比的な表現によく使われる。

 また、否定のときに登場するハもこの取り出し効果で説明していいのではないかと思う。なぜ、こんな煮えきれない言い方をするのかというと、学校文法では、「行かない」のような動詞を否定する「ナイ」は助動詞で、「学生でハない」「大きくハない」のように名詞や形容詞を否定する「ナイ」は形容詞(あるいは補助形容詞)で、両者は別モノであり、その区別が「ハ」が入るかどうかにあるとされている(らしい)から。

 動詞(行か)+ナイの間には何も入らず、名詞・形容詞(学生で・大きく)+ナイの間にハやモなどをいれて文節を分けることができる(つまり形が違う)という理由らしいが、そもそもこのような文節という考え方自体を再考する必要があるとぼくは感じている。

 しかし、「ナイ」は両者とも同じ否定語としたほうが自然だと思う。無理やり例文を作れば「行くハない」も可能ではないか。「熱があるのに(会社に)行くハないでしょ」(これは、相手の発言「行く」を引用するもので、動詞の否定ではないが、ハの取り出し効果がよく出ている)。あまり多くはないけど「復讐するは我にあり」とか「聞くは一時の恥」という例もある。

 「彼は学生でハない」は他の職業・身分との対比・取り出しの「ハ」が入っているのであって、ハの入らない「学生でないものは帰れ」も可能だし、「大きくない」は普通にOKだと思う。つまり、「ハ」のあるなしで「ナイ」の種類を分けるのではなく、単に「ハ」の取り出し効果で説明すればいいじゃないか、ということ。

 で、ハとガだけど、「ハ」には対比・取り出し効果があるために、背後に意味を含む(意味を確定しにくい)言い方が作られやすい。例えば「金がある」「金はある」、「金がない」「金はない」。

 特に否定の時に「ハ」が活躍する。「彼女は賢い」「彼女は賢くない」「彼女は賢くハない」。「彼女は少し賢い」「彼女は少しハ賢い」「彼女は少しモ賢くない」「彼女は少しモ賢くハない」「彼女は少ししか賢くない」「彼女は少ししか賢くハない」

 あるいはこんな例文はどうだ。「無いものガない」「無いものハない」「無くハない」。「無いガない」(?)。これらは英文にするとどうなるのだろう?

 ともあれ、ハもガも主語を指すとはいえないことだけは確かだろう。

 話を戻すと、「あなたガ好きです」から始まった。では「あなたハ好きです」はどうだろう。なんとなく落ち着きが悪い。「好きになれます」に直してみよう。

 「(私は)あなたハ好きになれます」という取り出しの言い方と、「あなたハ(それを)好きになれます」という二つの意味が考えられる。そして前者のハは取り出しの「ハ」だけど、後者の「ハ」は主語(あなた)を指す、という反論があるかもしれない。

 しかし、両者とも同じ取り出しの「ハ」だと言っても不都合はないとぼくは思う。他の人はともかく「あなたハ(なら)」という取り出しで、「(ぼくは)あなたナラ好きになれます」「あなたナラ(それを)好きになれます」となり、両者は同じなのだ。

 では、以下の「ハ」の用法は何だ?

 金ハ盗む(ハ)、女ハ泣かす(ハ)、(ひどい男さ)」。最初のハは取り出しのハでいいかもしれないが、後の(ハ)は? 省略可能だけど、あえて言えば「シ」で言い換えられるかもしれない。「泣くハ、わめくハ」も同じだろう。ならば、「(あいつに奢ると言ったら)食うハ、食うハ」はどうか? 「ハ」じゃなくて「ワ」かな?

 ところで、好きな人を前にして、「好きだ」「愛している」は自然な日本語だけど、「(あなたを)愛します」はなんとなく不自然に感じるのはどうしてだろう。ここに日本語の大きな特徴がありそうだ。「愛します」だと、今ではなくこれからのこと、未来(意志未来)を表現してしまうことについては時制の問題(「日本語に時制はない」)で取り上げよう。

 ここではもう少し述語文について考える。つまり「好きだ」と「愛します」の間に見える日本語の発想法の特徴である。




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